1990年F1GPはシーズン前に安全面を向上させるためのレギュレーション変更が行われ、開幕2戦は猶予期間として適用が除外されたが、第3戦サン・マリノGPまでには各チームともこの規定に準じたマシンを用意することとなった。
ティレル・チームもこの第3戦に新車019をデビューさせる。
空力のエキスパート、ジャン-クロード・ミジョーが考案した奇抜なフロントセクションは人々の注目の的となった。
フラットボトム規定(ホイルベース間の下面は水平であること)をクリアしつつ、思い切って高く上げられたノーズから、ハの字型につり下げられたフロントウイングは、エアロダイナミックスの最先端とされ、後のF1マシンデザインに大きな影響を与えた。
その他の部分はほとんど018を踏襲しており、特徴的なフロントサスのシングルダンパーやブライアン・ハートチューンによるコスワースDFRもそのままだ。
第15戦日本GP、金曜フリープラクティス8位、予選10位と順調な滑り出しを見せた中嶋だったが、チームメイトのジャン・アレジは予選中、フロントサスペンションの破損から大クラッシュを演じ、首を痛め欠場となってしまった。
一人チームを背負うことのなった中嶋だったが、二日目は好天による温度上昇でピレリの予選用Qタイヤがねを上げてしまう。
ベストのグリップが2周と保たない状態で予選の結果は14位と、ポジションを下げてしまった。
決勝はスタートから混乱が相次ぎ、中嶋はロータス勢に次ぐ9番手へ浮上する。
レース中盤、タイヤ交換でジョニー・ハーバートの前に出ると、36周目にはディレック・ワーウィックを1コーナーアウトからかわし6位のポジションを得る。
そのままポジションを守りきった中嶋は、シーズン3度目の入賞を地元で飾った。
ティレルチームは、018で7ポイント、019で9ポイントをあげ、コンストラクターズ・ランキングを5位で終える。
model:
1/43 Reve Collection
Tyrrell 019 1990
Japan GP n°3
Satoru Nakajima
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