RIKAの日常風景

日常のちょっとしたこと、想いなどを、エッセイ風に綴っていく。
今日も、一日お疲れさま。

連載小説「冬枯れのヴォカリーズ」 vol.33 最終章

2009-03-31 14:27:25 | 連載小説

      §  

大学生になって奈歩に薦められて読んだ本に、五木寛之の『大河の一滴』と言う本がある。そこには何回も読み直したくなる文章が沢山詰まっていて、急にまた読み返したくなり、町の書店でもう一冊買って、読んだ。本当は全く気力はなかったのだが、何もしないでいるのはもっと辛かったのだ。

 優しい文章に久しぶりに触れ、母がいなくなった心の寂しさをずいぶん紛らわせることができたように思う。 『…人間はただ生きているというだけですごいのだ…』  今は、その意味が実感を込めて分かる。

 翌日、父が、

  「昨日掃除していたら、見つかったんだ」
 そう言って私に見せたのは、一冊の本だった。それは『病院へ行かずにガンを治す方法』と言う本だった。その後ハッとして、洗面所へ行き、戸棚を探すと、  


奥の奥から、おびただしい量のクスリが発見された。





 私は21歳になった。学年で一番最後に…。

 母のお葬式以来三日間は、ただ床の中で本を読んだり、昼間なのに寝たりの繰り返しだった。松崎が来てくれなかったら三日経ったことにさえ気付かないでいるところだった。

 松崎には今回ずいぶん交通費を使わせてしまった。この間の岡山行きだって、東京からの方が都合良かっただろうに…。私はまずそのお礼を言った。


「理美、少しは外の空気でも吸ってきたらどうだ」
 父が気を遣ってくれたので、久しぶりに松崎と外へ出る。オシャレをする元気はなく、化粧もそここに出掛けた。


 松崎は、もうダッフルコートは着ていなかった。
 外はいつの間にか春本番になっていて、庭のチューリップが満開で、たんぽぽも沢山咲いている。

 松崎が、 「この前行けなかった喫茶店に行ってみようか」と言ってくれた。

 何も考えていなかったので、それがいいね、と言ってナビをして向かう。

 途中、カーラジオから、たまたま「ヴォカリーズ」が流れてきた。

「オレの両親、理美ちゃんに誉められて以来、毎日のように二人で弾いてるんだ。最近新しい曲も始めたよ。『ジムノ・ペディ』って曲。理美ちゃん知ってる?」

「うん、エリック・サティのでしょ。いい曲だよね」

 高村くんが話していたことを、ぼんやりと思い出す。

「せっかくだから、その『花見山』っていうところにも行ってみない?花綺麗なんじゃないかな?」

 そうだね、と言う。


 花見山は全国的にも有名になっただけあり大変な混雑だった。

「大ちゃんとはまたいつでも来れるし、今日はやめとこう」

 賑やかな所に行く気分ではなかった。

 喫茶店に着く。ここは幸いまだあまり知られていないのか、駐車場も空いていた。  この喫茶店もオーナーの趣味で始めたらしい。入り口が『カフェ傅』にそう言えば似てるなとぼんやり思う。

 店内に入ったとたん、幸せな匂いがした。年配の、ちょうど母ぐらいの女性四人組が楽しそうにおしゃべりをしている。それから窓際には、カップルが背中を向け仲良く座っている。


 松崎が手を挙げてくれて炭焼きコーヒブレンドを注文し、大きなガラス張りの外の景色を眺める。

「あ、すみません、シフォンケーキも一つ下さい」

 戻って行く店員を呼び止めて松崎は言う。

「シフォンケーキ好きだったよね?」
 勝手に頼まれることが、今日はやけに嬉しい。


 私が言葉少ないことは、考えてみれば珍しいかもしれない。いつも松崎が言葉足らずなのを必死にカバーしようとしていたように思う。けれども、そんな必要はほんとはないのかもしれない。

「理美ちゃん、どう?落ち着いた?」
 松崎の方から質問してきてくれた。


「ありがとう。だいぶ落ち着いてきたよ」
 それだけ言った。ああ、松崎とは同じ時間を生きているんだなぁ、などと当り前のことを思う。


 そうしてしばらくの間、外の景色を眺めた。

 ここは小高い所に建っていて、見晴しが抜群にいい。遠くには吾妻連峰がくっきり見える。雲一つ見当たらず、すっきり晴れ渡っている。近くには、桜の木が何本かあって、三部咲きぐらいだ。優しいピンク色の花が、風にゆらゆら揺れる。いつの間にか、こんなに季節は進んでいたんだ。


 コーヒーとシフォンケーキが運ばれてきた。 松崎が、

「これは岡山のお土産だよ。誕生日のお祝いも兼ねちゃったんだけど」

 そう言って、包装した四角い箱を差し出した。

「大ちゃん、ありがとう」

 ゆっくり開けてみると、


  それは渋い一輪挿しだった。



「備前焼って言うんだって。理美ちゃん花好きだからいいかなと思って」

「ありがとう」

 その一輪挿しを、ゆっくり360度回転させて、しげしげと眺めていると、

 「将来はさ、一部屋和風にして、この花瓶を飾ったら似合いそうだよね」

 私は顔をあげ、松崎を見つめた。

「オレさ、理美ちゃんとずっとやっていくつもりだから」

 私は目を反らさなかった。松崎を正面から見続ける。


 「二人なら、なんだって乗り越えられる」

  松崎は私の手を握って、しっかりとそう言った。



   ウグイスがのんびりと鳴いた。

   青い空には、飛行機雲が漂っていた。   


              -END-


                    原稿用紙483枚








連載小説「冬枯れのヴォカリーズ」 vol.32

2009-03-07 22:34:47 | 連載小説

   

  §


 姉の結婚式の日は雲一つない晴天で、やわらかな陽射しが降り注いでいた。風もほとんどなく穏やかで、裏の桃畑にはおおいぬのふぐりが一斉に咲いている。野の花ってどうしてこんなにも綺麗なんだろう。

 母は、外出を許可されなかった。骨が弱っていて、車椅子でさえも移動できる体ではなく、さらに肺の機能低下で、今では酸素マスクを付けなければならなくなっていたのだ。

 式は午前11時半からだったので、姉はその前に純白のウエディングドレス姿で病室を訪れた。私はドレスを持ち上げる介添え役で付いてきた。

「お母さん、どう似合ってる?お母さんと体型がぴったりだったのよ!」
 姉は精一杯明るく振る舞おうとしてみせたが、たちまち目が潤んでくる。

 母が結婚式で着たウエディングドレスなのだ。何十年も前のものなのに、保管状態がよかったのか変色もしていなく、シンプルなデザインだから古さは感じない。

 「美香、おめでとう。行けなくてほんんとにごめんね」
 酸素マスクの中からくぐもった声で、母は言った。

  「お姉ちゃん、これ」  姉にハンカチを渡した。

  式場は福島駅前にある、福島では一番の結婚式場だ。車から降り、周りの視線を感じながら、エレベーターで9階の控室へ向かう。

 まだ10時40分なのに、控室には既に20人ぐらいの人が集まっていた。長澤さんはそこで待っていた。

「お母さんは大丈夫だったか?」
 姉の顔を心配そうに見る。姉は純白のドレスには似合わない真剣な目指しで、

  「うん」  と頷いた。

  夏木家の、特に母方の親戚の人の表情は、お祝い用の笑顔には程遠い。知らない顔ぶれはきっと長澤家の方だろう。普通に盛り上がっていて、少しホッとさせられる。

 2日前に兄の厚太がロンドンから帰ってきていて、兄も正装をして部屋の隅に一人ポツンといるのに気付く。髪も茶髪でヒゲもあって、小さい時とは別人のようだ。兄に会うのはそれこそ四、五年ぶりかもしれない。

 兄の方へ行く。

「お兄ちゃん、向こうでの生活はどう?」

「まあな」
 兄は寡黙だ。それに7才も離れているから昔はほとんど話したことはなかった。

  「お母さん喜んでたね」
 昨日家族全員で(長澤さんとそのご両親も)病院にお見舞いに行ったのだ。

 「…うん。あんなんなってるとはな…」
 兄は厳しい視線で、前方の華やいだ様子をじっと見つめ、そうして項垂れた。  
  父が入って来た。私たちには気付かず、夏木家の親戚が集まっている方へ行き、挨拶をしている。その人たちはここ一か月の間に入れ代わり立ち代わりお見舞いに来てくれていた。

 11時15分になったので、チャペルへ移動する。介添えは専門の人にバトンタッチしたので、そのまま兄と向かう。

 長澤さんや姉の友人はさすがに大人っぽく、あと五年したらこんな風になれるかなぁ…とぼんやりと彼等を眺めながら、無言で歩いた。

 チャペルは、早苗の時とは対照的で、広くて新しい開放感のある空間だった。

  正面はなんとガラス張りになっていて、白いレースのカーテンが三つに束ねられて下がっている。陽の光が入りとても明るく、外は日本庭園になっていた。滝が流れているのも見える。

 兄と、左側の一番前の席に座った。兄の右隣の席は二つ空けておいた。ちゃんと母の場所も作りたかったから…。

 11時半になり、式は始まった。

 一斉に後ろの戸の方を向く。

 姉が父と入場。そのゆっくりと一歩一歩進む姿を見ているうちに、目頭が熱くなってきてハンカチを出す。長澤さんはすぐ近くで姉を迎える。

 賛美歌の声は大きかった。とても清らかな響きだった。歌は人々の心を一つにする。



  披露宴も終わりに近付いた。

 「ここで、新婦から新婦のご両親へ、今日まで育てて頂いた感謝の気持ちを込めたメッセージがございます。今日の日を迎えるにあたって、いろいろな思いを手紙に託したとのことです。それでは お願いします」

 照明が落とされ、姉にスポットライトがあたる。姉は手袋を脱ぎ、介添えに渡し、手紙を出してマイクの前に立った。


 「今日母は来れませんでしたが、母もこの会場にいるつもりで読みたいと思います。お父さん、お母さん、今日私は、お母さんが着たウエディングドレスに身を包み、正孝さんの元にお嫁に行きます。こんなに盛大な結婚式が挙げられたことを心から感謝しています。生まれる時は、お母さんのお腹の中が心地良かったのか、一旦入院したのにまた帰されたそうですね。最初から迷惑な娘でした。小さい頃お父さんはよく私を手の上に乗せて、高くまで上げてくれましたね。私はあの遊びが大好きでした。お母さんは休日になるとよくお菓子を作ってくれましたね。いつだったか、私が粉を頭からかぶってしまった時も、叱らずに笑ってくれましたね。考えてみると、お母さんは滅多に叱りつけることをしない人でした。そう、他人には優しく、自分には厳しい人でしたよね。乳ガンの手術をした後も、きっとどんなに心配だったか知れないのに、そんな不安は全部自分の中に閉まって、私たち家族に明るく振る舞っていました。再発したことを、どうしてもっと早く気付いてあげられなかったのでしょう。悔しさでいっぱいです。お母さんごめんなさい、本当にごめんなさい。お願いです、もっと私たちのそばにいて下さい。赤ちゃんの育て方だってまだ習っていないじゃないですか?私にはまだまだお母さんが必要です。大学も東京に出してもらい、さんざんお世話になって、まだほとんど親孝行させてもらっていないじゃないですか?私たちに親孝行する時間を与えて下さい。もっともっと生きて下さい」

  会場からは啜り泣きの音あちこちで聞こえた。

 

  その20日後、3月27日の朝、母は静かに息を引き取った。

 早朝にけたたましい電話のベルが鳴り、すぐに兄と私も起こされ病院へ向かったのだ。姉はどうしても仕事で川越に戻っていていなかった。

 病室に着いた。母は昏睡状態で目を閉じていた。心電図を映したモニターの端に光るハートマークが母の心臓と同じく動いている。その姿を見たとたん、鼻がツンとなって涙がこぼれ出した。

 生命力みなぎる春の陽射しに気付いて外を見る。今にも『母』という一つの世界が終わりを告げようとしているなどとても考えられないような暖かな日だ。  

  2時間ぐらいそうして母を見守っていただろうか。

 モニターに異変が起きたのは午前11時を回ろうという時だった。医者が駆け付け、母に聴診器をあてた。

 私たち家族の方を見て、首を左右に振った。

 体中から力が抜けていく。涙が再び出てきた。父が手で顔を覆う。兄は窓の外をじっと見つめる。

 看護婦が酸素マスクをゆっくりと外すと、


 母は、これ以上ないほど穏やかな顔をしていた。



 病室を出ると、待ち合いのロビーからはセンバツ高校野球の賑やかな声援が、微かに聞こえてきた。  

 お通夜は激しい雨が降ったが、お葬式の日は暖かな日となった。

 喪服を着て、母の実家霊山へ向かった。

 3月29日、午前九時。  小学校の校庭の桜は、いつの間にか濃いピンクのつぼみを沢山付けていて、空にはところどころにカリフラワーのような雲が浮いている。

 霊山に着き、裏に車を停め玄関に回ると、沢山の献花が飾られていた。あまりに早い母のお葬式…。

  夏木家の親戚は既に結構集まっていて、この間姉の結婚式に来てくれた人ばかりだったので、どういう顔をしていいか分からなかった。おばさんが忙しく働いているので、私も何かしなければと思い、割烹着を着て用意を手伝った。姉は既に来ていて、忙しく動いている。


 午前10時半、式が厳かに執り行われた。重厚な戸は開け放たれ、二部屋がひと続きになりとても広い。総勢70人ほどだろうか。

 最前列に座る。お坊さんがお教を唱え始まった。

 目の前には母の棺があって、中には母がすっぽり入っていて、隙間には白い菊の花が沢山入っている。目線を上げると、母の写真が飾られている。

 そこには梅の花に囲まれて微笑んでいる母の姿があった。

 死後二日経ち、少し冷静さを取り戻してはいたものの、まだ現実を受け入れられずにいた。母は本当に死んだんだろうか。お教を聞きながら不思議と涙は出ず、そんなことを考えていた。言いようもない虚脱感…。

 電報がかなり沢山読み上げられた。母が仕事でかなり広範囲の付き合いをしていたのだと言うことを初めて知る。


 母が死んだと実感したのは火葬場でだった。『焼く』ってことがどうしても可哀想で、棺がかまどに入って行く瞬間、私は声を上げてしまった。母が本当に熱いと感じないなんて思えなかったのだ。

 その後、骨になって出て来た時に、初めて、

(ああ、母は死んだんだ)

 と認識したような気がする。人間が有機物の集まりで出来ているモノであるということをかみしめながら、骨を一つ一つ箸でつかんだ。大きい骨はどうしても取る気がしなかった。

 いくら人間が有機物でできているとは言っても、魂っていうのは本当にあると思う。お母さんの魂は、けして焼かれずに残っている。私はその魂を感じながらこれから生きていくんだ。

 次の日、松崎が東京から新幹線でお線香をあげに来てくれた。松崎の喪服姿はもちろん初めてだ。久しぶりに見る松崎は、キリッとしていてものすごくかっこよかった。喪服姿のせいかもしれないがそれだけではないような何かを感じた。きっと研究に打ち込んでいる気迫が出ていたんだろう。

「明日から岡山で学会なんだ。一日にまた来るね」

 そう言って夕方阿武隈急行で仙台へ行った。そこから岡山に飛ぶ手配をしてくれたらしい。

 桜の花は今にも咲きそうだった。