元高校教師のブログ[since2007/06/27]

地元仲間とのウォーキング、ハイキング、サイクリング、旅行の写真入報告。エッセイや意見も。

善福寺川緑道を歩いてから渋谷へ

2017-10-01 17:56:25 | ウォーキング

実施日;2017-09-29
天気;晴れ、最高気温は26度か
同行者;鎌ヶ谷ハイク&ウォークの会、7名
カメラ;pentax X90とニコンのコンパクトカメラ

徒歩コース ①[善福寺川緑道] 阿佐ヶ谷駅(8:15分)→善福寺川・相生橋→
  和田堀公園→(10:15)西永福駅 
 ②[渋谷] 渋谷駅→尾崎豊レリーフ→ハチ公→スクランブル交差点→モヤイ像→
  道玄坂供養碑・与謝野晶子歌碑→(13:10)ガスト[昼食](14:30)→(旧花街)
     円山町→鍋島松涛公園[休憩]→山手通り→(16:45)代々木八幡→春の小川歌碑
     →代々木公園→原宿駅

[渋谷の地図]---mapion地図にソフトのペイントで上書きして作成しました。


その1 渋谷駅周辺


その2 道玄坂周辺

善福寺川緑道  緑豊かで、なかなか良い緑道だ。渋谷散策の前に、ここを歩いたのは、昔の武蔵野の面影を残していて、明治時代の渋谷の姿を参考にできると思った
からだ。


和田堀公園 

渋谷界隈から代々木公園へ---

尾崎豊レリーフ像のある場所はヒカリエからクロスタワーに渡る歩道橋の上にある。
下は青山通りだ。何故、此処なのか。ここは「15の夜」と深く関わる場所だからだ。→そうだったのか......ミュージシャン高橋克典と尾崎豊の接点
" I love you" はテレビでもよく流れるので、知っている人は多いだろう。"15の夜 " は、YouTube で、尾崎が歌っている姿を見れる。青山学院高等部の部室で、高橋克典の前で、この世で初めて披露した曲。だが、聞くだけでは伝わらない部分が多い。これは、歌詞をよく吟味する必要がある。大人になる前の15歳の少年。既成社会に対する反抗・葛藤・魂の叫びなどが強烈に伝わってくる。

若者のカリスマと言われた尾崎は、26歳の若さで急死した。警察発表では、自殺と
いうことになっているが---
千住の民家の庭先で、早朝、傷だらけの全裸状態で発見されたというので、自殺を信じないファンが多い。死因については、ネット上に沢山出てくるので、そちらを見てください。伊丹十三や清水由貴子、更に、世田谷一家の事件にも言及しているのがある。
    

星空のマリオネットという映画があった。→星空のマリオネット : 作品情報 - 映画.com
 眼に焼き付いて離れないラストシーン。この映画の主人公も世の中に受け入れられず、生きる目標を失っている。
 橋の上で停車中のオートバイに跨る若者。盛んに吹かしていると、橋の向こうに大型トラックの姿が現れる。すぐにクラッチ操作後、右手のスロットルが激しく回転し、そのトラック目がけて急発進する。主人公が自死するラストシーンだ。何とも救いようのない場面だが実に印象的だ。
 決して推奨できる映画ではないが、いい映画だ。生きる目標を失った若者の心の葛藤、その表現である彼の不可解な行動。セリフは少ないが、それが見事に活写されている。その意味で、いい映画だ。尾崎豊の世界に通じるものがある。 


平日だというのに、ハチ公前は大変の人人--。この銅像をバックに記念写真を撮るに
も順番待ちの列が出来ていた。まともに撮れないので、大急ぎで、この角度からシャッターを切った。 

スクランブル交差点--今や世界に知られている場所だ。この場所に立ち写真を撮る
ために、わざわざ海外からやって来る外国人もいるそうだ。

 以前に、この場所で合唱付きのオーケストラで「第九」が演奏された。ユーチューブに出ている。アメリカ発の "flash mob"  というのが、世界に広まりつつある。
 flash とは---映画・テレビで、瞬間的に表れる短い場面。mob は「群衆、野次馬」。この一瞬の劇場の主役は、コンサートやダンスのようだ。奈良の駅前で、ストックホルムで、その模様がユーチューブで見れる。最初に一人で楽器を演奏する人もダンスをする人も、いずれも一流で、雑多な群衆の中でも、すぐに目立つ。そこから輪が広がって行き、Westside story のような踊りが始まる。パーフォンマンスが
終わると、いつの間に演者たちの姿は無く、群衆の中に消えてゆく。集合のきっかけはネットで集めるようだ。何と言っても、ダンスが主流だ。Michael Jackson の意志を継いで、このダンスを、flash mob を利用して全世界に広めようという団体さえあるようだ。

イースター島のモアイと思ったら、それとは違い、モヤイだそうだ。
モアイほどの歴史はないが、新島特産の抗火石を使った特産品で、昭和後期に生産が
盛んになり、新島のモヤイの丘に行けば、沢山並んでいるとか。


「鎌ヶ谷ハイク&ウォークの会」のメンバー

道玄坂の坂上--ここに道玄坂供養碑と与謝野晶子の歌碑がある。

 


晶子の心の叫びだ。楽しいはずの新婚生活も、こんなはずではなかったと、悩んでいる。相談相手もなく、夕方になると、この場所にやって来て西の空を眺めては望郷の念に浸っている。おかぁさーんと叫びたいが、母は遠い堺だ。明治初期の道玄坂は
ド田舎。向こうの山は丹沢山塊であろう。「雨雲かかる」は、彼女の心を代弁しているのだろう。----彼女の気持ちを正直に表しているこの歌は、彼女の代表作と言っていい名歌だ。

高校時代に国語の教科書で、「清水へ祇園をよぎる桜月夜---」を習ったが、
柔肌の熱き血潮に触れもみで--」は教科書に載ってなかった。教科書検定でストップがかかったのだろう。だが、国語教師は、試験にこの歌を出した。「感想を述べよ」と問われても、大人の世界を知らない当時の私は書きようもなかった。
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女好きで通っていた鉄幹は、山口の女子高で、教師の立場を利用して複数の生徒と関係している。その鉄幹が京都の歌会に来たとき、両者の出会いが始まった。

女子高を解雇された鉄幹が東京に行くと、その後を追うように、晶子は堺の家を出て上京する。明治初期の時代は、男尊女卑で富国強兵の軍国主義の時代。明治天皇を神とする時代だ。そんな時代に、略奪結婚など世間には通らない。与謝野鉄幹には妻子がいたのだから不倫でもある。それなのに、強行した晶子は時代離れの女性なのか。

更に、「君死に給うことなかれ」の発表に至っては、命知らずというほかない。
後の世に出る小林多喜二の例を出すまでもない。

すめらみことは、戰ひに
おほみづからは出でまさね、
かたみに人の血を流し、
(けもの)の道に死ねよとは、
死ぬるを人のほまれとは、
大みこゝろの深ければ
もとよりいかで思
(おぼ)されむ。
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日露戦争に出兵した弟は、運よく戦死せず、無事に戦場から堺に戻り、
旧家の和菓子屋を継いでいる。晶子は三女ということだが、上に兄が2人位いたらしい。

さて、「柔肌の--」の歌だと、鉄幹がちっともかまってくれないと、訴えている。だが、そんなことはない。二人の間には6男6女の子供が出来た
というではないか。調べると、「柔肌の--」のよりもっと強烈でアダルトな歌がある。それらを紹介するのは憚るが、以下の歌は「乱れ髪」の原点なので、一首だけ、止むを得ず出す。
 「みだれ髪を 京の島田にかへし朝 ふしていませの 君ゆりおこす」
 *若妻のたしなみとして、翌朝は京の島田に髪を結いなおしたのだ。
   ふしていませの→まだ臥して寝ていらっしゃる
   何?「髪のみだれ」も解説せよと。勘弁してくださいよ。

彼女は歌人としてだけではなく、評論家・思想家、社会教育家--として活躍した。お茶の水にある文化学院の創設者の一人だし、故郷の堺では「堺の誇り」→利休・晶子・仁徳さんと言われていて、利晶記念館・利晶の杜もあるそうだ。

円山町--昼食は(晶子歌碑の、道路を挟んだ向かいの)ガストで済ませた。
その店で
秋の旅行の話などしながら、ゆっくりと過ごし、丸山町へ向かう。

現在の円山町はラブホテルや飲食店が目立つが、明治時代から私の学生時代まで、
花街として栄えていた。関東大震災直前には芸妓420名を数えた。→ホテル街に残る花街の名残「渋谷円山町界隈」 ( 東京都 ) - ~東京 大山街道の宿場町であったし、近くに代々木練兵場もあったので、客は沢山いたようだ。
私が高校生の頃、売春禁止法が成立し、以後、ホテルや飲食店などに衣替えしていったが、神泉駅界隈の、ちょっとした裏通りに入ると、当時の面影を色濃く残す建物が随所に見られる。写真に撮って発表しようとしたが、観光客などが押し寄せて営業妨害になるやも知れない。それで、今回は遠慮して、松涛町方面に向かった。

我が学生時代の渋谷--あの頃の渋谷と社会情勢 

松涛町界隈は、高級住宅街だ。日本人ばかりでなく、外国人もかなり住んでいるらしい。此処にある松涛中学校は、私が教育実習をした学校だ。
松涛公園でしばらく休憩したが、公園内では地元の子供たちが遊んでいた。その中に金髪の少女たちも交じって楽しんでいた。なんら違和感がなく、ごく自然な感じであった。 

スクランブル交差点から代々木公園まで、歩いて感じたこと
 道玄坂の坂道を歩いていても、ごく自然に外国人に遇う。旅行者ではなく、住民のようで、この地に溶け込んでいる。通りには、ファッション センス溢れる女性もよく見かけるし、中にはファション雑誌から抜け出したようなスタイルの女性も見かける。ちょっと路地裏に入ると、小さいが洒落た店があり、中で外人たちがコーヒーを飲んで休んでいる。


松涛公園内の池

松涛公園から山手通りに出、バスに乗ろうとしたが、適当なバスに恵まれず、代々木八幡までバス停3つ分を歩いた。


今から4,500年前の復元住居。代々木八幡宮の境内にある。ここは、小高い丘に
なっていて、古代人にとっても暮らし易かったのであろう。


当時は、こんな感じだったのか。 


代々木八幡宮。代々木公園へは、この右手の道を北へ下り、丁字路を右折し、小田急線の踏切を渡る。

その踏切を渡ってすぐ左折、線路沿いに100m位歩くと、左手に、春の小川歌碑がある。
渋谷川の源流にあたる河骨川。今は暗渠になっているが、昔は水清らかな せせらぎだったのだろう。想像も出来ないが、武蔵野の面影を残す善福寺川緑道を歩いてきた身には、少しは、当時のド田舎・渋谷の谷を流れる小川も想像できる。 


この説明板の後ろ・側溝辺りが河骨川で、後方左手奥の青い線は、小田急電車が通過
している瞬間。

時計を見ると、もう夕方の5時だ。急いで、代々木公園に向かう。代々木公園は広大だ。この公園も日本離れの感じ。私は行ったことがないが、ニューヨークの セントラルパークの雰囲気。近くの住民だろうが外人さんも、夕闇迫る公園内でジョギングなどを楽しんでいる。森の中で、誰かがパーカッションの訓練をしていて、耳に心地良い。

広大な公園内で、寄る所は多々あったが、夕暮れなので原宿駅へ急いだ。


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