
私が以前勤めていたエステティックサロンの社長は十人中九人がきれいと言う、叶恭子貼りの美人です。自分がきれいなことが嬉しくて嬉しくてしょうがないみたいで写真を撮られるのも当然好き。まあ、あれくらいきれいなら…と周りは納得してしまう。
ところが、私の今の上司も女性だが、こちらはお世辞にきれいというのも申し訳ない、仮にきれいと言ってしまうと嫌味もしくはギャグになってしまう。にも拘らず写真を撮られるのが大好きときている。 私自身は写真を撮られるのはどうも苦手なので不思議でしょうがない。自分に自信がないというより、自分の姿は自分で見えないから、ついつい自分はイケてるつもりになってしまい、いざ写真に写った自分を見てぞっとしてしまう。
会社のHPは勿論我がオーナーの顔写真が堂々と写っていて、求人広告や毎年の年賀状に我々スタッフ全員の写真がのる。ブログやHPに自分の写真を載せてる人を時々見掛ける。別に悪いことではないんだけど… これは私個人の感覚なんだけど、顔写真を載せるというのは何か安っぽい、俗っぽい気がしてしまう。
真っ先に思い出すのはレコードジャケット。昔のアイドル歌手は満面の笑顔のドアップをジャケットにしてた。それに比べるとシンガーソングライターや、ちょっと粋なミュージシャンは人物写真でも遠目だったり、イラストやイメージ写真を使っている。そういうほうが洒落てると私としては思う。
ところが、私の今の上司も女性だが、こちらはお世辞にきれいというのも申し訳ない、仮にきれいと言ってしまうと嫌味もしくはギャグになってしまう。にも拘らず写真を撮られるのが大好きときている。 私自身は写真を撮られるのはどうも苦手なので不思議でしょうがない。自分に自信がないというより、自分の姿は自分で見えないから、ついつい自分はイケてるつもりになってしまい、いざ写真に写った自分を見てぞっとしてしまう。
会社のHPは勿論我がオーナーの顔写真が堂々と写っていて、求人広告や毎年の年賀状に我々スタッフ全員の写真がのる。ブログやHPに自分の写真を載せてる人を時々見掛ける。別に悪いことではないんだけど… これは私個人の感覚なんだけど、顔写真を載せるというのは何か安っぽい、俗っぽい気がしてしまう。
真っ先に思い出すのはレコードジャケット。昔のアイドル歌手は満面の笑顔のドアップをジャケットにしてた。それに比べるとシンガーソングライターや、ちょっと粋なミュージシャンは人物写真でも遠目だったり、イラストやイメージ写真を使っている。そういうほうが洒落てると私としては思う。
鏡を頻回に見る人は、自分の写真も好きなんでしょうか。しかし、鏡にうつった自分は左右逆転しているのに、写真にうつった自分は現実そのままです。写真の自分が鏡の自分とも違うことが、写真の自分になかなか慣れない理由なのではないかと思っています。
顔写真といえば、小説家の顔写真。載っている本は少なくないですが、売り上げにどれだけ影響があるか不思議です。
こういうWEBの世界だと、顔をつき合わせているよりも、抱くイメージなどが文章とともに出てくるようで、そのほうが好きです。
WEB上で実年齢、住んでいる場所などと同じく、顔を出さないことでも、自由な雰囲気が出るような気がします。写真を出している方は自分が誰か特定されたいという気持ちもあるのかな、と思ったりします。
作家の顔、日本ではあまり販売促進に繋がらないと思います。嘗て村上春樹の写真見てがっかりした経験がある私としては・・・アメリカだとダニエル・スティールが超ベスト・セラーらしいので意味があるのかもしれません。私としては「私きれいでしょう」と言わんばかりに写っている彼女の本の裏表紙の写真を見ると、むしろ読む気が失せますが。
そういえば新潮文庫の文豪グッズ、まだあるのでしょうか?あれって欲しがる人いるんですかね。Yondaのストラップなら応募したことあるけど・・・造幣局発行の夏目漱石ならいくらでもほしいけど、単なる漱石の顔写真は別にほしくない。
私も全く同感です。自分の写真(遠目であっても)広報みたいなものに載せられると恥ずかしいし、自分が情けなくなる。
おっしゃるとおりWEB上の付き合いって顔が見えなくて普段どんなことをやっているかもわからないから、ある意味気楽だし、顔や肩書きが見えない分その人の深いところを垣間見ている気がします。これって醍醐味ですよね。顔や素性がしれちゃうと会社や近所の付き合いと変わりなくなってしまってつまらないと思います。