プラネタリウムのパイオニア★東日天文館

東日本初のプラネタリウムが設置された有楽町の東日天文館(毎日天文館)、閉館60年にS13年から6年半の活動を追う

昭和19年・月報

2005年05月23日 | Weblog
毎日天文館「月報3」2604年(皇紀)10月號
「基礎航用天文(3)」(阿部三雄)
「十月の空」(井田桂一)
この月から半年ほどで、原爆以上の被害者数を出す規模の
東京大空襲が始まる。天文館配付物、自分が持つラストです。

紙質がぐっと落ち、写真・カラーの印刷がない。
投影プログラムの記述なく、科学力の戦争への有用性をとうている。
この時期については、電気科学館の場合<50年のあゆみ>に以下の
記述がある。
*「準徴用とみられるほど、軍の利用が増えた。技術職員2名が
  軍属となり、軍人の科学教育を担当した」
  入館数は昭和12年から15年までが20万人前後なのに対し
  軍の需要からか、16年から18年までは30万人強に増え、
  19年には、約17万人になる。

電気科学館は公立で科学教育は天文と電気の半々だったようだが、
毎日天文館も開戦以降は兵用プログラム、この月報でも航用天文を
取り上げている、需要層や運営の傾向は近かったのではないだろうか。
19年は、軍の学徒動員・勤労動員が激化し、子供も疎開を始める。
電気科学館の19年入館数半減は、その層や軍人以外の減少だろう。
毎日天文館もこの需要を乞う時世でないとみたからか、開戦時からの
軍人と学生の半額割引は、この月報の時点では軍人のみにしている。

月報の投影時間表記はこれまでと同じだが、月毎にプログラムをたて
リーフレット発行できる形態だったのかどうか、わからない。
ただ、草下英明氏は<星日記>で昭和19年に2度、天文館に行ったと
記述しておられる、それなりの一般向け営業はあったようだ。

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