湘南ゆるガシ日和 ・・・急がず、休まず

湘南でゆるゆら暮らしココロ赴く先へガシガシ出かけるライター山秋真が更新。updated by Shin Yamaaki

希望の「き」を秘める薔薇/生の実感

2010-03-21 23:53:39 | 日記
はげしい風雨と雷をともなった春の嵐。
さいわい夜明けころには雷と雨はおさまった。
風がつよいものの陽ざしはもどり、奇跡的な天気回復。

きょうは、父の記念ミサ。
父が他界して30周年の今年、母の希望で記念ミサをすることに。
諸事情から、きょうがその日となった。

父も母もクリスチャンなので、法事はかなりイレギュラー。
三回忌まではやった記憶があるけれど、その後は
たしか20周年のときに「感謝のミサ&パーティー」をしたくらい。
このときは特別にミサをお願いし、お世話になった方々をお招きした。

きょうの記念ミサの趣旨も、やはり追悼というより感謝だとか。
ただ今回はもう大袈裟なことはしない。
母と子どもたちだけで、こじんまり。
ミサも、片瀬教会のいつもの日曜ミサ。

1939年(昭和14年)にできたこの教会の聖堂は
京都・奈良の建築物を参考に設計した寺社風の建物。
十字架が軒下にあり、全国でも珍しいらしい。



ミサのあとは、車に分乗して墓参りへ。
行ってみると、墓地の出入り口ちかくは渋滞、
敷地内の路上には、どこまでものびる縦列駐車のくるま。

そういえばお彼岸だけど、まさかお彼岸のお墓がこんなに混むとは。
いつも空いている時期を狙って来ていたわたしたち。
「なにも30年記念をお彼岸にしなくてもよかったね」と微苦笑。

この日、母は、子どもたち5人に父の写真を1枚ずつ贈ってくれた。
もっぱら撮る側だった父の、写真はあまり残っていない。
「こんな顔だったっけ」という戸惑いと
懐かしい人に出会えたような嬉しさが入りまじる。

一日のおわりに父の写真をかざり、花をささげ、香を焚いてみた。
香は、去年の誕生祝いにいただいた沈香



花は、この日のために母がえらんだ、
希望の黄をいくえにも内側に秘める薔薇



30周年記念にあたり感慨ぶかいものでもあるかと思いきや、
実際にはやっぱり事件もおきるし、感慨にふける暇などなかった。

生きるということは、生やさしいことではないみたい。
子どものときは子どもなりに、大人になったら大人なりに。
人生に「あがり」はなく、きっと死の瞬間までこれがつづく。

それぞれの感情や事情をかかえ、わたしたちはしばしば互いに傷つけあう。
それでも関わりをあきらめずにいることを、「仲がよい」と呼ぶのかもしれない。
何歳になってもしんどいけれど、わたしたちはそれでも生きる。
いまこの瞬間を大切に、懸命に。

「もっと生きたい」と、つよくつよく願いながら、父は死んでいった。
喜びも哀しみも、苦しみも楽しみも、いさかいさえも、生きていればこそ。
生の実感をあじわい、感謝し、生ききりたい。

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