ブログ・オブ・タナザキ

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宿場町から戦災復興都市へ - 熊谷(1)

2020-09-12 17:04:44 | 街の紹介
このブログでは「藤沢の街のすがた」を8回に亘って書き連ねてまいりましたが、藤沢のみならず実際の街の紹介もぼちぼちやって行こうというのが狙いの一つでありまして、今回俎上に上がるのは埼玉県熊谷市の中心市街地です。


熊谷って…

埼玉県北部を代表する拠点都市で、……という紹介をしてもいいのですが、おそらく一般には夏の厳しい暑さや「あついぞ!熊谷」なるキャッチフレーズで有名かと思います。


東京都心からは直線距離でだいたい60kmちょっとの立地(関東で同じぐらいの距離感の都市は時計回りに神奈川県では平塚市・秦野市、山梨県は上野原市、茨城県古河市・土浦市、千葉県茂原市あたり)は、長距離通勤ブームが極大を迎えたバブル期ならともかく、現在では"東京のベッドタウン"と言うよりは一歩引いた都市のような感があります(東京都心までは電車で1時間ほどか)。ただし一方で、熊谷は"新幹線が駅を構えている"という強みもあり、それを使えば東京駅まで40分前後で到達できる近さ。市も新幹線通勤を助成する制度を拵えたりして「東京の通勤圏」としての側面を押し出しております。

あと、図ではサボりましたが(😇)高速道路は市内を通っておらず、近隣の市町村のICを利用することになります。とはいっても、平野が広がり道が通しやすく、広幅員の道路もそこそこ整備されているようです。

ともかく、東京文化圏から徐々に地方都市的な雰囲気になる程度には都心から離れていて、電車社会か車社会かでいえば割と車社会なんだけど、そうは言っても電車やバスもそれなりの本数があって、郊外のショッピングモールも(主に市の周辺に)あるけど駅前の商業地が凋落している訳でもない、そんなマージナルな街であります。


帯状に東西に広がる戦災復興都市

市街地の様子を図にしてみました。
黄色くぼんやりしてる範囲はだいたい市街地っぽいエリアです。だいたいですが。
OpenStreetMapを基に作成 かなりの数の道を省略しています

江戸時代には中山道の宿場として栄えた熊谷の街。「一本の街道をベースに街が形成される」宿場町は往々にして細長く線状(大規模になれば帯状)になりがちで、複数の街道が交わった熊谷の街もなんとなく東西に長い帯状な印象。

熊谷は戦前からそれなりの規模の街で、飛行機の工場があったこともあり第二次大戦では大規模な空襲を経験、市街地のかなりの範囲で被害を受けたことから、戦後には戦災復興の区画整理が計画されました。


(以後場所の記述多めになりますが、記事冒頭の画像も参考にしてください🙇‍♂️)

これによると、国道17号(昔の中山道と概ね一致)とそれに直交する市役所通りを十字の軸とした、東西に細長い亀甲状の街が計画されたとのことで、同じく戦災を受けた神奈川県平塚市と同型の計画と明記されています。しかし、「当時の諸物価の高騰、財政の困難等多くの理由」により、主に道路幅員などで次第に計画は縮小されたとのこと。

平塚駅前の様子

熊谷駅前の様子

平塚の駅前通り

熊谷の駅前通り

足を運んでみると、駅前広場から正面に駅前通りが貫き、少し進むと東西に大通りが伸びる構図は平塚と近しいものがありつつ(写真を探せば似たようなアングルの写真がわんさか発見できます)、論文にわざわざ書かれるほどの計画縮小があった熊谷の街はどこかこじんまりとしているようにも見えます。

とはいえ、大規模な区画整理が戦後実施された事実に変わりはなく、首都圏によくある駅を中心としてコンパクトにまとまった街と比べると、大規模な都市インフラが広く広がっている印象で、県北(埼北)の雄たる風格ある都市と言うには充分でしょう。

国道17号(旧中山道)
戦災復興計画では東西の軸として想定された道です。
街道と並行する道路が拡幅されることはあっても、街道そのものがそのまま拡幅される例はあまり見たことがない気が。沿道には数々の銀行の支店や商店が並んでおり、昔からの市街地の連続性を感じます。


同じく国道17号。迫り出すオフィスの看板、街路樹、広い歩道で、立派な都市らしい景観。


昔の中山道なので宿場町由来の遺構もあります。
かつて本陣が構えられた中心エリアは、現在も百貨店や信金の本店がある街の心臓部。



市街には、戦災復興都市計画の実施と同時かそのあとぐらいに建てられたであろう年季の入った建築も点在。建築の知識があれば楽しさも一層増すのかもなあ・・

市役所通り。
こちらは南北の軸。熊谷市役所と荒川河岸にある荒川公園を結ぶ道です。新旧の市街地の間とも取れるなんとも言えない場所を突き抜けているだけあって、東西軸の国道とは対照的に、かなり落ち着いております。


星川通り
市街地にある庭園「星渓園」から流れ出る星川を中央に引き込んだ観光道路として戦災復興都市計画で整備されたのがこの「星川通り」。一段上質な都市の街路といった印象です。沿道はだいたい歓楽街。


こちらも星川通り。
街中にこうした"ゆとり"なスポットが点在していて、とても好きです。
戦災復興の区画整理範囲、これはかなり広く、現在の市街化された範囲を飛び出しているようで、写真のようにもうほとんど住宅街の様相を呈したゾーンも。


***

前編では熊谷の街の大まかな成り立ち、立ち位置、そして今の市街の骨格を、それを形作った戦災復興都市計画とともに見てまいりました。
後編は、市内を細かく歩き、熊谷市街の買い物や歓楽街などの様子をみることにします。


Ranoでした🦢