プラネタリウムのパイオニア★東日天文館

東日本初のプラネタリウムが設置された有楽町の東日天文館(毎日天文館)、閉館60年にS13年から6年半の活動を追う

「学徒勤労動員」 昭和20年

2006年08月16日 | Weblog
NHK朝ドラ「純情きらり」、本日より昭和20年に入りました。

だから、というわけではありません。昭和20年1月に毎日天文館を
見学なさった方のサイト「学徒勤労動員」紹介させていただきます。
天文館以外の本題も、ご自身の体験で綴られる内容で、興味深いです。

サイト管理者Tさんは、昭和20年当時10代後半で、岩手県から
神奈川県の相模陸軍造兵廠に学徒勤労動員にいらしており
休日の東京見物で、二度の空襲警報の中、上野の博物館と美術館、
そして毎日天文館を見学なさった体験をサイトに記されてます。
サイト拝見させて頂いたうえ、61年前のご体験をうかがうメール
失礼かと思ったんですが、お送りしましたところ、
実に敏速に、具体的な体験談をご返信いただきました。

<以下いただいたメール>
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■61年前の終戦混乱期、昭和20年(1945年)の記憶は定かでは
ありませんが、出来るだけ冷静忠実に思い出してみます。
お役に立たないと存じますが御了承下さい。
■時期
昭和20年1月と昭和19年11月の2度東京に出ましたが、
昭和19年11月は休暇で帰省する時で、昭和20年1月は間違いなく
有楽町の「毎日天文館プラネタリウム」に行きました。
人通りの少ない静かな銀座3丁目から日本橋方向に歩いた記憶があります。
空襲が激しくなる直前です。
銀座通りから神田方面も歩きましたが、人通り少なく建物疎開
学童疎開も完了した時期と思います。
■開演
パンフレットやチケットの記憶は全くありません。
ドーム型屋根のある階までエレベータで上がりました。
入場者は軍隊の人達のようで30~40名位で、随分空いてました。
こんな少ない入場者でも実施されるか、不安でした。
解説者は若い男性。
BGMはサラサーテ「ツィゴイネルワイゼン」のような気がします。
青少年時代、空襲等々の危険を冒しても、地方から出てきた若者には
「毎日天文館」に行く事が憧れでした。
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皆様ご存じのとおり、毎日天文館 昭和20年に関しての記録はほとんど
遺っておらず、当方のブログも19年10月までしかありません。
貴重なご体験をうかがえ、感激しました。
この時期については戦時中、昭和20年6月まで営業された戦前からの
プラネタリウム大阪市立電気科学館の記録から想像するのみでした。
私のようなものが書くまでもなく、ご記述を他資料と比較しましても
矛盾するものありません。
T様、本当にありがとうございました★

追記1
本日16日NHK BS1放送のBS特集
「カラー映像記録 よみがえる昭和初期の日本」(前編)
正月に放送されたものの再放送。
はじめの方に東日会館旧館屋上、もしくはすぐ近くから
日比谷~銀座方面を望んだ映像が出ます。
天文館ドームシルエットの建物がすこし想定できます。

追記2
天文館には会員制度があったもよう。
豊田一郎(小説家 昭和七年 東京都生まれ)の「夢幻泡影」に
会員になっていたとの記述があります。