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書苑よしむら

古書の世界へようこそ!大阪:天神橋筋3丁目にある美術古書籍 書苑よしむらの日々録です。

近代西洋美術な我が家

2010-11-28 13:17:13 | テキトウ美術史(日本)
コドモの絵にクレーを発見した私ですが、
今日、冷蔵庫にいれたまま忘れていた洋梨を
何気なくテーブルに置いたところ、、、
わあー!!
今度はセザンヌ!!!


セザンヌは1枚の絵を描くのに
とても長い時間をかけたため、
その間にモチーフに使った果物は腐ってしまったそうですが、
この梨の熟しすぎたカンジもセザンヌっぽくて、
笑ってしまいました。


わたしたちは、まだまだ近代の延長線上にいてますね。
さがせばもっと近代西洋美術なモノがありそうです。

クレーの心

2010-11-27 14:30:12 | テキトウ美術史(日本)
オヤバカなんですが、
コドモ(6歳と4歳)の描いた絵が可愛らしくて、
紙の切れ端に描いたようなものでもなかなか処分できません。


しまっておくより、
飾ってあげようと簡単に壁に貼りだしたところ、、、、
なんか見覚えが、、。


あ!これ、クレーだ!!!


よく、コドモのような絵といわれるクレー。

学生のころは、何気なく
「そうやなあ」
と思っていましたが、
実際にコドモの描く絵を日々みていると、
ホントにコドモはクレーみたいな絵を描くし、
クレーはコドモのような絵
を描くんですよね。


「コドモのような絵」というのは、
技術や表現が稚拙という意味ではありません。


みずみずしさ、無邪気さ、愛らしさ、
そして喜びがいっぱい詰まった絵だということ。


試しに一度絵を描いてみてください。

「うわぁ!なんかわからんけど、かわいらしくて捨てられないわぁ!!!」

というような絵は、
めったに描けませんよ。


そして、
コドモ時代はみんな描けた、
そして大きくなると描けなくなってしまう
「コドモのような絵」を
おじいちゃんになってもかけた
クレーの偉大さも、
しみじみ、実感するのです。

蕎麦猪口たち

2010-11-26 19:57:31 | テキトウ美術史(日本)
夏から秋まで、我が家で活躍していた蕎麦ちょこ達。

家では蕎麦を食べることよりも
主にコップとして使用していました。


引っ越しの際に食器をたくさん処分してしまったので、
適当なコップがなくなり、しかたなく使いはじめたのですが、
家に遊びにきたお客さまには「いいなあ!!」と、
えらく好評で、
その反応にこちらがびっくりしました。


学生時代、宇野千代の蕎麦猪口コレクションを雑誌で見て
「素敵!」
と思い、おこづかいで少しづつ買い集めた蕎麦猪口。
今、みると
「なんでこれ買ったんかなあ、、、」
「なんか、、、使いにくいガラやなぁ、、、」
と思うものもチラホラ、、、。

でも、こうした背伸びや失敗を重ねて、眼が少しづつ肥えていくんですよね。

まあ、変なモノでも、使ってあげたら、それなりに愛着も湧いてきます。

冬じたく

2010-11-25 10:23:18 | テキトウ美術史(日本)
朝晩、冷え込むようになり、冬の訪れを感じるようになってきました。

衣類、布団などの冬ものの用意はすませましたが、
先日、食器だなの中も
冬ものに入れ替えました。

、、、というのは、これまでは蕎麦ちょこをコップがわりにしてお茶をのんでいたのですが、
なんとなく冷めるのが早いような気になったので、
しまい込んでいた益子の陶器たちをだしてきたのです。

するとお茶がとっても美味しく、温かく感じられるではありませんか。


写真の柿釉がかかっているものは濱田窯のもの。
私のなかでは、もったいなくて日常で使えていなかったのですが、
おもいきって出してみると心までほっこり、、、
やっぱり、使ってこその器、ですね!!

再開しました!!

2010-11-24 09:44:43 | テキトウ美術史(日本)
ながらく更新が滞っており、申し訳ありませんでした。

書苑よしむら、ブログ再開いたしました。


お休み中、色々とご心配をおかけしていたようですが、
単に私(E)のさぼりが原因デス、、、、。スミマセン!!


お休みしている間、様々な方から「再開すべき」とのありがたいお言葉をいただきました。

情報があふれる今日、
個人のつぶやきのようなものを発信するのも、、、と
一人もんもんとしておりましたが、
楽しみにしてくださってる方もいることが判明し、
勇気づけられました。
本当に読んでくださってありがとうございます!


これからも時代に逆行した、マイペースな更新になるかとおもいますが
どうぞよろしくお願いします!!!!!

短冊 いっぱい

2009-01-18 19:55:38 | テキトウ美術史(日本)
今日はあいにくの雨でした。
でも、ツイン21の会場は屋内なんですね~。よかったです。
(しかも京橋駅からは遊歩道があって、直結しているため傘は不要です!)

今日、私(E)は
一日、短冊の整理をしておりました。

数が揃う、ということは楽しいものですね。大量にありましたが、作業をしながらも、ふむふむ~と鑑賞し、楽しんでおりました。

これらの短冊は明日、会場に登場予定。

お値段もお手ごろなので、是非御覧ください!

たくさん見るということ

2008-07-24 07:29:48 | テキトウ美術史(日本)
(E)は学生時代、美術史を専攻していましたが、ゼミは日本工芸史専攻でした。
一番興味があったのは西洋美術史、とくに宗教画だったのですが、好きな分野は自分で進んで勉強するので、
苦手な分野・未知の分野を学びたいなぁと思い、それまで全く関心のなかった工芸史を専攻することにしました。

で、いきなり蒔絵の箱。
見せられてもよくわかりませんよね、、、、。
私もちんぷんかんぷんで、国宝とか重文とかいわれてもその価値すらわかりませんでした。
でもわからないなりに、展覧会で、デパートで、本で、写真で、たくさんたくさん、数を見ていくうちに、、、、
これが、だんだんわかってきて、見えてくるんですね。
コツはとにかく一流を観ること。何が一流かわからなくても、そのうち眼が肥えてきます。
そして、一流ばっかりみていると、次に2流・3流をみると、つまらないなぁ、おもしろくないなぁと、感覚的に判断できるようになります。
反対に3流をたくさん観ても、眼は肥えません。

、、、こうして眼を鍛えると、写真の蒔絵を観て、「わーすごいなぁ!」と思えるようになるのです。(片輪車蒔絵ラデン手箱・12世紀前半・東京国博)

仏(ブツ)との出会い

2008-07-23 12:25:51 | テキトウ美術史(日本)
なぜ私(E)はかくも仏教美術が好きになったのか?一番初めの、仏(ブツ)との出会いは何だったのか、、、?

ふとそんなことを考えてみたところ、小学生のころに高野山で見たネハン図がうかんできました。

今はどうかわかりませんが、私が小学生の時の大阪の小学生の林間学校の定番は高野山でした。(ちなみに修学旅行はお伊勢さん。)
奥の院にお参りしたり、お坊さんのお話を聴いたり、宿も宿坊にとまったりと、まさしく「仏教(密教)三昧」な1泊二日。

でもコドモ心に、山の澄み切った空気と、冷たい水・神秘的で、あの世とこの世の中継地点のような不思議なムード漂う高野山は、とっても楽しく、何か感覚的に気持ち良い、すがすがしいものと感じられました。

またその時、お坊さんがお説教の際にみせてくれたネハン図。これがおもしろかったのです。
真ん中にすやすや眠る仏さん。たくさんの動物が集まってきて静かに盛り上がっているように見え、小学生の私にはとっても楽しい絵にみえました。

また、極楽の絵も見せていただきましたが、その絵はきれいなお花が一面にただよい、薄紫の靄のなかから仏さんの楽団が楽しそうに音楽を奏でている絵でした。
この楽団は聴いたこともないくらい美しい音楽を奏で、
また、あたりには嗅いだこともないくらいの良い薫りが漂っているそうです。
「よいことをしていたら、死ぬときには、こんな感じの楽しいお迎えがやってきますよ。」とお坊さんに教えられた私は、
素直に「よい行いをしよう。」と思ったものでした。

こうした体験が私にとっての仏教観の原点としてインプットされているので、仏教=気分が良くて、きれいで、マカ不思議で、おもしろいもの となっているのだと思います。

小さいときの体験は、一つ一つが貴重で、その後の人生に思いがけない影響を及ぼすものだと、つくづく思います。

理想の夏の一日

2008-07-07 08:06:13 | テキトウ美術史(日本)
急に夏がやってきましたね。梅雨はどうしたんでしょうか?
心の準備ができていないのに、暑くなってしまって戸惑っているかたも多いのではないでしょうか?

うだるような夏の日、私が思い出すのは
久隅守景「夕顔棚涼図屏風」(17世紀前半・東京国立博物館)です。


夏のナンデもない一日。夕顔の緑の屋根のした、家族が涼んでいる、、、見ているこちら側にも涼しい風が吹いてくるようです。

はじめ見たときは「地味やなぁー」「これが名作?」と思ったものですが、歳をとり、家族ができてみると、、、、
これがしみじみよいんですよね~

本当の幸せ、ここにあり。という感じがします。

この絵は庶民の生活を描がいたものですが、ずっと大切にされてきたということは、
どんな時代においても、
そして身分の高い人も一般人も、
この絵に描かれている情景を素敵だなぁ、
または理想の夏の一日だなぁ
と、思ったからではないでしょうか?


守景は狩野探幽の弟子。でも独自の画風を追求するあまり狩野派からは破門されたそうです。
守景が華麗な御用絵師の世界を捨ててまでも表現したかったこの「なんでもない一日」の情景。

そんな創作への熱い思いが、私たちの心にしみじみと響くのかもしれません。

デビューの頃の新鮮さ

2008-07-01 07:19:11 | テキトウ美術史(日本)
みなさんもひいきのミュージシャンや漫画家、俳優などのアーティストがいらっしゃると思います。
デビュー間もない頃からファンだと、思い入れもひとしおですよね。

彼らが着実に力を付けていき、やがてメジャーな存在に。
表現は洗練され、多くの観客を動員するまでに、、、、
でもそうなると少しサミシイのもファン心理。

デビュー間もない頃の荒削りだけど、なにか大きなモノにむかって一生懸命に頑張っていた、
あの頃も十分に魅力的でした。
技術や表現力、洗練されたモノにはない、新鮮さがあったと思うんです、、、、

と、いうキモチ。
そのまま飛鳥・奈良の仏さんたちへのキモチです!

異国からきた仏さん。「素敵だね!」
「そしたら自分達も作ってみよう!」
というふうなノリで
仏師たちがつくったかのような
飛鳥・奈良(白鳳)時代の仏さんたち。
(って、国家プロジェクトだったはずなんで、こんなポップなのりではないと思いますが、、、)

私たちがイメージする仏像とは少し違います。

背がひょろー高かったり、コドモみたいだったり。

でも不思議とひかれる魅力があります。

それがどんどん作るのも、表現も上手になって、
仏教もメジャーになって、ついには東大寺・大仏ですよ!
ドームで4デイズ。または作品が映画化・またはハリウッドデビューくらいの出来事です。


こうなると昔からのファンはちょっと複雑な気分です。
私だけの存在からみんなの仏になっちゃったのね、、、。
そのすばらしさ、洗練された表現はメジャーになるべくしてなったもの。それはそれで素晴らしい!でも私は忘れない。デビューしたての頃のあどけないあなたを。。。

ちなみに百済観音像、もともとは極彩色で、お顔もはっきり描かれていたそうです
。私はいまのシブイお顔の方が好みです。