教師☆学校心理士のセルフカウンセリングルーム

学校心理士によるつぶやき。教師の悩み・試行錯誤に寄り添うブログです。

いのちの教育

2009年05月16日 | Weblog
 暑くなったり涼しくなったり気まぐれな天気が続く。。
いい天気の日には、ちょっと遠出したくなるなぁ。。

 近藤卓『死んだ金魚をトイレに流すな』(集英社新書 2009)
びっくりするようなタイトルであるが、「いのちの教育」の本である。
飼っていた金魚が死んでしまった後、どうするか、という問いに対して、庭の土に埋めてあげると答える人が大半であるという。だが、中には集合住宅住まいで庭など無く、「トイレに流す」と答える人がいるのだそうだ。そこから引いてのこのタイトルである。それを見る子どもは何を学ぶのだろう。
 自殺の増加、無差別な殺人事件、傷害事件などが報道を通して、日々耳に入る。命が大切にされない世の中になっていってしまっている傾向はあると思う。

 自分の命、そして他者の命、自分を取り巻く動植物の命、「命」を大切にする教育が大切なのは言うまでもない。学校教育への社会からの要請も強いと言える。

筆者は10~12歳くらいの「いのちの体験」が重要であると言う。
「いのちの体験」とは「人間はなぜ死ぬのか」「いつか自分の死んでいくのか」という疑問にぶつかり恐怖と不思議さが頭から離れなくなるような体験のことである。どこにも答えのないこの恐怖、不思議さ、挫折感をだれかと共有することができるかできないかで、その後の「いのち」の捉え方に大きな差が出るのだという。
こうした恐怖を感じているのは自分だけではないんだ、と感じることができたとき、それを一端棚上げして自分の生活に戻っていくことができるのだそうである。
ここからも子どもにとって、両親の存在がいかに大きいかを感じる。子どもを無条件で受けとめ、感情を共有してくれる両親の存在は何物にも代え難いものだと改めて思う。
その子どもにとって最も大事な両親とのかかわりが十分である子どもも不十分である子どもも学校にはやってくる。学校でも10~12歳の子ども達と、もちろん実態をよくみた上でであるが、「いのちの体験」の共有をしてあげたい。ただ、いのちは大切だ、大事にしようと道徳の授業で言っただけでは子どもの心の底には届かないのだと思う。「先生も同じように恐くなったよ。」と言ってあげたい。そして答えのでない問いをいっしょになって考えてそれでも生きていくっていいね、という気持ちを共有したい。
また、「いのちの教育」は特別な1時間の授業、打ち上げ花火で終わるものではないと考える。もし「いのちの教育」を実践しようと思うなら、すべての教育活動で行っていくのだと思う。「生きていることを喜びに思う」「自分を大切に思う」「友だちと認め合う」みんな「いのちの教育」だ。教師の「いのちの教育」をしようという意識が、学校生活の全てにおいて徹底されればいいのだと思う。日常の小さな働きかけと「いのち」を考える道徳授業の実践、それを積み重ねていくことで子どもはいのちの大切さをわかりそしていのちを大切にする生き方を身につけていくのだと思う。

 「いのちの教育」なんて当然大切だ、と思ってはいたが、どうするか何が重要なのかまで深く考えたことはなかった。これからも考え続けていかなければならないことだとも思う。そのきっかけを与えてくれた学習会とこの本に感謝したい。

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