プラネタリウムのパイオニア★東日天文館

東日本初のプラネタリウムが設置された有楽町の東日天文館(毎日天文館)、閉館60年にS13年から6年半の活動を追う

AFTER 1945

2005年05月24日 | Weblog
焼夷弾というのは粘状オイルを詰め込み、火災拡散をもくろむ
木造家屋の多かった日本の都市に向けた爆弾だ。
鉄筋コンクリート構造体(RC)の貫通には向かない。
この画像を見ても付近のRC建造物は戦前のまま、焼けてない。
ただ東京駅・旧々国技館などの柔いドーム部分を貫通する部分被害は生じた。
毎日会館の場合、ドーム直下に天象儀室・ツァイスⅡがあったのは哀しい。
60年前のあした、毎日天文館は物理的になくなる。
現在、プラネタリウム施設を日本語で表現するよう問えば、チルドレンでも
<天文館>と答えてくれる。<天象儀>の意味を知らない人でも<天文館>はわかる。
戦後、天文館と冠したプラネタリウム施設は、ごく少ないのに
この認識があるのは、プラネタリウムのパイオニア・東日天文館(毎日天文館)が
伝搬、遺伝したひとつだと、自分は信じている。

画像は昭和22年7月4日の毎日会館と行進するGHG、右下は有楽町駅。
天文館のあった6階窓には「毎日ホール」と看板が上がる。
このホールは、昭和26年よりラジオ東京(現TBS)のスタジオになる。
集めた写真の中でも、ドームが大きく写り、周辺状況もわかるので、この画像を
選んだ。ほかにこの日の画像を選んだ理由はない。

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