教師☆学校心理士のセルフカウンセリングルーム

学校心理士によるつぶやき。教師の悩み・試行錯誤に寄り添うブログです。

お仕事

2009年05月13日 | Weblog
 先日の「学級集団心理学特論」の授業で聞いた言葉「教師が子どもを変えるのではない。子どもは自分で変わる。教師はその環境をつくってあげるのが仕事」

 では、教師がつくる環境とはどんなことをさすのか。
まず、教室や学習用具、設備などの環境の整備はまずあげられる。
次によく言われることであるが、教師そのものが環境である。子どもは教師の一挙手一投足、表情をよくみている。教師の言葉をよく聞いている。つまり、教師の言語的、非言語的行いが子どもにとって大きな影響を与える環境になっている。
そして、授業デザインによる環境づくりがあげられる。子どもが自ら変わることができるよう、学習形態や教材、活動、など学びをデザインするのも環境と言える。

 子どもたちが自分たちで関わり合って学ぶ学びのスタイルが注目されている。教師は授業の目標を示したら、授業の主導権を子どもに委譲するのである。

 私もそういった学びができる集団を目指したいと思っている。教師の顔色を見て正解を言おうとするのではない、クラスの仲間に関心をもち、自分たちで高め合うことのできる集団である。

 どういった集団ならそれができるのか。それは相互尊敬、相互信頼のある学級だと思う。協力原理の上に立った、お互いに存在を尊敬し、認め合う学級である。または、その価値観を共有している集団であれば、学級集団をつくりながら実施していくことも可能だと思う。では、その価値観、または「7つの習慣」で重要な概念となっている、原則中心の生き方、道徳、人間関係におけるルールはどう学ぶのか。そこには教師の指導が入るのではないだろうか。

 子どもは自ら変わる力を持っているし、お互いによい刺激を与え合い学んでいくことができるだろう。そして、小学校入学までに家庭によって、生きていくうえで、人間関係で大切なこと、してはいけないことなどをしつけられ、身につけてきているであろう。それを子ども達が自分たちで自覚しながら、軌道修正しながら学んでいくことができるのであれば最初から教師のガイダンスは必要ないのだろう。しかし、それは可能なのか。
 
 地域や家庭での教育力の低下の問題に加え、私はテレビやインターネット、雑誌など様々なメディアからの刺激に子どもは日夜晒されていることを無視してはいけないと思う。受動的な強い刺激に対して子どもの脳は思考停止になってしまうというし、毎日、テレビが送り届ける、価値観に教育されているといってもいい。もはや避けることのできないそんな生活環境にある現代社会下にあって、子どもは原則中心の生き方、相互尊敬、相互信頼の人間関係づくりを自らを律しながら友だちと律し合いながらつくりあげていくことができるのか。
 また、教科の関わり合い学習であれば、塾に通っている子どもが小さな先生になることができ、成立することはわかる。では、人間関係について生き方についての塾に行っている子どもは果たしているのか。

 私は、教師の適切なガイダンス、フィードバック、フォローが行われるべきであると考える。児童、学級の成長につれ、関わり合いの学びにシフトしていくことは取り入れたいと思う。
 社会学者エミール・デュルケムのことばを引用する。
「社会の道徳観が十分なら法律は要らない。不十分であれば法律を作っても意味がない。」
学級で考えれば
「学級における価値観が十分に共有されていればルールは要らない。不十分ならルールを作っても意味がない。」ということになるだろう。
お互いを認め合うという、価値観を理解、共有できていない集団で、ルールもなければどうなるのであろうか。教師の介入なしに関わり合いの学びができる集団は、大事なことが理解されている集団なのだと思う。
 学級活動での価値観を共有する授業、スキルトレーニングやSGEを取り入れた授業が必要と考えるならそれもいい。また、そういった特別な授業ではなく、日々の授業実践の中で「思いやり」や「仲間への関心」「感謝」の学びを積み重ねるのもいい。ただ、社会の形成者として成長していく上で大事なことを教師のガイダンスによって学ぶことは必要なのではないだろうか。

 「教師が不要になるの状態が理想だ。」という言葉は心の中にしっかり持っている。不要になる状態にするために仕事をしなくてはならないと思っている。


  

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