『みんなのお寺』 ブッダによる幸せの種がまかれた園

宗派を超え、国境を超え、時を超えて、仏教・ブッダの教えの真理に触れる事の出来る幸せの精舎を目指す『お寺』です

禅定に入る前の三つの事柄・その② 下

2007年11月13日 | 修行法 『戒・定・慧』

人は自分のことを棚に上げても、他人のことを批判している場合が多々あります

それはなぜか?

自分のことを棚に上げるのは、自分の姿・行いは目に見えないので他人と比べて客観的に見ることができないから批判されるべき所を見逃がしているのです

他人のことを批判しやすいのは、他人の姿・行いは目で見れるので他人と比べ客観的にみることができて批判されるべき所をしっかり見ることができるからです

人間、自分の事はとっても見えにくいのです

でも自分自身を客観的に、第三者的に見ることができれば、自分の間違った所をしっかりと批判できて、そこを指摘し、自分をコントロールすることができるのです

それを出来るようになる為に、先に挙げたブッダのお経のに書いてあることを実行するのです

私が尊敬するお坊さんの一人、テーラワーダ仏教界の長老・アルボムッレ・スマナサーラさんが広めておられるヴィパッサナー瞑想はこの正念の事だと私は解釈しています

スマナサーラ長老の言葉を借りれば、自分自身を実況中継するそうです

前を見ています
後を見ています
腕を曲げています
腕を伸ばしています
食べています
飲んでいます
噛んでいます
のみ込んでいます
排便しています
排尿しています
歩いています
立ち止っています
坐っています
眠ります
目ざめます
語ります
黙ります

という風に

これを意識して続けていけば段々と自分の心の中の煩悩・悪魔にも気付くことができるようになっていく

貪っています
怒っています
憎んでいます
過ちを隠そうとしています
後悔しています
嫉妬しています
物惜しみしています
偽っています
ゴマをすっています

という風にその瞬間に気づくことができるようになる

このような心の中の煩悩の悪魔に気づき、それらを段々と支配・コントロールして抑えることができるようになっていくのです


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