怪しい話を相変わらず書いてます。AutoPageで2004年10月から、2022年8月gooブログに移行。
怪文書ブログ



 ああ、笑えない。

独身の50代は孤独に耐えられない? 「漏れなく狂う」指摘拡散も...Twitterで反論相次ぐ

 「漏れなく」かどうかは判らない。そこまで全員おかしくなるとは思わないにせよ、若い時とは一緒じゃないというのは40代になってから実感するようになってきた私としては結構耳の痛い話だったりする。まあ逆に「狂う」もんだと思って行動すればいいだけなのかもしれないが。結局は「狂う」かどうかは他人を気にするかしないかの問題かもしれないけれども、他人を気にしなさ過ぎるのも色々と失敗しそうだし難しいなあ。というか考えてみたら結婚してても50歳過ぎたら色々と問題を起こすオッサンも少なくないわけで、そうなると独身かどうかに関係なく男は年を取るとおかしくなるんじゃないのかねえ?と負け惜しみを言ってみるテスト(苦笑)。



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 これ以上逃げ切れないと今更悟ったのかねえ?

高市早苗氏「表現をもって辞任、言い過ぎでは」総務省行政文書めぐる答弁で野党の辞任要求に反論

 あれ?「総務省の捏造」って言っていたのが「表現」の問題って、どういうすり替えですか(笑)?捏造じゃなかった事を認めるんですかねえ?そもそも捏造じゃなかったら辞任すると言い出したのは高市本人であって、言い過ぎも何もない。そもそも捏造だったら今回の問題を最初に国会に出してきた小西議員の進退問題になる話。それを捏造だと国会で発言した以上、捏造でなかった場合には小西議員に謝罪するべきだが、それもしたくない、辞職もしたくない、でも捏造でなかった事実は認めたくないって政治家が何をやってるのかねえ?そもそも自分の発言を最初に認めて何故その時にそういう発言をしたのか真意を明らかにしておけばここまで騒がれなかったのに捏造だのと騒いで余計な時間を費やす羽目になったのだから高市大臣には辞任以外の選択肢が無いと思う。今辞めれば大臣の辞職だけで済むかもしれないけど、これ以上引っ張ると議員辞職も迫られるかもなあ。もっとも奈良県知事選が終わるまでは居座るんだろうけど。



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 日本の形を真似したら永久に勝てない。

<WBC>日本の優勝見守った韓国投手「すばらしかった、日本の姿が本来韓国の野球だったのに…」

 違う。自分のスタイルを存分に発揮したチームが強かったんであってメキシコにしろアメリカにしろ自分達の野球のスタイルを十二分に発揮したからあれだけ強かった。日本だって優勝したにはしたが薄氷の勝利に過ぎない。準決勝も決勝も1点差であり、どちらも逆転で勝っている。裏を返せばメキシコもアメリカもその1点が無ければ、いや2点の差をひっくり返されなければ勝っていたのであって、選手の層の厚さでは無く采配の差と勢いの差で勝てたと思っている。要はメキシコもアメリカも選手の層は厚いのだ。韓国の場合、チームとしてどういう野球がしたいのかイマイチ良く分からなかったし選手の良さを生かせなかったから負けただけ。でも日本との試合では一時勝ってたんだから結局采配の問題じゃないのかねえ?というかダルビッシュを打ち崩したのに何故褒めない?あれだけの投手は世界中探しても数えるほどしかいないのに。もっと野球を楽しまないといずれチェコにも負けるんじゃない?あんなに楽しんで野球をやっている国も少ないし。しかし僅差で勝ったから今回のWBCは楽しかった。本当に強い国は何処も強いんだなあ。しかも国ごとによって個性が出るし。もっともテレビの採り上げ方はちょっと過剰だが(苦笑)。



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 久々に政治でも経済でも国際情勢でもない話。

抹茶ブームが日本から中国に逆輸入 茶の湯文化の復活もなるか

 結局は中国で禅宗が廃れたから抹茶の文化も無くなってしまったわけで仏教弾圧をやったから禅寺で生まれた抹茶の文化が無くなっただけ。そもそも中国人は三国時代には既にお茶を飲んでいて、この頃から「煎茶」はあった。その後に保存しやすい団茶というのが出てきて、それが抹茶になったという話があるが、それ以上に禅宗の影響が大きいんじゃなかろうか。「草木国土悉皆成仏」という言葉があって、この世のありとあらゆるものが仏になれるという考え方が仏教にはあった。精進料理だって茄子のヘタまでどうにかして調理して食べるとか、極力食材を捨てない文化は今や「モッタイナイ」という日本の文化であるかのように言われるが実はルーツを探ると中国の禅宗に行き着くはずである。それと真逆の儒教の文化は料理を残す。今はそういう時代ではないが昔は中国と韓国では料理をいっぱい出してくれた相手に敬意の意味を込めて敢えて全部食べない文化というのがあった。料理が残らないのは料理を提供してくれた相手が少ししか料理を出さなかったからだと思わせないための工夫だったらしいがその文化が勝った。儒教は中国の官僚機構と一体化して仏教を弾圧した結果が抹茶の衰退であり中国から消えたのはそのためだ。日本でも明治に廃仏毀釈があった。だが抹茶の文化は村田珠光の時代から禅宗から離れて一つの文化として茶道として独立していたわけで、それでも明治初期にはその茶道も廃れかけたわけで武士階級の茶道なんかは断絶したものも多い。逆に町人階級の茶道は裏千家なんかが通信教育を始めたりして大きく発展したのだが。上記のリンク先を見て思わずどうでもいい事を書いてしまった。まあ記事なりそうなネタが少ない日はこういうのを弾に書くのもいいかなあ、と。



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