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G線上に ひとり

by remico

詩と写真と生活もざいく
 

水とひかり

2006-06-08 23:52:38 | 詩アラカルト
水が美しいと感じる瞬間
それは
光に当たっている場所と
影の場所の境界でしょうか

光と影

写真の原点

光を読むというよりも 光を感じ
影を読むというよりも 影を感じ
光と影の対比で 全体ひとつ
それぞれが最も美しさを表現できるのは
この対極があればこそ

水の光
水の影
対極あればこそ
美しさそのものの結晶である
ことが可能なのです

そして
人を理解するとき
こうありたいと願います

理解へ
言葉をつくしても なお
とどかない場所に
たどりつくには

存在の
対比と相似を
同時に感じるという
開かれた 方法で

あなたと


チェルノブイリ

2006-06-05 22:02:48 | 詩アラカルト
今年の春も
よもぎが咲いている
自然界の約束ごとは
みな律儀である
チェルノブイリの和名は
にがよもぎ 芽吹きの季節

この遠い日本でも よもぎが咲く


チェルノブイリの年に 息子は生まれた
生まれいずる希望 よりも先に
絶望
があらかじめ用意された年
1986年4月26日
ソビエト連邦ウクライナ共和国
チェルノブイリ原子力発電所4号炉
放射能汚染事故

となりのおばさんは
にわか雨に洗濯物がやられては大変
とでもいうごとく
頭を抑えながら
放射能で 頭が禿げちゃうよお
おお 大変
と部屋に駆け込んでいた
事故報道直後の
市井の人々は そのような反応を示した
ことをなぜか忘れない

14万人が非難した
史上最大の悪夢
ソ連は崩壊したが
放射能汚染は残り
今も 石棺は風化しつづけている

汚染された土地であってさえ
離れたくはなかったベラルーシの農民たちは
今も汚染の続く自然のなかの食べ物を食べる
その理由が何故なのか
理解されない
「そんな行動は馬鹿げている」と言い放った
よその国の人々
かけがえのない土地には変わりがない
汚染後でさえ

20年たち 21世紀は
とうになじみ過ぎ
あの年に生まれた子どもたちが
生きていれば
息子と同じ20歳
甲状腺がんが
こどもたちに増えているという現実は
厳然として今もある


風に運ばれた放射能
ここ日本では あの時
きのこや牛乳やお茶の放射能汚染チェック
消費者は買うの買わないの
騒いでいた
何から身を守るのか
ガイガーカウンターを買うことが
市民運動としてひろがっていた



春になると 東京でも
タンポポが咲く
放射能にも酸性雨にも
汚染されていると知っている たんぽぽを
三歳の息子と いっしょに摘み
私は  たんぽぽのお酒を つくった

東京のわずかな土を 公園に見つけては
生えているよもぎを摘み
私は息子に
よもぎだんごを作り
そして食べた
おいしいね というと
うん おいしいねと 息子は答える
何にもかえがたい
満面の笑みで


泥の感触は
人間の原初的な喜びである
ことを忘れないために
汚染されていると分かっていて 野原を駆け回った
走り出した息子と
一緒に 裸足で

オゾン層の破壊により
紫外線が強く がんが増えているという
おひさまのしたで
子どもが笑えないくらいなら
がんでも構わない
陽の下で 無心に遊ぶことを
私は選ぶ


地平線の果てに
ひとつにつながる
チェルノブイリと日本
まだ間に合うのなら
あるいは
もう間に合わないとしても

絶望さえ許されない
ともに生きる とは
ともに滅びる
ことも辞さないことだから





流星群

2006-06-04 23:43:40 | 詩アラカルト
あさきゆめみし なつのよる
さあ今宵 ガラスの空
みわたすかぎり 満天の星
ひとはみな 流星群

すれちがうことのせつなさよ
星の距離に比ぶれば
近くて遠い
ひととひとのあいだを
たゆとう
ながれ河

ぼくらはみんな ほしくず

ほしくずたちの
奏でる旋律
あまのがわに ただよう


わがこどもたちよ

2006-06-04 00:12:05 | 詩アラカルト
息子よ
おかえりなさい

わが小さな家を
出たり戻ったりの反復の道程
自分を探しているうちに
目指す方向のわからなくなった羅針盤
のように ぐるぐると空回りしている君を
母は視ています
打ちひしがれて ここへ舞い戻っては
ひたすら 陽の出ている時間のほとんどを
疲れた身体を 横たえて眠るのみ
その無防備なあなたの身体に
今はもう
いらだちを覚えますまい

わたしも かつて
あなたとおなじころ
そうでしたから

母のそばでさえも
昏睡するように眠れる はたちの君を
ただ何も求めず見つめていましょう
あなたの葛藤をそこに見るから
追い討ちをかけたくなる私を戒めて

迷える羊
精神と魂の正しいありかを求めていることを
母は感じています
そのあせりの正体もしっています
わたしも かつてそうでしたから
そして 今もそうですから
あなたもわたしもおなじですよ

日々 生成流転

可変流動の魂

あなたが 出かけていく場所には
自分を照らすたくさんの鏡があることを
あなたはわたしよりも多く 知っていますね
そのことを大事にしてください

あなたの仲間たちが あなたと同じように
あなたを照らしながら
自分を探していることを 私は感じています

響き合い 
どうぞそのことを大事にしてください

しかしまた同時に 還る場所というのは
友達といっしょにいることではなく
自分の心のなかに創造するものであることに
そろそろ気づき始めてましたか

独りでいることのほとんどない
友達の多い君には 大きな課題ですね
でも思い出してください

ほら

生まれたときは ひとり裸で
産道から這い出てきたのですよ
そのことをすっかり忘れてしまいますね
両の手をしっかりとにぎりしめて
生まれてきたではありませんか
赤子の手のひらに
こんな強い力が宿ることを
私はあなたによってはじめて知りました
あなたによって 生きることを知りました
だから 安心してください
あなたがどんなに独りであることをかみしめても
孤独ではないことを

何故ならそれは
皆 
同じ独り独りなのですから

母はまた
あなたのおだやかな表情のしたに
狂おしいほどの野生の怒りを静めていることを
知っています

不在の父への怒り
愛を寄こさないことの苛立ち

その怒りと戦っているもうひとりの君を
君自身が感じつつなだめている理性を
わたしは 畏怖しています

あなたが父となる日に
それがわが子への慈愛のまなざしへと
転化するよう祈るだけです
あなたがこどもたちを好きなのは
求める愛の裏返しであることも
感じています
あなたのその天性の 
母のような父のような
小さな子どもに
向けることのできる
優しいこころを
畏怖しています
きっといい保育士になれる夢が
実現しますように祈っています




     娘へ


10年も兄と離れて生まれた
娘よ
ようやくさいきん
ひとり寝ができるようになり
ひとり寝の寂しさを知りましたね
つかの間の孤独
それはやがて年々
シミのように拡がりつづけることを
母はしっています

でもどうか娘よ
やがていつか女であることゆえの葛藤に
まみれなくてすみますよう
母は 今
すっかり寝入ったあなたのすこやかな寝顔に
添い寝していることしかしてやれない

今はただ
あなたの後頭部と汗ばんだひたいを
撫でてやることができるだけ

母としてはなんとも無力な祈りを祈っています
どうかおんなであることで苦しみませんよう
どうかこのままあなたの無心の魂が
あらゆる世界の汚染から
守られていきますように


夜明け前の余震の朝に
神ではない大いなる虚空に向けて祈ります

朝が今日もきてくれました

背がまた少し
確実に伸びていますね
ねぼけまなこで おはよぉといえば
返ってくる返事があることの奇跡にすら
まだ気づかない無邪気なあなたよ

あなたの魂がこのまま守られるはずがないことを
母は知っています
だからあなたの苦しさは 同時に私の苦しさ

ですからどうぞこのまま
あなたらしさを
あなた自身のちからで守りぬき
生きていくことができますように
祈るだけです

神ではないおおいなる虚空に向けて
まだ皆眠る夜明け前

来るべきそれぞれの独りのために
わたしもまた
あなたたちと同じ地平に戻りますから

わが愛する
こどもたちよ

ちいさな腕のなか

2006-06-04 00:06:10 | 詩アラカルト
わたしの ちいさな腕のなかへ
あなたがたは委ねてくれた

疑うことをすら知らず
暗い産道から
全身まるごと
世界へ無防備に飛び込んで来た そのとき
その小さなあなたの体重を
支えるにはあまりにも頼りないわたしを
わたしはずっと隠していました

ほんとうに長いあいだ
あなたがたは
大きく見えたことでしょうね
このわたしのちいさな腕のなかを

けれどもしだいに背丈は伸びていき

あなたがたは もう
母というちいさな腕のなかではなく
世界へ飛び出していかねばならない
ことを知って ひさしく


あなたの成長の喜びと同時に 
隣り合わせの ある悲しみの
核に
ふと 気づいたときわたしは
ひそやかに
あなたがたに知られないよう
涙した いちにちがありました

母というここちよい存在を
必要とされることには
期限があることを 知ったとき


遠い昔
ちいさな手を引いて
知らない町の夕暮れに 
ふたり ぽつねんと佇んだ記憶

守りつつ育てつつ
ともに生きていくという
途方もない強さを
これから身につけていかねばならない
その果てしない道程の長さを思うとき
わたしの胸のなかに
いのちへの畏怖の感情が 生まれた

あなたの澄み切ったまなこに
求められてひたすら走った日々の輝き
あなたとともに生きてきた
瞬きのような歳月をかけて
容赦なくわたしというおろかな人間も
母という存在になれたというのに


ちいさな腕を終えた ひとりの母は 
どこかの生まれたての産声に
ふたたび祈ります

連なる若き母たちへ

そして赤子よ
あなたのくもりなき まなこは

どんな聖者にも持てない
無心という愛があります
それはほんとうは世界を支えることのできる
おおいなる力

あなたの存在のちからに
もういちど
世界が気づきますように

いのちのつらなりの
その無音の響きに
もういちど
世界が気づきますように

わたくしという子ども

2006-06-03 20:26:18 | 詩アラカルト
わが子というものは緩慢な河の流れを抱えている
そのくせ明日どう氾濫なるか皆目わからなかった
(幾度 夜も寝ずの看病があっただろう)
いつもそうやって時限爆弾を抱えて
最悪の時を想定しつつ
最優先事項を最優先させる
おさないこをかかえたくらし

気がつけば遥かな時がたち
私という幻は およそ消滅しかけていた
私は何処にいたのか 
それさえ忘れている
ことに慄然とすることがある
私はそもそもいたのか
私のテリトリは何処か
テリトリを持つことは罪悪か
母はこどもに無限に浸食され
日常はささやかに構成されてゆく


自分の時間などままならない日は 
変わらないというのに
河は そこからすでに久しいそぶりを振舞う
わが子達は私の肩を たたきさえするほどに背が伸びた
ねぎらわれて いたわれて
肩透かしを食らうほど
親など気が抜けるような存在に成り果てる

かつていた私というこどもは、
私の胸のなかに
今も
膝を抱えているというのに

風が鳴る

2006-06-03 20:00:16 | 詩アラカルト
風が鳴る

風が鳴る場所は 何処か
交差点の錆びた立体歩道橋に 風が鳴る
最終電車の窓の人影に 風が鳴る
学童達の安全なはずの通学路に 風が鳴る
合併市町村を縦断する高速道路に 風が鳴る

地下道通路のホームレスに 
風が鳴る
あなたとわたしは
そう遠くない場所にいたのに

車椅子が横断する
バリアフリーという名の 無視の眼差しに
風がなる

北極の氷の溶解に 
生暖かい風が鳴る
伐採される熱帯雨林に 
土砂崩れを知る風が鳴る
アフガニスタンの手堀りの井戸に
風が鳴る
チェルノブイリの石棺に今でも
風が鳴る
モンゴルのマンホールで暮らす子ども達の足元に
極寒の風が鳴る

遥かなる地平線
すべてはつながっていることを忘れないように
風が鳴る

わが足元の丘の上に今一度たたずみ
世界の雑音をすり抜けて
世界の真言へと駆け抜けて来い
耳を澄ませ
私の鼓動のなかを脈々と打つている静脈に 

此処ではない何処かを探すな
風が鳴る
己れの迷宮は元ある場所に置いておけ
風が鳴る
そこを離れそして掘り起こせ
風が鳴る
己の小ささを思い知れと
風が鳴る

そして連なれ
いまだ見知らぬ
世界の風の通路へと

心を透明にして水鏡のように澄ませ

風を通せ


A

2006-06-03 19:21:41 | 詩アラカルト
ここへ辿り着くまでに どれほどの道のりを歩いたろう
(煉瓦ベイの真裏に官庁がソビエル)
ここは楠の木の下 
陽だまりに貼られたロープよ

ブルーシートの下に
埋もれるほどの僅かな家財道具
葉がはらはらと舞い落ちるホームよ

ひとはホームレスと呼ぶが
俺には名前があった
役割があった
住民票の番地があったが
それはいつまでだったろう
思い出せない時がやがて来るのか
それでなお人間でありつづけることができるか

決して漆黒になれない鈍い色の
何処か都市の空の下で

ひとり目を閉じれば
あれはいつか聞いた
バッハ
無伴奏チェロソナタ

神はとうに居ない

信じるものの無い世間の外で
視えない星の瞬きを見つけ
息を吐く

これ以上無いひとりを
思い知る無数の夜

毎夜探さねばならない
燃料がこと切れる恐怖
ひたひたと
根城の境界線の
波打ち際へと浸食する闇

やがて追われるか
襲われる時まで
誰にも視えない  人間の戦いを
ダンボールの塒で最後まで生きるAよ


無き神よ(神がいるのなら)


人間として生きる最小限の糧を
これ以上奪わずに
救済の手立てを与えはせぬか
脆弱な社会が必然的に生んだ
それは犠牲者であるのに

塵同然に追い散らかされ
扱われることに慣れてゆく

浮き足めく社会の地続きに
足裏だけで存在し続けるという
戦いを生きることで

人間の尊厳というテリトリを
逆照射するのが
視えないか