ただいま妄想中

夢、かつリアルな頭の中身をどこへ。

救いとは何か

2008-10-29 15:44:28 | Weblog
いま小休憩で、本坊より戻りました
数時間後には、親戚が来られ始めます

きのう、プロフェッショナル見ました!
みなさんは、見られましたか??

あの番組は、おもしろいですね~
やっぱり「人間」にスポットを当てているからでしょうか。

生き様を見て、いろんなことを考えさせられます。

もう眠ろうというとき。ポツンと若院に尋ねる。
「きょうプロフェッショナル見て、どう思った?」

→まず、ものすごい人だなと。
→でも、どこまで行っても、イタチごっこでもあり。
不老不死に到達できないという事を思った。

だそうです。わたしも、まったく同じことを感じました。


心臓に病を抱えていて、その50%は死んでしまうという
「人々を救う」ことは、本当に尊いことです。

一方、その背景には、改善余地のある人工心臓によって
命を終えてしまう人がいたり。

開発途中で犠牲になる、
豚の心臓=豚の命を奪わなければならなかったり。

手術によって、その一時、延命されても
鞄を提げながらの生活を、余儀なくされたり。

長寿であるのと同時に、
数多くの別れ・苦しみ、悲しみを味わうことにもなったり。

もしかしたら、いま看病してくれている人より長生きをして
孤独な日々を、過ごすことになるかもしれなかったり。


命を救うのは、本当に素晴らしいことです。
もちろん、自分や大切な人にとったら、

1分1秒でも、長く・・・の命なんだけれども。

善の上に悪が成り立ったり、悪の上に善が成り立ったり。

すべては、たった「一点」での判断でしかないんだよなぁ、、。

やっぱり、完全なる善なんて、
存在しないんだよなぁ、、と思ったり。

病の痛みを治して、手を尽くして死から守り
患者に寄り添うのが、お医者さんであるとしたら。

命は終わりゆくものです、と伝える宗教者の目から見て
「救い」とは何であるのか、、。

人間には、不可能な領域があると知らされて
すべてを受け入れて、まかせて、安心する・・・

たとえ、どうあっても、どんな人にも
「願い」が届けられているということを

ともによろこぶ・・・


いや、きっと。宗教でいうところの「救い」は

『いついかなる時も、寄り添って下さる光がある』ことだ。
コメント (2)
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おはようございます

2008-10-29 06:18:13 | Weblog
前住職(第17代)七回忌法事が明日お寺であり。
準備でバタバタしています。
前泊の親戚も、今日から来られます。

コメント頂いている、ひささん、しんたいさん、ありがとうございます!!
また改めてお返事させていただきます☆☆
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