小浜・国宝寺社巡りウォークと高浜の田中弥
小浜--国宝・寺社巡りウォーク
*徒歩4キロ(1時間)+見学(3時間)
このコースは歩いて巡るには距離がありすぎる。土日は循環バスがあるようだが、平日ではタクシーを使うしかない。ただ、小浜駅と東小浜駅にレンタサイクルがあり、はじめはそれを利用する予定であった。だが、自転車は無理という人もいたので、頭を悩ませた。ところが、いろいろ調べているうちに、明通寺門前の「ふじや」が東小浜駅まで車で送迎してくれることが分かり、これですべてが解決した。ただ、前もって予約するにも2~3人では無理だろう。
三方五湖巡りのジャンボタクシーに明通寺の「ふじや」まで行ってもらい、「ふじや」には神宮寺まで運んでもらい、このコースのウォーキングが成立したわけだ。
[コースとタイム] --1部正確ではない *トイレ
(12:00)明通寺→(12:40)「ふじや」昼食*(13:10)[車]→(13:15)神宮寺(13:45)--[0.7k]-
--(14:10)若狭彦神社(14:15)--[0.6]--(14:35)満徳寺(14:40)--[0.6]--(14:45)*せいわ
箸店(15:15)--[0.7]--(15:25)若狭姫神社(15:35)--[05]--(15:50)若狭国分寺(15:55)
--[0.8]--(16:15)東小浜駅
*明通寺門前ふじや TEL:0770-57-2480 そば定食1,050 予約者は車で送迎
ジャンボタクシーは「ふじや」に着けてくれ、そこでそば定食の予約をした。車は我々を乗せたまま明通寺へ。そこでタクシーと分かれた。明通寺は古色蒼然としていて、
時代の重みがある。明通寺を出てから「ふじや」に向かった。
※最下段のバーを右にスライドすると見えない部分が出てきます。
明通寺本堂
三重塔
本堂
三重塔
そば定食を頂いてから、店が車を出して我々9人をいっぺんに神宮寺まで送ってくれた。奈良のお水取りの水を送る側の寺で有名である。
アカとは水のことである。
此処と右手からこんこんと湧き出ていて、記念に飲んだが冷たくおいしい水だった。
神宮寺本堂
ここからは、東小浜駅までの歩きだ。この日は天気は良かったのだが、歩くには暑かった。
神宮寺にて 若狭彦神社で (管理者はいない)
若狭彦神社から川を挟んで満徳寺へ行ったが、暑くて疲れた。庭園が有名なのだが、木陰でしばらく休んでから元の道に戻り、箸の「せいわ」に向かう。
この店内は冷房がきいていてほっとした。手渡された箸をグラインダーを回して模様を出す体験をした。
元気が出たので、そこから下社の若狭姫神社に向かう。
若狭姫神社(若狭彦神社と若狭姫神社を合わせて若狭一ノ宮という。管理者常駐)
若狭姫神社
電車の時間が気になったが、せっかくなので若狭国分寺跡に行くことにした。かなり歩いたが、着いたら「跡」どころか、立派な建物があった。
東小浜駅は結構立派であった。
東小浜(16:45)------(17:20)若狭高浜→田中弥
若狭高浜・旧京人形田中弥
東小浜駅から電話をかけておいたので、若狭高浜駅を降りた「田中弥」の女主人が出迎えてくれた。実を言うと彼女は小岩高校の二期生で私の生徒だったのである。 都立小岩高校二期生還暦同期会(その2詳細版)を見れば分かるが、そのとき、若狭往きの話が纏まった次第。
高校時代は、あまり目立つ存在ではなかったが、若狭に来てから人間がすっかり変わったようだ。今や、話上手に聴き上手で、場を盛り上げる才能がある魅力的な女性だ。それは、どうやら水上勉に鍛えられたせいだと思う。
若狭の作家・水上勉は近くに「若州一滴文庫」(後日説明)を創設し、生前はそこを活動拠点としていた。水上勉という作家は人を惹きつけるオーラがあったようだ。各界で名の通ったいろいろな人がこの地を訪れている。此処に来ると我が家にいるような安らぎが得られたのだろうか。
水上勉がわざわざ彼女の家にやってきて、若州一滴文庫のスタッフに懇望されたのである。そこで、建物群の掃除や事務、訪れてきた著名人たちの接待や食事の用意、竹人形芝居の演者---こういった全てのことをやらされたのだろう。
それにしても、水上勉が「三顧の礼」をもって迎えに来たというのは、いつ何処で彼女という存在を知り、その資質を水上勉は見抜いていたのだろうか。
趣味の中で骨董収集となると、誰にでもできることではない。だが、彼女の趣味はそんなものではない。由緒ある家をゲットすることだという。
京都の夏はとても蒸し暑いそうだ。その京都の商人たちが若狭を避暑地としていたとのこと。「鯖街道」というのがあるが、若狭と京都は昔から密接につながっていた。若狭高浜の旧丹後街道沿いには、そうした京都人が「海の家兼別荘」を競って建てた。すぐ裏は人気の若宮海水浴場である。遠浅でビーチが長く、エメラルド色の海ということで、大変な賑わいであったらしい。
その京都の別荘街のなかで、旧京人形の田中弥のをゲットしたのだという。「私自慢の別荘」と最初彼女が言ったのも、そういうことだったのだ。この建物は文化財建造物とまではいかないのであろう。今夏に立て替えるとのこと。だから、その前に、ぜひ泊まりに来て欲しいと勧められたわけだ。
今回、総勢9名で、その旧田中弥にお世話になることになった。裏木戸を出るとすぐ浜で、下記のような若狭富士が夕日に浮かんでいた。
旧田中弥の正面 庭を出るとすぐ海だ
玄関の屋根を見上げると---
夜はご主人ともども、大歓迎をしてくれた。ご主人は庭で鯖を焼いてくれ、釣ってきたばかりの金目鯛の甘煮、舟盛りの刺身、(冷凍でない)生の越前蟹---と、食べきれないほどの海の幸。
水上勉没後は「若州一滴文庫」の維持はNPO法人に任されているが、生前のスタッフとして、この家にもその所縁の写真などがあり、それを見せてもらった。
若州一滴文庫の建物内には、いろいろなものが展示されているが、残念ながら撮影禁止。上のは彼女がじかに書いてもらったもの。
これは彼女所有の写真。右端が彼女。右手で指をさしているのが水上勉。
その他、所縁のものは沢山あったが、ここでは割愛する。
彼女の家は道路の向かい側にあるのだが、この夜はこちらで夜遅くまで談笑して盛り上がった。
朝の食事---ご飯がうまい。米がいいのだ。味噌汁もいい。私には未知のつけもの、それと「へしこ」も初めて食べた。
へしこ 庭からのぞく若狭富士