ヴァイオリン日記

オーストラリア・メルボルンでヴァイオリン弾きをしてます。日常生活で感じたこと、経験した事、きままに更新しています。

Giuliani

2006年09月24日 | 演奏について
今日は、メルボルンマンドリンオーケストラのコンサートで
ギタートリオとして演奏してきました。
大きくはありませんが、とても素敵な教会で
いくつもの大きいステンドグラスの絵が太陽の日ざしによって
美しく浮き立っていました。

私たちが演奏したのは、Giulianiという18世紀のイタリアの作曲家です。
そんなに技術的には難しくありませんが、
なにしろギターと音質と弦ぼ音質がアンバランスなので、
一体感をだすのが、難しいです。

それでも、多くの人に来ていただいて、
お世辞を頂戴して、とてもいい演奏になりました。
昨日のリハでは、上手くいかなかったので、
心配でしたが。。。

いつも思うのですが、リハで上手く行かないと、
本番は結構うまくいったりしませんか?
昨日のリハの後、私も慌てて練習しましたし。。。

一週間後にはリサイタルです。
さて、どうなる事やら。。。

フォーム

2006年09月18日 | 教えること
いい音、技術を向上させるためには、
姿勢や、弓の持ち方、運弓、運指は大切な要素です。
これは、先生方の方針にもよりますが、
綺麗なフォームつくるまで音をださず、
完全につくりあげてから音をださせる先生もいれば、
音をだしつつ、フォームを正していく先生もいます。
私は後者のほうですが、
子供の性格にもよる気がします。
何度言っても家での注意がなければ、改善されないので、
もし、なかなかフォームが直らないようなら、
曲を一旦中断させる場合もあります。
フォームについての説明はとても難しく、
子供にとっては退屈ですが、
それをなんとか、上手く説明し、楽しく改善していきたいものですね。


私にとってのヴァイオリン

2006年09月17日 | ひとりごと
どうしてヴァイオリンを続けるのでしょうか。

私の場合、好き嫌いというよりも、
自分からヴァイオリンをとったら
私が私ではなくなる。
自分の大切な一部を失くすような感覚です。


だから、ヴァイオリンはきっとずーっと弾いていくでしょうね。
そういったものがあって私はよかったと思います。
今までの私の決断のベースは全てヴァイオリンで、
半人生、ヴァイオリンと共に歩んでいるのですから、
価値が生まれるのは当たり前ですが。

よくこんな長い間、毎日弾いてるなーって
客観的に思います。




2006年09月11日 | ひとりごと
小さい頃から感情を音楽で表現してきたせいか、
私は基本的に自分の感情が外側に表現される方だと思います。

多分私が9歳位だったと思いますが、
レッスンで一度泣いた事があります。

日曜と水曜が私のレッスン日でしたが、
日曜に練習曲を暗譜してくるように言われて、
2日でなんとか暗譜をし、水曜のレッスン日に持っていきました。

一回目で間違いなしで弾けなければ、
合格できません。

で、間違えたんですね。私。
そして悔しくて泣いた記憶があります。

色々な感情を自由にコントロールできるように
なるのはいつになるのでしょう。。。




お辞儀

2006年09月04日 | 教えること
最近更新を怠っていて本当に情けなく思っています。
リサイタルをいくつか控えていて、
しかも論文、Teaching Pointsのまとめ、Observation Diaryのレポートなど、
やらなければならない事がヤマのようにあって目が回っています。。。

ところで、私は最初日本でヴァイオリンを習いましたが、
やはりお辞儀からはいりました。
それを留学先のプラハの恩師にも毎回レッスンで、
同じようにやっていました。

恩師はいつもほほえましく眺めていましたが、
やはりこちらではレッスンでお辞儀をする習慣はありませんね。

私が子供の頃は、そのお辞儀は先生だけのためではなく、
いつも支えてくれるご両親と、それから自分自身の気合のために
お辞儀をするんだよと教わりました。

日本風の考え方かもしれませんが、
私はこの考え方が好きです。
こっちの生徒に教える時も必ず私はお辞儀をしてもらってます。

舞台の上でも、お辞儀はパフォーマンスの一つですからね。
その練習にもなります。