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父の思い出

2008-09-30 22:46:21 | 日記
昨日休みで実家へ行き、久し振りにのんびり買い物を
したり、食事をごちそうになった。

父のことでの手続きで書類を持っていったのだけど
平日休みでひとりぼっちだと今はまだ辛くて。

妹や母に会って父の話をしていると涙はでるけれど
一人でないって部分で救われるきがします。

世の中、本当に助けになるのは親族で、家族だと
思ってるし甘えられるのもそう。

母と思い出を語ってたらやはり残念で涙が出るし
最後の父の姿を思い出し。母もぐっときてしまう。

突然失うのと、病気のどちらがいいですか?って
質問は究極だけど。

癌で亡くなる人は壮絶なだけに、ゆっくりだけど明日をも
知れない、わからないスピードで、本人が日々悪くなり希望を
失い、こちらがみているのもつらくなる状態で。

病院へ通っていると、家族も弱ってくる。

いったいどうなるのか未来がみえない日々。
病気はどんどんむしばんでいくだけで、やせ細る本人を
前に泣いてはいけないといつもきつい思いをする。

話たいことを話す時間はあるけれど、言葉を選ばないと
気を遣わせるはめになる。

本当に言いたかったことを父には言えてない気がする。

こんな私をずっとやさしく一度も手もあげないで育てて
くれてありがとう。

なぜここまでかわいがってくれるのか、許してくれてるのか
いまだにわからない。

愛してる母の生んだ私だからこそ父は愛情をもってくれていたと
昨日は実感した。

愛されてる母は、苦労もしたけれど、彼女なりにずっとこれから
一緒にいたかったと訴えていたし。

どんなに想いをよせても父は戻ってこないけど。

泣いてもいいし、悲しみにくれてもいい。
それくらい、父は大きい存在で、なくてはならない人だったのだから。

父を思い泣いて、父をしたって。
残りの人生。ずっとずっと父を思い続けて生きていくのもいい。

私をつくってくれてありがとう。

本当にありがとう。
聞こえているならば。
夢でもいいのでまた私の側にきて。

香。またこいなって。そう言って下さい。

心にいつも残るやさしい父の姿と私に会いたいと言ってくれる言葉。

最後に私はとっても親不孝で会いたがってくれていた
父にあわずに。

それでお別れしてしまったことを許して下さい。

本当にごめんね。
最後まで甘えてました。

私が天国へ行くとき。
まっててね。順番で。だっこしてもらうから。
母。私。妹って。

天国で。おいしいごはん。たくさん食べてね。
また私がそっちへ行ったら好きなもの買っていくからね。

聞こえてくれてたらいいなぁ。
お父ちゃん。大好きだよ。


父の命日

2008-09-17 10:54:22 | 日記
父の法要がおわった。

仏壇も入り、すっかり様変わりした実家でお坊さんが
きて。

お経が始まり。
その時点ですでに涙がぽろぽろ。

全然だめだ。父の最期の細くやせほそった姿。
火葬場での風景。

辛い中、もうそう長くないからなるべく会いにきてくれなと
言ったこと。

私もここ一か月、ずっといろいろ精神的にも不安定
だった。

どうして人はこういう辛いお別れを経験しないといけないのかって
悲しくなっていた。

父のがんがわかってから結局ずっとぼろぼろではあった心が
亡くなってもなお、痛みを失わない。

依存していた人だけに。
ほっとけないと、自転車で毎日ぼろアパートへ通って
ただただそばにいて励ましてくれた父。

仕事の面接にもついてきて待っていた父。

今の私はその時の父のやさしさで生きている。

努力して何かをするとほめられる、何のためかって
やっぱり両親に、認めてほめてもらいたかったのかも。

今少しずつ現実をうけとめるけれど。
大好きな父がいなくなった現実は時々おしよせて
つらくもなる。

お経を一緒に唱えながら。お線香をあげながら、父に
声がきこえていたらいいなと。

いつか私がそばにいくとき、あの時のように
ゆっくりそばで見守っていてくれてると

信じてる。

お父ちゃん。天国でめっちゃ幸せにしててね。
愛してます。



父の法要

2008-09-10 14:24:45 | 日記
9月15日は父の法要。

一ヶ月目にあたる日だ。

お経をあげ、仏壇も入る。

きっとまたぐっときてしまうだろうな。

でもそれが一番父へ届くみんなからの気持ちなのかも
しれない。

49日は10月頭に。

どうしても、いなくなった現実は今の私にしっくりこない
けれど。

思い出すと涙はでてしまうので。

非情だとは思うけど、日々は忘れていたい。

父が天国で元気でいますように。

今私も頑張っているので。



父との思い出

2008-09-03 18:10:24 | 日記
悲しいので父との思い出を書くことにします。

父は小さい頃から船にのっていて半年に一回しか帰ってこない人
でした。

帰れない時は船舶電話という通話料の高い電話を数十分
時々かけてくれました。

いつも母とを最後にしてたような気がします。

本当は誰より母と話したかった。

一緒にいたかった。

私が短大にいかず、高校も私立にいかず。
地元で行き、結婚して今も幸せに主婦とかしていたら。

父は孫二人に囲まれ。もしかしたら名古屋へくることもなく
苦労することもなく、幸せに今も母と老後をすごしていたのでは
ないでしょうか。

天国にいる父に、あやまりきれない。

私を作らなければ苦労することもなく母と二人仲良く
やれたのではないですか?

今天国で幸せですか?

私はできるならもう生まれ変わりたくないです。

死んだら静かに。生まれ変わることのない魂として
この世には戻りたくないです。

父は優しくて。

でもその優しさにかえしてあげれるものはひとつもない
まま旅立たれてしまいました。

今も思い返せば、生きててこんなひどい目にあうのかって
自分でも気落ちしていた私を。

何もいわず支えてくれてた父。

あなたがあの時そばにいて見守ってくれていたから
今の私がある。

どうしてつれていってもらえないのかって葬儀の間中
私は泣いていた。

母も泣きたかっただろうに。

いいのだ、しっかりした娘でいる必要なんてもうない。

父はいないのだから。

この世に生きている限り誰かに愛されたいし
必要とされていたいけど

それを他人に求めるのはきついと最近自覚している。

心おきなく甘えられた父にまた会いたい。

会いたい人はもうこの世にいない。

無情だなって。本当にそう思う。

このブログには心を書いていい、そう思う。
だめでもいいじゃない。

そんなしっかりした人なんていないよって。

私は何一つしっかりできない人だった。
泣いてばかりで、初めての学芸会は泥棒さんの役しかできない
みじめな写真しか残ってない。

素材がだめな私をかわいがり、勉強を教えてくれた母に感謝
している。

でも本当にだめなわけだからかなりな努力が今の私を
作っているから。

些細なことができずに今も悩むことはたくさん。

お父さんに会いたい。

迷子になったり、不安で仕方なかったり、未だに人が簡単に
できることができなくて悩んだりする。

だまってよしよしって。何も言わなくても
バイバイまたねって手をふってほしい。

人前でもう大丈夫ってしっかりしているふりがずいぶんできる
ようになった。

でも。大切な人がいなくなった悲しみは時々私を
おそってくる。

休みは嫌いだ。考える時間があるから。
夜も嫌いで。ひとりの部屋でいるとたまにせつなさから
何も考えられなくなる。

お父さん、せめて今はすごく幸せだと、夢でもいいから
でてきて私に話をして下さい。