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書苑よしむら

古書の世界へようこそ!大阪:天神橋筋3丁目にある美術古書籍 書苑よしむらの日々録です。

蔵があれば、、、

2009-02-26 10:19:32 | 本のおはなし
ネットをほとんどしない私の唯一の情報源、それが「テレビブロス」です。

気が付けば、買いはじめて10数年にもなります、、、。

世代的なものかもしれませんが、
私のまわりにはテレビブロスを買ってる人が多く、
みんなが1度は話題にするのが
「ブロス、おいてる?捨ててる?」
ということでした。

そう!時代をうつした雑誌だからこそ、
老後に読んだら青春(?)が甦って、楽しいだろーなー、、、
と思うのですが、やっぱり引っ越しやなんやかんやで処分してしまうのです。

蔵があれば、とりあえず閉まっとくんですが。


でもこういうのが、100年後に価値が出るんですよね。
捨ててしまいやすいけど、時代が反映されてる、っていうのがよい資料なんですよね~~
(でも、ネット化したこの社会。今後の価値上昇に絶対の保証はできませんが)

ちなみに、この号は
「嫁・姑」特集と、風とロックさんのコラム(米朝師匠のフィクション新聞投稿)がおもしろかったです。

本のおはなし

2008-02-03 10:29:34 | 本のおはなし
Eの、毎週日曜日のささやかな楽しみは、新聞の読書・書評のページを読むことです。
「こんなのが出版されたんだ~」と思ったり、
本にまつわるコラムを読んで「こんな本があるのか」と思ったり。
科学や医学、ノンフィクションなんかは、書評を読むだけで新しい知識をえたような気になります。

自宅にいながら本と触れ合える(かのような気にさせてくれる)このコーナーは、
なかなか書店にいけない私には貴重で大事なひとときです。

でも、毎週「あれも読みたい、コレも読みたい」と思っている割には、いざ書店にいくと何を買って良いかわからなくなります。
また品物の回転が早くて見つからないこともしばしば。

そうして何年か後、忘れかけたころにそういう本を古本市(いまなら店の新入荷の)本の山の中から発見できたときは、街中でかつての恋人に巡り合えたかのように運命を感じてしまいます。

でも本当の読書家なら、その前に、すぐに書名を書き留めるか、忘れないうちに取り寄せたりするんでしょうね、、、、。

新刊本案内を読みつつも、本にロマンチックな運命を感じていたい点では、やはり読書家ではなく古書好きなんでしょうね。

本のおはなし

2007-09-11 17:16:15 | 本のおはなし
先日、無理矢理時間を作っていろいろ観るようにしよう、みたいなことを(自身の反省もこめつつ)ブログに書きましたが、
お店で店番をしていたり、即売会会場にいっても、
本当に私(E)くらいの世代の女性はみかけないんですよね。


男性はまだ、みかけます。平日でもお仕事がえりか、途中で抜けてこられたのでしょうか?

なんとかして時間をつくってらっしゃるのでしょうね。


以前、「古書好き」と「本好き」とはまた違う、と書きました。

古書コレクターには圧倒的に男性が多いので一概には言えませんが、
でも「本と触れ合いたい」という、知識欲は男女問わないと思います。


また、私と同世代(団塊ジュニア・または就職氷河期世代)の女の子は何でも受け入れて、
学生時代は古いもの、古い映画やアートなものが大好きだった、、、
ような気がするんですが、
30代前後になると、やはり仕事、子育て、介護など現実問題が山積みで
色々忙しくなってるんでしょうね、、
その上の年令の女性は見かけません。おばちゃんもあまりいません。男性ばかりなんです。


独身で、お仕事でバリバリがんばっていらっしゃる女性は勿論ですが、
私は若いオカアサンがたにも、
もう一度、本や映画や古書(を、同じレベルに並べるのはおかしいかも知れませんが)を
楽しんでもらいたいな、と切実に思います。

時間をつくるのは大変ですが、自分に知性の栄養をあげるのは大切なコトだと思うのです。


幼い頃、自分の親が本を読んでると、
いつもは見せない真剣な顔が、
なんだか近寄りがたいような、、、
でもカッコヨイ大人に見えて
誇らしく思えたことを思い出します。


コドモを英才教育の塾に通わせるよりも、
生活の中に本があるほうが、
よほど脳みそにはよいのではないか、と思います。
(経済的考えてみても、塾代でどれ程沢山の本がかえるでしょうか!)

、、、なんて、手前味噌なことばかり書きましたが、
今日のような秋らしい日がやってくると「読書の秋」が来たー!と
元・文学少女は嬉しくなります。


大阪城では即売会も開催中です。
気候も良くなってきましたので
若いオカアサンがたも、どうぞお子さまつれで、即売会会場に遊びに来てほしいな、と思い、
今日のブログを書きました。

(現在、大阪の古書店はベビーブームで、若いオトウサン店主がたくさんいます。
店主もコドモの扱いに慣れているカモ!?)

本の話・本を読む場所

2007-08-21 07:07:56 | 本のおはなし
先日、日経夕刊のコラムで「最近、電車でケイタイをさわってる人がほとんどだけど、乗車中はせっかくの読書の機会なのに、もったいない!」というような記述がありました。

私も同感!で、1番本がよく読めるのは電車でした。
喫茶店にはそうそう行けない。
図書館だとかえって集中できない。
寝ながらだと3ページで夢のなか。
、、、、となると空調のきいた電車が最適なのでした。
なので通勤、通学で電車にのらない最近は本を読めなくてツライです。
ケイタイやゲームも一時的な慰みにはなりますが、ココロに蓄積するものがすくないですよね、、、なんで、私ももったいないな!本を読めるチャンスなのに~と思います。


また、昔、「時間はあるもの、ではなく、
作り出すもの」と先輩から教わりました。

電車=本と決めていたので、
読書タイムが毎日自然と作り出せていたんですよね。

ヒトはなにかで拘束されているほうが、かえってなんとか時間を作り出そうとするのかもしれません。

夏休みのほうが時間はたっぷりあるはずなのに、それほど読書量が増えなかったことも思い出しました。

皆様はどこで本を読みますか?

本の話 続・駅売りの新聞

2007-08-11 17:47:18 | 本のおはなし
駅で新聞を買うときは日経と決めています。そして時間があえば夕刊を買います。 
日経の夕刊はオモシロイですよ。新製品情報から旅・食・文学・文化・アジア、、、。取り上げられるトピックスの幅の広さを見て、経済が決して数字や学問上のものではなく、人が何気なく送っている、毎日の生活と深く結び付いているものであるかが、とてもよくわかります。

また、これらの記事は少し渋めの視点から書かれているのが、新鮮です。
もし、今売っている雑誌にハマるものがない、、、という方には一度読んでみていただきたいです。

朝刊もオモシロイのですが、経済記事の割合が多くて、お恥ずかしながら、よくワカラナイ部分があります。
その点夕刊は読み物的記事が多く、ボリュームも適量。


私は夕刊だけを自宅で定期購読したいのですが、そういうチョイスはできないみたいなので(朝刊だけ、なら配達してくれるみたいです)、たまたま外出したときに買うようにしている、と言うわけです。


ちなみに主人は、1年前の日経が部屋の隅から見つかった時でも、すぐには捨てず、文化・文芸・食の欄にもう一度目を通してから捨てています。
でも、それを通勤途中で読むものですから、近くに居合わせた人は1年前の新聞を読む主人を見て、びっくりしたのではないでしょうか、、、、。


私が特に好きなコーナーは「あすへの話題」。
各界の著名な方が書かれるエッセイのコーナーですが、
文章のうまいヒトの回だと、小さい中に人生の示唆や機微・世界の秘密や格言など、心豊かに毎日を送るためのエッセンスがぎゅっと集まった、素敵なお話が伺えます。

各界で何かを成されたかたのお話は、普遍的でとても豊かですよね。
そういう方が、他の新聞より多く登場し、また、専門分野をはなれたお話をされる機会が多いのも日経の特徴でしょうか。

そう、私の感じる、日経夕刊の楽しいところは、色々な情報に加えて、(偉すぎて)普段会えない、人生経験豊かな素敵なオジサン、オバサンから
楽しく生きるコツを色々と教えてもらえる、、、ように感じる、
「人選の妙」の部分にあるのかもしれません。

本の話 駅売りの新聞

2007-08-10 21:44:46 | 本のおはなし
以前、私(E)は本好きではあるけれど、いわゆる「古書」好きではない、というようなことを書きました。
文字を「読む」という事が好きで、
本の詳細、部分、位置付けなどは、そんなに気にしないということで、
極論をいえば、
メニューでも、説明書でも読めさえすれば、よかったりします。

ですので、たとえば電車などに乗る時、本を忘れてしまった時なんかは
とても寂しい気分になります。

今時の若者のようにケイタイをさわって時間をつぶす、、、
なんてことはできないのです。

読めればいいとはいうものの、紙に活字が「印刷」されているか、いないか、ということは私にとって譲れない、重要なポイントのようです。


で、読むものがないときどうするかといえば、、、
今は「駅ナカ」といって、駅構内にも本屋さんがあったりするので本を買ってしまうこともできますが、
私はあえて売店で新聞を買うことにしています。

実は、私は全くネットをしないので、
すべての情報は活字化されたものから得ています。

ですので最新情報は新聞!だったりします。

なんとまあ時代錯誤~!!といったカンジですね。

でも新聞はいろいろな記事がのっていますよね。
ネット検索を駆使したの知識の「芋ヅル式」の獲得(芋ヅル式、、、この表現は友人が命名。ぴったりのいいまわしですよね。)
も確かにオモシロイのですが、
(現時点で)自分が興味ない分野・知らない分野のことを
強制的、または偶然に知ることができる、ということは、
知識や教養の幅を広げるという点で、非常に重要な機会だとおもうのです。

その点で新聞はよいなあ~と思います。
値段も安いし(夕刊50円!)
軽いし、読みおわれば廃品回収に出しやすいし。

でも、先日、アメリカの大新聞社のエライ人が、「(ネットで配信できていれば)数年後、我が社の新聞が印刷されてなくてもかまわない」
みたいなことを言っていたのです。
時代はそこまできてるんですね、、、。

本のお話・近代の美術

2007-06-01 17:45:22 | 本のおはなし
◎近代の美術
大学時代にお世話になったものが「日本の美術」「近代の美術」のシリーズです。

美術に関するトピックスごとに一冊。その分野の代表的な研究者の方が執筆しておられて、日本工芸のゼミにいた私はよくこの本をもとにゼミ発表をおこないました。

美術を勉強するものの定番中の定番。(ですよね~?)私には教科書のような存在です。

たいていの古書店にはある本ですが、支持されている本のため、どこでもだいたい同じような値段ですね。
いまだにこの本にであうとかつての恩師に街でであったような気持ちになります。

本のお話・串田孫一その2

2007-05-27 20:22:04 | 本のおはなし
先日、「串田孫一の本に若い友人が関心を示してくれてうれしい」と書いたその次の日に、タイミングよく串田孫一の本が入荷しました。


◎「旅の絵本」
こちらは画文集。
旅で各地(有名な川・岬・湖・山など)を訪れたときの記憶、思い出などが綴られていて、そこにミロを思い起こさせるような詩情あふれる線画が添えられています。

もともと、ラジオで放送された原稿を元にしているからか、文章のリズムが耳に大変心地よいのです。

平易な言葉で豊かな表現。こうした大人の、落ち着いた知性を感じさせてくれるきれいな日本語を書く人が、最近本当に少なくなったと思います。

近ごろの、流れてしまうような文章・表現は、やはりワープロの登場が大きいと思いますが、古書の世界にはこうしたきれいなで落ち着いた言葉がまだまだ現役で、活躍中です。

また、
・ファンシーでない
・甘すぎない
・お洒落すぎない
・狙いすぎない可愛さをもつものって、なかなか出会えないものですが、「昔のおじさん」が作った本にはそうしたものがとても多いと思います。
(最近の本は可愛さがミエミエすぎて、ちょっと恥ずかしいものが多いと思います。)

こちらも辛口の可愛さをもつ本ですね。
古書を楽しむには
名前(孫一さん)やタイトルだけで決め付けず、まず、ページをめくって見ることが大切だと思います。

本のお話・串田孫一

2007-05-24 22:04:39 | 本のおはなし
先日、若く可愛い友人(三の宮にてカフェ勤務)から、メールをもらいました。
「探してる本があるのですが、ご存知ですか?
串田孫一 絵
辻まこと 著
「山のABC」
普通に売ってるのでしょうか?」

はあ、はい!ございますよ!可愛らしい、愛らしい本ですよね!とても人気のある本ですよ。限定版は昭和35年~45年にかけて出版されました。

編者代表が串田孫一で、ABCからはじまる言葉、文章と写真、絵で彩られた本です。

私はあなたのような若くて可愛らしい方が、この本の存在を知ってくれた事が、とても嬉しい!

そうなんです。古書といえばおじさん、ムヅカシい、古くさいというイメージがあるかもしれません。その一方で乙女系というか、ニュー古本というか、新しいお洒落な古本というのもでてきました。

が、私はその両方にNOといいたい。
古本は古くさくも、埃っぽくも、またおシャレなものでもありません。
今も生きているからこそ、価値があるものであり、普遍的なものであるため、オシャレだとかダサいだとかの域を超えたものです。

なので本当の「古書」にはオジサンも乙女も性別・年令を問わずに惑わせ、所有したい・共に暮らしたいという気持ちをおこさせるものだと思います。

でもなかなか素敵な本が存在しているとわかっていても、なかなか古書店に足を踏み入れにくいのも、事実だと思います。
            そもそも本を読む人が少なくなっているのですから、ましてやオーソドックスな古書店なんて、、、という感じですよね。

楽しい世界がここにはある、という事を、これからは店側ももっとアピールしていかなければならないと思います。