RIKAの日常風景

日常のちょっとしたこと、想いなどを、エッセイ風に綴っていく。
今日も、一日お疲れさま。

連載小説「冬枯れのヴォカリーズ」 vol.16

2008-12-17 10:33:35 | 連載小説

    
 §

 島根旅行から帰った翌週の火曜日、フットサルの練習試合が『ミズノ藤沢』という体育館であった。12月21日に開催されるクリスマス・カップへ向けての練習だ。
今日の対戦相手は慶応藤沢キャンパスのチーム『コルミージョ藤沢』だ。ベジェッサ西早稲田は交通費がかかるということで、体育館の使用料はコルミージョ藤沢のメンバーでもってくれた。
 奈歩と私は四限が終わり次第直行したが、さすがに藤沢は遠く、六時からの試合に少し遅れて到着した。
 松崎はいなかった。研究が忙しいのだろう。ベジェッサ西早稲田の今日のスタメンは池上、修平、内山、大西、秋元だった。
 コルミージョ藤沢のメンバーは揃いも揃ってかっこいい。特にその中でも、柏原崇似と谷原章介似の二人がいて、類は友を呼ぶとはまさにこの二人のことかと思う。いつだって一緒なので、ますます目立つ。ターコイズブルーと白のボーダーのユニフォーム姿もかっこいいが、何と言っても私服姿がかっこいい。私はこのチームとの試合の時は、だいたい予定を返上して顔を出す。まるで、本物の芸能人に会うようなそんな気分なのだ。こんなこと言ったら松崎に怒られそうだけど…。  

  早苗は、今日は大した授業はなかったということで、池上くんたちと一足先に到着していた。  コルミージョ藤沢と対戦するのはオータム・カップ以来で、あの時は0ー3で大敗してしまった。
 コルミージョ藤沢は、何と言っても連携プレーが持ち味だ。相手がボールをキープしている時、連携しながらプレッシャーをかけていく。修平などは急いでボールを奪おうとするので、相手の選手にすぐかわされてしまうが、コルミージョ藤沢の選手たちは、腰を落としてジリジリと間合いを詰めながら、パスのコースを消していく。それも、なるべくゴールから遠い場所へ相手を追い詰めていくのだ。  

 コルミージョ藤沢側にもマネージャーが二人いて、彼女たちは一年から一緒で顔はよく覚えている。なにせ二人共美人なのだ。きっと、選手の中の誰か二人は間違いなく彼女たちの彼氏なんだろうな。やっぱりあの柏原&谷原かな…。

 応援をがんばった疲れを取ろうと思い、夜、銭湯に行った。11時を回っていたけれど、たっぷり一時間入れれば満足だ。いつものように受付のおじさんに100円玉4枚を渡し暖簾を潜ると、今日は脱衣所が混んでいた。一番下の真ん中のロッカーが辛うじて空いていたので、両脇の人に気を遣いながら遠慮がちに割り込む。

  『本日の湯』のコーナーは『レモングラスのお風呂』だった。
 いつものように、まず髪を洗い、次に化粧を落とし、最後に体を洗って、『レモングラスのお風呂』に入る。レモングラスの匂いに包まれて極上のひととき。  

 すっかり温まったので上がって、ロビーでひと休みし、持ってきたケイタイを取り出す。この間早苗に言われたことや、中村コーチに言われたことが気になっていた。中村コーチの言うことも正しいのかもしれない。けれども奈歩のアドバイスを信じたかった。高村くんに、思いを伝えなくては。

 銭湯を出て、静かな夜道でもう一度ケイタイを出す。画面がすごく明るくて懐中電灯のようだ。

 高村くんを検索する。
 寒い中、何十分も考えた。お寺の方にも歩いて行って、また銭湯に戻って、うろうろしていたから、誰か見ていたら、相当怪しまれただろう。

 そして、約30分後に、思いきって通話ボタンを押した。
 
 手が震える。

 呼出し音がヤケに大きく聴こえる。

 五回呼び出し音が鳴って、高村くんが出た。

 「はい、もしもし」  歯切れの良い、あの声。

「あ、私、夏木です。突然ごめんね。今大丈夫?あのね、今藤の湯を出たところなんだけど、ちょっと出てこない?」
 私は、何気なさを全面に出して、さりげなくこう言った。

「そうですか、いいですよ」  高村くんが二階から降りてくるのと、私がすみれ荘の入り口に着いたのはほぼ同時だった。

 あんなに狂いそうになるほど考えて電話したのに、いざ会うと、笑顔で、季節の挨拶などをしてしまう。

 しばらく家の前で立ち話していたが、高村くんは、

「寒いから、良かったら入りませんか?コーヒーでも淹れますよ」  と言った。

 「えっ?本当に?」  耳を疑った。松崎の顔が浮かぶ。それから美雪さんのことも…。ためらいは、高村くんには伝わっていない。スタスタと階段を上って行ってしまう。
 どうしよう…。階段を上る。一歩一歩をゆっくりと…。
 二階に上がって初めて気付いたのだが、高村くんの部屋の向かい側の家では、二階のベランダでうさぎを飼っていた。結構大きな小屋で、私が初めて見る顔だと知ってか、足をダンダンと踏み鳴らし威嚇している。

 いつも外から明かりだけを見ていた部屋…。その部屋にまさか入れるなんて。信じられなかった。
 高村くんは鍵をかけずに出てきたようで、鍵はかかっていなかった。

「汚いですけど、どうぞ」

 玄関には、靴がごちゃごちゃと五足ぐらい置いてあった。高村くんはつっかけを脱いで、玄関の靴を急いで靴箱にしまう。部屋の匂いはエキゾチックな香水の香りと、なんとも言えない小学校の体育館のような懐かしい匂いがミックスした感じ。部屋全体が雑然としていて、高村くんのかっこよさとのギャップに思わず気持ちが緩んだ。  ざっと見たところ、確かにきれいではなかった。けれども、その雑然さに、妙にあったかい人間性みたいなものが見え隠れしているような気がしてホッとした。人間、完璧な人なんてそうそういないんだなぁ。

 玄関に入ると、手前にまず六畳ぐらいのキッチンがあり、料理はあまりしないのか、流しにはコーヒーカップが二個置いてあるだけで、ガス台には鍋類は見当たらず、前に話してくれた注ぎ口の細い銅製のポットだけが目に入った。

「どうぞ、汚いですけど」  いつものあのパリッと決まった高村くんが、今日は部屋着らしいグレーのアディダスのトレーナーに、やはりトレーナー生地の紺の先がつぼまっているズボンを履いている。すごくアットホームだ。

 キッチンを通り、奥の部屋に向かう。そこの空間に入った瞬間、脳内からα波が出たように感じたのは気のせいではないだろう。和室を洋室風に使っていて、つまり、畳には薄いブルーのカーペットを敷き、左側にはグレーのカバーのソファがあり、真ん中にはガラスのテーブル、そして右側に21インチぐらいのTV、それにオーディオがあった。そして部屋の奥の窓側をベッドが占めていた。見てはいけないものを見たような気持ちになった。ソファやカーペットと同系色の、グレーと青のチェックの布団カバーで、枕もお揃いのカバーだった。シンプルで、とても居心地のよい感じの部屋だ。

 確かに雑然とはしているのだが、それは綺麗な汚さだった。例えば机の上に食べかけのカップラーメンがあったり、服が脱ぎ捨ててあったり、そういういかにも生活臭い感じはなく、本とCD、それから新聞や雑誌、そういったもので床やテーブルが埋まっている、敢えて言うなら、無機質な汚さだった。

 壁に目を移すと、電話器の上にはヨーロッパの田舎の風景カレンダー、そしてその傍には『グレン・グールドの生涯』という映画のフライヤーや、東京ジャズフェスティバルのチラシ、などが無造作に貼ってある。

「どうぞ座って下さい。今コーヒー淹れますから」
 そう言って、台所でお湯を沸かし、コーヒーを淹れる準備を始める。

 ゆっくりとソファに座る。すぐ手が届くぐらいの所に本棚があって、社会学や政治学などの専門書や、小説、そして詩集がズラッと並んでいる。忘れもしない高村くんに初めて出会った時、彼が読んでいた『ランボー詩集』もあったので思わず手に取ってみたくなって、

「ちょっと詩集見せてもらってもいい?」  と言うと、
「どうぞ、オレのコレクションなんで、見てもらうのは嬉しいですよ」  と爽やかに言われ、『ランボー詩集』を手にした。ページをパラパラ捲ると、すごく、こう、力のある言葉、そしてちょっと乱暴な言葉がちりばめられていた。

(またみつかったよ!何がさ?永遠)

 という素敵なフレーズもあった。裏表紙にランボーの顔写真があった。びっくりしたのはその顔や雰囲気が、高村くんにとても良く似ていたことだった。

「高村くんってランボーに似てるんじゃない?」  と言ってみたら、

「そうなんです。実は、高校の時の現代文の先生にそう言われて、興味を持ったのが始まりなんです」

 気が付くと、いつのまにかけたのか、オーディオからはマイルス・デイビスの「カインド・オブ・ブルー」が小音でかかっていた。私はもう一度部屋を見渡す。カーテンの桟には、三、四着のコートやジャケット、それにいろんな色のマフラーがハンガーにかけてある。その中には、この間秘密の喫茶店に連れて行ってもらった時に着ていた紺のPコートもあった。

 TVの下の戸棚に、DVDが十本ぐらい入っているのが見えた。私はそこに近付いてみる。『スモーク』『トリコロール/青の愛/白の愛/赤の愛』『太陽と月に背いて』など知っているものもあったが、『汚れた血』『水の中のナイフ』『袋小路』『桜桃の味』といった知らないものもあった。それから『世界遺産』が数本あった。 「スモーク私も好きよ」  と高村くんに言うと、

「やっぱり。今度貸そうかなと思ってたところなんですよ。絶対好きそうって思って。最後の盲目のおばあさんと孫になりすました主人公のクリスマスストーリーとかね。太陽と月に背いてはランボー役がディカプリオってのは許せないんですけどね…」

 と高村くんが話しながら、コーヒーを運んでくる。

 二人でソファに座る。

 今日電話したのは、思いを告げようとしてのことだった。でも、高村くんの姿を見て、高村くんの部屋に入って、肝心な言葉が出て来なかった。告白したら終わってしまう怖さもあって…。

「そう言えばトヨクニ潰れちゃったの知ってる?夜逃げだったんですって。今度あの敷地には、ドラッグストアができるみたい」

 私はいつものように近所の話題を出してみた。高村くんにとって私の存在は、きっと、単なる近所の友達になりつつある知り合い、っていう程度なんだろう。なのに、そんな話をしたら困らせるだけだし、二度ともう会えなくなるのは嫌だった。

 「そうそう、びっくりしました、突然だったから。東西線使ってるからトヨクニはよく使ってたんですよ。まぁ、ドラッグストアも便利だけど…」

 高村くんはそう言って、ゆっくりコーヒーを飲む。

「そういや、りんご、とても美味しかったですよ。美雪も喜んで食べました」

 私はそれを聞いて一瞬ドキッとした。高村くんが美雪さんに、私からもらったとかそういうことを言ったのか気になったが、言葉にはしないでおいた。  そこからは、また訳もなく話が弾んで、映画のこと、好きな音楽のこと、国際政治論のこと、私の実験の失敗談などなど楽しくおしゃべりしてしまった。

「グレン・グールドの生涯、観に行ったの?私結局行けなかったんだ。私ね、ピアノずっと習ってて。大学に入ってからも二年から再開して。目白にある音楽教室に通ってるの。でもグレングールドのことは、母が好きで結構前から知ってたの。彼は一九三二年、カナダのトロントに生まれたのよね。お父さんは毛皮商、お母さんは声楽教師で、親戚には確かあの偉大な作曲家グリーグがいたはず。彼のCD一枚だけ持っているんだけど、あのノン・レガート奏法が私は好きだわ」

 「夏木さん詳しいですね。オレの家でも親父が好きでよく流れてたんです。きっと夏木さんのお母さんとオレの親父は同年代で、見たり聞いたりしたものが似ているのでしょうね。彼、ある意味変人だったらしいですよ。芸術家って多かれ少なかれそういうところあるんでしょうね」

 私は、高村くんと共通の話題が沢山あることに、言い様もなく満たされた。  

 高村くんが、CDを変える。
 サロンで流れているような曲が流れ出す。

「これって、聴いたことある。何て言うんだっけ?」

「エリック・サティの『ジムノ・ペディ』っていう曲です。これも結構好きなんです」

 彼の話し方、身ぶり手ぶり、心地よい声、切れ長の目、整った鼻と口…本当はそれらを見ているだけで嬉しくてしょうがなかった。それにプラスして、こうやって共通の話題が多いのは本当に楽しく、素晴らしい時間だった。こんな時間が、本当にあっていいのだろうか…。高村くんは明るい。そして、たまにポロッと出す広島弁がとても可愛い。高村くんはどこまでも礼儀正しかった。そのことが、私との間に明らかにある一定の距離を置いているように感じられたが、その距離感までもが心地よく上品に思えた。

 話している間、高村くんには頻繁にメールが来ていた。おそらく美雪さんだろう…と、

「どうぞ、返信してあげて」  と言ったけれど、

「大丈夫ですよ、ありがとうございます」  と明るく言われた。

 あっと言う間に午前二時を回ろうとしていた。

「ごめんなさい、こんなに遅くまで」
 私は時間に気付くと謝って出ようとしたが、高村くんは、

「オレは、授業いつも午後からなので、二時ぐらいは平気で起きてるんです。三時からのNHK総合の『映像散歩』好きでよく見てますよ。その後の『視点・論点』まで見ることも…なので気にしないで下さい」
 なんと明るいフォロー。どうしよう、告白するなら今かな…。でも…。

「あ、オレ、家まで送りますよ。この時間に女の子の一人歩きは危険ですから」  と言って彼はコートをさっと着て、マフラーをした。

 すみれ荘を出ると、外はすごく寒かった。あまりに寒くて、私は思わず高村くんに寄り掛かった。

  「寒い」

 高村くんは避けなかった。

 ほんの2~3分、こうして身を寄せ合って歩いた。恋人の予感がした。私はどうしようもなく高村くんが愛しくて、この時間が永遠に続いてくれたら、と本気でそう思いながら一歩一歩大切に歩く。

 途中誰ともすれ違わず、シンと静まり返った住宅街に二人の靴の音だけが響いた。  エレガンス東中野に着く。

 向かい側の家の犬が私たちに気付くとひとしきり鳴いて、そうしてまた鳴き止んだ。

「それでは夏木さん、また」

 高村くんが私の腕をゆっくり離し、手を振ろうとした…その時、私は、離れて行く高村くんを引き止め、抱き締めた。Pコートは、かすかにエキゾチックな香りがした。

  時間が止まったようだった。ずっとこうしたかったんだ。すごく切なくて、嬉しくて…。私は高村くんの胸に顔を埋めた。

  「夏木さん…」

 高村くんは冷静だった。私をゆっくり引き離し、両肩に手を置いて、

「夏木さん、こういう風だったら、もう会えないですよ。オレも、美雪がいるから、夏木さんとは近所の良いお友達でいたいんです。それじゃ駄目ですか?」  

 高村くんの目はとても真剣だった。  私は、

「高村くん、私、あなたのことが好き。本当にこんなに好きになったのは高村くんが初めて。友達でいたいけれど、こんなに好きじゃ友達にもなれない…」

 隠さず正直に話してみた。すると高村くんは、

「大丈夫、オレの気持ちはしっかりしていますから。だから友達としてこれからもまた楽しい情報交換しましょうよ、ね、夏木さん」

 高村くんは、私が好きだと言う気持ちを告白したからか、とても綺麗な笑顔を見せてくれた。

 アパートの鍵を開け、真っ暗な部屋に戻る。

 さっきの抱き合った余韻が、いつまでも残っていた。



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