My Little Southern-Cross

藤田伸二騎手をおっかけるおやじのブログ。大相撲開催時期には「相撲部」のみなさんが集まります。

ばちかん。

2007-01-30 07:12:24 | 競馬以外のこと
月曜日の夜はこんなものを見ておりました。
小学校のときから日本史、特に戦国時代が大好きで、大学でも
日本史を専攻したくらいの私としては反応しないわけにはいかない
ところでしょう☆

途中で眠たくなった娘を半ば放置するカタチで2時間まるまる
見てしまいましたが、タイトルでうたっている織田信長とバチカン
とのつながりは中途半端に終わっていましたね。まあバチカンで
信長が贈った屏風絵の調査が本格的にはじまったぞ!という宣伝の
意味合いが強いので、これは仕方ないと思われますが。

全般的に、これまで私が知っていた知識を大幅に凌駕するといった
ものはさほどなかったような気がします。信長に関しては、日本史上
では最上位にランクされるほど人気のある人物ですし、研究もそれこそ
星の数ほどされているはずですから、そう目新しい発見ができるわけ
でもない、というのが現状なのかなと。

本能寺の変は確かにかなり多くの謎に包まれている部分があります。
実際に信長殺害を実行した明智光秀にもそうしないといけなかった理由
というものが当然あっただろうし、この番組でもあったような影で
糸を引く黒幕の存在もあったはず。はっきりした答えはこの時期に
生きていた人が実在しない今になっては解き明かすことは不可能。
だからいろんな人によっていろんな説が作られる。これが「歴史」
の魅力のひとつだと思いますね。

さて、私自身はどう思うのか。明智光秀の立場に立って考えると、
上司(信長)からはかなりの無理難題を常に言われているようなので、
日ごろからたまりにたまった不満が爆発したという「怨恨説」が
やはりいちばん有力なのかなあ?といったところですね。

これは会社勤めの方なら感じることのできる部分ではないでしょうか。
たとえやっていることが正しいことであったとしても、強烈なワンマン
上司にはついていくのに苦労しますからねえ。

時代の先端どころか、はるか先を破壊とともに突き進む織田信長と、
伝統の権化とも言える朝廷という相反する2つに仕える明智光秀。
精神的にも相当良くない環境に置かれていたことは間違いない
でしょう。今でいうところの「ストレス」もものすごく抱えていた
はず。もともとがエリートですから、壊れたときには半端じゃない
ことになってしまうのは理解できるような気がしないでもないです。

結局のところ、薩摩の島津家を大いに贔屓する私としては、織田・
徳川連合軍が鉄砲を駆使して最強の騎馬隊を率いる武田軍を大いに
打ち破った長篠の戦い。これの20年ほど前からすでに実戦で鉄砲を
使っていた島津家にもうちょっと地の利があれば天下が取れたのでは
ないか、と改めて思ってしまいましたけどね(笑)


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