城好き設計士の放浪

日本の城、歴史的建造物の旅日記
※個人的観点

大坂城@大阪府

2024-02-06 15:00:00 | 100名城
2024年2月6日

朝イチに明石城に行き、神戸での打ち合わせと現場視察が終わり、やや時間があったので出張の最後は大阪城に行くことにしました。

大阪城といえば、やはり豊臣秀吉。
大阪府民の心にも豊臣秀吉が強く刻まれています。

しかし、現在の大阪城は歴史上ではやや複雑。

豊臣秀吉の時代の天守閣は大坂夏の陣で焼失、その後徳川家が天守閣を造るも落雷焼失、現在の天守閣は昭和6年に府民の寄付金によって復興されました。

当時は発掘調査も進んでいなかった為、今残っている大阪城は豊臣秀吉が造ったものと皆思っていたそうです。

しかし、実際には秀吉時代の大坂城は江戸幕府に埋められて新たな巨大城郭に変貌を遂げました。

つまり、現在見ることのできる櫓も石垣も、全て徳川が造ったものになります。

徳川期の石垣の上に豊臣期の天守閣を復興した形になります。

何はともあれ、天下人が造った城には違いありませんのでしっかり楽しみたいと思います。

大阪城は巨大なので、1日で周るのは困難なので今日はごく一部だけ周りたいと思います。



まずは大坂城のメインとなる門、大手門から入城します。

やはり観光客が多いです。
人が映らないように写真を撮るのも一苦労です。



大手門の前には巨大な水堀があり、まずは千貫櫓がお出迎えしてくれます。



大手門を抜けると巨大な枡形虎口になっていて、続櫓と多聞櫓が現れます。

この枡形は日本で一番の大きさを誇ります。



こちらは多聞櫓。

何が凄いって、使われている石材が全て巨石ということに衝撃を受けました。



続櫓。そして注目は続櫓の下。

巨大な石材が三つ連なっています。
ちなみに、この石材は大きい順に大手見附石、大手二番石、大手三番石となります。

重量150t。小豆島産の石材らしいのですが、こんなデカい石をどうやって運んだのか不思議です。



個人的に、城門の柱と石垣が取り合っている箇所が好きなんですよね。

ちなみに、この多聞櫓と続櫓は現存。
たまに特別公開しています。



多聞櫓、裏からのショット。



一応、角は算木積みになっていますが、全てが規格外の大きさの石で積まれています。



大手門を抜けると空堀があります。
当時の最新技術とも言える切込接の石垣。

隅の算木積みされた石垣の大きさも見ものです!

奥には本丸を繋ぐ桜門が見えます。



桜門にかかる橋の上からのショット。



美しい空堀。
既に城のスケールが違いすぎて驚愕。



桜門を抜けると枡形になっています。
そして大阪城名物でもある巨大な石材、蛸石が現れます。



理解できないほど巨大な石。
高さ5.5m、長さ11.7m、最低重量108t。
表面露出面積59.4㎡と大阪城一の面積。

36畳分くらいの大きさですから、一般のマンションで言えば2LDKクラスです。

岡山県の犬島産の石らしい。

当時はこの蛸石の上には多聞櫓があがっていました。



そして、本丸と天守閣が現れます。
徳川が築いた巨大な天守台にあがっているのは、屏風を元にして豊臣期の城を再現した天守閣。

個人的には豊臣期の天守らしく、白ではなく黒の外観にして欲しかったかな。

本丸は現在は広場となっていて、多くの観光客で賑わいます。

天守閣の復興から28年後の1959年に地質調査をした結果、地下9.3mから花崗岩で高さ4mの石垣が出てきました。

上端に火災による火を受けた跡があったことから、大坂夏の陣で焼失したと伝わる、豊臣秀吉が築いた大坂城の可能性が浮上。

同時期に東京で発見された豊臣期の本丸図と出土した石垣の位置が一致したことで、豊臣期の城は徳川幕府によって埋め立てられて再建されたことが断定されました。

豊臣秀吉が築いた大坂城は、今も地下深くで眠っています。



現在、天守閣の中は資料館になっています。
徳川期の大阪城はかなり巨大な天守だったようですが、豊臣期も権威の象徴としての壮麗な城だったようです。

資料館に関わらず、城全体的に基本的には豊臣秀吉がメインの内容。

さすが徳川嫌いな大阪。











大阪城からの景色。
1614年と1615年にこの城を中心とした大阪の陣が勃発。

主戦場となった大阪を一望できるこの眺め。
高層ビルが立ち並んでいる現代でも、きっと昔と変わらぬ風を感じることができるはず。


秀吉が亡くなった後も大阪を中心とした関西で絶大な力を持っていた豊臣家。

天下は変わり、豊臣家を上回る力があることを示すために、徳川家は豊臣期よりもあえて大きな城を築城したと言われています。

必要以上に大きな巨石も、そんな思惑の一つかもしれない。



城内には豊国神社があり、豊臣秀吉を祀っています。
銅像も勇ましい。

豊臣秀吉一択の大阪ですから、きっと数十年後には大阪城はより豊臣期チックに変貌を遂げている可能性が十分あり得ます。

歴史の舞台の最前線だった大阪城はやはり半日では全てを堪能することができませんでした。
また近いうちに訪れたいと思います。



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