さんぜ通信

合掌の郷・倫勝寺のブログです。行事の案内やお寺の折々の風光をつづっていきます。 

子供たちと行った夏の松島、石巻

2012-08-14 22:37:48 | 東日本大震災



前回の記事から、だいぶ間が空いてしまいました。

施食会では多くの檀信徒皆様方にご焼香をいただき、有難うございました。
ご法話をいただきました山形県宿用院ご住職・三部義道老師には、ご自身の震災、そして震災後の復旧、復興にかけたさまざまな思いをお話しいただき、心よりお礼申し上げます。

不手際から写真がうまく撮れておらず、掲載できるものはありませんが、皆さん熱心にお話を聞いておられました。
そして、生きる力になるさまざまな心の言葉をたくさん頂いて家路に就かれたことと思います。

次回の合同法要は、秋彼岸会お中日になります。
あらためてご案内いたしますが、やなせななさんという、三部老師とも親交の深い、尼僧で女性シンガーの方をお招きしてお話と歌をいただく予定です。
どうそお楽しみに。

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さて、施食会のあと、7月31日に山形の佛性寺で弊師(へいし・亡くなった師匠のこと)の7回忌がありました。
平成18年8月1日に亡くなった弊師は、今年で7回忌。
倫勝寺の先代住職は先日17回忌をおこないましたので、ちょうど10年違いの年回法要です。
この春から準備や掃除ため、住職がひとりで何度か山形に帰っていましたが、いよいよ本番、ということで今回は手伝いに高1の長女、中3の長男の二人を連れて29日の朝に出発しました。

米沢牛が食べたい!とか、冷えた尾花沢のスイカ丸かじり!なんて無茶なことばかりいいますが、美味しいもの食べさせてあげるから、とニンジンをぶら下げて酷暑の山形に出発です。
途中、サービスエリアで日光の水で作った美味しいかき氷や地元の名物をほおばりつつ、山形に到着。

到着後、さっそく汗だくになりながら、本堂や部屋の掃除。

実家近くの温度計ではすでに気温36度。車の温度計では38度。

なんてあちーんだー、米沢牛はまだか、だだちゃ豆はあるのかーなんて贅沢なことをぶつぶつ言うのを聞こえないふりをしつつ、めいっぱい働いてその日は終了。
夕食は実家の母親の好意で、92歳のおばあちゃんも交え、近所の焼き肉屋さんで子供たちは待望の米沢牛をいただきました。

子供たちもさることながら、おばあちゃんもよく食べます。
小さく切った焼き肉、やわらかくて美味しいねえ(^^♪ なんてニコニコしながら一皿半くらい食べました。

ときどき虹の向こうに行くことのあるおばあちゃんですが、いたって元気。足腰も丈夫です。
誰に向かってでもなく地元の新聞を朗々と読みあげ、テレビを見てはコメンテーターに激しく意見をし、気が向けば庭の掃き掃除をしてくれます。

このまま丈夫でいてくれるといいのですが・・・・・年齢が年齢ですので、火の始末や転倒、誤嚥など心配は尽きません。

さて、翌日も朝から掃除、片付け、打ち合わせ。想像以上にこどもたちがよく働いてくれるので大助かり。
昼前までには、けっこう仕事がはかどりました。

夜になると布団が必要と思われるほど気温が下がりますが、日中は35,6度くらいが当たり前。
暑ーい、暑ーい山形盆地の夏を快適に過ごすには、何が一番効果的かいうと、やっぱり暑さになれるのが一番。

ではあるのですが、それじゃあ身体がもちません。

お昼はなんか冷たいのが食べたいよオ、という子供たちのリクエストに応えて、でました山形名物「つったえ(冷たい)ラーメン」

 

子供たちは冷たいラーメン初体験。「フツーのラーメンなのに、冷たい!」「ラーメンがそのまま冷たくなってる!」

そのとおり。ただの冷たいラーメンなのです。

冷えると固まりますので脂は丁寧に取り除いてありますが、脂がなくともスープのコクはしっかりしています。
麺自体も小麦の味がちゃんとありますから、全体に腑抜た感じはありません。
今回はご近所さんの「和だて」さんから出前してもらいました。

海苔が汁を吸ってしまって写真的にはあまりよくないのですが、まあその辺はご勘弁ください。

ちなみに、私は冷たい肉そば。こちらもけっこうこなれた味で、、う~ん、スタンダード(^o^)/ という感じ。

つったえラーメン初体験のあとは、さらにホテルと会食の打ち合わせや掃除の仕上げ、仏具の準備、書き物で大わらわ。
妹夫婦や姪もやってきて、準備も一気に進みました。おかげさまで3時前には無事準備完了。

お寺の行事は、基本的に家族みんなの仕事です。
横浜の寺のように規模が大きい寺院では業者が入って準備を手伝ってもらったりしますが、年収のほとんどない佛性寺のような寺では、住職や家族が頑張らないと、何にも進みません。
子供たちには、よい経験になりました。

翌日は午前中の先住忌。
おかげさまで暑い暑い本堂での法要も無事に終了し、天童温泉に移動しての会食の席も、和やかに進みました。
佛性寺先住貞美大和尚も、孫たちが掃除や準備してくれた様子を、黄泉から暖かく見てくれていたことと思います。

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8月2日、本堂や庫裏の片付けも終わり、美味しいキュウリやナス、いろんな野菜やお土産をもらっていよいよ横浜に戻ります。
今回はよい機会なので、松島、石巻を回って帰ることにしました。
子供たちに被災地の今の様子を見て、いろんなことを感じてもらえばと思った次第です。

昨年は震災後のお手伝いで足しげく通った宮城県ですが、今年はなかなか直接的なお手伝いがかないません。
現地の様子を皆さんにお伝えしたり、買い物をするときに東北の産品を購入するなど、
今の自分にできることをひとつひとつさせていただくこと、忘れずにいるということが大事かな、と思いながら過しています。
子供たちにも折りにふれていろんなことを話していますが、実際に自分の目で見て肌で感じてもらわないと、遠くの出来事他人事としか映らない気がします。

本当はもっと早い時期に連れて来られたらよかったのかもしれません。しょうがないことではあるのですが・・。

さて、佛性寺から2時間ほどで昼前には松島に到着。車を停めて、まずは遊覧船に乗ることにしました
夏休みということもあって、家族連れやカップルで遊覧船乗り場は結構なにぎわいです。

第三仁王丸という船で、1時間弱の島めぐり。

  

多くの島々のおかげで津波の被害が少なくて済んだという、瑞巌寺のある松島地域。
実際に島めぐりをしてみると、沢山の島々のおかげで被害が抑えられたのだなと実感します。
津波の影響で崩れてしまった島も多く、陸地同様、津波前後では景観が変わってしまっているところもありました。

観光船も、かなりの数が津波にのまれてダメになってしまったとのこと。
そんな大変な中で職員さんたちが頑張っている様子が、船内の観光案内アナウンスからもうかがえました。
お出かけになられた時には、ぜひ観光船に乗船されることをお勧めします。

下の写真は子供たちが撮った写真ですが、出港から帰港まで、沢山のカモメが観光客の放るかっぱえびせんめあてに遊覧船についてきます。

かもめの水兵さん、とかいうと結構可愛らしいイメージですが、そのまなざしはあくまで鋭く、かっぱえびせんの描く放物線に一瞬の隙も見せずに急降下したりします。
あまりにたくさんのカモメの囲まれて、おびえる子供まででるしまつ。松島のカモメは、野生です。眼は怖いです。

      

中には手から直接えびせんを奪ってゆく猛者までいます。

 

空中でえびせんのナイスキャッチを繰り返すカモメ同様、船内で売っている100円のえびせん小袋も、飛ぶような売れ行き。
しかし、食べ過ぎてえびせんをもどしてしまうおバカなカモメまでいて、子供たちも苦笑いでした。

さて、遊覧船から降りての昼食は牛タン専門店・利休松島店で仙台名物、伊達の牛たん定食。

 
普通盛りの1.5倍、18枚の厚切り牛たんが提供される大盛り定食や牛タン丼、テールスープ、トロロ汁等でお腹いっぱいになりました。

牛タン専門店、年配の方も結構入店してらっしゃいましたね。味付けがそんなにくどくないので、食べやすいのだと思います。

食後のデザートは、近所のお土産屋さんでズンダ(つぶした青豆)シェイクと、ズンダもちのミニカップ

バニラのシェイクにズンダがたくさん入っただけなのですが、コレが旨い!
舌の上をザラッと刺戟するズンダの粒々と、なめらかでコクのあるシェイクのバランスが絶妙です。
山形は寒河江市のチェリーランドでだしているズンダアイスとは、また違った美味しさ。
ズンダの香りが自然で、かつズンダの量が多すぎないのがいいのかもしれません。 ズンダシェイク、旨いです。今回イチ押しです。

お腹がいっぱいになったところで、次の目的地、奥松島に行くことにしました。
宮戸島まで、松島から車で20分くらいでしょうか。宮戸島の今の様子はこちらから。

縄文村を過ぎて、月浜、大浜、室浜と見て回りました。

大浜では、ちょうどホンダの方々がホンダ製バギーに熊手と籠を合わせたような砂浜清掃用具を装着して砂浜を走っていました。
砂浜清掃の真っ最中のようです。かんかん照りの陽射しの中での作業は大変です。

   

大手企業がそれぞれの得意分野でおこなうこういった活動は、いまでも継続してあちこちで行われているのだと思います。ボランティアなのでしょうか、有り難いことです。

浜の様子は昨年訪れた時とは違い震災前のような穏やかな静かな雰囲気です。とてもきれいな砂浜になっていました。
まだ観光客は少なく、砂浜で遊ぶ家族連れがひと組、釣り客がふた組しか見当たりませんでしたが、今年はともかく、来年にはたくさんの海水浴客でにぎわってほしいものです。

地元の方たちも観光客誘致にいろんなイベントを行っているようで、電柱にもチラシが貼ってありました。

 

子供たちは宮戸島の浜辺にあった住宅がなにも無くなってしまった様子に、少なからず衝撃を受けたようです。
史佳も義宗も、口数が少なくなってしまいました。

   

宮戸島を出て、今度は野蒜地区へ。
昨年3月まで倫勝寺に勤めていた秋山君の兄が住職していた、長音寺さんに向かいます。車でほんの5分位。

宮戸島から野蒜に続く道は、きれいに舗装されていました。ただ、道ををはさんで陸側の方は地盤沈下のせいで、いまも広い区域に水がたまっています。

  

長音寺さんに着くと、たまたま秋山君が作業を行っていました。

「今日、新しくプレハブをいれたんですよ、でも農家の産直販売所だったみたいで・・・」

プレハブの壁面にはおおきく「〇〇地区農産物直売所」と書いてあります。

「野菜買いに来られたら困っちゃうなあ・・・フフフ」

相変わらずとぼけたことを言って笑っておりますが、現実がなかなか大変なことは周辺を見回してみれば一目了然。
曹洞宗からのプレハブ一基と直売所(?)のプレハブを合わせて二基のプレハブ本堂兼寺務所が、なにも無くなった境内に建っています。
建立したばかりでまだ落成式も行っていなかった本堂や庫裏は、津波で全壊。
地震被害の様子を見に戻った兄さんも、津波に呑まれて亡くなってしまいました。
昨年はその全壊した建物が境内に残っていましたが、今は撤去がすんで、土台や本堂前の石畳があるだけです。



秋山君はいま、仙台市内にすんでいます。実家のお寺は山形との県境にある秋保温泉の近く。どちらからも、野蒜地区は通うのになかなか大変な距離です。

「この場所にはもうお寺は建てられないので、近くの高台に、という話があるんです」
「小中学校が建つ予定の場所があって、その近くにどうかって」

大丈夫、君ならできる。なんて軽々しく言えませんが、彼の持ち味のとぼけた明るさが、きっとなんとかなると思わせてくれます。
がんばろう、応援してるぞ。

大破した歴代住職の墓前で読経のあと、秋山くんとわかれて今度は石巻へ。
市内まで三陸道で20分。

日和山からの風景を見せたくて、最初から山へ登ります。車酔いした史佳を車に残して、義宗と一緒に展望できるところまで行ってみました。
夏の日和山は初めて。
桜の葉が緑濃く生い茂って山裾を見ることはできませんでしたが、天気がよかったせいで市街地を俯瞰することができました。

震災前の街には、どんな夏の風景があったのでしょう、どんな夏の暮らしがそこにはひろがっていたのでしょうか。

   

山を下りて「がんばろう、石巻」の看板がある市街地まで行ってみました。

慰霊の灯がある場所に、襲来した津波の高さを示す鉄塔が建っています。

てっぺんの高さは6メートル90センチ。

高い。子供たちもただ見上げるばかり。

この高さの津波、こんなに高く巨大な水の壁が一気に押し寄せたことを、忘れてはなりません。

七夕飾りにメッセージを書きませんか、と地元の方が短冊を渡してくれました。
家族みんなが仲良く食卓を囲むことができる、そんな普通の日が皆さんのもとに早く訪れますように、と書きました。
子供たちはどんなことを書いたのでしょうか・・・・二人ともかなり真剣な面持ちで短冊に向かっていました。

 

海岸にある製紙工場の煙突から、モクモク煙が出ています。
ああ、あそこで働いている人がいるンだ、普通の生活がそこにある、と思うとちょっとホッとしました。

ぼんやり煙を見ていたら、すでに午後5時を回っています。
夕食はどーすんだー!?まだお土産買ってないよー!という子供の声に押されて、いよいよ帰路につくことに。

途中で食事をしたりお土産を買ったり、DVDをみたりしながらのドライブで、横浜着は結局翌日の午前1時でした。

子供たちは、よく働いて、いろんなものを見て、感じて、本当に良い経験になったと思います。
お疲れさまでした。

今度は東南アジア、ラオスやタイに連れて行きたいなあ、と、ふと思った住職でした。

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今日のおまけ
あまり多くないのですが、山形や横浜で撮った写真を少しばかり。 

お盆期間ももう少し。ご先祖さま方と親しくお過ごしください。

今日はここまで。 

 

 



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