ブログ・オブ・タナザキ

空想地図 多奈崎市を作っている人らのブログです

藤沢に行ってきた⑤ - 南口を彷徨う

2020-07-31 23:43:31 | 藤沢へ行ってきた
前回の記事では北口の路地路地した商店街を歩きましたが、今回は南口へ。

南口の駅舎。
1日20万そこらの人を捌く駅ですが、駅舎はミニマムかつシステマチック。
小田急は1F、JR線は2Fてな2層構造になっており、ちょっと珍しい形です


んで、地図のおさらいです
南口はこの地図で言うところの駅から見て下側
商業施設(山吹色の四角)がロータリーを包囲しているのが見て取れたり、右下(つまり南東)はそっちはそっちで市民会館&公園&商業施設&ホテルの4点セット、で小拠点っぽくなってて、市街地も南東の方にじんわり伸びている感があります。

さてさて、この一帯をどう回ろうか。
基本的に駅前と一本道の銀座通りが中心の北口と違って、街がそれなりに面状に広がってるようです(というのをここに来る途中の電車で地図と睨めっこしながら把握していました)。
昼食がてらカフェに入って作戦を考えます。
と言いつつ、「「「全部見る」」」が基本方針なので、どう回れば効率よく市街地全体を眺められるかに重点を置いてなんとなくコースを描きます。

この際の条件は
・主要な商店街すべて
・大型商業施設
・繁華街、歓楽街、オフィス街
をなるべく全て回る、ということ。
地図上で眺めていても掴めない街の位置関係であるとか、スケール感とか、あとは街並みと地図がどうリンクしているのか、みたいなことを確かめにいくような感じですかね😌😌

アイスコーヒーが空になるころにルートも決まったので喫茶店をあとに〜〜
藤沢の場合、わかりやすく駅前が市街の核の一つになってるようなので、ひとまず駅前を見ていきましょう。
写真の大部分を占めている二棟の大きな建物、両方ともショッピングビルです。手前の広場がバスターミナル。ターミナル駅に横付けされた大きなロータリーと歩行者デッキ、それを取り囲む大型商業施設・・のセット、とても首都圏的光景。柏とか津田沼とかもこんな感じです。

左側、小さい窓がお行儀よくずらっと並んでいるのがODAKYU湘南GATE、右側の淡いツートーンのビルがファッションビルのOPAですね。どちらも1970年代初頭にできております(このバスターミナルもそう)
開業当初はどちらも今とは違うデパート、つまりは百貨店だったそうで、四十数年あまり中身を変えながら変わりゆく藤沢の街並みを見続けておられます

昔の写真とかを見ると、人の格好とか街行く自動車の形、軒先の看板とかがまるっきり変わってるのに特徴的な建物の形だけが今と変わらず残ってることあるじゃないですか、そういうのいいですよね!!!!!!!!!
産まれてもない頃の接点の無い「昔」と、自分が生きてる「今」の間の感覚的な断絶の間に、双方に要素を差し込むと不思議と今と昔が少しつながったような心持ちになるものです

あとあと、ロータリーの方にも目を向けましょう。ぞろぞろ現れては消えるバスとかタクシーとか車の流れ、ずっと見てられますよね、見てられませんか????
人は途切れない水の流れを見てると落ち着くらしいですが(とてもわかる)、まあバスに関してもそういうことですね。たぶん。

親切にもロータリーの外周をほとんど歩行者デッキが囲ってくれているので、存分に駅前観察ができます。景色もひらけてていい感じ。あんまりアングル変わってないけど

12時の方向にあたる駅舎をでて、ロータリーを時計回りに回ってここが大体5時ぐらいです。
生えてる樹の南国感がすごい。湘南だから?
右奥に見切れてるのはいくつか前の記事で紹介した北口の駅ビルですね


1枚前の写真で見えてる、妙に豪勢な屋根付き通路の中はこんな。
JR・小田急の駅とODAKYUゲートを結んでいて、かつ後者の中にはなんと江ノ電の駅がインストールされているのでやけに人通りが多かったりします。
暖色の床のタイル、ちょっとくすんだ乳白色の屋根に時代を感じつつ、植え込みの角が丸く処理されてるあたりに丁寧さと優しさを感じます。ありがとう。視界の色温度が全体的に高い

駅から南西(7〜8時ぐらいの方角)には立派な並木を携えた大通りがあったり、このOPAの裏手がちょっとした飲み屋街になってたりするらしいので、ルートに従うようにまずはそちらへ・・

だいたいオーパの裏手です。裏路地って感じです。
ここは区画整理区域内ゆえ、道幅は広いし街路もまっすぐ。札幌みたいなお行儀のよい街路ですね。

ししししかしこの辺り、ちょっと油断するとすぐ区画整理区域外に飛び出したりして、そうすると途端に平米あたりの風景の情報量が過多になる傾向があります。
道幅は半減どころじゃない減り方をし、建物は中層ビルから戸建てと見紛う大きさになり、軽しか通れなさそうな道沿いに真新しいコインパーキングがあり、とびだし注意の看板はまあそれはそうだよなあという感じで、右奥には行列が発生しています。

まちのいわば外縁部ですが、新進気鋭のお店はやっぱりこういうところに出たりするんですよね。前回の繰り返しになりますけども。

広い区画と狭い区画を行ったり来たりしています。
南国風の木(木はわからないのでアブラヤシもナツメヤシもココヤシもヤシじゃ無い木も全部ヤシの木と認識しそうになってしまう)だったり、テンションがアメリカンな看板だったりが心なしか多い気がしますが、これが湘南の風ってやつでしょうか

道幅の割に歩道の概念が存在しないので、歩こうとするとかなり車道にはみ出しが発生してしまうのですが、交通量が少ないので問題になりません。むしろ段差レスでヨシ???

少しところ変わって、駅から7時ぐらいの方角にのびる道路、「橘通り」です。
宮崎に同じ名前の通りが存在するのですが、ちょうど宮崎の旅行記もつづくと称して書き溜めてる最中なのでそれはそっちでお話しします。
藤沢駅前における橘通は、ちょうど駅前の時に紹介したオーパの目の前から南西に進んで「鵠沼橘」エリアの住宅街に続く道になります。
⬇︎⬇⬇︎⬇︎
藤沢の繁華街はおおよそ南東にベクトルが向いているのですが、南西側もこの橘通り沿道に限って言えばお店がそこそこ連なっとりまして、一般にイメージする「商店街」ほどの集積はないにせよ落ち着いたストリートに仕上がっています。

どうも昔の地図を眺めてみると、この橘通りのあたりは南口界隈では発展が早かったようで、戦後すぐ(S29年)の地図で見ると地形図の塗りの色が橘通りのあたりが濃くなっております
(今昔マップ on the webより作成。橘通りの部分に赤丸を付した)

とまれかうまれ、この歴史ある通りを歩いてみましょう

冒頭の写真のような居酒屋ガヤガヤな雰囲気は駅からすぐのエリアだけで、南下すると生活感のある商店ちょいちょい、個人経営っぽい服飾雑貨のお店ちょいちょい、同じく個人経営の飲食店ちょいちょい、といった風情です。
昼下がりにまちあるきのお散歩、の際にはコースに組み込むと楽しくなれそうです。

こういった「観光地」とまでは言い切れないんだけどそういう香りのする一角?があります。

なかなか小洒落た良い(えい)雰囲気です。


とまあ商店・ストリートなのは駅から300mぐらいまでで、そこを過ぎると堰をきったかのように怒涛の新築マンション・ラッシュ・ゾーンに突入する訳です(上の写真でも奥の方に見切れていたですよね)。
人口43万、現在なおも人口増加中、藤沢のそんな勢いはこの辺りを歩くとちょっと割と感じられます。

マンションゾーンをも突き抜けると、もうすっかり住宅街です。
道路の境目とかによく置いてある赤白市松模様のあしらわれた黄色い樽(これ「クッションドラム」という名前らしいですね)が井戸端会議級の数並べられており、この一角の土地利用のよくわからなさを感じて最高な風景です。
都市計画道路なんかを作りかけてる土地だとよくこういう光景に出会えるのですが、郊外住宅街で育った私にとっては、開発の過渡期的なこうした風景こそが原風景なわけで、「兎追いし かの山」ではなく「建設中の道路途切れし かの買収中用地」なわけです。

そんなこんなで市街地らしい市街地を脱出してしまったので、藤沢の駅に戻って繁華街を探しに行くこととします。次回。

藤沢へ行ってきた④ - 北口銀座

2020-07-23 22:14:19 | 藤沢へ行ってきた

北口の銀座通りまわりを徘徊します


藤沢駅周辺のなかでは、かなり古くから街になってたゾーン。
ピンクで囲ってあるところの目抜き通り、「藤沢銀座通り」と称しまして、戦前からあった商店街ようです。

商店会のサイトによるとここでは「世界一大きい金魚すくい」が行われてるらしい。知らなかった・・


駅北口から北西を眺めた写真。右側の巨大な建物は前回紹介したデパートの「さいか屋」。
写真正面の建物の切れ目が歩道になってまして、この先に銀座通りがあるようです。駅からの視点となると少々気づきにくい方角かも。


デッキを降りた先はこんな感じ。さいか屋ビルの脇が通路になっとります。

長さ100mほどの短い道ですが、広々とした歩行者専用区間は歩きやすく、街路灯や舗装も洒落っ気が演出されていて、駅から銀座通りへの人の流れが意識されているようです。
南口が事実上の「表口」然としているなか、人通りもそれなりにあります。賑やか。

で、100mを歩くと右後方から車道(柳通り)と合流して交差点になります。
駅正面から続く歩道の動線と、駅北側を東西に走る自動車の動線が合わさり、ここから先の「銀座通り」を形成。

Y字路のような形になるのですが、土地を持て余しがちな鋭角部分は街路樹とベンチが整備されてますね……意匠が北口のデッキと似ているので最近の開発でしょうか。
炎天下の街歩きをしてるとこうしたベンチには助けられたりするものです。
普通に一休みできるし、休みがてらこれから歩くエリアを調べたりできるし、少し座りながら歩く人や過ぎる車をボーっと観察することもできるので・・

私は学生の身分でありつつ週に数度都心へ通勤しているのですが、最近は会社帰りに降りたことのない駅で降り、徘徊して街の様子を一通り知ったあとに手ごろな公園のベンチで30分ぐらいボーッとしていることがよくあります。

夜の公園で何もせず時に時間を任せていると、次第に自分がその空間に馴染んで(?)いって、自分はこの街の住人で、これから歩いてそう遠くない家に帰る……みたいな姿を容易に想像できるような心持ちになるものです


この先が銀座通りと呼ばれるゾーン。
駅からほど近い交差点の周りこそ5階建とかそれ以上の建物に囲まれてますが、基本的に低層ビルが並んでおります。沿道には藤沢が広域商業の拠点になる前からあったであろうこぢんまりとした商店とか飲食店、コンビニ、ファストフード店などが渾然一体に存在。

南口と比べると新しい店を出しやすいのか、明らかにここ十年以内にできたような雰囲気のお店も散見されます(写真右側に見えてる「484 Cafe」とか。)

街というもの(👈巨大な主語)、
①あるエリアAに商店や飲食店が集まり出して発展する
⬇︎
②時代の流れとともに別のエリアBが発展し始める
⬇︎
③エリアAの求心性が薄まる
⬇︎
④エリアAにある空き店舗や物件で新しいことを始める人が現れる
(エリアBは求心力が強いが地価/家賃が高くなかなか手が出せない)

みたいなサイクルが割とあるような気がしていて、まあそれだけじゃないんでしょうけども藤沢だと北口が①〜④の流れを経験したような香りがします。気がするだけですけども。つまり何が言いたいかというとですね、大きな街の中で何か新しい流れ(お店を出すとか活動を始めるとか)というのは、往々にして街の一等地ではなくその周り、そうした活動をする"余白"が存在する環境、空間においてなんですよね。
表通りに大資本のデカいビルとかチェーン店しかないようなイメージの街でも、少し裏に入れば思いのほか個人が始めた、その街固有の新しい何かを発見できたりします。街の新しい風は、中心ではなく辺縁から吹くという感じで……(?)

(と言いつつ、大資本が展開するチェーン店とかも実はチェーンごとや出店店舗ごとに特徴があったりしてそちらもなかなか奥が深いものではあるのですが。)


とか考えつつ銀座通りを北上。テンションの高い街路灯のデザインとか、色の淡い車道の舗装とかにどことなく""平成""を感じます。
どうやら平成元年に「モール化」が行われたらしいというのと、この通りの通称が「サム・ジュ・モール」らしいということを、記事を書きながら見ていた商店会のサイトで初めて知りました。ワオ


歩道の幅は人一人同士すれ違うのがやっとぐらいの幅、車道もちょうど対面通行できるぐらいの狭さ、地形に沿う形かゆる〜く蛇行する線形、どれをとってもこの道路の歴史の深さとか、区画整理の不在みたいなものを感じることができます。
なだらかなカーブで先を見通しきれない感じ、割と賑わいを感じられて好きではあります


沿道の電気設備の箱?(よくわからない)には昔の様子が掲示されていたり。
そういえば今の銀座通りは電線が地中化されてもいました。いずれにせよ今の景色と比べると「昭和の商店街」感がすっごい。
アーケードが取り外されたのも時代を感じます


銀座通りの沿道の面白さはもう一つ、迷路のような路地が沢山伸びていることで、こちらも緩やかな地形の起伏に呼応するように緩いカーブを描きながら、すっごく狭い道幅で縦横無尽に伸びております。かつては遊郭も近くに存在したらしい歴史があるゾーン。
現在は市街地としてというよりは住宅街然としてますが、それでもチラホラお店があって(今回は時間がなくて行けなかったけど)なかなかこちらも探索し甲斐がありそう。


目がアンチョビになってしまった人物画が掲げられているイタリア料理店があったりします。隠れ家風。
よく見るとこんな狭い路地まで石畳風の舗装をされてたりして、芸が細かいぞ藤沢。


どの路地もそれぞれいろんな表情があり、こちらは鳥居がデンと正面に聳えております。住宅と緑に囲まれた稲荷神社だそうで、ミニマムな敷地にいくつかの鳥居と狐像を携えておりました。


藤沢駅の北西側は、1本軸となる「銀座通り」に商店街が形成され、その周りは広く詰まった住宅街の中に個人店が点在する迷路のようなエリアでした。
昔の宿場から見れば南の外れ、駅から見れば北にあるこのゾーン、長い時間軸での街の変化に思いを馳せるとなかなか面白そうな地域です。もちろん、赴くままに歩いて路地の迷路っぽさやワクワク感を浴びながら歩くもよし。
ふところの広い藤沢銀座通り周辺でした。


この後は・・・南口を徘徊します。

雑記② - ラジオの話

2020-07-01 00:03:17 | 日記
興味の移ろいがすごいので、シリーズ物の記事(旅行とか街歩きとか)を描いてる最中にも興味が移ろってしまうことをお許しくださいまし・・・

2020年6月30日。日本から2つのラジオ局が姿を消します。
名古屋の「Radio NEO」、そして新潟の「FM PORT」。


「空想地図マニア」を普段名乗っておりますが、実はラジオも好きでして・・
本日で閉局する電波を聴きながら「ラジオ」に思いを馳せてみようかと思います

突然ですが、小さい子供って、「夜」が怖いじゃないですか(当然)
私もいたいけな子供の頃は一般的な子供(??)でしたので、夜、無音の部屋で寝るのが怖かったのか(それが/それだけが理由かどうかは今となっては定かではないけど)、親に貰ったラジオを枕元に置いて就寝することをもっぱらの習慣としていました。
小学生ぐらいの頃、寝る前と起きる時はずっとラジオを聴いていた気がします。

テレビもまだまだアナログが現役、radikoアプリなど影も形もなかった頃の話。テレビより幾分も小さい箱のダイヤルを捻っては、砂嵐の中から聞こえる声を探して、それに耳を傾ける。
インターネットを知るまで、私にとってはラジオが世界へ通じる扉でした。

小ラジオを聴き始めてからは、しばらく地元のラジオ局を聴いていました。
東京には5つの民放ラジオ局があって、(まあFM的な"オシャレ"もAM的な"トーク"もまだわからぬ子供ながら)いろいろと聴いていた覚えがあります

で、私が聴いていた時間、寝る前、すなわちだいたい夜間。
実はAMラジオって、夜中だとあり得ないぐらい遠くの局の放送が聞こえたりします。 私の住んでいた首都圏から、札幌や福岡のAMラジオ局が余裕で聴こえるほど! 
今夜はどの局を聴こうか、考えながらダイヤルを回していると、ノイズや海外の(遠距離に電波が飛ぶので隣国の放送とかも聴こえる・・)電波に混じって聴こえる、日本各地の放送に耳を傾ける楽しみができました。

旅行記事ばっかり書いていることからもわかる(?)通り、国内旅行がとにかく好きな私ですが、そういった「日本全国への興味」みたいなものの源泉は、もちろん地図や地理が好き、という理由もありつつ、子供の頃にAMラジオ越しに経験した"遠距離の人の声を聞く"といった体験も、ひょっとすると結構な理由になってるのかもしれません・・。

〜〜〜〜〜

このたび閉局する「FM PORT」と「Radio NEO」。
いずれも放送事業の採算の都合との報道があります。

テレビの台頭やインターネットの普及、ラジオ業界の構造不況は以前から言われています・・

今回の2局のような、コミュニティ局(市町村単位)ではない"大規模な"ラジオ局の閉局、
初めてのことではありませんが、それでも2010年の「Radio i」以来のことで、やはりラジオっ子の私として、閉局の知らせを目にしたときは衝撃を受けました。

しかし、幼い日の記憶とか、思い出とか、そういうノスタルジーだけでは飯は食えない、それもまた事実であり

あまりまとまらない内に0時を迎え、閉局になってしまいましたが−
FM PORTは19年間、Radio NEOは6年間、お疲れさまでした・・!