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観たい映画だけしか観てません。今忙しいんでいろいろ放置

『籠の中の乙女』 (2009) / ギリシャ

2012-08-18 | 洋画(か行)


原題: DOGTOOTH
監督: ヨルゴス・ランティモス
出演: クリストス・ステルギオグル 、ミシェル・ヴァレイ 、アンゲリキ・パプーリァ
観賞劇場: シアターイメージフォーラム

公式サイトはこちら。


第62回カンヌ国際映画祭“ある視点”部門でグランプリを受賞し、アカデミー賞では外国語映画賞部門にノミネートされた本作。
これ予告編の妙な雰囲気が気になって仕方なく、公開日に行ってしまいました。
先着のワインプレゼントには間に合いませんでしたが・・・


ギリシャの郊外にある裕福な家庭。一見普通に見えるこの家には、他人の知らない秘密があった。父(クリストス・ステルギオグル)と母(ミシェル・ヴァレイ)が、長女(アンゲリキ・パプーリァ)、次女(マリア・ツォニ)、長男(クリストス・パサリス)の3人の子どもたちを、外の世界の汚らわしい影響から守るためにと、ずっと家の中だけで育ててきたのだ。邸宅の四方に高い生垣をめぐらせ、子どもに“外の世界は恐ろしいところ”と信じ込ませるために作られた厳格で奇妙なルールの数々。学校にも通わせないその様子は外の世界からすれば異常なことだったが、純粋培養された従順な子どもたちはすくすくと成長し、幸せで平穏な日々が続いていくように見えた。しかし、成長につれて好奇心を芽生えさせた子どもたちは、恐怖を覚えつつも、次第に外の世界に惹かれてゆく……。(goo映画より)


冒頭のセリフからもう、この家族の異常さが滲み出る入り方に釘付け。明らかに普通じゃない背景を、押しつけがましくなく感じさせる導入部分はかえって不気味で秀逸。
何故彼らがこういう生活をしているのか、その説明が大してないところもまた観ている側の空想を掻き立てている。恐らくだがこの生活の元凶は父親の「外の世界には汚れたものがある、だから子どもたちには触れさせない」という妄想(その割には自分は普通に働いているし外の社会の良さを享受しているけど)。 外界と家をつなぐ手段はこの父親のみ、欲しいものがある時は母親は買ってきてもらう。 子どもたちは外の世界を一切知らないので頼み事はしない(しても理由つけて却下される)。


成人をとうに過ぎた子どもたちが、でかい図体で3人もウロウロと家の中にいて、生きる目的が特にある訳でもなく、極めて幼稚な理由で比べたり争ったりしているのを客観的に見ていると、どうにもそれだけで恐ろしいものがある。彼らは外の世界から遠ざけられているが、それは生後間もなくからずっとのことなのだろう。学校にも行かず、一切の情報に触れさせないで子育てをすることがギリシャでは可能なのか?日本では義務教育9年間があるのでまずそれは不可能だと思うけど。
「長男」「長女」「次女」などの名詞は、お互いを名前で呼ぶこともなく、家族としての連帯感や労わり、思いやりといった感情もない。 そもそもお互いを1人の人間として認識していない。
彼らを見ていて「狼少女」を思い出した。幼児期に狼に育てられた少女が人間に引き取られたが、基本的な人間としての情動や生活習慣は身に着くことはなかったそうである。
人は人に愛されて初めて人間性を培うことができる。しかし両親の強力な思想の前に、お互いを慈しむことを教わって来なかった子どもたちは、些細な不公平に対しても激烈に争いを繰り返す。もう家庭を持ってもおかしくもないくらいの成熟した、一見前途あるように見える若い男女が、おもちゃを前に下らない駆け引きを真剣にしている有り様は一種の狂気にも近く見える。


両親は、彼らを支配したいときに、子どもたちをお互い仮想敵として競わせたり攻撃させたり、あるいはでっち上げた論理で丸めこむ。思春期もとうに過ぎた子に、外界に何の関心も持たないようにさせるだけでもさぞ大変な努力が必要だっただろうなと妙に感心したりもするのだが。
両親はこの異常事態については何も感じるところもないようだ。 父親が絶対的な権力を持つ家庭では、母親も時に疑問を感じながらも父親の言いなりになるしかないのだけど、果たしてこんな夫婦いるのだろうか。 見た感じ母親も普通に外の世界を知っているようなので、この世界から脱出しようと思ったらいくらでもできたはずだと思うが、そこは父親にコントロールされてしまっていたようだ。この父親は家族に精神的DV働いてるんじゃないだろうかと勝手に想像してみる。例え暴言ではなくても相手をを自由な概念じゃないところに縛り付けるのは恐らくそうだろう。
この母親が全く父親に異を唱えないところにこの家族の悲劇がある。父親の言うことに心酔していたのだろうが、時にはこうして母性が働かない母親もいる。こんな母に当たってしまったら子は本当に気の毒ですが。


完璧に統制されたこの家に、外部から現れた1人の女性が、彼らの運命を狂わせていく。
「思いやり」という名で固められた、エゴに満ちた世界。もともと女性は金で動き、そして受け入れる側も小さい頃からお互いを人間として見ていないのだからそこに情愛などある訳はない。そして女性も女性で兄弟たちの無知を利用して自分のエゴを得ているに過ぎない。要するに全員エゴの塊なのだ。
この家族がこうして成り立ってしまっている理由として、父親が支配し母親が異を唱えないことと書いたが、もう1つ大きな要因がある。それは家がだだっ広いこと。広大な敷地の中にはプールまである。これは全く外界に出ずとも、敷地内に自然が適度にある環境なので運動はできる訳だし、そこで世界を完結してしまうことも可能にしている。
たまに見ることを許されるTVですら両親のプロパガンダに使われている兄妹にとっては、時折空に浮かぶ飛行機だけが唯一自然に敷地内から見える外の世界。それすらも両親の操縦によって嘘に導かれる。


統制された世界から抜け出したいがそれを伝える術さえ知らない。だとしたら考えられることは自分で自分を破壊するしかない。奇妙なダンスも何もかもが普通と信じ込まされている故の不幸ですね。
あのラストシーンの後は一体どうなって行くんだろう・・・ と思うんですが、もう一歩アナーキーになり切ったらもっと面白かったのかもしれません。けど何の情報もなく生きてきた彼らにとっては、あれが精一杯の抵抗だったのでしょう。
"Fly Me To The Moon" を、両親が築いてきた世界への讃歌として選んだのはとんでもない皮肉、どっかに飛んでしまいたいのはこっちなのに。月でも星でも、好きなものを好きなだけ見てみたい。人間ならそう思って当然なのに。情愛のこもったキスも、手を取り合うことも決してない家から見上げる、切り取られた空。
両親亡き後の、この子どもたちのことを考えると、固執していることが実に意味のないことに思える。結局両親の情報遮断は子どもの未来にとって何のメリットもないからだ。
こんな家族いるのだろうか。 でももしかしたらいるのかもしれないですね。 気持ち悪さも見慣れてくると普通に見えてくるのは、洗脳されちゃう証拠かも。 人のエゴが生み出す究極のパターンを見せてもらったような気がしました。


★★★★☆ 4.5/5点






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2 Comments

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Unknown (margot2005)
2012-09-28 22:49:58
こんばんは!
TBありがとう!
ホントに変なドラマでした。又一つ二度と観たくない映画ができました。

さてカンヌで評判になったそうですが、シリアスに演じる彼らの姿が可笑しくて、可笑しくて...でも笑える映画ではないので、こらえるのに必死で困りましたわ。
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margot2005さん (rose_chocolat)
2012-10-10 20:51:08
お返事遅くなってすみません!

>又一つ二度と観たくない映画ができました。
わかります。
悪くはないし、というか良くできているけど、後味悪い・・・

私もこれ結構面白かったんですよね。
真面目にそんなことしちゃってるーって。笑いました。
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