『みんなのお寺』 ブッダによる幸せの種がまかれた園

宗派を超え、国境を超え、時を超えて、仏教・ブッダの教えの真理に触れる事の出来る幸せの精舎を目指す『お寺』です

二つの見方

2007年10月07日 | 

愛する人を失った事はとても辛く寂しい

自分に親切にしてくれた思い出が心によみがえってくるから

憎んでいる人が離れていくのは誠にうれしい

自分を苦しめる未来が無くなるから


愛する人を失った事はとても有難い

自分が大切にするべきものを身をもって教えてくれるから

憎んでいる人が離れていくのは誠に悲しい

他人にしてはいけない事を教えてくれる人がいなくなるから

情緒は育てるもの、親の責任

2007年10月07日 | 仏教的 『子育て』
情緒とは『事に触れて生ずる様々な感情。喜び・悲しみ・怒りなどの感情。』という意味です。

情緒を育てるのはまさに、親の責任です。

親はこの事を肝に銘じておくべきだと思います。

厳密に言えば、個人個人の感情を左右するのに、遺伝子も関係している部分があると思います。

けれども個人個人の感情の個性を見つめながら、その個人個人に応じた関わりによって情緒は正しく育っていくものだと思います。

仏の教えからすると情緒が至るべき所は、安定です。

個人個人が自分の感情を安定させコントロールできるようになる所を目指していくべきです。

子どもはその様な事を自分の力でできるはずがありませんから、親は子どもの心を見計らって、子どもの心の安定・情緒の安定を気遣ってあげる。

そして最終的には子ども自らが自分で自分の心をコントロールできるように至らしめてあげる。

それを子どもが巣立つまで四六時中続ける必要があるのです。

大変ですがそれが親としての責任でもあるのです。

大変なのですが、次にそのコツをお教えいたしましょう。

個性は育つもの、授かりもの

2007年10月07日 | 仏教的 『子育て』

個性とは『その人・物だけにそなわった特有の性格・性質。』という意味です。

これは現代科学の観点から見れば、DNA、遺伝子『染色体(細胞が分裂する時にあらわれる糸のような物質)の中に一定の順序で並んでいると考えられる微小な物質』までさかのぼって分析できるのではないですか。

その様に考えれば、我々がこの世に生を受けた瞬間から、一人一人が別々の容姿が形づくられる事が決まっており、そして人間個体としての様々な能力も違っているのです。

ですから人それぞれに、色々な分野に対して向き不向きもあるでしょうし、能力の発揮しやすい場所も違ってくるのです。

「私はピアノが好きだから、私の子どもには絶対ピアノを習わせて、その分野で活
躍できるように華開いて欲しい!」

「俺の子どもは俺に似てスポーツが万能なはずだから、プロの野球選手を目指させる!」

などと親の一方的な願いというものを、はなっから決めるのは、理にかなっていないのは明白です。

一人一人にあたわった、その人だけにしかない存在理由は必ずあるはずです。

それは親が決めれるものではないようにも感じるのですがどうでしょうか。

大切な事はその人の個性を大切にする事です。その人の個性を認める事です。

個性を認めるという事は、その人を自分のものではない、他人として尊重し敬意を払って付き合っていくという事です。

あなたは子どもに敬意を払っていますか?