「このあだりは台風も来ねス、ずすんも無いがら、ほんてええどごだァ、ありがだいどごだァ」
(この辺りは台風も来ないし、地震もないから、本当に良いとこだよ、有り難い所だよ)
この何十年となく聞いてきた言葉でした。
お盆の棚経が終わった後、仏間でお茶を飲みながら農作物、特にこれから収穫のお米や豆の作柄を尋ねると、いつもそんな答えが返って来ました。
幾度となく繰り返されてきた日常会話のなかの、同じフレーズ。
今回の最上川の氾濫は本当に久しぶりですが、どこでどんな災害が起きてもおかしくないのが、今の日本の現実です。
おかげさまで山形・河北町にある実家の佛性寺は何事も無く、母も無事でありました。
いろいろご心配、お気遣いいただいた皆様、心よりお礼申し上げます。
昨夜から今朝にかけての沢山のニュースや写真、動画は、本当に肝が冷える感じでした。
最上川の氾濫・・・ワタシの記憶では、小学校低学年のころにあったような・・・もう50年も前のことです。
(調べてみましたら、昭和42年8月26~29日にかけての「羽越豪雨」のようですね)
師父が農協の共済部で働いていたことから、最上川が氾濫しそうだというので現場調査?するのについていったことがあります。
氾濫しそうなところを見に行くなんて、今では考えられない危険な行為ですが・・(+_+)
バイクの後ろにのって、谷地橋という東根市との境にある橋のたもとまで行きました。
師父は最上川漁協にも出入りしていたこともあって、いろいろ心配事があったのかもしれません。
ごうごうと轟く最上川の恐ろしいほどの流れは、いまも鮮明に思い出すことができます。
現場で何人かの知り合いにあって立ち話をしている父親は、普段とは違う顔をしていました。
あとで私を連れて行ったことが分かって、「なにしったんだー!(なにやってんだー!)」と母にかなり怒られてましたが。
あれから50年余。
今回はかなり広範囲で氾濫が起きそうな気配なので、離れて暮らす長男としては、やはり独り暮らしの母親のことが心配です。
「雨も小やみになったから、だいじょうぶだべ」
昨晩の電話では、最上川沿いに住む知りあいが近くの公民館に避難してきていると話していました。
何かあったら近所の人を頼るように、と念押ししていたのですが、やはり心配です。
そんなことが関係するのでしょうか、なかなか寝付けず、変な夢ばかり見てしまいました。
おかげさまで今朝連絡したときは、もう通常の状態に戻っているから心配するなとの事。
間近に控える祖母の葬儀の件の心配をするくらいでしたから、もう安心です。
自然災害は、人命だけでなく、農家の方々にとっては先祖伝来の土地田畑から産み出される沢山の恵みをあっという間に奪ってしまう恐ろしい災害です。
大石田や左沢ほどではありませんが、河北の最上川沿いのところでは田んぼや畑、住宅の床上や床下浸水をしているところもあるので、
これから収穫の時期に入って体力的にも経済的にもかなり大変なことになるでしょう。
遠方からではありますが、こちらができることで救援活動をさせていただきたいと思います。
横浜もこのところ、強い雨が降ったりやんだりの不安定なぐずついた天気が続いています。
この秋大きな台風が来たら、隣接する戸塚カントリーとの境にある木々が倒れないか、裏山が崩れないかと気になり始めました。
昨秋の15号、19号で倒れた巨木がまだそのままになっているところもありますしね・・
今一度ハザードマップの確認をしなければ。
今日はここまで。