
今年の春も
よもぎが咲いている
自然界の約束ごとは
みな律儀である
チェルノブイリの和名は
にがよもぎ 芽吹きの季節
この遠い日本でも よもぎが咲く
チェルノブイリの年に 息子は生まれた
生まれいずる希望 よりも先に
絶望
があらかじめ用意された年
1986年4月26日
ソビエト連邦ウクライナ共和国
チェルノブイリ原子力発電所4号炉
放射能汚染事故
となりのおばさんは
にわか雨に洗濯物がやられては大変
とでもいうごとく
頭を抑えながら
放射能で 頭が禿げちゃうよお
おお 大変
と部屋に駆け込んでいた
事故報道直後の
市井の人々は そのような反応を示した
ことをなぜか忘れない
14万人が非難した
史上最大の悪夢
ソ連は崩壊したが
放射能汚染は残り
今も 石棺は風化しつづけている
汚染された土地であってさえ
離れたくはなかったベラルーシの農民たちは
今も汚染の続く自然のなかの食べ物を食べる
その理由が何故なのか
理解されない
「そんな行動は馬鹿げている」と言い放った
よその国の人々
かけがえのない土地には変わりがない
汚染後でさえ
20年たち 21世紀は
とうになじみ過ぎ
あの年に生まれた子どもたちが
生きていれば
息子と同じ20歳
甲状腺がんが
こどもたちに増えているという現実は
厳然として今もある
風に運ばれた放射能
ここ日本では あの時
きのこや牛乳やお茶の放射能汚染チェック
消費者は買うの買わないの
騒いでいた
何から身を守るのか
ガイガーカウンターを買うことが
市民運動としてひろがっていた
春になると 東京でも
タンポポが咲く
放射能にも酸性雨にも
汚染されていると知っている たんぽぽを
三歳の息子と いっしょに摘み
私は たんぽぽのお酒を つくった
東京のわずかな土を 公園に見つけては
生えているよもぎを摘み
私は息子に
よもぎだんごを作り
そして食べた
おいしいね というと
うん おいしいねと 息子は答える
何にもかえがたい
満面の笑みで
泥の感触は
人間の原初的な喜びである
ことを忘れないために
汚染されていると分かっていて 野原を駆け回った
走り出した息子と
一緒に 裸足で
オゾン層の破壊により
紫外線が強く がんが増えているという
おひさまのしたで
子どもが笑えないくらいなら
がんでも構わない
陽の下で 無心に遊ぶことを
私は選ぶ
地平線の果てに
ひとつにつながる
チェルノブイリと日本
まだ間に合うのなら
あるいは
もう間に合わないとしても
絶望さえ許されない
ともに生きる とは
ともに滅びる
ことも辞さないことだから