プラネタリウムのパイオニア★東日天文館

東日本初のプラネタリウムが設置された有楽町の東日天文館(毎日天文館)、閉館60年にS13年から6年半の活動を追う

昭和15年8月 リーフレット・万国博覧会中止

2005年05月11日 | Weblog
昭和15年8月 リーフレット
「さそり座の曲線美」(野尻抱影)

愛知万博が話題だが紀元2600年、1940年3月からこの月8月まで、
東京・横浜で予定されていた東洋初の万博は、日中戦争の激化で中止。
東京会場は月島が予定されていた。
ゲートとして建設された勝鬨橋(かちどきばし)が名残で遺る。

月島から勝鬨橋を渡り、晴海通りを直進するとほどなく有楽町駅、
東日天文館跡にたどりつく。
東日天文館建設も、万博を多少は意識しただろう。
東日天文館オープンとほぼ同時期、1938年8月に幻に終わった
同博覧会の入場回数券が発行されている。
当時100万部発行された回数券を現在でも所有している方には
万博協会から愛知万博の招待券2枚が贈られるそうだ。
同様の招待が1970年の大阪万博でも行われ、当時の申出数3千件。
今回も所有している人が見つかれば、時々ニュースになっている。

紀元万博も、初年入場者数60万人の東日も当時の花形に違いないが
内地戦最大の被災地東京のことでもあり、直接資料が極めて少ない。
幻・東日天文館の資料欠号は、もうこの世に無いんじゃないかと
思うこともあるが、同時期のこういう話題が出てくると少し希望もわく。
直接資料に触れる機会の少ない東日天文館には一面的な解釈が
なされたり、若い人には全く知らない人も多い気がする。
パイオニアスピリッツが廃れるのを惜しく思いこのプログを公開し
微力を尽くしているつもりです。

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