元高校教師のブログ[since2007/06/27]

地元仲間とのウォーキング、ハイキング、サイクリング、旅行の写真入報告。エッセイや意見も。

見沼通船掘ウォーキング

2007-10-26 11:40:05 | ウォーキング

10月25日(木)※弁当持参
行き先:(武蔵野線・東浦和)見沼用水道
[距離] (9+7)徒歩16キロ 

コースとタイム】*→トイレあり
 東浦和駅(9:00)→(9:15)清泰寺・見性院の墓所(9:30)→(9:35)明の星短大→(9:50)女躰橋→芝川→念仏橋→(10:00)*くらしの博物館・民家園(10:30)→(463号)浅間橋→(10:50)[見沼用水西緑]→(11:10)新見沼大橋下→(11:20)*見沼氷川公園(11:50)→見沼大橋→加田屋橋→(12:20)[見沼用水東緑]→(12:30)*国昌寺(12:35)→[見沼用水東緑]→新見沼大橋下→(13:00)*大崎公園(昼食)(13:45)→(14:20)*川口自然公園(14:30)→武蔵野線下→金崎斜面林ふるさとの森→見沼新田橋→八丁橋→通船掘公園→(15:40)東浦和駅

コース概況】 昨日、「鎌ヶ谷・木曜ウォーカーズ」のメンバー8名と通船堀ウォーキングに行ってきた。予報と異なり、一日中好天に恵まれた。


 氷川女体神社の階段下に散策マップが掲示されていたので、これで歩いたコースを説明する。東浦和駅→清泰寺→見沼用水西縁(ニシベリ)→現在地[見沼氷川公園・氷川女体神社]→国昌寺→見沼用水東縁(ヒガシベリ)→園芸植物園・(大崎公園)→武蔵野線→見沼通船堀→鈴木家住宅→東浦和駅

 東浦和駅を出て氷川神社の横の道路をを北に進むと清泰寺の通用門に出る。しかし、ここからは入れないで、ぐるっと西側に回らないと正門に出られない。5分以上ロスしたかな。

 清泰寺には見性院の墓石がある。

 
清泰寺本堂の屋根瓦        民家園にて

 清泰寺を出て東に進み、車道の信号を渡り、東浦和第三公園を回って行くと、明の星幼稚園前だ。堀があり、明の星学園の女子高や短大が、その堀に囲まれているように並んでいる。この堀に沿って進み、女躰橋のところで右に河川敷のような畑の中の道を進む。芝川に突き当たり、土手道を念仏橋に向かう。その橋を渡れば「浦和くらしの博物館・民家園」だ。
 博物館内には主に昔の子供の玩具や雑誌、熊手などが陳列されているが、富山の薬売りが持ってきたものも陳列されていた。
 下の六神丸だが、六神丸は昔から知られている。矢切止夫の書物を読むと、六神丸は貴重な漢方薬で、中国では人間の脳みそで作っていた。だから関が原の戦いの時は大阪湾に中国船が大挙して押し寄せ、バーター取引をしていた、というのを読んだ記憶がある。恐らく物置にあると思うが、その書物が見つかったら、ここに原文を追記するつもりです。
 

 念仏橋を渡ってすぐ芝川沿いに入り、100m進んだ後、左折して畑の道を見沼用水西縁に向かう。途中、いろいろな野菜や花々に出会う。

 見沼用水は、もう少し綺麗で素朴な流れかと思ったが、両岸に金網が延々と張られ、水も綺麗とは言えない。我々が通過してきた東側は広大な荒れ野や畑が続くが、流れの西側は、すぐ傍まで住宅が押し寄せている。
 それでも、ときどき野鴨の一家が泳いでいたり、野の花に出会う。

 
用水路には鴨の一家がいた。      西縁(ニシベリ)で咲いていた野菊

 つい最近、下総寛一の故郷・「童謡のふるさと大利根町」へサイクリングした。「野菊」で歌われているように、たしかに、「きれいな野菊、うすむらさきよ」でした。

 見沼氷川公園はかなり敷地が広い。「山田の案山子記念碑」があるので、なにかと思ったら、童謡・「山田の中の一本足のかかし、---」はこの地で生まれたものとのこと。 また、「氷川女体神社磐船祭祭祀遺跡」もあり、古墳のように周囲を堀で囲まれている。本日のコースには女体神社というのが、いくつか出てくる。女神を祭るということは海洋渡来系の末孫なのであろうか、この地の民は。

 敬助橋というところで、用水西縁と別れ、芝川を渡る。ところが、この見沼大橋を渡ってすぐ、土手道を南下しようとしたが、立ち入り禁止の柵。遠回りをして加田屋橋から見沼用水東縁へ向かう。近づくとコスモスが一面に咲いていたので、シャッターを切る。

 
背後は国昌寺            国昌寺山門「開かずの扉」にある
                    左甚五郎作という龍の彫刻

 国昌寺への階段を上って本堂の前に辿り着いたが、何やら葬式でもあるらしい。運動会で使うようなテントが幾張りも用意されている。とても昼食をとるムードではないので、そこそこに、左甚五郎作という山門を後にした。

 こちら見沼用水東縁のほうは、特に左側の小道は静かで落ち着いている。良い道なので、新見沼有料道路の下をくぐると、思ったより早く大崎公園に着いた。と言っても午後の1時。そこで遅い昼食にした。用水の流れを挟んで園芸植物園や緑の広場があるので、小学校の生徒が大勢、遠足に来ていた。

 予定の時間をかなりオーバーしているので、植物園をカットして用水東縁を川口自然公園へ向かう。遊歩道は「ヘルシーロード」となり、舗装もされていて、どうやらサイクリングロードのようだ。ところが、このヘルシーは、途中で何度も途切れる。用水のほうは、両岸ともコンクリートで護岸され、しかも金網のフェンスが続くので、興趣は損なわれる。

 かなり疲れてきたようなので、川口自然公園で少し休憩をとった。 
 

 武蔵野線を潜り、なおも進むと前方左手にこんもろとした森。そこが「金崎斜面林ふるさとの森」だ。せっかくなので、わき道を探しそこに行ってみると、立ち入り禁止で入り口に鍵がかけられていた。私一人ならその崖を上るのだが、こちらは団体。止むを得ず、崖下の道をすすむと、やがて左手に階段のある所が出てきた。ここなら、利用していいだろうと、登ってみたが、背後に民家が迫っていて、前は樹木のため見晴らしはきかない。まあ、訪れただけでよしとするか。

 用水路に戻り、見沼新田橋を渡ると、その先に通船堀が待っていた。当時の模様を伝える絵図が用意してあった。覆っているガラスが反射して見えにくく、カメラにも収められない。ここから芝川を挟んで、通船堀公園までの堀道は快適そのものだ。
 とちゅうに幾つも通船の閘門があり、説明版も丁寧だ。つまり、パナマ運河に似て、水位の異なる場所で船を通過させる工夫がなされている。そういう箇所が数箇所ある。昔は車など無く、船運がすべて。だから、この運河は大いに人々の暮らしに役立っていたはず。この通船堀の歴史道は、お勧めの道だ。終点に近づくと竹林の中を歩く遊歩道があり、抜群だね。

  

  

 
閘門状の木枠が残されていた    通船堀を右下に見る竹林の遊歩道

 ※「ここは何処の細道じゃ、天神様の細道じゃ」 トーセンボの原型は、ひょっとした 
   らこの通船堀じゃないかな、なんて思ったり---。


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