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天と地の間

クライミングに関する記録です。

比叡Ⅱ峰奥壁 人形岩リボルト及びアプローチ整備

2009年09月23日 | 開拓
右腕の状態が思わしくないので、連休にもかかわらず登るのはやめて、開拓準備とアプローチ整備をかねて比叡に行くことにした。
日曜日の午後3時過ぎに一人軽四に乗ってのんびりと向う。7時到着すると、連休のわりには来ている人は少ない。これから入るのだ
ろうか。
 今日は、ゆっくり本でも読もうと久しぶりにテント泊にした。積読になっていた本を3冊ほど持ってきたが、結局、缶ビールを2本
飲んだら何時しか眠ってしまった。軽四の長丁場で疲れた出たのかもしれない。本は、また積読に戻る。

9月21日(月)
 Ⅲ峰のフィックスの張替えかたがた、アプローチを整備しようと鎌を持って行くと、トンネル入り口から左へと上がるアプローチ
が崩壊しており、やや歩きにくくなっている。後で聞いたところによると、1週間ほど前にあった地震が原因とのこと。一人ではど
うしようもないので、そのままし、Ⅲ峰へと行くとすでに入り口は藪に覆われ、自然に返っていた。早速、鎌を振りはじめたが、
どうも右腕が芳しくない。せめて入り口だけでも分かりやすく伐採しようと、とりあえずの伐採をし、フィックスを張り替えて下り
る事にした。

続いてメインのⅡ峰奥壁のアプローチ整備へ。
鋸、鎌、鍬の開拓3点セットを持って奥壁へと行くとわずか30分にもかかわらず、汗だくとなる。開拓途中の三つ子ハングの取り付
き基部に着くと、懸念であったルーフにあるスズメバチの巣が前回よりも大きくなっており、蜂も勢い良く飛び回っている。やはり、
掃除はやめたほうが無難と判断し、仕方なく取付までの伐採とマーキングを行った後、人形岩のアプローチを作るためにそちらへ向
かうことにした。

人形岩
 Ⅰ峰のピーク、もしくはⅠ峰北面のルート上からⅡ峰奥壁を望むとすぐにそれと分かる岩塔である。しかし、奥まった位置にある
ため、知っている人は数少ない。ルートも2本引かれているのみで、そのうちの1本は2ピッチまでで終了している。今回、私が狙
っているのはその1本をつなげるルートである。
記録には、3ピッチ目はクラックが途中で途切れているとなっており、開拓途中であきらめたのかと思いながらも、念のために当時
の開拓メンバーに3ピッチ目の開拓の了承と、やめた真意を尋ねたところ、開拓途中で稲光と共に雷が鳴り出したのでやめたとのこ
と。20年近く前のことのため、はっきりしないところがあるが、やめたのは事実のようである。

人形岩の基部まで行ってみると、取り付きまでのアプローチはマーキングは無く、羊歯と藪に覆われ、たどり着くまで羊歯を払いな
がらの藪漕ぎとなる。取り付きに着くと、最短で楽にたどり着けるコースを探し、再び鎌と鋸を携えて羊歯と木を切りながら戻る。
幸いなことに鋸を引くときは腕の痛みはそれほどでもない。一時間近くかけてアプローチを作り、マーキングも終えたところで、取
りあえず様子を探るため、1ピッチ登ることにした。

 Ⅱ峰周辺の岩場は、下部の風化が進んでいるようだ。ここも例外にもれず下部にやや風化が見られるが、登るにつれてよくなって
くる。カムもジャムもがっちり効き、快適だ。グレードは、あって10aぐらいだろうか。
 1ピッチ終了点より、2ピッチ目を望むとクラックが右に回りこんで終了点こそ見えないがクラックが続いているようであり、ブ
ッシュもあまり生えてはいない。なんとか2ピッチ終了点まで行けそうであるが、今日はここまでにし、フィックスを張り、懸垂で
下りる事にした。

庵に行くと、いつものメンバーは韓国遠征で出払っており、代わりに関西の会の方が7人来ていた。この晩は、関西のクライミング
の動向などを聞いたりして交流を深める。

 明けて火曜日。
 朝から小雨模様。しかし、少し待てば上がりそうな気配であるため、ゆっくりと過ごす。昨日、デポをしようかとも思ったが、雨が
気にかかり、フィックス以外は撤収したのが幸いした。しかし、今日はすべてを一人で担ぎ上げなければならない。
 雨が上がったのを見計らって、比叡へと向かう。Ⅱ峰下部に車を止めて、ザックにカム2セット、ボルトキット、ドリル、鍬、鋸等
を詰め込むと大変な重さになってしまった。30k近くはあろうか。一人では致し方ない。ゆっくり行くことにする。
 40分ほどかけて、人形岩取り付きへ。フィックスにグリグリをセットし、1ピッチ終了点へ到着後、リボルトのための穴を穿つと
ドリルの音が辺りへ反響する。おそらく、Ⅰ峰を登っている人たちが振り向いているだろう。一人でこんなことをしているところは極
力見られたくないが、これも致し方ないこととあきらめ、せっせと作業を進める。



      2ピッチ目




新たに作った2ピッチ終了点より取付を見下ろす。ロープが壁から離れている。




  人形岩の側壁。上部は薄く被ってくる。


 終了点打ち替え後、2ピッチ目の登攀に入る。1ピッチ目よりやや難しいといったところであるがグレードは同じ10aぐらいとい
ったところだろうか。カンテを回り込むとすぐ上に終了点が見えてきた。2ピッチ目までは作られているようである。2ピッチ目に到
着後、終了点上部を仰ぐと、クラックが続いているが途中で切れている。その先のフェースは薄被りでホールドは何も無い。絶望的で
ある。クラック部分も下部は指が入らない程度のシンクラックである。記録にある途中で切れていたとういうクラックは間違いなくこ
れであろう。あきらめたのが納得できる。私もここまで来て、がっくりと来たが、何か可能性があるかもしれないと、左へとトラバー
スして上部を窺うと、ブッシュが点々と上部へとつながったいるところを見つけることが出来た。行って見なければわからないが、3
ピッチは、ここにルートをとることに決め、2ピッチの終了点を既設の終了点から3m程はなれたところに打つことにした。さすがに、
ここからはパートナーがいなければ行けないだろう。無理はしないことにし、懸垂で下りる事にした。
 この日は、また庵に戻り、関西の人たちと談笑。明けて次の日は、疲れもあったため、朝、引き上げることし、関西の人たちとまた
の再会を期し、比叡を後にした。



途中で切れたクラック。そこまでもかなり悪い。人形岩の全体像を掲載できないのが残念。
次回ご期待。




 登攀しなければピークに立つことの出来ない岩塔は、やはり魅力的である。ガストン=レビュファの星に延ばされたザイルではないが、
ピークでザイルを手繰って下に投げるのも一興だ。是非とも立って見たい。
 まだ、三つ子ハングが開拓途中であり、また仕事を増やす結果になってしまったが、幸いにも三つ子ハングの取り付きから人形岩まで
は5分程度である。掛け持ちで出来そうである。




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比叡Ⅲ峰北壁ルート整備および、バリエーション開拓

2009年09月10日 | 開拓
3年ほど前になりますが、比叡Ⅲ峰北壁ルート整備とバリエーション開拓を行いました。
連休に遠征来る人が気が向けば登るかもしれないと思い、ここに記録を掲載します。
なお、この記録は、とある会に依頼されて書いたものです。

 「かねてより気になっていた比叡Ⅲ峰の北壁ルートに取り付こうと思い、開拓者のKさんに状況を聞くと、傾斜はかなり強くて最終ピ
ッチの抜け口が最も悪く、左のほうへ逸れて終了したとのこと。確かにⅢ峰のトンネル前からルートを仰ぐと、垂直近い角度でクラッ
クが左上している。むずかしそうであるがそそられる。
 フリー化は最終ピッチを除いてされているようだ。それ以上の情報はなく、取り付いた人も20数年前のフリー化以外、誰も取り付い
ていないのではないかと云う。そう言えば、Ⅲ峰北壁を登ったという話は聞いたことがない。
 開拓は28年も前のこと、整備には苦労しそうである。支点は、壁の色が鉄分を含んで黄色がかっているだけに、腐食が進んで使い物
にならないだろう。
 ともあれ、後はパートナーである。マルチピッチのクラックに付き合ってくれそうな人は限られる。



2006年4月9日(84・K1)

 ルート図を手がかりにアプローチを踏んでいくが、人の入った形跡がまったくないために藪に覆われ、取り付きにたどり着くまでに
苦労させられる。ここだろうと、目星を付けて10m程ブッシュ帯を上がっていくと、これだろうと思える壁が現れた。が、ここも人の
通った形跡がなく、またルート図からもずれている。しかし、他にはそれらしき引けそうな壁はない。ここと確信したが、下から見上
げた印象とは違い、クラックがすっきり伸びていない。上がれば見えてくるだろうと、ビレイ点を作り、登り始めるもルート図に表示
しているグレード(8)よりかなり悪い。客観性に乏しいほどグレーディングに違いがある。
 10m程登ると完全に腐食したリングボルトと残置ナッツが見えてきた。やはりルートはここでよいようだ。コケを落としながら1ピ
ッチ、フリーで登り、ビレイ点をステンレスボルトに打ち替えセカンドの確保にかかる。登ってきた長友さんもグレードには疑問を持
ったようだ。10aか10bはありそうな感じである。
 2ピッチ目も体感グレードはルート図より高い。想像していた通り、傾斜が結構ある。途中から下を見ると道路が真下に見えるほど
である。2ピッチ目はコケの掃除のためにテンションを入れたがフリーで通過。3ピッチ目のビレイ点は立ち木で行い、20m程のブッシ
ュ帯に入るも、急傾斜のため気が抜けない。
ブッシュ帯を抜け、4ピッチ目を確認したところで、今日のところはこれで終わることにし、スリングを岩に回して支点とし、懸垂で
降りる。
 今日、1、2ピッチを登って感じたことは、ボルト、ハーケンとも最少に打たれていたことである。当時はギアも悪かったはずである。
所々に残置ナッツがあったが、おそらくkさんが言っていた自作ナッツだろう。開拓者の意気込みと緊張感を感じた。

2006年4月30日(84・k1)

 今日は、行けるところまで試登しようと決め、登り始める。1ピッチ目、2ピッチ目をフリーで抜け、2ピッチの終了点を作る予定あ
たりで、ロープがまだ30mあまり残っていたのでそのままブッシュ帯に入り、前回、懸垂した地点までロープを伸ばす。k1さんが上が
ってきた後、4ピッチのビレイ点のボルトを打ち、小休止の後、登攀を開始する。30mあまり伸ばしたところでⅢ峰へ続く樹林帯が見
えてきた。後20mくらいだろうか。ここでピッチを区切りたいところであるが時間が無い。そのまま行くことにする。
フリー化されていない部分はこの上だろう。おそらく、工藤さんも悪いといっていた辺りであろう。「行って見なければわからない。
行ったときに試される」怖くはあるがその緊張感と期待の狭間がなんともいえない。
 終了点直下、やはり核心部が現れた。フェース部分に打たれた完全に錆びたボルトにお情け程度にプロテクションを取り、考えたム
ーブを試すが11はありそうである。ビレイ点からは50mぐらいか。しかもビレイヤーからは見えない。落ちたときのロープの伸びと外
側に投げ出された時のことを考えると体感グレードはいやでも増す。だが、ここまできた以上、終了点に立ちたい。意を決し、立ち込
む。スメアを利かせランジ気味にホールドを取りに行くとホールドは大きいが上に土が薄っすらとのっているために効きが悪い。砂の
粒子が指紋の間で転がる。
「滑る!」「落ちる!」すかさずその上の土に必死に4本の指を立て、辛うじて這い上がる。危ういところだ。

10月8日(84)

 壁が立っているために掃除は一人で行ったほうが安全だろうと一人でⅢ峰に上がり、懸垂をしながら5ピッチのビレイ予定点まで下
がり、ボルトの穴を2つ開けたが、そこでバッテリーが空となり、作業中止を余儀なくされることに。前夜、充電はしていたものの、
しばらく使っていない間に寿命が来たようである。バッテリーを調達して出直しである。

10月21日(84)
 
 前回、終了点直下の凹角を掘ればクラックが出そうな箇所を確認したおり、処理しにくい羊歯と膨大な土の量に掘ろうかどうかと躊
躇したが、せっかくのクラックルート、少々苦労しても掘ろうと今日は鍬を持参でⅢ峰に上がる。
懸垂で3m程下ると今日の最大のお仕事が始まる。鍬で羊歯の茎を払い、土を掘る。コーナーでしかも左上しているだけに右手しか使え
ず、バランスが非常に悪い。
 鍬を振っていたからか、今頃は野良仕事をしているだろう老父母のことがチラッと脳裏をかすめ、複雑な思いに駆られたが、それは
それ、これはこれと今は要らぬ思いを振り払うごとく、鍬を一心に振り続ける。1時間半余りで7m程掘り下げて小バンドに着くと、
右手の皮が破れている。これでは野良仕事の手伝いもおぼつかないだろう。
それにしても、掘り起こした土の量はかなりのものである。おそらく、28年前の開拓当初も埋もれていたのではないだろうか。
 この後、前回打てなかった4ピッチと2ピッチの終了点を作って、安全のため錆びて朽ちたハーケンやボルトを落としながら下降し
たが、ルートから離され、掃除を行うことは困難を極めてきたため、下部は次回、登り返しで掃除をすることにし、この日の作業を終
える。

2007 4月14日(84)

 5月の連休までにはかたを付けようと、3月から天候のいい日を待っていたが、週末になると雨模様というサイクルになったために一
向に行く機会に恵まれず、機会を待っていたら今日となった。
 当初、誰か誘ってと思っていたが、まだ掃除が残っている。フォローをしてもらいながら、なおかつ、掃除もお願いするのも気が引
ける。やはり、一人が良いか。
 取り付きでキャメロット2セット、エイリアン小サイズ2セット、ナッツ1セット、ヌンチャク、ソロのためのシステムを担ぐと、さ
すがに「これで登れるのか?」と不安になるほどの重量になる。今日は掃除が主体だが、あわよくばフリーと思っていた気持ちが早く
も萎える。フリーは固執しないことにし、攀り始める。
1ピッチ目をフリーで通過し、2ピッチ目のビレイ点に着くと懸垂で取り付きまで下降。その後、ホールバックを背負い、ユマーリング
でプロテクションを回収しつつ、ノコで枝を払いながら再び2ピッチのビレイ点に着くと、取り付きから2時間近く要していた。この
調子で行くと夜間登攀を余儀なくされそうである。だが、これ以上の短縮は望めそうもなく、2時間ペースで行くことに決め、2ピッチ
目にかかる。
 2ピッチも運よくフリーで越え、そのまま区切らず3ピッチ目のブッシュ帯へ入り、4ピッチのビレイ点へ。
いよいよ佳境に入る。ここまで来るとオマケのフリーで仕上げが頭をもたげてくる。
 4ピッチ目は難なく通過し、最終の5ピッチへ。
出だしが結構悪い。安全を期し、クライミングアップ、ダウンを数回繰り返し、ムーブを探り、出だしを乗り越す。すぐに右の凹角に
移り込むが右の壁がやや前傾して左上しているためにバランスが悪い。この壁のシンクラックに小ナッツを決めた後、凹角内部のクラ
ックにカムを利かせながら、前回掘り起こしたクラックまでたどり着くと、周りは薄暮となる。
後、9m程。ここまで来ればなんとかなりそうと、小バンドで小休止し、いよいよまだ試していないクラックへ。
右手、右足をクラックに決め、体を上げるも、我が衣手は泥を纏いつつ、ずる、ずると下がっていく。もどかしい。ここへ来て、足の
踝にテーピングをしてないことに気付く。ソロのシステムに気を取られたばかりの注意力散漫か。右足の踝は皮がはげ、血まみれにな
っている。その血まみれの踝を岩に擦り付け、伸び上がる。
こんな、怪我をした部位を硬い無機質な物に強く当てる自虐的行為が他にあろうか?すべては落ちたくない恐怖心とルートを落とした
いという欲求のなせる業である。 フットジャムは、傷と血で効かせにくい。フィストジャムは、サイズが合わず、しかも土が付き、
壁を撫でる。「もっと念入りに掃除をしておけばよかった。!」
 無酸素状態で必死に左手を伸ばすが指は空しく空を切る。「ソロでは落ちれない、落ちたくない」そう思った刹那、無意識にロープ
を�拙み、テンションが入る。きわどい。事なきを得たがやはり、一発で登れなかったのは歯がゆい。
バンドまで後退し、ムーブを変え、再び登りなおすが、またしてもテンションが入る。
ここまで来ると、クライミング、その後のユマーリングと伐採でかなり腕力を消耗していることを実感する。そして、足もかなりむく
み、感覚が鈍ってきているようだ。立ち込みの支持力もなくなってきている。
 しばらく休憩を取りたかったが夜の帳はすぐに下りる。ゆっくりもしていられない。小休止の後、落ちるのを覚悟で最後の力を振り
絞り、あまいジャムに耐えながら左手を伸ばすと辛うじてホールドを捉えた。「これで終える」
 終了点のブッシュ帯に入り、休むのもつかの間、ヘッドランプを点け、5ピッチのビレイ点まで懸垂。再びユマーリングで終了点ま
でたどり着いたときには、しばらく動く気にも、さりとて感慨にふける気にもなれず、ただ、樹林帯の闇に視点を置き、しゃがみ込ん
で漫然とするのみ。
時計を見ると8時前である。9時間ぶら下がっていたことになる。くたびれるはずである。
 今日は家へ帰る余力は無いだろう。庵へ行こう。



後記
 北壁ルートは途中にブッシュ帯が入り、お世辞にもすっきりしたルートとは言えないが、いざ、取り付いてみると、久しく忘れていた
「何か」を思い起こさせてくれるものがあり、久しぶりに熱中させてくれた。いま、その「何か」と「これから」をゆっくりと思っている
ところである。
 
5月19日

 I辺さんの協力を得て、総仕上げの整備を行った。やはり、一人と二人では大違いであった。おかげで整備が大いに、そして楽にはか
どった。まだ草木が点在しているが、壁の傾斜が強く、なおかつ、下を道路が通っているために、落石を誘発させないことを考えて、こ
れ以上の伐採は行わないことにした。

 最後に、ビレイ点はステンレス製のボルト、ハンガーにしたが、すべての支点は、完全に腐食していたために、安全を考え撤去した。
よって、プロテクションはすべてナチュラルプロテクションとなるために、他のルートとは違い、多めのギアが必要となる。

以下は、フリー化した折に使用したギア一覧である。目安としていただきたい。
キャメロット(C4)
0.3×2
0.4×1
0.5×2
0.75×2
1×1
2×2
3×2
4×2
5×1

エイリアン
青、緑

ナッツ 1セット

ロープ シングルロープ

 本ルートは、九州ではめずらしく、オールナチュラルプロテクションのマルチピッチルートなった。ピンが無いために、ルート取り
に戸惑うかもしれないが、自らのイメージに依って進めば、おのずとルートは浮かび上がってこよう。支点に導かれること無く進む爽
快さは、ナチュラルプロテクションならではのものでる。
 言わずものがなではあるが、北面に位置し、登攀中はほとんど日が差さないために、比叡ではめずらしく夏向きのルートである。
以上




追記・・・・ビレイ点もクラックがそばにあればナチュラルプロテクションを使い、ビレイ点もボルトの設置を少なくしたいところで
あるが、記録のとおり、大半の整備を一人で行い、ソロで登ったため、ビレイ点はすべてボルト設置となった。
(ヨセミテでは、簡単なルートではビレイ点はクラックがあればナチュラルプロテクションで作るようになっていたが、難しいルート
では、やはりボルト設置が多かったようだ。)


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比叡Ⅱ峰奥壁 三つ子ハング開拓 第1弾

2009年08月30日 | 開拓
8月29日(土)

これまで、手付かずだった比叡Ⅱ峰奥壁の三つ子ハングの開拓をしようとI辺さんと比叡に入った。
三つ子ハング基部までは、最近引かれた右ルートバリエーション(2ピッチ)をとることにし、取りあえず今日のところは基部までデ
ポに上がることにした。
1,2ピッチ共にリードしたが、1ピッチ目はなかなか秀逸なルート。10c位はあるだろうか?核心が2箇所ある30mのルートである。2ピッ
チは、残念ながら基部まで行くためのプロテクション無しでもいけるようなアプローチルート。
ルーフ基部に明日の開拓に備えて、ギア、工具をデポした後、狙っている三つ子ハングの1番目と、2番目の間のコーナーを覗くと、ク
ラックがジャムが良く効きそうなサイズに見え、また、コーナーから下りている壁のスタンスが使えるため、グレードはかなりひくく
なりそうで少々落胆する。



  千畳敷より撮影

    
赤の矢印が3ピッチ目の予定ルート


8月30(日)

  メンバーにK山君が加わり、今日は日が当たるまでにルーフの部分を解決しようと早めに出発する。
 アプローチは大したことはないが、暑い。昨夜のビールが噴出すような勢いだ。


  
クラックに見えるが。


 1、2ピッチをI辺さんリードの後、3ピッチ目、いよいよ開拓が始まる。私のリードで枝を払いながらルーフまで行くと、なんと!ク
ラックが無い。昨日確認した手ごろなサイズに見えていたクラックは、黒いコケが遠目にそう見せていたのである。ルーフの末端まで
は3mぐらいで短いが、何も無ければ絶望的である。コケを掃除すれば出てくるかもしれないと、鋸で基部のコケを払いながら突いて
も岩の感触しか伝わってこない。鋸をピックの付いた鍬に切り替え突いていると、何とかカムをセットできるクラックが何箇所か現れ
た。しかし、ジャムを聞かせることが出来るクラックは限られ、しかもフレアーしている。だが、ルーフから下りている右壁のホール
ドを使えば何とかなりそうである。プロテクションをとった後、試登すると、どうにかムーブはつながった。

     
ルーフ基部で掃除中の私             

     
何とか越えたが


 ルーフを越えて、15m程、右上ししたところにある松の木でピッチを切ろうと上がって行くと、クラックに詰まった草付きで、ホール
ドが乏しいため、土の中に汗まみれの指を差込み進むも、滑っていつ落ちるかきわどい状態。2m先には、直径5cm程の木の枝がこち
ら向きに張り出しており、これに飛び移ろうかとも頭をよぎったが、根元ならともかく、離れたところであれば持たないだろうと、考
えを改め、また、じりじりと進むがとうとう限界が近づいてきた。このまま落ちるよりましかと、イチかバチか片手で飛び移ると枝は
大きく上下にしなる。祈る気持ちでしなりが治まるのを待って、恐る恐る枝の根元に近づき、体を引き上げたときには、吹き出た汗と
冷や汗の入り混じった体で喘ぐことしきりであった。そして、つくづく思った。「こんなことをしていたら、いつかはジョーカーを引
くだろう。それも近いうちに。」

 夕方が近づいてきたので、松を支点に懸垂で下りようと思ったが、10m下でスズメバチが、群れをなして飛んでいる。なんてこった
!おそらく、蜂の巣の真上にいるようだ。ここから下りれば間違いなく攻撃されるだろう。後から上がってきた二人に相談のうえ、樹
林帯まで抜けることしたが、抜けるまで、ここも草付きでえらい目にあってしまった。

 結局、樹林帯を左へと回りこみ、3ピッチの懸垂の後、再びデポ地点へと2ピッチ上がって、荷物を回収して2ピッチの懸垂。ライトを
灯して下山したときには7時を過ぎていた。
久々の大仕事になってしまった。
マルチの開拓では、とりわけ先が分からない場合、なんとも刺激的なんであるが、もっと慎重を期すべきであった。身にしみて分かっ
ているところであるが、今日は、先を急ぎすぎたようだ。

追記・・・・Ⅱ峰奥壁は、比叡の中ではアプローチがあるためか、といっても30分程度であるが、あまりルートが開かれておらず、当
然入っている人も少ない。しかし、壁は立っており、マルチ、クラック、ショートに魅力的なルートを多数引ける可能性が残されてい
る。また、ボルダーも良いものが点在している。




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比叡Ⅰ峰 ムササビファミリールート 整備完了

2009年08月11日 | 開拓


写真中央の壁がBフェース。ここを登ります。


関西のパーティーが登っているところを真下、横から撮影


比叡Ⅰ峰北面のBフェースにあるムササビファミリールートの整備が終了したので遅まきながらアップします。
 北面のため、昼過ぎまで日が差さないので、夏向きのルートです。お盆に比叡に入る方はどうでしょうか。おすすめです。
ルート整備の模様は、とある会に原稿依頼されたので、ここでは、その原稿をそのまま転記します。

比叡Ⅰ峰 Bフェース ムササビファミリールート整備報告 

メンバー I辺・H井・S田

5月2日、ヨセミテの合宿をかねて、ムササビファミリールートの最終整備を行おうと比叡に入ることにした。
 整備は、一昨年の秋に始まり、今日で5回目になる。途中、私の転勤が入ったために前回の整備から実に一年ぶりとなる。
 今回は最終とあって、整備に関わったもの全員でと、Iさん、S君を誘ったが、S君には、腰痛とかコンタクトを無くしたとかの理由をつけられ、敵前逃亡を謀られた。
彼が尻込みをしたかどうかわからないが、そうであればその気持ちも分からぬでもない。比叡の北壁は、気軽に取り付けさせないえも言えぬ独特の雰囲気があるのである。Iさんが言うには「おどろおどろしい」ということであるが、言いえて妙である。日中は日が差さず、岩質は黄色みがかり、脆そうで傾斜も強い。そして、岩の角はスパッと鋭利になっているため、いやがうえにも恐怖感を高めさせる。 こうした環境が登るものに威圧感を与え、体感グレードを実際よりも高く感じさせる。しかし、逆に言えば、近場でこれほど「アルパインクライミング」を体験できるルートも珍しいのではないだろうか。
 話は1年半ほど前にさかのぼる。Ⅲ峰北壁の整備を終えた我々は、次のルートを開拓しようと考えたが、アプローチが短いところは開拓されつくしており、かといってアプローチのあるところは足腰の弱ってきた私はなるだけ敬遠したいところ。 そこで、今は昔となり、完全に消え去った感のあるルートで、しかも手ごわそうなものをと検討した
結果、「ムササビファミリールート」を対象に選んだ。

開拓は1984年 開拓者はUさんを筆頭にKさん、KW君である。
記録を見ると開拓はかなり苦労したようである。最終ピッチは行きつ戻りつ立ち往生した様子が伺える。しかも、かのKさんもKW君もセカンドで登っているにもかかわらずフリーでは登れていない。そのころはキャリアを積んでなかったにせよ、かなり手ごわそうなのが分かる。食指が動く。
 先ずは、整備の承諾とルートの状況を聞こうと開拓者に聞いてみたが、何せ遠い昔のこと、記憶があいまいになっているようである。

2007年10月28日 メンバー:I・H・S

 取り付きから仰ぐと、いたるところブッシュが生え、ピトンは完全にさびている状態で完全にルートは消え去っている。ここ20年来、取り付いた形跡がないようである。無論、ピトンは使えないが、クラックは走っている。カムとナッツがあれば何とかなるだろうと、取りあえず、私がトップで行ってみることにする。
 のっけから小ハングの乗り越しがある。ムーブはさして難しいものではないにしても、浮石が目立つために細心の注意を要する。途中にあったハーケンを摘まむと力を入れていないにもかかわらず、ポロリと落ちた。つわものどもが夢のあとといった風情である。が、撤去には楽そうである。
 15m程上がったところにある手ごろなテラスでカムとスリングでビレイ点を作りピッチを区切る。2番手、S君が上がってくるが苦労しているようである。続くIさんが掃除をしながら上がってくる。比叡で鍛えたまるで耕運機がごとき整備。
なんとも大胆である。落とした浮石が谷にこだまする度、ぞっとする。音がした後、「らーく」と言っていたような気がするが。
 2ピッチ目は、正面のフェースを右に巻いて上がり、ダブルクラック直下にビレイ点を作る。ムーブは問題ない。


3ピッチ目のダブルクラックを登攀中の私。


    このピッチが変化に富んで一番楽しい。

 3ピッチ目、ビレイ点のすぐ上から走るダブルクラックに快適にジャムを利かせて上がると、つまったところが短いチムニーとなる。荒れているため、このチムニーからどっちへ行くのかしばし迷ったが、どうやら右に乗り越えるようである。ここが第一の核心だろうか、ブッシュに覆われ、先がどうなっているか判らないが勘を頼りに被り気味のカンテを乗り越え上がる。幸い、ルートは間違っていないようだ。5m程上がるとまた短いチムニーが現れた。上部は水平クラックへつながっている。記録によるとかなり悪い箇所のようだ。
 短いチムニーは、上部が狭く背中側の岩が被ってくるため、水平トラバースへ移りにくくムーブを起こしづらい。なおかつ、水平クラックはカンテのほうへ伸びており、先がどうなっているのか判らない。クラックがカンテで消えてスローパーになっていたらどうするか?途中のクラックは、浅くてカムをかませられない。落ちた場合、振られて狭いチムニーに激突するのは明らかだ。


トラバース部分の関西パーティー


 いつまでも考えていても始まらない。北壁ならば何かある。と根拠のない確信の基、水平クラックに移りこみ、カンテへと移動して覗き込むと幸いクラックが続いている。クラックの中は、土とブッシュが詰まっているが何とかなりそうである。ここで、片手で土を掘り、カムを咬ませるとホッとする。
 このクラックを上がり込んだ所を3ピッチの終了点とし、次が上がってくるのを待つが、どうも人工登攀の練習さながらの様相で上がってくる。無理でもないか。ドリルに加え、ボルトキットを抱えてのクライミングではかなりきつかろう。
今日は、これで終了としよう。

2008年5月3日 (H、I、HI、S)
前回のメンバーにHI君を加え、再び3ピッチまで整備を行い下る。

2008年8月16日 (H、I、HI)

4ピッチ以降を整備しようと取り付いたが、3ピッチまで上がったところで雨が降りだしたためにやむなく降りることにする。
 途中から、雨は豪雨となり、ずぶ濡れになりながらの懸垂下降となる。

2007年11月(H、I、S)
4P 前回の最終ピッチ(3P)までは、整備のおかげで快適に登ることができた。初登では、ここから松本ルートに合流となっているが、ボルトダラーのうえ、ルートがすっきりしないため、我々は松本ルートのやや右側にボルトを2本設置し、ダイレクトに登るルートとした。フェースを直上した後、右上すると石板状の岩が何枚か立った場所に出た。左手の壁は茶褐色。なんとも宗教がかった場所に感じて、早くやり越したくなるが、こういう箇所に限って、ムーブが悪い。落ちたら下は石板。恐怖感も加わる。躊躇するも、思い切って大ガバにランジ気味にしがみつき、上がったところで4ピッチの終了点とする。
 5P 少し上がるとクラックが消えてプロテクションを取れない。たのみのハーケンは腐って使えない。勘を頼りに右手でホールドをつかみながら、左手に持ったナッツキーで土と草付が縦に走っているあたりを掘ると、かろうじてナッツが使えそうなシンクラックが出てきた。が、浅い上に北壁特有の頼りない岩質である。不安ではあるがいつまでも掘っていては右手がもたない。多分利く。いや利いてくれと半ば自分をだまし、半ば祈りながらナッツを設置してムーブを起こすが、そこは掘ったばかりのクラック、土と手のヌメリが相まってジャムは効かない。スローパーを第一関節で押さえつけるムーブとなる。その状態で勢いよく引き付けた頂点で左手を差し入れ、ジャムを利かせる。辛うじて止まった。冷や汗ものだ。
 最近は年のせいか、デッドで手を伸ばすのと同時に手のひらのアーチを作ってジャムを効かせるという厳しいムーブになると、一連の動作の連携に時間差が生じ、しばしば失敗をしでかす。今日のところは調子は良いようだ。

7m程登ったところで茶褐色の被ったフェースが現れる。記録に2時間あまり行きつ、戻りつした場所であろう。ルートは左にとっていたはずである。周りには終了点の形跡はないが、流れを考えてここを5ピッチの終了点とする。
 6P 薄被り気味の凹角をステミングで上がる。その後、トラバースに入るがなるほどわかりづらい。初登者が2時間あまり躊躇したというのもうなずける。スタンスが乏しい上に、ホールドが遠いのである。初登者のUさんは、当時、よくここを突っ込んだものだとつくづく感心する。慎重にトラバースを開始するも、落ちた折の軌道が気にかかり、手は先に出るものの心がそれについていっていないのが判る。一度戻り、ムーブを修正して再トライする。微妙なバランスで左へと移りこみ、遠い縦リスを取り、一安堵するが、すぐ先がカンテを回り込んでいるためにどうなっているかわからない。幸い、カンテに伸びているクラックはジャムがばっちり利く。カムを咬ませた後、覗き込むとピークが近く、傾斜は緩くなっている。
あと少しだ。 このカンテを越えた後、本来のルートは、また、松本ルートのボルトダラーへ合流しているようだが、我々はクラック沿いに直上するルートをとるようにしてピークに立った。

整備を終えて
 ここも時代の波に押されて、長い間、忘れ去られていた。こういう私自身、20数年前はショートルートに没頭し、登る機会も無いまますっかり忘れてしまっていたわけであるが、今回、3人の仲間の協力を得て20年以上もの空白を埋めることが出来た。
 整備は、すっかり消えたルートの掘り起こしであったために、大変ながらも初登の気分も味わわせてもらった。そして、初登者の緊張感と気概そして力を窺い知ることが出来た。20年以上も前に、よくもこれほどのルートを作ったものだと感心することしきりである。
初頭の記録を読むと、開拓のために何度も比叡に運んで最後はうんざりしたと書かれていたがさもあろう。ルートは、カンテを回り込んだり、トラバースしたりと変化に富んでおり、行って見なければわからない箇所が多い。これを楽しみととるか、不安ととるかは個人の力量に分かれよう。ある程度、力のあるものが今登っても遜色のないートであるのは確かである。
 近年、連休になると関西、関東の若いクライマーが比叡、矢筈、鉾と訪れ始めているようである。折りしも、ムササビルートの整備を終えた次の日に関西のパーティーが取り付いてくれた。
 開拓冥利はあっても、整備冥利というものは無いのであるが、やはりうれしいことである。
今後も、ルートが消え去らない程度に訪れる人がいることを期待したい。

関西のパーティーの記録は下記ブログで見れます。所見トライだったので、よりリアリティーがあります。
今日もお天気

 最後に、
 整備の間、終始、浮石を落とし、ブッシュを切りながら上がってきたIさんは大変な労力であったろう。そして、荷揚げに3回も付き合ってくれたS君・HI君、お疲れ様でした。

注意点
 ビレイ点は1ピッチ終了点(ナチュプロ)を除いてすべてステンレスボルトとハンガーとした。プロテクションは既設のハーケン、ボルトについては、落とせる範囲は落とし、新設したプロテクションは、4ピッチ目のフェースに打ったステンレス製のボルト3箇所のみとした。
 注意として、1ピッチ目の8m程、頭上にある巨大な浮石をチェーンを用いて吊り下げたが、くれぐれもこれをプロテクションにしたり、人工的手段に用いることの無いようにしていただきたい。また、整備は終わったが、まだ不安定な箇所も存在する。これは北壁の岩質の特質で脆い箇所が多くあり、整備に限界があるためである。十分認識して取り付いていた
だきたい。

使用ギア
キャメロットC4=1~4番×2セット、0.5×2、0.75×3
エイリアン=黄色×2、青1、緑1
ナッツ=1セット



肝心のアプローチですが、ニードル左岩稜の取り付きを通り過ぎ、ほぼ壁伝いのアプローチを上がっていきます。
ニードルを過ぎて5分ほどでアプローチルートを外れ、壁の基部へと上がります。分岐点から取り付きまで黄色い反射板(カードの半分程)をぶら下げているので、分岐点を見逃さなければ導かれるでしょう。なお、取り付きはちょっと高くなって
います。


コメント (2)
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