RIKAの日常風景

日常のちょっとしたこと、想いなどを、エッセイ風に綴っていく。
今日も、一日お疲れさま。

連載小説「冬枯れのヴォカリーズ」 vol.2

2008-10-24 15:57:13 | 連載小説


  その日の夕方、私は東中野のファミレスにいた。

東中野は、私が福島から東京に出てきて初めて一人暮らしを始めた町だ。ここには五歳年上の姉がはじめに借りて住んでいたが、姉が就職で埼玉に引っ越しが決まったのと、私がこちらの大学に受かったのがちょうど同じ時期だった為、そのまま私が更新を続けて住んでいる。姉の美香は、ストレートで教員採用試験に合格し、晴れて家庭科の教師となって、今年で三年目だ。

 東中野は新宿に二駅と便利なわりに、近所には、昔ながらの豆腐屋さんやお肉屋さん、それに銭湯やお寺がいくつかあり、駅から続くギンザ商店街には、大きいスーパーからいつも負けてくれる八百屋さん、電気屋さん文具屋さんお茶屋さんまで、何でも揃っているので結構気に入っている。

 私は先程からドリンクバーだけを注文して、週明けに提出予定の応用物理学実験のレポートと、関数電卓をたたきながら格闘していた。

 このファミレスは山手通りと早稲田通りの交差点の一角にあり、すぐそばには地下鉄東西線の落合駅もある。日中は洋楽ポップ、夜はジャズが流れるのが好きで、よく利用しているのだ。

 店内は、夕食にはまだ少し早い時間だからか、空席がまばらにあって、しばらくは店員の目を気にせずレポートに打ち込めそうだ。

 今回の三週間に渡って行われた実験テーマは「ホログラフィー」だった。真っ暗い部屋で、レーザー光を物体に当て、その回折と干渉の性質を利用して虚像を浮かび上がらす、といった内容だ。

 私は懐かしく思い出していた。一年の夏休みに松崎とディズニーランドに行ったとき、「ホーンテッドマンション」を見終わった後、松崎が私に熱心に説明してくれたことを…。

「これはホログラフィーとは違うかな、ハーフミラーのトリックだね。ホログラフィーってのがあってね、それは、こんな風に虚像を浮かび上がらせる技術なんだけど、仕組みは全然違ってね。周波数や波長が微妙に異なる二つの光を同時に入射して、その干渉縞を記録してね、それにまたレーザー光を当てて、干渉縞による回折光を観察するんだ。そうすると、干渉縞には物体光の強度と位相の両方が記録されるから、立体になって見えるんだ。宇宙ってね、明在系と暗在系の二つからなる『二重構造』にあるんだよ」

 話しの内容はさっぱり分からなかった。ただ分かったことは、松崎は純粋に物理を愛しているということだった。

 ドリンクバーを取りに席を立った。引き出しから新しい温かいカップをとる。さすがに十月末ともなると冷たい飲み物には手が出ない。

 このファミレスは、聞くところによると、もともとはコーヒーショップから始まったということで、コーヒーにはこだわりがあるらしく、確かに香りも良く味わいがある。

 さっきから煎茶ばかりだったので、今度はカフェラテにしようと思い、並ぶ。

すると、前の人…大学生らしい…が何やら悪戦苦闘している。どうやらボタンを押しても出てこないらしい。
五回ぐらい押しても出てこなくて、その人はちらっと私の方を気にして、

「なんか、出てこないんですよね…」

 と苦笑する。

 私はハッとした。その人の横顔は、私が高校時代三年間片思いだった須藤にそっくりだったのだ。
白いシャツのボタンを上二つ外し、茶色の細身のズボンを履いている。首には女性的な細い銀のアクセサリーをつけている。

「すみません、カフェラテが出てこないんですが…」

 その人は通りがかったウエイトレス呼び止める。

 ウエイトレスはしばらく機械を確かめた後、

「これで大丈夫だと思います」

 と言い、ボタンを押すと、勢いよくカフェラテが出てきた。

 私はウエイトレスが作業をしている間、ずっとその人の横顔から目が放せなかった。もしかして須藤本人かもしれないと、くるっとふりむいたところを正面からぬすみ見ると、やはり須藤ではなかった。それどころか、切れ長の二重まぶたの目、整った鼻と口、身長は175センチぐらいだろうか、須藤より二枚目だ。私は席へ戻るその人の後ろ姿を思わず目で追っていた。スラッとした長い足、小さいお尻、なんとも優雅な歩き方だ。

 私は無意識に煎茶のティーパックを破り、そこへカフェラテを注いでしまった。慌てて煎茶を取り出し捨てる。

 席へ戻り、しばらくぼうっと辺りを見渡した。すると、右斜め前方にさっきの彼が…。ほおづえをつき、片手にもった本に目を走らせている。表紙には「ランボー詩集」と書いてある。その表情は、涼し気で、まるで周りの空気がミント色に染まって見えるようだった。明らかにファミレスにはふさわしくない、まるで静寂な湖のほとりにいる少年のような表情であった。

  私は、少し距離があることをいいことにして、しばらくの間その人を観察した。レポートはうわの空だった。カフェラテを飲むしぐさも、これ以上ないほど優雅だ。その人の飲むカフェラテだけ、本当に、イタリア仕込みなんじゃないかとさえ思えた。


 20分程経っただろうか、その人は腕時計をちらっと見て、おもむろに本を閉じ、黒いショルダーバッグにそれをしまい、席を立った。

 私は、私は…後を追いたい衝動にかられた。本当に、もし机の上がこんなにいっぱいじゃなかったら、そうしたかもしれなかった。でも当然のことながら、席を立つ勇気はでなかった。

 窓の外に視線を移す。会計を済ませたその人が、交差点で信号待ちをしている。私は、その人が視界から消えるまで、ずっと、ずっと、見つめていた。


 家に着いたらちょうど七時のニュースが始まったところだった。あれから結局レポートは手につかず、すぐ帰ってきてしまったのだ。

「今日、午後1時43分頃関東地方で強い地震がありました。そのため交通機関に大幅な乱れが生じました。現在も一部の路線で運転を見合わせています……」

 大隈庭園を出てラウンジへ向かう途中、グラッと揺れたように感じたのは気のせいではなかったのだ。

(山手線も総武線も動いてたけどなぁ…)

 さっき、近所で帰り道に買った豆腐と豚肉で、手早く炒め物をして、冷凍していたご飯をチンして、ニュースを見ながら夕食を食べる。

 ニュースをぼんやりと眺めながら、頭の中はカフェラテの彼でいっぱいだった。それと同時に、須藤を好きになった時の、言いようもない切なさが甦ってきた。

 高校のアルバムを取り出す。何回も開いて跡がついた三年F組のページ。須藤とは一年だけ一緒で、あとは別のクラスになってしまった。こちらを正面から見て微笑んでいるその大好きだった人に、あんなに似た人がいるなんて…。

 皿を流しに置いて、お茶も淹れずに私は、高校一年の時須藤から薦められて買った、ミスチルの『花』を久しぶりに出して、ロフトに持っていって聴いた。

 音量を大きくして布団をかぶって電気を消して、聴いた。涙が出てきた。心の隅っこに確かに封印したはずの、あの感情…。

 何回もリピートして聴いているうちに、心も体も高校一年の教室にワープしていた。



 どれくらい眠っただろう。気がつくと、11時を回っていた。藤の湯は0時半までだ。私は週に1~2回、近所にある銭湯藤の湯を利用している。と言っても銭湯に通い出したのはごくごく最近、今年の九月ぐらいからだ。

 松崎とのデートが減って、無意識に自分の楽しみを探していたからかもしれない。銭湯に行けば、少なくとも寂しさは紛れるから…。

 藤の湯は最近リニューアルして、浴室はもちろん、脱衣所やお手洗いもきれいになって、待合室にも大画面のTVが入った。今日は、大きなお風呂につかって、色々なことをゆっくり考えたい気分だった。

 L.L.Beanの濃紺のフリースを着込み黒いマフラーをして、いつもの銭湯セットを持って家を出る。

 アパートの端に植えられている金木犀は、いつのまにか花が散ってしまった。

 私のアパートから藤の湯までは、ものの2~3分だ。ゆるやかな坂を上りきったT字路の奥がお寺、左角がコンビニ、右角が藤の湯になっている。歯磨き粉をきらしていたのを思い出し、まずコンビニに寄った。週刊誌も読みかじる。

 ここは、家族経営で、いつも受付には40代過ぎの、おせじにもダンディとは言えないが見るからに人のよさそうなおじさんが座っている。

 私がささやかながら気を遣っていることがある。それは、おつりの出ないように、必ず400円玉4枚を用意して行くことである。何故そんなことにこだわるかは、たぶん田舎の母の影響かもしれない。

 福島に帰省すると決まって行く温泉がある。そこでは、両親はもうお得意さんになっていて、通常500円のところをいつも400円で入れてもらっている。

「だからおつりをもらったら申し訳ないでしょう」

 と言って、母は必ず小さなお金を用意して行くのだ。

 藤の湯では、安くしてもらう訳ではないが、その母の習慣を私もまねているのだ。

 夜も11時を回ると、さすがに学生の時間帯になる。

 私は、自分と同年代の女の子が、どういう普段着を着て、どういう下着を身に付け、どういうシャンプー、洗顔フォーム、化粧水を使っているのか、といった事が、ここに来ると良く分かって、とても安心するのだ。それから、同年代の子の裸を見るのが、知らない人だからか、好きだった。プロポーションのいい子は、密かにチェックしたりしている。そういう子の使っているボディーソープをまねして購入したこともある。

 浴室には全部で四人いた。いずれも私ぐらいの歳の子だ。

『本日の湯』のコーナーは、今日は『コーヒー風呂』だった。

 髪を洗い、化粧を落とし、体を洗い、浴槽につかった。ゆっくりと目を閉じ、泡のボコボコという音に身を委ねる。

 夕方の出来事が脳裏に浮かんだ。あの人もやはりこの辺りに住んでいるんだろうか。大学何年生かな。ランボーの詩集読んでたから文学部かな……。

 それにしても明日は土曜日だというのに松崎からは何の連絡もない。彼とは、親も公認の仲だし、いずれは結婚も…とぼんやり考え始まっていたけれど、研究に没頭する彼を、手放しで応援もできず、末っ子根性かもしれないが、もっと構ってもらいたくて寂しかった。

 1・2年の頃はよく大学の周辺でも、空き時間などに暇さえあれば、ちっちゃなデートをしていた。公園とか、川沿いとか…どうってことのない小道を、二人でただ歩くだけで、とても楽しく感じられたものだった。それが今では…。

 たぶん、恋愛に対する温度差が違うのかも知れない。


 ずいぶん長い間入っていたのだろう。気がつくと、他の四人の姿はなく、大きな浴室に私だけになっていた。時計を見ると0時を回っている。

「まだ大丈夫じゃん」

 入場は0時半までだが、閉まるのは1時だ。

 誰もいないことを分かって、少しかえる泳ぎをしたり、ラッコみたいにくるくる体を回してみたりした。とは言っても、手や足の指もふやけてきたので、上がることにした。

 脱衣所にはまだ一人いて、その子は初めて見る顔だったが、キュートな人だった。濃紺に銀の縁取りのしてあるブラジャーをして、腰から下にはイヴ・サン・ローランの大きなロゴのバスタオルを捲いて、ドライヤーで髪を乾かしていた。髪には軽くウェーブがかかっている。

 私はその子を横目で見ながら、さっと服を着て、髪はタオルドライだけにして一つに束ねて、その子より先に脱衣所を出た。

 待合室の大画面には、今日のプロ野球のハイライトが映し出されていた。

 人は2~3人いた。いずれも学生風の男の子だ。

 私は横に揃えて置いてある新聞を取り、第一面に目を通す。

 90円で瓶のコーヒー牛乳を買って飲む。

 新聞を返しに席を立った、その時だ。前に座っている男の子に目が止まった。そうだ、間違いない、夕方の彼だ。

「あれ?さっきファミレスで、あのカフェラテの…」

 私はとっさに話しかけた。あの人だった。

「ああ、先程はどうも」

 彼は真っ白い歯をみせて、恥ずかしそうに笑った。

 よりによってこんなところで再会するなんて…。こんなことならもっと入念にドライヤーして、まゆぐらい描いてくればよかった。さっきの子のように…。

「この辺りに住んでるんですか?」

 私は会話をとぎれさせたくなくて質問した。

「ええ、コンビニの裏手です。今日、地震ありましたよね」

 言葉には、少し訛りがあるようだったが、その声はきわめて爽やかで、上品な響きだった。

「あ、そうそう、千葉県沖が震源だったらしいですよ」

 私は七時のニュースを反復して言った。
 コンビニの裏手ということはすごく近所ということになる。

 私はまたも質問した。

「あの…学生さんですよね?」

「はい、早稲田の一年です。失礼ですが…」

「ああ、私は、近くの女子大の三年です。早稲田のサークル入ってるから早稲田にはよく行きますよ。今日もお昼いました」

「何て言うサークルですか?」

「ベジェッサ西早稲田っていうフットサルのサークルなんだけど…」

「あれっ、そしたら小林早苗さん知ってますか?」

「え?知り合いなの?もちろん知ってるわよ」

 小林早苗。池上雄一郎の彼女で、大柄で関西弁の、頭がキレる豪傑だ。基本的には同じマネージャーで仲はいいが、有名進学塾で講師のバイトをしたり、マスコミ系サークル活動に勤しんだりと、彼女の行動エリアは広く、とても同じ三年生と思えない、別世界の人間という印象がある。彼女の前だと、どうしても卑屈になってしまうのだ。

「それならあなたは早苗と記者クラブで一緒なんですね」

 早苗は、一年の時から「記者クラブ」というサークルをかけもちしていた。

 ショックだった。早苗は、この美少年と四月から知り合いだったとは……。

「お名前教えてもらってもいいですか?」

 私は丁寧にお願いした。

「高村優っていいます」

 私も自己紹介しようとした、その時、先程脱衣所で一緒だった子が、高村くんの方へ向かってきた。

「ごめん、遅くなって」

 浜崎あゆみみたいな、ハスキーな声だった。

 え?知り合い?

  「…」

 高村くんは下を向いて、また恥ずかしそうに笑った。

「それじゃあ、おやすみなさい」

 はぎれのいい声で、高村くんが礼儀正しくお辞儀をした。私もぺこんと頭を下げ、

「おやすみなさい」

 と言った。それがやっとだった。

 後ろでハスキーボイスの彼女が、私が知り合いかを詰問している声が小さく聞こえた。


 あの子は、高村優くんの彼女さんに違いない。

 残っていたコーヒー牛乳を、水道にジャっと流して、ため息をつきながら、ゆっくりとかがんで瓶を置く。

 よりによってあんな美人さんが彼女だなんて。絵に描いたようなスーパーカップルじゃないか。
 
 私はバッグから木の鍵を取り出し、夏にバーゲンで買った派手なサンダルを履いて、ズルズルと歩き出した。

 ぬれ髪が風にあたって、すごく寒かった。


                                  (つづく)




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