
神奈川県第2宗務所に、宮城県の東松島市宮戸地区(奥松島・宮戸島)からの炊き出し要請が入ったのは5月18日。
ボランティアに行きませんかと宗務所から声をかけていただき、私で役に立つなら、と24,25日の二日間炊きだしに出かけてきました。
奥松島・宮戸島の被害状況はかなりひどく、里浜、月浜、大浜、室浜と4つある浜の内、里浜を除く3つの浜はほとんど壊滅状態です。
しかも、宮戸島は本土と島を結ぶ橋が崩落して、2週間以上孤立状態が続いていました。
3月下旬になって自衛隊が入り、とりあえず道を造り食料や水、ガソリンなどの供給が出来るようになりましたが、その後は遅々として復旧が進まず、未だにライフラインは復旧していません。
現在は里浜にある縄文村周辺に250名、月浜に約80名、大浜18名、室浜114名 合計約500名近くの方が、被害に遭わなかった家屋や学校などに身を寄せ合って避難しているとのことでした。
ここで行かなきゃ典座の名が廃る。
今回は500人分の食材や調味料、鍋などの機材はもちろん、紙の食器、コンロ、プロパンガス、水タンクなど、考えられるものをすべて持って出かけました。
もちろん炊き出しが終ったあとのゴミも持ち帰りますので、ゴミバケツやポリ袋も持参です。
名取で材料の買い物をしたり現場の台所を設営したりするため、先発隊として24日の午前1時半に出発。
5時半出発のバスで来る本隊到着時にはある程度目途がついていなければなりませんので、ちょっとハードなスケジュールになりました。
先発隊として一緒に出発したのは、鎌倉R宝寺の住職さん。いい漢(おとこ)であります。
夜の東北道、しかも雨の中をひたすら走って6時過ぎには菅生のパーキングに到着。
山形、仙台から来る助っ人と9時に待ち合わせですので、まだ時間があります。
仙台空港周辺、亘理の方を回ってみようということになりました。
亘理も被害が大きかったところです。
重機も入ってかなり片づけが進んでいますが、それでもまだまだ田んぼやあちこちに車が転がっています。
また、片づけが済んだ分、土台だけになった家も目立つようになってきました。
まだ真新しい名前の入ったピアニカやアルバムが、道路脇に片付けられています。
持主は大丈夫だったのでしょうか・・・・・
道筋に他宗のお寺がありました。
本堂はもちろん、お墓もお地蔵さまもめちゃくちゃです。
お骨壷があるはずの場所には大量の砂がはいっていて、壺は見当たりません。きっと流されてしまったのでしょう。
おもわず涙が出てきます。
大悲呪が口をついて出てきました。
さて、9時まえには名取市郊外の大型スーパーに到着。
山形の齋藤くんと、倫勝寺に勤めていた仙台の秋山くんの2名と合流。
しかし、スーパーは9時半開店、しかも野菜を積んだトラックがまだ到着していないということで買い物はおあずけです。
この時間を利用して、ミーティングを行いました。2人とも典座経験があるので、打ち合わせはスムーズです。
ところで名取市閖上(ゆりあげ)地区は東北のカーネーションの一大産地なんですね。 閖上地区も津波で花のハウスがかなり流されてしまい、花畑が塩水に浸かってしまいましたが、そんな状況でもカーネーションはたくさん花をつけました。 小塚原・菅井農園さん、ありがとうございました。きれいで丈夫なカーネーション、持ちがいいです。
カーネーションと言えば、昌龍寺のある保田ばかりと思っていました。
素敵な!お姉さんたちが、健気!!に咲いたカーネーションを元気よく!!!売っていました。
写真をブログに載せても良いですか?と聞いたら関西のおばちゃんのようなノリで、大笑いしながらポーズをとってくれました。
ホームセンター・ムサシ名取店で販売中です。
調理に使う水の不足も懸念されるので水タンクを買い増しし、あらかじめ地元の曹洞宗青年会の方々に発注していただいてある野菜を受け取ったら、あとは奥松島・縄文村まで一直線。
電線の修理をする工作車両や東松島運動公園へガレキを運ぶトラックに道を譲ったり、
津波に流されてまるで原っぱのようになってしまった集落の中を通ったりしながら、11時頃ようやく炊き出し場所である縄文村に到着。
荷物をおろして台所を設営し、あらかじめ打ちあわせの通り水汲み・野菜洗いと、下ごしらえのふた手に分かれて作業開始。
さすがに500人分となると、量が半端ではありません。
なかなか仕事が進まずにいたところで本隊到着。全体ミーティングをしていよいよ本格的に仕事開始。
20人以上の手があると、一気に準備が進みます。
最近の炊き出しが「濃い味が多かった」という情報を聞き、普段から食べていたようなものを提供しようということになり、うどんやお粥、煮物などを中心にお出しすることにしました。
本当は炊きたて御飯をお出ししたかったのですが、500人分の御飯となると一人0・8合としても40升、つまり1俵のお米を炊くことになります。
それだけの数の炊飯器もプロパンも準備はできませんし、また、仕出し屋さんやお弁当会社から御飯だけ提供してもらう案もあったのですが、とても予算に合いません。
結局ご飯は断念し、うどんにすることになりました。
700玉のうどん、予算内で収まるかどうかと思案していたら、窮すれば通ず、であります。
本場さぬきうどんの「つるわ」さんが、震災の炊き出しであれば、と格安で提供してくださいました。
「つるわ」さん、有難うございました。美味しいうどん、被災地の方々に大評判でした。
今度は個人的に注文します。
2日間の詳しい献立は以下の通り
24日薬石 薬石時間 16時半から
讃岐うどん かけ(冷)
具(うどんに載せて提供する)
鶏肉の炒め煮 竹輪かば焼き ふえる若布 生卵 サバ塩焼き
薬味・・ネギ、七味
おひたし:ホウレンソウともやし、シイタケのからし醤油和え
沢庵2種類 青菜漬け
バナナ 500本
25日小食 小食時間 6時半から
中華風粥 :たまご コンソメスープ 塩 青ネギ
たくさんトマトと若布の中華風サラダ(中華ドレッシング:ゴマ油 麺つゆ 酢 コショウ 塩)
煮物:大根と人参、ひき肉、生姜の炒め煮(とろみつき)
漬物:キャベツ、キュウリ、ニンジンの浅漬け
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行茶 コーヒー、お茶 甘納豆
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25日薬石 500 (配給のお弁当あり、以下の副菜の準備をして終了)
温泉卵 450個
漬物:キュウリの揉み漬 大葉入り 生姜入りの2種
トマトのサラダ
宮戸島では各家庭に避難しているので、皆さん買い物かごをもって人数分の食事を受け取りに来ます。
大勢で避難している方は、20人分、30人分と車に積み込んで持っていきます。
お待ちいただいている間に、八木さんのハープの演奏と、コーヒーのサービス。
ここが避難所でなければ、えらくリッチな気分。
八木さんもハープを積み込んで、いっしょに松島まで来てくださいました。男気のあるハーピスト、かっこいいです。
いつもにこにこ穏やかな方ですが、心の中に鉄筋、入ってます。
しかし、ライフラインがつながっていないのは本当に不便です。特に、水。
作る方も食べる方も、水が使えないのでできるだけ洗い物を少なくしたいという思いになります。
きれいな食器があっても使わず、ティッシュで拭いたりして2度使いしてしまうこともあるようです。
これからの梅雨の時期、衛生の面で大きな不安がのこります。早く水道が復旧すればよいのですが・・・
6時に夕食の配布が終了。
お日さまがあるうちに明朝の仕込みと使った鍋釜の洗浄をします。
自家発電の電気ですから、燃料も無駄にはできません。
洗い物部隊は車で10分くらいのお寺さんへ洗い物に出かけ、仕込み部隊は大急ぎで大根や人参を刻みます。
無洗米を使って45センチの鍋6つ分のお粥を仕込み、煮物を作り、片づけをしてホッと一息ついたときはもう真っ暗。
松島のホテル大観荘に到着したのは9時近くになっていました。
翌日の打ち合わせをして、差し入れのお酒をいただき、あれこれ話をしていたらあっという間に11時。
布団に倒れこんだら、そのままばたんキューでありました。
2へ続きます。