城好き設計士の放浪

日本の城、歴史的建造物の旅日記
※個人的観点

山形城@山形県

2023-11-03 13:00:00 | 100名城
2023年11月3日

東北城巡り四城目は山形県の名城、山形城。
別名は霞城。現在は霞城公園として地域の方、観光の方に親しまれています。

場所は山形市の中心部で、JR山形駅からも近い場所にあるのでアクセスは良好です。

現在の巨大城郭になったのは11代城主、最上義光の時代です。

出羽の関ヶ原での戦いの功績が認められ、52万石の大大名となりました。

ちなみにワタクシの祖父も同じ山形で、光義という名前でした。
最上義光から拝借したんでしょうかね。

祖父が生きていた時は、ワタクシもよく山形に行っておりました。



二の丸東大手門が、メインの門となります。



橋の下には水堀と新幹線が通ります。 
新幹線に乗る方には、こんな近くに城が見えるので絶景だと思います。



二の丸東大手門は1991年に復元されました。



高麗門を抜けると巨大な枡形の虎口が登場!



隅から写真を撮りましたが、巨大さが伝わるショットが撮れて満足です。



櫓門をくぐり、枡形を抜けるとその先には更に枡形の虎口。

櫓門が続櫓になっていることが、櫓門をくぐると分かります。



入り口だけで、既に見どころ満載!



ネットでは4月〜11月初旬は公開していると見たのですが、中には入れず。



櫓門は江戸城の門に匹敵する大きさ。
使っている木材も巨大で、迫力あります。





コーナー部は算木積み。
よく見ると、石垣に細かい線が施されています。
これは石垣の化粧となる、すだれ仕上げといいます。



城内から見た二の丸東大手門の虎口。
しっかりとした土塁です。





有名な最上義光像と櫓門。
雲一つない晴天で、ナイスショットです。


本丸の土塁。
本丸一文字門の辺りだけは石垣になっています。



この巨大な石垣の上には、一文字櫓があったそうです。



一文字櫓の石垣の脇には木の橋が架かり、本丸に入り、門を抜けるとこちらも大きな枡形虎口になっているようですが、この時期は入場できず。

石垣をちゃんと発掘調査し平成15年に石垣を復元。
平成17年には大手橋、平成26年には高麗門と枡形土塀が復元されました。



枡形土塀の裏側。
ちゃんと復元工事に力を入れている山形は素晴らしい。やはり自治体の力の入れようで、城の復元は変わってきます。



堀底に石垣が積まれていたので何かと思ったら、江戸時代に崩落した石垣をこの場所に埋めたらしく、石垣の残骸の他に鯱や瓦なども出土しています。

あえて、この崩落した石垣を残しているようです。



凄まじい土塁。
こんな立派な土塁は初めて見ました。





本丸跡は現在も発掘調査中らしく、立ち入り禁止です。

工事中のフラットパネルの隙間から覗くと、広大な土地が広がります。

本丸跡も一部、4月から11月初旬は公開しているらしいのですが、既にこの時は入ることができず。

11月3日は11月初旬ではないのかと思うのですが・・・残念です。



こちらは北門。
北門からは車で入場でき、城内に車を停めることができます。



堀の上を一周歩くことができます。
これは景色も気持ちも良く最高です。

もし近くに住んでいたら、間違いなくウォーキングコースにしています。



現在発掘調査中の所を見ることができました。

怪しげな石垣が見えます!
これは、間違いなく新しい発見がありそうです。



こちらは南門。
南門の先も枡形となっていて、立派な石垣が残ります。



最後に再び二の丸東大手門から退城しました。

最上義光は伊達政宗の叔父です。
関ヶ原では東軍側として、山形に進軍してきた上杉と激戦を繰り広げ撃退。

その際に最上義光自らが陣頭となって出陣した勇ましさを表したのが、入り口の最上義光像です。

この戦いを出羽の関ヶ原合戦と言われています。

その時に、直江兼続が出羽から見た際、霞で山形城が見えなかったことから霞城と呼ばれたそうです。

4月から10月までは様々見れる箇所も多いようなので、また東北に行った際は立ち寄りたい城。

また、山形市周辺には上杉軍との激戦地が多く存在するので、そちらも是非巡りたいものです。

近くには最上義光歴史館があるので、今回併せて観覧しました。
御城印もこちらで貰えます。


城×食事

山形のソウルフードの一つ辛味噌ラーメンとゲソ天のコラボはテレビでも紹介された名物で、有頂天で食べれます!

げそ天みそらーめん。
パンチの効いた辛味噌とモチモチの麺が最高です!


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