菊に寄せて思いを詠んだ歌三首。言の心で読めば、清げな歌の姿の帯が解けて艶情が顕れる。併せて、枕草子での草の名の戯れと言の心をみてみましょう。
古今和歌集 巻第五 秋歌下
270~272
270
これさだのみこの家の歌合のうた
紀 友則
露ながらをりてかざさむ菊の花 おいせぬ秋のひさしかるべく
是貞親王家歌合の歌
露のまま折って挿頭そう菊の花、露に濡れ、老いせぬ秋が久しく巡り来るように……つゆのまま折って、飾りつけよう、長寿に効くの花、感極まらぬ飽きが久しくあるように。
「露…ほんの少し…おとこ白つゆ」「かざさむ…挿頭そう…頭飾りにしょう…その上に飾り付けよう」「菊の露…飲めばあるいは身に触れれば長寿を保つという」「折る…花の枝を折る…身の枝を折る」「折…逝」「きくの花…女花…効くの花」「おい…老い…年齢の極み…追い…ものごとの極み…感情の極み」「秋…飽き満ち足り」「べく…べし…できるように…可能の意を表わす」。
271
寛平御時きさいの宮の歌合のうた
大江千里
うゑしとき花まちどほにありしきく うつろふ秋にあわむとやみし
寛平御時后宮歌合の歌
植えた時、花待ちどうしかった菊、色かわり散る秋に、遇うなんて思ったか……うえたとき、お花待ちどうしかったひと、おとろえる飽きに遭うなんて思ったかな。
「うゑし…種うえつけた…なえうえつけた」「花…草花…女花…木の花…おとこ花」「きく…草花…女花…女」「うつろふ…移ろう…咲き散る…衰える」「秋…飽き…厭き」「あはむ…遭うだろう…好ましくないことに遭遇するだろう」「見し…思った…覯した…合った」。
272
おなじ御時せられける菊合に、すはまをつくりてきくの花うゑたりけるにくはへたりける歌。ふきあげのはまのかたに、きくうゑたりけるをよめる
菅原朝臣
秋風のふきあげにたてるしらぎくは 花かあらぬか波のよするか
同じ御時に催された菊合せで、州浜を造って菊を植えてあったのに添えてあった歌。
吹き上げの浜の形に菊が植えてあったのを詠んだ歌。
秋風の吹き上げ浜に立つ白菊は、花ではないか白波よせるか……飽き風の吹きあげに絶つ清きひとは、華か華ではないか、あだなお波が寄せているのか。
「あげ…上げ…あけ…おわり」「たてる…立てる…断てる…絶てる」「白…清き」「きく…草花…女花…女」「花…華…華の京」「波…白波…あだ波…片男波」。
上三首。きくの花に寄せて、ひとのありさまと男の思いを詠んだ歌。
枕草子の草の名の戯れ
枕草子125を言の心で読みましょう。草花の名の戯れている様子もわかるでしょう。
正月七日の若菜を、六日に人々が持って来て騒いで、とり散らしたりするときに、見知らぬ草を、子供が手に持って来たのを、「何と言ったかな、これをば」と問えば、すぐには言わず、「いま、いうから」と子どもたち顔見合わせて、「耳無草とね、いうのよ」と言う者がいたので、「なるほどそれでだったのね、聞こえない顔してたのは」と笑うと、また、とってもかわいらしい菊の生え出たのを持ってきたので、
つめどなほみゝな草こそあはれなれ あまたしあればきくもありけり
と言いたかったけれど、またこれも、子供たちには、聞き入れることできそうもない。
摘んでもやはり、耳無草こそあわれだよ、たくさん有れば菊もあったのねえ……娶ってもなお、きかぬひとこそあわれよね、女あまたおれば、いうこときくのも居たのね。
「若菜…土佐日記にもあるとおり正月七日用の七種の食物の一つ…若い女」「摘む…採る…娶る」「なほ…なお…猶…直…素直…汝男…おとこ」「草…菜…女」「きく…菊…草花の名、戯れる。女、聞く、聞き入れる、承知し従う」「けり…詠嘆、気付きの意を表わす」。
上一首。草花の名に託けて、都を諦めて地方の国へ行って共に暮らそうよと、彼は言ったけど、きかなかったら、若い妻連れて行ってしまったときの思いを詠んだ、とでも聞きたまえ。
伝授 清原のおうな
鶴のよわい賜ったという媼の古今伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
業平の歌と敏行の歌二首。歌の帯を言の心で読み解けば顕れる艶情を賞味したまえ。併せて、業平の歌について、貫之の批評とともに吟味しましょう。
古今和歌集 巻第五 秋歌下
268~269
268
人のせんざいにきくにむすびつけてうゑけるうた
在原業平朝臣
うゑしうへは秋なき時やさかざらん 花こそちらめねさへかれめや
他人の前栽できくに結び付けて植えた歌
植えたからには、秋でない時は咲かないだろう、秋くれば花は咲き散るだろう、根は枯れるだろうか枯れはしないよ……うえつけた上は、飽き満ちない時に花咲かさないよ、お花は散るだろう、根さえ涸れるか涸れはしないぞ。
ひとの前にわに、効くに結び付けて、ものうえた歌。
「人…他人…女」「せんざい…前栽…前の植え込み…前のくさむら」「きくに結びつけて…歌を書いた紙を草花に結びつけて…前ざいに約束を結ぶように結びつけて」「きく…草花の名、名は戯れる。女花、聞く、利く、効く、きくの露は長寿に効くという」「うゑける…苗植えつけた…ものの種うえつけた」。「うゑ…植え」「うへは…上は…そのうえは」「秋…飽」「花…草花…女花…木の花…おとこ花」「め…む…推量・意志を表わす」「ね…根…根本…おとこ…さ枝」「かれ…枯れ…涸れ」「や…反語の意を表わす」。
上一首。草花に結びつけて、男の意志を示し、ものの長寿をひとと約束した歌。
萎める花の匂い残る業平の歌
さて、こんな約束を交わせるのは天下の色男、業平だけ、守ったかどうかは知らない。一般的によ、男のさがは、うすい、あさい、うつろいやすい、かえり見しないもの。山ばは片去りやま形。ときに京に至るまえにばてるものでしょう。
さてさて、この歌は、貫之・公任の正統派和歌の、心深く姿清げで余りの情が添えられてあるという理想形には程遠い。仮名序の貫之の批評をもう一度吟味しましょう、「在原業平は、その心余りて、ことばたらず、萎める花の色なくて、にほひ残れるが如し」。
業平の歌は、貫之の批評がよくわかり、今でも残る、おとこの匂いがするような聞き方をすべきでしょう。業平の歌はこれまでに、53世中にたへてさくらの、63けふこずはあすは雪とぞ、133ぬれつつぞしひてをりつる、の三首。思い出すか、伝授を読み返したまえ。いずれも、おとこの匂いの残る歌でしょう。
この歌は、言葉の戯れを知らず、言の心を心得ず、歌の清げな姿しかみない人々にとっては、何なのか、字義のとおり解釈するだけでは、理屈の歌でしかない、しかも貫之の批評を無視することになる。和歌がそんなくだらないものでしょうか。貫之の批評がよくわかってこそ正当な解釈でしょう。和歌のさまも知らず、解釈を間違えていたことに気づき給え。
若き藤原敏行は、業平から色いろ色ごとを教わったらしい、伊勢物語(107)からその様子は窺える。次の敏行の歌を聞きましょう。歌も教わったにちがいない。
269
寛平御時きくの花をよませたまうける
敏行朝臣
久方の雲のうへにてみる菊は あまつほしとぞあやまたれける
この歌は、まだ殿上ゆるされざりける時に、めしあげられてつかうまつれるとなむ
ひさかたの雲の上にて見る聞くは、もしやここ天の星かと間違えたことよ……はるかなる心の雲の、その上に見るひとは、これこそがあまの欲しだと、過ちをしてしまったなあ。
この歌は、まだ殿上を許されていなかった時に、召上げられて献上したのだと……この歌はまだ殿上のあまつ上許されなかった時に、あまに召し上げられて、ご奉仕してさしあげた歌なのだと。
「ひさかたの…雲の枕詞…天の枕詞」「雲の上…宮中」「上…女…ひとの上…そのうえに」「雲…心に煩わしいほどわき立つもの…情欲など…ひろくは煩悩」「見…覯…媾…まぐあう」「きく…草花の名、名は戯れる。聞く、女花、女」「天…あめ…あま…女」「つ…の」「ほし…星…欲し…欲情など」「あやまつ…間違える…過ちをする」。
上一首。きくの花に寄せて、雲のうえでのひととのあやまちを詠んだ歌。
敏行は業平から色事の何を習ったのかって? 古今和歌集の歌を正当に聞けるようにならないと、伊勢物語など読めないから、この伝授を終えてからにしたまえ。まだ二合目半よ、ばてずに山の頂の京までついてきたまえ。
伝授 清原のおうな
鶴のよわいを賜ったという媼の古今伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
佐保山のもみじの歌三首。歌の清げな姿の帯を解けば、添えられてある艶なる情が顕れる。その「心におかしきところ」を賞味し給え。併せて、万葉集の藤原宇合の歌二首を、同じ「言の心」で聞く。
古今和歌集 巻第五 秋歌下
265~267
265
やまとのくににまかりける時、さほ山にきりのたてりけるを見てよめる
紀 友則
たがための錦なればか秋ぎりの さほの山べをたちかくすらむ
大和の国に行った時、佐保山に霧が立ったのを見て詠んだ歌
誰のための錦織なのか、秋霧が佐保の山辺を立ち隠してるようだ……誰の為のにしき木なのか、飽き限りが、さおの山ばを絶ち隠す、どうしてだろう。
山ば途上のせかいに行ったとき、さおの山ばで限りの絶つたのを見て詠んだ歌。
「佐保山…山の名、名は戯れる。さほの山ば、さおの山ば」「さ…接頭語…美称」「ほ…抜きん出たもの…お…おとこ」「山…山ば」「にしき…錦…色とりどりの織物…もみじの比喩…にしき木」「木…男」「秋霧…飽き切り…飽き限り」「たちかくす…立ち隠す…絶ち隠す」「らむ…だろう…推量を表わす…どうしてだろう…原因・理由を推量する意を表わす」。
266
是貞のみこの家の歌合の歌
よみ人しらず
秋ぎりはけさはなたちそさほ山の はゝそのもみぢよそにてもみん
是貞親王家歌合の歌
秋霧は今朝は立たないで、佐保山の柞の紅葉、遠くからでも見たいのよ……飽き限りは、今朝は絶たないで、さおの山ばの端々其のも見じ、君のほかにも見たいのよ。
「秋…飽き…厭き」「霧…限り…切り」「立つ…絶つ…断つ」「さほ山…山の名、戯れる。さお山、さおの山ば、おとこの山ば」「さ…接頭語」「ははそ…柞…薄くもみじする木」「よそ…遠い他の所…君以外…わたし」「見…覯…合…まぐ合い」「ん…む…推量・意志を表わす」。女の歌。
267
秋の歌とてよめる
坂上是則
さほ山のはゝその色はうすけれど 秋はふかくもなりにけるかな
秋の歌として詠んだ歌
佐保山の柞のもみじ、色は薄いけど、秋は深まったことよなあ……さおの山ばの端端其の色は、薄かったけど、飽きは深くもなったことよなあ。
飽きの歌として詠んだ。
「さほ山…佐保山…山の名、戯れる。さおの山ば」「ほ…お…おとこ」「ははその色…柞のもみじ葉の色…薄い色…端端その色情」「端…身の端」「色…もみじの色彩…色情」「うす…薄…薄情…おとこの性情」「秋…飽き…飽き満ち足り…厭き」。
上三首。佐保山のもみじに寄せて、さおの山ばの薄い色情の飽きざまを詠んだ歌。
藤原宇合卿の歌を聞く
万葉集巻第九 雑歌、宇合卿歌三首より、二首。
山科の石田の小野のははそ原 見つつきみやは山路越ゆらむ
山科の岩田の小野の柞原、見ながらきみは山路越えてるだろうか……山ば無しの、ひとの多の、おのの端端そはら、合いつつひとは山ばこえてるかな。
「山科…地名、戯れる。山し無、山ば無し」「石…岩…女」「田…女…多…多情」「小野…おの…おとこのひら野」「ははそ原…柞原…端端素原…端端白腹」「端…ものの端…身の端」「見…覯…合」「山…山ば」。
山科の石田の杜にぬさおかば けだし吾妹にただにあはむかも
山科の岩田の神社に幣おけば きっと我が恋人に直に逢えるだろうな……山し無の、ひと多の盛りに、ぬさおけば、どうだろうわがひとに直に合えるかも。
「杜…もり…社…盛り」「ぬさ…幣…神に捧げるもの…ひとに捧げるもの…おとこ」「神…女」「あふ…逢う…合う」。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の古今伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
忠岑とよみ人しらずのもみじ歌二首。「言の心」で帯を解き、「心におかしきところ」をみる。併せて、藤原定家が秀歌とする「新古今和歌集」のもみじの歌の「余情妖艶」なさまを見てみましょう。
古今和歌集 巻第五 秋歌下
263~264
263
是貞のみこの家の歌合によめる
忠 岑
雨ふればかさとり山のもみぢばは 行きかふ人の袖さへぞてる
雨降れば笠取山のもみじ葉は、色艶増して、行き交う人の袖さえ照らす……お雨の降れば、かさとり山ばのもみじ端は、ゆき交う人の端さえ火照る。
「雨…時雨…そのときの雨…おとこ雨」「かさとり山…笠取山…山の名、戯れる。笠を手に持つ山、笠被った形の山ば、かさ鳥山ば、女の山ば」「鳥…女」「もみぢ葉…色づく端…も見じ端」「葉…端…身の端」「人…女…男」「袖…端…身の端」「てる…照る…火照る」。
264
寛平御時きさいの宮の歌合のうた
よみ人しらず
ちらねどもかねてぞをしきもみぢばは 今は限りの色とみつれば
散らずとも散る前からよ、惜しまれる、もみじ葉は今が限りの色と思うので……散らずとも散る前からよ、愛おしい、もみじの端は、今はこれが限りの色と見たので。
「ちる…もみじ葉が散る…おとこ木が衰え逝く」「をしき…惜しき…愛しき」「もみぢ…紅葉…黄葉…お疲れ色の端…も見じ」「黄色…お疲れ色」「今は限り…今はこれまで…今はこれが限界」「色…色彩…色かたち…色情」「見る…感知する…覯する」。女の歌。
上二首。もみぢ葉に寄せて、ひととおとこのうつろいざまを詠んだ歌。
平安時代最後の人の歌論
藤原定家(1162~1241)は「近代秀歌」で、「むかし貫之は、歌の心巧みに、たけおよび難く言葉強く、姿おもしろき様を好みて、余情妖艶の体を詠まず」と記す。その流れを継ぐ人々の歌はその後次第に貫之の歌に及びもつかぬものとなった。寛平の御時以前の歌にかえるべしと説く。すなわち貫之が厳しく批評した遍照、業平、小町と素性の後に絶えた余情妖艶な体の歌を、まことの歌と思いたまえと、定家はいうのでしょう。
定家が「近代秀歌」で、秀歌例を掲げるうちに、「新古今集」のもみぢの歌がある。その余情の妖艶なる様をみましょう。余情とは公任のいう「心におかしきところ」で、歌に添えられた余りの情でしょう。それが、妖しくも艶かしい情であっていい、ということでしょう。
ほのぼのと有明の月の月かげに 紅葉ふきおろす山おろしの風
ほのぼのと朝空に残る月光のもと、紅葉吹き下ろす、山おろしの風……ほのぼのと朝方未だ残るつき人おとこ、てる君に、も見じ吹きおろす、山ばおろしの飽きの風。
この時代、「言の心」は心得ていたでしょう。ここでは繰り返し示さない。 歌の「清げな姿」は、ややくずれているかに見えるけれども気にしない。余情妖艶なるさまこそ歌の命だから。
さて、こんな和歌が秘伝となって埋もれた後、江戸時代の国学にはじまる国文学的解釈は、「余情妖艶」などという言葉をどのように曲解または無視したのか、特異な解釈方法を打ち立てた。いわく「ここまではこの言葉の序詞」、「この言葉とこの言葉は縁語」だ「掛詞」だと。和歌を分析して表われたことを、平安時代には存在しない言葉で名付けて、ほとんどを叙景の歌として享受しょうとする。そして、理屈の歌、くだらん歌、退屈な歌と非難される歌にしてしまった。
貫之、公任、俊成、定家の解釈は、それらとは全く別物であることに気づき給え。
伝授 清原のおうな
鶴のよわいを賜ったという媼の古今伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
貫之と元方のもみじ歌三首。言の心で読み、帯が解けると顕れる情は、おとこのあきの訪れざま。併せて、枕草子268の神の話しを同じく言の心で読む。
古今和歌集 巻第五 秋歌下
260~262
260
もる山のほとりにてよめる
貫 之
しらつゆも時雨もいたくもる山は したばのこらず色づきにけり
守山の辺にて詠んだ歌
白露もしぐれも、ひどく漏る守山は、下葉残らず色づいたことよ……白つゆも時のお雨もひどくもる山ば、下っ端すっかり色尽きたなあ。
盛る山ばの辺りにて詠んだ歌
「しぐれ…秋の終わりに降る雨…飽きの暮れに降るおとこ雨…その時の雨」「もる山…山の名、守る山、漏る山、盛る山」「山…山ば」「下葉…下端…おとこ…女」「つく…付く…尽く」。
261
秋の歌とてよめる
在原元方
雨ふれど露ももらじをかさとりの 山はいかでかもみぢそめけん
秋の歌ということで詠んだ歌
雨降れどつゆも漏らないだろうにな、笠取の山はどうして紅葉に、染まったのだろう……お雨降れども、つゆも漏らさないのに、傘取りの山ばはどうして、も見じし初めたのだろうか。
厭きの歌といって詠んだ
「雨…秋の雨…紅葉鮮やかに彩る雨…飽きのお雨…おとこ雨」「もらじ…漏らない…漏らさない」「じ…打消しの推量または打消しの意志を表わす」「かさとりの山…笠取山…山の名、名は戯れる…笠をきた山…傘さした型の山ば」「もみぢ…紅葉…黄葉…も見じ…も見ない」「も…否定の意を強める詞」「見…覯」「そめ…染め…初め」。
上二首。露に寄せて、おとこの尽きざまを詠んだ歌。
262
神のやしろのあたりをまかりける時に、いがきのうちのもみぢをみてよめる
貫 之
ちはやぶる神のいがきにはふくずも 秋にはあへずうつろひにけり
神の社の辺りを通った時に斎垣の内の紅葉を見て詠んだ歌
ちはやぶる神の斎垣に這う葛も、秋にはたえきれず紅葉したことよ……血早ぶる上の井がきに、這う屈すよ、飽きには合えず衰えたことよ。
かみのやしろの辺りに、をまかりけるときに、井がきの内のもみぢを見て詠んだ歌
「神…上…女」「いがき…斎垣…聖域の囲い…井餓鬼」「井…女」「がき…貪欲なもの…むさぼるもの」。「ちはやぶる…神、氏、人の枕詞…意味は不明ながら、戯れる。千早振る、血気盛んな、血早ぶる」「くず…葛…蔓草…野辺を這うもの…くす…屈す…平伏する」「も…さえも…よ…感嘆を表わす」「秋…飽き満ち足り…厭き…も見じ」「あへず…敢えず…耐えられず…合えず…和合できぬまま」「うつろひ…移ろい…黄変落葉…おとろえ」。
上一首。もみじに寄せて、ひととおとこの飽きを詠んだ歌。
枕草子の神の話を読む
枕草子268、神の話を「言の心」で読みましょう。
神は、まつのお、やはた。この国のみかどにておはしましけんこそめでたけれ。みゆきなどに、なぎの花の御こしにたてまつるなど、いとめでたし。
神は、松の尾、八幡。(神世には女神が)この国の帝であらせられたのでしょう、まことに愛でたい。行幸などに水葱の花が御輿におつけされてあるなど、とっても愛でたい……女は待つの男、八またそのうえに。女がこのくにの身門にておはしましけんこそ愛でたいことよ。身逝きなどに、ねぎらいの女花を山ば越しのために奉るなど、とっても愛でたい。
いがきにつたなどのいとおほくかゝりて、もみぢの色いろありしも、秋にはあへずと貫之が歌思いでられて、つくづくとひさしうこそたてられしか。
神の斎垣に蔦などが、とっても多くかかって、紅葉が色いろあったので、秋には敢えずという貫之の歌、思い出されて、つくづくと久しく、車停めていたことよ……井かきに這う木など、あまたひっかって、黄葉が色いろあったので、飽きには合えずという貫之の歌、思い出されて。つくづくと久しくも、立てていらしたのね。
和歌と同じ文脈にある。言の心は同じ。
「神…上…女」「まつ…松…待つ…女」「みかど…御門…御女」「なぎ…水葱…ねぎ…草花の名…女花…ねぎらいの花よ」「ねぎ…ねぐ…労う」「こし…輿…越…山ば越す」。「もみぢ…紅葉…黄葉…おとろえ」「色…色彩…色情」「あへず…敢えず…合えず」「たてられしか…自然と停めていたよ…立てていらしたのね」「られ…らる…自発の意を表わす…尊敬の意を表わす」。
伝授 清原のおうな
むかし、少納言と呼ばれ「かつらぎのかみ」というあだ名の宮廷女房で、鶴の齢を賜ったという媼の、古今伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
白露の歌三首。「清げな姿」の帯を解き顕れる艶情を見る。詩歌の達人藤原公任が「心にをかしきところ」というのは、これだったかと思えるでしょう。併せて、万葉集の露を詠んだ歌とくらべてみましょう。
古今和歌集 巻第五 秋歌下
257~259
257
これさだのみこの家の歌合によめる
敏行朝臣
しらつゆの色はひとつをいかにして 秋のこのはをちゞにそむらん
是貞親王家歌合に詠んだ歌
白露の色は一色なのに、どのようにして、秋の木の葉を、千色に染めるのだろうか……白つゆの色はただ一つ、なのにどうして、飽きのこの端を縮ぢにし初めるのだろうか。
「白露…白つゆ…おとこ白つゆ」「色…色彩…色情」「ひとつを…一色なのに…一過性のお」「木の葉…木の端…おとこ」「木…男」「ちぢ…千ぢ…多数…縮ぢ…ちぢむ」「そむ…染める…初める」。
258
壬生忠岑
秋の夜の露をばつゆとおきながら 雁のなみだやのべをそむらん
秋の夜の露をば、ほんのつゆほどと置いといて、雁の涙が野辺を染めてるのだろうか……飽きの夜の白つゆを、ほんのつゆほどおくな柄、かりの涙かな、ひら野を色に染めてるのだろう。
「つゆ…露…白つゆ…おとこ白つゆ…ほんの少し」「おく…露などがおりる…贈り置く」「ながら…しつつ…な柄…このものの性質」「かり…雁…女…狩り…借り…まぐあい」「のべ…野辺…やまばでないところ…延べ…ひら野」「そむ…染める…秋色に染める…飽き色に染める」。
259
題知らず
よみ人しらず
あきの露いろいろことにおけばこそ 山のこのはのちぐさなるらめ
秋の露、色々さまざまに置くからこそ、山の木の葉が千種なのでしょう……飽きの白つゆ、色々異に贈り置くもので、山ばのこの端が、さまざまに成るのでしょう。
「秋…飽き」「露…白つゆ…おとこの色」「山…山ば」「木の葉…木の端…木っ端…おとこ」「木…男」「ちぐさ…千種…千草」「草…女」「なる…なり…断定…成る…成就する」「らめ…らむ…推量」。女の歌。
上三首。露に寄せて、男とひとの飽きの山ばや野辺のありさまを詠んだ歌。
万葉集の露の歌
万葉集 巻第十「詠露」より二首。比べてみましょう。
秋田刈るかりほを作り我が居れば ころもで寒く露おきにける
秋田刈る仮庵を作り我が居れば、袖ぐち寒く露おりたことよ……飽き田かる、かりほを尽くり、我が折れば、身のそで寒く、白つゆ贈り置いたなあ。男の歌。
来る日びの秋風寒し萩の花 散らす白露置きにけらしも
このごろの秋風さむい、萩の花、散らす白露おりたらしいね……このころの、飽き風寒い、端木の花、散らす白つゆ贈り置いたようねえ。女の歌。
「秋…飽」「田…女」「刈…借る…狩る、むさぼる」「居る…折る」「露…おとこ白つゆ」。「風…心に吹く風」「はぎの花…萩の花…端木の花…おとこ花」。
古今集の歌と素材も主題もほぼ同じ歌を選んで比べてみると、「歌の様」「言の戯れ」「言の心」も同じ。異なるのは万葉集の歌が一筋に素直に詠まれてあること。
さて、君は、これらを、ただ秋の風情を詠んだ歌とする解釈の自縛から抜け出たまえ。それは歌の清げな姿を見つめているだけだと気づきたまえ。人が「をかし」と思うのは、景色や風情よりも、人の身や情や心でしょう。それを、和歌はものに包んで詠むものよ。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の古今伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
紅葉に寄せて男の心を詠んだ歌。帯解くと顕れる情は、あきの訪れざまのひとと男の違い。併せて、枕草子188に描く秋の風情を言の心で読む。
古今和歌集 巻第五 秋歌下
255~256
255
貞観の御時、綾綺殿のまへにむめの木ありけり。にしのかたにさせりける枝のもみぢはじめたりけるを、うへにさぶらふをのこどものよみけるついでによめる
藤原勝臣
おなじえをわきてこのはのうつろふは 西こそ秋のはじめなりけれ
貞観御時、綾綺殿の前に梅の木があった。西の方に差し出た枝が紅葉し始めたのを、殿上に控えている男達が詠んだついでに詠んだ歌。
同じ枝なのに、分けて木の葉が紅葉するのは、西の方位こそ、秋のはじめだったの
だ……同じ身のえを、とり分けこの端が色づくは、丹しこそ、飽きの始めだったのだ。
「梅の木…男木」。「え…枝…身の枝…おとこ…江…女」「このは…木の葉…子の端…おとこ」「うつろふ…変化する…色変わる…衰える」「西…方角の名…季節の秋にあたる…にし…に士…に肢…丹おとこ」「に…丹…赤土」「赤…元気色」「秋のはじめ…飽きの初め…厭きの始まり」。
256
いし山にまうでける時、おとは山のもみぢをみてよめる
貫 之
秋風の吹きにし日よりおとは山 みねのこずゑも色づきにけり
石山寺に詣でたとき、音羽山のもみぢを見て詠んだ歌
秋風の吹いた日より、音羽山、峰の梢も色づいたことよ……飽き風の吹いた日より、おと端の山ば、峰の来ずえは色付きて、小枝も色尽きた。
ひとの山ばに参上した時、おと端の山ばの黄葉をみて詠んだ歌
「まうづ…詣でる…参上する」「石、岩…女」「山…山ば」。「秋…飽き満ち足り…厭き」「風…心に吹く風」「音羽山…山の名、名は戯れる。羽音する山ば、端声する山ば、おと端の山ば」「お…おとこ」「みね…峰…やまの頂…絶頂」「こずゑ…来ず江…来ないひと…梢…身の枝…おとこ」「色つき…色付き…色尽き」「色…色彩…色香…色情」。
上二首。もみじ葉に寄せて、女と男の飽きざまの違いを詠んだ歌。
枕草子の秋を言の心で読む
枕草子188より秋の部分。原文は、九月、十月、風、所だけが真名で他は仮名。
九月つもごり、十月のころ、空うち曇りて、風のいと騒がしく吹きて、黄なる葉どもの、ほろほろと、こぼれ落つる、いとあはれなり。桜の葉、椋の葉こそ、いととくは落つれ。十月ばかりに、木立おほかる所の庭はいと愛でたし。
字義の通り読めば、秋の風情、清げな姿。すでに見てきたような和歌の文脈に居て、その程度で満足するひとは誰もいない。女の立場で、言の心で読み、飽きざまを描いた艶なる文と感嘆するべきもの、たとえば、このように、
長つきの果て、感無つきのころ、あまの内、苦盛りて、心風のいと騒がしく吹きて、黄なる端どもが、ほろほろと、こぼれ堕ちる、いとあはれなり。さくらの端、極みたるものの端こそ、いと早くは落ちる。ひとのつきばかりに、こ立ち多くあるところのにわは、いと愛でたし。
「九月…ながつき…なが突き」「十月…かむなつき…かみの尽き」「月…ささらえおとこ…突き…尽き」「そら…天…あま」「き…木…男…黄…うつろい色」「さくら…男花の木」「むく…椋…京のおとこ木…むく…素ぼくなおとこ木」「こだち…木立…こ立ち」「には…庭…ものごとの行われるところ…女」。
まな書き散らし、ひどいありさま。艶になりぬる人などという紫式部の的確な批判を思い出し給え。ここのつきながつき このブログ内で検索をどうぞ。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の古今伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
よみ人しらずの女歌の帯を解く、顕れる艶なる情を賞味しましょう。言の戯れの中に顕れるのは、煩悩ではあるけれど、こうして詠まれれば菩提であると、定家の父藤原俊成はいう。併せて、俊成の歌論をもう少し読む。
古今和歌集 巻第五 秋歌下
252~253
252
題しらず
よみ人しらず
霧たちて雁ぞなくなる片岡の あしたの原はもみぢしぬらん
霧立ちこめて雁が鳴いている、片岡のあしたの原は、紅葉したでしょう……限り絶ちて、かりぞ無くなる、片おか山ばの浅の原は、も見じしてしまったのでしょう。
「きりたちて…霧立ちて…限り絶ちて…切り断ちて」「かり…雁…鳴く鳥…女…借り…まぐあい」「鳴く…泣く…無く」「片岡…地名…片やま…片側切りたった男の山ば」「あしたの原…地名…朝の原…山ば無くした浅きひら原」「もみぢ…紅葉…黄葉…おとろえ…も見じ」「見…覯」「ぬ…完了を表わす」「らん…推量を表わす」。女の歌。
253
神な月しぐれもいまだふらなくに かねてうつろふ神なびのもり
神無月、時雨も未だ降らないのに、まえもって、色づき初める神奈備の森……かみの月人壮士、しぐれのお雨も未だ降らないのに、まえもって衰える、かみの火の盛りに。
「かんな月…十月…初冬…かみの月人をとこ」「かみ…神…上…女」「な…の」「月…をとこ…壮士」「しぐれ…初冬の雨…し暮れのおとこ雨…その時のおとこ雨」「かねて…予め…その前に」「うつろふ…色褪せる…色尽きる」「かんなび…神奈備…森の名、戯れる。かみの火、女の火」「森…盛り…山ば」。女の歌。
254
ちはやぶる神なび山のもみぢばに おもひはかけじうつろうものを
ちはやぶる神奈備山のもみじ葉に、思いはかけない、散るものだから……血早やぶるかみなび山ばの、もみじ端に思いは懸けない、おとろえるものね。
「ちはやぶる…神の枕詞…霊力の強い…氏や人の枕詞…勢いのある…血早ぶる」「神奈備山…山の名、戯れる。かみな火山ば、女の燃える山ば」「かみ…神…女」「もみぢ葉…黄葉…も見じの端」「見じ…覯しない」「は…端…身の端…おとこ」「ものを…感嘆を表わす…物お…物おとこ」。女の歌。
上三首。もみじ葉に寄せて、おとこの飽きざまを憂しと、ひとが詠んだ歌。
俊成の歌論を読む
藤原俊成「古来風躰抄」は、ある内親王に書いてさし上げたものという。
歌の善き悪しき深き心を知らむことも、ことばを以って述べ難きを云々。
貫之が愛でたり批判したりする、歌の良し悪しや、公任のいう「深い心」を知ろうとしても、言葉では述べ難い。それで、天台止観も仏法が師から弟子へ次々伝えられる次第を明らかにして、法の道の伝わるさまを、人に知らしめるのですが、それに倣って、万葉集をはじめ次々の歌集より善き歌を選んでお記し申しましょう。それで、観じていただきましょう。
歌はただ読み上げもし詠じもしたるに、何となく艶にもあはれにも聞ゆることのあるなるべし。
歌は、文字で伝えるのではなく、読み上げたり詠じたりしたときに、何となく艶っぽく聞こえ、且つ、しみじみとした風情や人の情が、聞こえることがあるものでしょう。言い換えれば、公任のいう「心にをかしきところ」が聞こえ、且つ「清げな姿」や「深き心」が聞こえるものでしょう。
どうして複数の意味が一つの言葉から聞こえるかというと、清少納言枕草子にいう、「聞耳異なるもの、われわれの言葉」で、歌の言葉は浮言綺語の戯れに似ていて、貫之のいう「言の心」があるからよ。
さて、このように「古来風躰抄」を読むのは、貫之、公任の歌論を一応知ってのことで、知らなければ全く別の読みになるでしょう。まさに言葉は聞き耳によって意味が異なるもの。
伝授 清原のおうな
鶴のよわいを賜ったという媼の古今伝授を書き記している
聞書 かき人しらず
本日は、文屋康秀の歌と紀淑望の歌。批判するべき康秀の歌の中身を帯解きあかす。
淑望の歌と比べてみましょう。併せて、仮名序の康秀批判を読む。
古今和歌集 巻第五 秋歌下
249~251
249
これさだのみこの家の歌合のうた
文屋康秀
吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風をあらしといふらむ
是貞親王家歌合の歌
吹くとすぐ、秋の草木が萎れれば、なるほどそれで、山風を嵐というのだろう……吹くがために、飽きのひともおとこも萎れれば、なるほどそれで、山ばの風を、荒らしと言うのだろう。
歌の言葉は戯れ「言の心」がある。仮名序で貫之は「言の心」を心得る人は、古今集の歌が恋しくなるだろうという。
「吹く…風が吹く…ものを噴出す」「からに…つづいてすぐに…であるが為に」「あき…季節の秋…飽き…厭き」「草…女」「木…男」「しをる…萎る…気落ちする…肢折る」「山…山ば」「風…心に吹く風…山ばの風は、春情の嵐、おい風、飽風、厭風、心も冷える北の方の風などがある」「あらし…嵐…荒々しい…山ばに吹く激しい心風」。
250
草も木も色はかはれどわたつうみの 波の花にぞ秋なかりける
草も木も、色は変わるけれど、わたつ海の波の花にぞ、秋はないことよ……ひとも男も、色は変わるけれど、つづくひとの憂みの波の華は、飽きずかりするのだなあ。
「色…色彩…かたちあるもの…色情」「わたつ…ひろがる…つづく」「わた…海…女」「うみ…海…女…憂み…もの足りずつらい」「波…うみ波…心に寄せ来る波」「花…華…栄華…盛り」「秋…飽き」「秋なかりけり…秋無かったなあ…飽き無くかりけり」「かり…刈り…むさぼり…まぐあい」。
上二首。秋に寄せて、女と男の山ばの飽きのありさまを詠んだ歌。
貫之の康秀批判
貫之は仮名序で康秀を批判した。貫之のいう「言の心」で康秀の歌を聞いて、批判が妥当とわかれば、貫之と解釈を同じくたと実感できるでしょう。
貫之の批判は、これよ、「文屋康秀は、言葉は巧みにて、そのさま身におはず、いはば、商人のよき衣着たらんがごとし」。「言の心」を生かした言葉使いの巧みさを愛でる。そして「清げな姿」と共に表現される中身は、姿や巧みさに相応しくないという。いわば、利益欲ならぬあの欲だけの人が清げな衣を着ているようなものだというのでしょう。
歌は世に連れ世は歌に連れるとか、歌を聞けばその国の政情がわかるとか。康秀は、歌が「色好みの家に埋もれ木の人知れぬこととなりて、まめなる所には、花薄ほに出だすべきことにもあらずなりにたり(仮名序)」という時代の人。「花の色なくて匂ひ残れるがごとし」の業平と同年輩。
251
秋の歌合しける時よめる
紀 淑望
もみぢせぬときはの山は吹くかぜの おとにや秋をきゝわたるらん
秋の歌合わせした時に詠んだ歌
紅葉しない常盤の山は、吹く風の音に、秋を感じてきたのだろうか……も見じせぬひとの常なる山ばでは、噴く風の音にか、飽を感じてきたのだろう。
「もみぢせぬ…紅葉しない…黄葉しない…も見じしない」「もみぢ…紅葉…黄葉(万葉集の表記)」「黄…お疲れ色」「見じ…覯しない」「常磐の山…山の名、名は戯れる。常に変わらぬ山ば、おとこ山のように片去りに衰えたりしない山ば、女の山ば」「吹く風のおと…山に吹く風の音…山ばで心に吹く風の声…もの噴く風の音」「秋…飽き…厭き」「わたる…続けている…常にそうしている」。
上一首。秋に寄せて、ひとの山ばのありさまを詠んだ歌。この歌は康秀歌と色好みな一節の品質を比べるために置かれたのでしょう。淑望は貫之の先輩。
僧正遍照の歌。歌の様を知り、言の心を心得て、歌の「清げな姿」「心にをかしきところ」「深き心」を読む。併せて、枕草子の「聞耳異なるもの」という言語観について述べる。
古今和歌集 巻第四 秋歌上
248
248
仁和のみかど、みこにおはしましける時、ふるのたき御覧ぜむとておはしましけるみちに、遍照がはゝの家にやどりたまへりける時に、庭を秋ののにつくりて、おほむものがたりのついでによみてたてまつりける
僧正遍照
さとはあれて人はふりにしやどなれや 庭もまがきも秋ののらなる
仁和の帝、親王であられた時、布留の滝を御覧になれるということでいらっしゃった道で、遍照の母の家に宿られた時に、庭を秋の野につくって、お話のついでに詠んで奉った歌。
里は荒れて、人は古びた宿ですよ、庭も垣根も秋の野らでございます……さ門は荒れて、ひとは古びたや門ですよ、にわもま餓鬼も、飽きの野らでございます。
「ふるの滝…滝の名…戯れて、古の滝、経るの多気」「滝…多気…女」。「さと…里…女…さ門」「人…母…女」「ふりにし…経りにし…年老いた…古にし」「やと…宿…女…や門」「には…庭…ものごとが行われるところ…女」「まがき…籬…竹などを粗く編んだ垣根…粗い…間餓鬼…女」「秋の野ら…飽きの野ら…ひと盛り過ぎたひら野の情態」「秋…飽き…厭き」「ら…状態を表わす」。
上一首。秋の野に寄せて、としつき経て、すべて古びたありさまを詠んで、親王の御心を代弁し、歌の心にをかしきところで、お慰めした歌。
仁和の帝(光孝天皇)は御年五十五でようやく即位された。父仁明帝の後に即位したのは、文徳帝、清和帝、陽成帝。それは、藤氏の或る一門の都合によることでしょう。遍照(良岑宗貞)は、仁明帝にお仕えしていた。崩御ののち、三十五歳で出家した。この歌の時、仮に親王御年五十とすれば、遍照六十四、その母は八十数歳となる。
他の歌と比較して、遍照の歌は、色好みな「心にをかしきところ」が少ないのはおわかりか。貫之は仮名序で次のように批評している。「僧正遍照は、歌のさまは得たれども、まこと少なし、たとえば、絵に描けるをうなを見て、いたづらに心を動かすが如し」。君、この批評がわかれば、貫之の解釈に近づける。遍照の歌の、古びた景色ながら歌の「清げな姿」は見えるでしょう。「心にをかしきところ」は上に示した。「深き心」は自ら観じたまえ。
清少納言枕草子の言語観
さて、この歌、我家や庭を謙遜した歌で、老いた母に代わって詠んだ。親王へのご挨拶の歌だとして愛で上げるのが、近代以来の大真面目な解釈のようだけれど、それだけの歌であれば、古今集の歌は、たいくつで、くだらないといわれてもしかたがないでしょう。貫之の仮名序での意見を全く無視して、「歌のさま」を知らぬまま、「言の心」を心得ない解釈よ。貫之の遍照の歌についての批評の「絵に描けるをうなを見て、いたずらに心を動かす」ぐらいの、色好みな意味はある。それを聞き取りたまえ。
大真面目な近代以来の学者たちは、なぜか、歌の言葉の戯れることも知らない。清少納言枕草子(3)に、「聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉。げすの言葉には必ず文字あまりたり」と記し、その例を多く示してあるにもかかわらず、曲解して無視してしまった。「聞く耳によって意味の異なるもの、それが我々の言葉である。この言語圏外の衆の言葉には文字の孕む多くの意味が生かされず余っている」と解したまえ。
歌の言葉(女の言葉)は、戯れて聞く耳によって意味の異なるさまは、この伝授で繰り返し示してきた。ただ心得たまえ。
俊成の「古来風躰抄」には、歌の言葉は「浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨も顕れ」とある。しかも顕れるのは煩悩だという。これらを無視して、どうして和歌が解けるのか。
以上にて、古今和歌集 巻第四 秋歌上、八十首の伝授を終える。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の古今伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず