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黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

アラビアのロレンス

2025-01-01 17:07:23 | 歴史

映画「アラビアのロレンス」の録画を見た。半世紀以上前に公開されたこの作品をこれまで見なかったのは中東への興味が薄かったからであり、今回見たのは中東への興味がいやましに増しているからである。まず興味を持ったのはユダヤ人の歴史であった。日頃歌っている宗教曲のほとんどの舞台は(古代の)イスラエルであるし、ヴェルディのオペラ「ナブッコ」の舞台も新バビロニアに征服されるイスラエルであるから興味を持つのも当然である(などと言うのなら、もっと早くお勉強すべきだったのに、なぜ半世紀も放っておいたのか、我ながら理解に苦しむところである)。で、まず「ユダヤ人の歴史」という本を読んだのだが(キンドルはポチればすぐ読める)、すると地勢的に当然中東全般の話が出てくる。しこうして、私の興味も中東全般に広がったわけである。

この地域は、歴史上いろんな国家に支配されてきた。近代において第一次大戦までこの地を支配したのはトルコである。このトルコに対してアラブ人が自由を求めて叛乱を試みた。ロレンスは、イギリス軍によってこの地に送り込まれたイギリス軍人であり(イギリスは大戦でトルコと敵対していたから、反トルコでアラブと利害が共通していた)、アラブ人を指導し、自らアラブ人と一緒になってトルコと戦った人物である。映画「アラビアのロレンス」は、ロレンスがアラブ社会に入り込み、その信頼を得ていく過程を描いている。歴史書で読んだ内容が映像で表現されることで、そうか、こんな感じだったのかー、とガッテンする箇所が目白押しである。

例えば、
そうか、アラブ人はこんな風にいくつかの部族に分かれていただなー、とガッテンしたし、
部族は、それぞれ砂漠の井戸の縄張りを持ってたんだなー、逆にその縄張りが部族を分けてたんだなー、とガッテンしたし、
砂漠はなにもアフリカの専売特許ではなく、アラビア半島の砂漠もなかなかのモノなんだなー、とガッテンしたし(日本にだって砂漠がある。鳥取砂丘である(規模はともかくとして))、
そうした砂漠の移動手段はラクダなんだなー、とガッテンしたし、
そのラクダはああ見えてかなりの俊足なんだなー、とガッテンしたし(そのことは、実は、以前、いろんな動物にレースをさせた明石家さんまの番組を見て知ってはいた。そのときもなかなかの俊足ぶりだったが、突然、ばたっと前足をたたんで座りこんでしまったのが可笑しかった。戦場であのようにばたっと止まられては困ると思うが、映画の中でそのようなシーンはなかった。因みに、その番組で圧倒的に速かったのはポニーである)、
砂漠をラクダで移動するのもやはり夜がいいんだなー、「月の沙漠」って歌があったもんなー、とガッテンしたし、
ラクダだけでなく馬もいて、そう言えば、今は競走馬はサラブレッドばかりだが、以前はアラブ馬もいたなー、とガッテンしたし、
部族を率いるリーダーとして歴史上の人物であるファイサルが登場して、そうか、こういういきさつを経てファイサルはイラクの王になり、その兄弟はヨルダンの王になるんだなー、とガッテンした。

ところで、私は、以前ロレンスのことを書いたマンガを読んだことがあり、作中にゲイが登場した記憶があるのだが、それがロレンスだったか別の人だったか判然としない。映画を見ればそのあたりのことが分かるかと期待したのだが、トルコ人に捕まった際にロレンスがムチで打たれる様をトルコ人将校が好色そうな目で盗み見するシーンがあったきりであった。

そこで「ロレンス ゲイ」でググってみたら「1980年代に高校生だった女子は皆、当時の少女マンガによってロレンスがゲイだと思っている」という投稿があった。おお!私が読んだマンガのことに違いない。かくなるうえは、是非ともそのマンガを入手して、うっすらとした私の記憶を鮮明な事実によって上書きしたいと思った。これが、新年の抱負第1号である。

因みに、砂漠にはところどころ岩場があり、その岩には地層が浮かんでいた。そう言えば、私が通ってた中学に転任してきた先生が地層の専門家で、その中学に転任してきた理由は、近くに地層がくっくり見える場所があってそれを見るためだと言っていた。きっと、あの先生がこの映画を観たら、歴史的なことよりも地層ばかりに目がいくんだろうなー、と思った。

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K溜めの痕跡

2024-12-19 08:09:51 | 歴史

以前、当ブログの川シリーズのVol.8で花畑運河を特集した際、花畑運河は中川と隅田川のショートカットで、これを開削したおかげで江戸と北関東間の水運が大変栄えたという話をした。で、何を運んだかというと、北関東からは農作物であり、江戸からは下肥ということであった(見事なリサイクルに感嘆したのであった)。

ただ、腑に落ちないことがある。昔は、どこでもかしこでも下肥が当たり前で、私が小学生の頃、修学旅行で箱根に行ったときも道中「田舎の香水」がよく香ったものである。だが、臭うということは、危険物であることのシグナルである。肥料にするありがたい物がなぜ臭うのだろうか。

このことに関して、最近、「なるほど」とガッテンした話がある。たしかに「下肥」は「未処理」だと寄生虫がいて有害である。だから、神様は臭いをつけて人が近寄らないようにしたのであろう(進化論的に言えば、平気で近寄る人が淘汰され、近寄らない人が残ったのである)。そのような有害物質であっても発酵させることによって無害にすることができる。すなわち、発酵時の高温によって寄生虫が死滅するのである。その発酵タンクがK溜めだったというわけである(「K溜め」=「下肥」と「溜池」を足して語幹を抽出したもの)。

そのような有り難いK溜めもちっとも見なくなった。最後に見たのは、まだ実家にいた頃。丘の上の住宅地が切れた先に一個だけぽつねんとあったヤツである。当時の空中写真を見るとその辺りは思いのほか農地が広がっていた。そうか、この農地をぽつねん一個でまかなっていたのか、と拝みたい気分になった。現在の空中写真を見ると、その辺りにも宅地化の波が押し寄せてきている。当然ながら想い出のK溜めらしきものは写ってない。ブラタモリではよく川や池の痕跡を辿っている。果たして現地をつぶさに調査すればK溜めの痕跡を見つけることができるだろうか。住宅開発者にとっては「不都合な真実」であろう。なお、空中写真から私が密かにこの辺り?と睨んだところは駐車場になっている。家を建ててないのはやはり開発者にもやましい気持ちがあったのだろうか。

そのブラタモリは、来年の春からレギュラー放送が復活するそうである。めでたいニュースである。

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シリア

2024-12-12 18:17:16 | 歴史

「ユダヤ人の歴史」を読んで中東に興味を持ったところにシリアの政変のニュース。独裁者と言われたアサド大統領がロシアに亡命したとのこと。ヨーロッパのニュースは連日これを報道している。これまでシリアからの難民がヨーロッパに押し寄せていたのが、これからは逆の流れ(帰国)になるかもしれないのだから感心が高いのは当然である。独裁者が去ってよかったね、という簡単な話ではないようである。

ところで、なぜ、中東の地中海に面した辺りに、シリア、レバノン、ヨルダン、イスラエルという小さな四つの国があるのか?イスラエルについては、ユダヤ人が古代に自分たちの国があった場所に戻って自国を再建した(シオニズム)と理解しているが、他の三国については、多数を占める民族はアラブ人であり、公用語はアラビア語であり、宗教は、レバノンこそはキリスト教徒が半数近くいるが最大宗教はそろってイスラム教である。なぜ分かれているのかがよく分からなかった。だが、「ユダヤ人の歴史」を読んだりして、すこーし分かった気がする。以下は、その理解したところの備忘録である。

「シリア」と言った場合、現在のシリア国を意味するほか、「シリア地方」「大シリア」といった広い地域を指すことがあり、それがあの辺り一帯を包含する地域なのである。そのシリア地方は、歴史上、いろいろの国が取って代わって支配してきたが(ペルシャ、アレクサンダー大王、東ローマ帝国、サラセン帝国等)、近代においてはオスマン・トルコの支配下だった。そのオスマン・トルコが第一次世界大戦で敗戦した後、この地方の北側(現在のシリア、レバノン)はフランスの、南側(現在のヨルダン、イスラエル)はイギリスの委任統治領となった。これにより、南北で分かれる下地ができてしまったようだ。そして、第二次世界大戦終結後、フランスが統治していた地域のうちキリスト教徒の多いレバノンが他の地域から分かれて独立し、残りの地域がシリアとして独立した。ところで、イギリスは、遡ること第一次大戦中、ユダヤ人とアラブ人双方の助けが欲しいものだから、どちらに対しても「自分たちの国をつくっていいよ」とおいしい約束をしていた。言われた方は、その地域の全部をもらえるものだと思う。イギリスはにっちもさっちもいかなくなって第二次世界大戦後に解決を国連に預け、国連はその地域の分割案を採択、イギリスの統治が終了し、イスラエルが建国を宣言、もともとヨルダンは第一次大戦後にイギリス統治下ではあるが地域の東側で建国を果たしていた(独立したのは第二次世界大戦後)。とこういうことなのだ。

この間、アラブ全体を統合しようという動きもあったようだが、実現に至らなかったという。

なるほど、フランスは自分があの辺りを統治していたから毎日ニュースでシリアの政変を報じているのだな。ドイツで関心が高いのは、シリアからの難民をたくさん抱えているからなのだろう。

因みに、「民族」というのもややこしい概念である。これを分ける基準が、人種、言語、宗教といろいろあるからだ。人種が別でも同じ宗教を信じていれば同一民族なのか?同じ言語を話せば同一民族なのか?という話である。

そう言えば、ゴーンさんが逃亡した先はレバノンだったっけ。レバノンの首都ベイルートは、「中東のパリ」言われた街だそうだ。レバノンに限らず、この地域の発展には目を見張るものがあったが、内戦等々で失速してるそうだ。映画「ベン・ハー」にはいろんな民族が普通に行き交いするシーンがあった。争いがなくなって、どの国も経済に打ち込んで発展すればいいのに、と真から願う東洋の一市民である。

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報復の連鎖

2024-12-02 21:46:36 | 歴史

「ユダヤ人の歴史」を読了。ユダヤ人の歴史はイコール苦難の歴史。具体的に言うと、迫害、追放、流浪の歴史である。

ユダヤ人は、祖国を失って世界中に散らばったわけだが、行った先々で迫害に遭った。なぜか。散り散りになったユダヤ人の民族としてのアイデンティティはユダヤ教であったから、その儀式等を伝統に則って行ったわけだが、それが周りの人間から見ると奇異に映る。だから警戒する。自分たちと異なるモノを排除しようとするのは島国根性の日本のお家芸かと思っていたが、世界共通=人類共通の性(さが)らしい。

そうした警戒が土壌となり、きっかけによって爆発する。そのきっかけの多くは、キリスト教徒が被害者となる殺害事件である。ユダヤ人には過越祭という慣習があり、それは、災難を防ぐために家の扉に羊の血を塗るというものであったが、キリスト教徒は、ユダヤ人が過越の血をキリスト教徒の血で贖った、となんくせをつけたわけである。

人のことは言えない。日本人だって、天変地異があるたびに、それを外国人のせいにし、例えば、外国人が井戸に毒を入れたなどというデマを流して、外国人を迫害した。そういうところも、世界共通=人類共通の性(さが)なのだろうか。

だが、そもそもキリスト教は、ユダヤ教の一宗派だったはずである。それがなぜ一方が世界的宗教になり他方が一民族の宗教にとどまったかというと、それは、キリスト教の内容によるらしい。すなわち、ユダヤ教は、前記の通り厳格な儀式を執り行う宗教なのだが、キリスト教は、もっぱら内心で神様を信じればよい、厳格な儀式は不要と説く。すなわち、ハードルが低いのである。だから多くの信者を獲得できたのだという。また、キリスト教徒から見るとユダヤ人はイエスを殺した輩である。それがユダヤ人に対する敵視につながる面もあるという。

そうしたユダヤ人に対して、レベル違いの迫害を加えたのが……というかその種族のこの世からの抹殺という次元の異なる蛮行を行ったのがヒットラー率いるナチスである。日本は、多くの文明をドイツから輸入したし、ドイツ人は日本人同様に勤勉だと聞いているからドイツ人を偉いと思ってるフシがある。だが、アーリア人が人種的に優れていてユダヤ人は劣っているなどというヒットラーの世迷い言を無闇に信じたドイツ人の思考ってどうなの?と思う。変な情報にいっときの熱情でもって流されてしまう非合理な民族のようにすら思う。実際、ドイツ人は、フランス人やイタリア人といったラテン人を「合理的」だと羨んでいるフシがある。そんなドイツ人を羨む日本人もまたなんだかなーな民族の気がする。

そんなドイツ人が、ユダヤ人と似たような目に遭ったことは知らなかった(迫害の規模からすればユダヤ人が被ったそれに及ぶわけがないが)。すなわち、第二次大戦終了直後、東ヨーロッパに住んでいたドイツ人が迫害され、追放され、ドイツに送り返されたというのである。報復の連鎖である。これも世界共通=人類共通の性(さが)なのだろうか。しかも、そうやってドイツに戻ったドイツ人は、西ドイツでは「ドイツは加害者」の空気の中で被害を口にすることは憚れたし、東ドイツでは同じ共産圏である東ヨーロッパの国々と仲良くするために口を封じられたという。

「ユダヤ人の歴史」の冒頭にはイスラエル王国があった。そして末尾である現在はイスラエル国があり、著者であるユダヤ人氏によると、ユダヤ人は現在自分達の国があって幸せだという。世界中に優秀な人材を輩出しているという。優秀なユダヤ人音楽家は枚挙にいとまがない。だが、中東の紛争は一向におさまらないどころか過激化している。報復の連鎖になんとか楔をうち、紛争を続けていてもろくなことはないとの合理性でもって事態を収めてくれることを願うワタクシである。

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色の白いは七難隠さず/アナトリアは半島か?/トルコ人はアジア人?

2024-11-11 08:54:01 | 歴史

前回、色の白いルチア・ポップがすっぴんでいるとのっぺらぼうみたいだ、と誰かが書いた、と書いた。言っておくが、ルチア・ポップはオペラ歌手の中でも可愛さランキングでは3本の指に入る美形である(私見)。そんなルチア・ポップをつかまえて「のっぺらぼう」に擬した表現が印象的だったのである。

日本人は「色の白いは七難隠す」とか言うが、白いは白いで大変そうである。世界中の人間はそのルーツをたどるとアフリカの一人の女性にたどり着くと言う。そこまで遡らなくとも、例えばインドヨーロッパ語族は黒海とカスピ海の辺りがルーツで、そこからあちらこちらに散らばって行ったのである。そうして、行った先の気候に合うように皮膚の色を変えていったのである(気候に合った皮膚を持った人が生き残ったのである)。だから、淡い陽の光の中では美しく映える北欧の人が日本の夏の猛暑の中で皮膚を真っ赤に染めて苦しがってる様などを見ると大変だなー、と思う。かようなことであるから、別に色の白い人を見て羨む必要はない。大谷選手ではないが「憧れるのをやめましょう」である。中南米かどこかの国の民話では、太古の昔、神様は人間を炉で焼いて作ったのだが、焼き損なったのが白人で、ちょうどよく焼けたのがその国の人、とされている。それはそれで白人差別で今日ではいかがなものか?という気もするが、むやみに白人を憧れない態度は立派である。

インド人(北部)のルーツがヨーロッパ人と同じという事実は、当初、アジア人をバカにしていたヨーロッパ人にはショックだったそうである。私は、地理的にうーんと離れたインドとヨーロッパになぜ同系列の人間がいるのかが不思議だったが、黒海やカスピ海辺りがルーツと聞いてガテンがいった。なるほど、そこから南下すればインドだし、西進すればヨーロッパである。

黒海と言えば、その南岸にあるのがトルコだが、トルコについて二つのことが気になっている。

一つはトルコ国が在る地について。アナトリア半島と言うのだが、英語圏では「半島」を付けないそうだ。黒海を「海」と考えると、アナトリアは三方を海に囲まれていて「半島」ぽいが、黒海を内陸の内海(びわ湖をでかくしたもの(でかくなりすぎだが))と考えると、海に面しているのは西と南西だけで半島とは言えなくなる。

もう一つはそこに住んでる人々について。トルコ人は世界史で習った突厥(中国の北方民族でたびたび中国を脅かした)の末裔だと聞いたことがある(ような気がする)。中国の北ならアジア人である。だが、あまりそのようには見えない。調べてみると、テュルク人(突厥もトルコも「テュルク」が訛った言葉で同義)はユーラシア大陸の北東から南西にいたって幅広く分泌しており、北東と南西では遺伝子情報がかなり異なり、北東ではアジア因子が強いが南西ではヨーロッパ因子が強いそうである。だから、トルコ人をつかまえて、あんたはバタくさい顔をしとるけどホントは俺たちと同じなんやで、とか言って無理やり同族にしてはいけないのである(仲良くするのは良きことである)。

因みに、私は、最近アフリカ系の人がきれいに見えて仕方がない。ドイツのニュース番組のキャスターの中で私が一推しなのはヤナ・パライゲスさん。お父様がアフリカ系とのことで、その美しさには息を呑む。

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