ブログ・オブ・タナザキ

空想地図 多奈崎市を作っている人らのブログです

地元に根差す商店と百貨店 - 熊谷(3)

2020-09-13 16:02:40 | 街の紹介
"街の紹介"、熊谷編ラストです。

駅前通りを国道まで突き抜けて、国道17号(昔の中山道)を西に向けて歩いてみましょう。かつての「熊谷宿」の中心へ向かいmath


市街地の北を東西に駆け抜け、この辺りの広域交通を捌く中山道こと国道17号。今も昔も人が行き交いますが、郊外に高速道路みたいなバイパスが整備されてるので、"都心のゆとりある街路"然とした余裕があります。
保険会社や金融機関のオフィスが軒を構え、どこか県庁所在地っぽい景色でもあります。(1873〜76年の間は実際に県庁が置かれてたこともあるし・・)

古くの商業中心地?

鎌倉町、本町の界隈はかつての「熊谷宿」から続く商業中心地だったのか、歓楽街チックな駅前の市街地と比べるといささか"商店街"然とした雰囲気が広がります。



南本町商店街
その名の通り、本町の南側一帯に広がる商店街。そこはかとなく"昭和"を感じる雰囲気で、駅からも百貨店からもやや距離がある一帯は特に静けさを感じながらも、地元の人と距離が近く、地元に愛されていそうなお店もちらほらあります。

この商店街(というか商店ゾーン)も東西に帯状に広いです。

ちょっと一服できそうなカフェもあります。丸ポスト。


そうそう、熊谷の「札の辻」があったのも本町です。

かつてテレビもラジオもチラシも新聞も無ェころ、偉い人が法令や決まりを市中の人に広く伝えるため、街中に札(「高札」と呼ばれる)を設置して、そこに書き込むことで周知を図るのが一般的でした。高札は広く市民に情報を伝達するため、市場や街道など人の往来が特に多いところに設置され、札が設置された辻(十字路)が一般的に「札の辻」と呼ばれます……
つまり、"札の辻"と呼ばれる場所が古くからの市街地の中心であることが多い訳ですね

熊谷の"札の辻"はこちらにあります。
かつての賑わいを感じてみてください(??????)


鎌倉町の商店街(名前わからない)
上の地図で「鎌倉町」となっているエリアを南北に突き抜けます。北にデパートの八木橋、南に秩父鉄道の上熊谷駅を結んでいるこの商店街、電柱が地中化され歩道車道が綺麗に舗装されています。この辺りのシンボル的な通りにしたいのでしょうかね。


百貨店に近いこともあってか、この界隈まで来ると逆に営業しているお店が増えます。デパートパワーを感じる。


近くて遠い百貨店とイオン

市街地の北西には大きな百貨店「八木橋」が。
デカい。存在感すごい。建物綺麗。
百貨店の構造不況が言われる昨今、地方都市を訪れるとだいたい周辺のショッピングセンターやファッションビルが人気で百貨店は人がいなくてシーン……な構図が成立していることが多いのですが、そういった雰囲気を想像すると仰天します。

人が多い。

私の見た印象では熊谷市街の商業施設で一番活気がありました。地下の食品売場、中層階のファッション売場や家具売場、上層階のレストラン街、どこに行っても売場に賑わいがあります。



熊谷の最強百貨店として君臨している八木橋、鎌倉町側の出入り口横には温度計が設置されていて、夏になるとテレビのニュースに引っ張りだこになることでも知られています

建物正面や入り口の雰囲気はかなり新しそう。
市街地の割と端にあるので、以前の店舗を潰して移転&増床したのかな?と思いきや、建物自体は1961年築だそうで、'89年に増築した部分が新しなようです。


裏側に回ると、窓や非常階段の様子が古そうで成程となった次第。表通りの国道側に増築したので、こちら側は昔の雰囲気を残しているんですね〜〜〜

ちなみに、その増築はかつての中山道のルートに被さるように行われています。雑に図解すると↓
こんな感じ。
で、1階売場のうち旧中山道に重なる部分には地元の銘菓店を並べ、街道風の雰囲気が演出されていたりします。地域に根ざしているってこういうことですね・・


上の図で北西に飛び出した旧中山道の沿道、こちらは商店街になっています。
本町あたりと比べて更に"地元の商店街"感が増してきます。住宅街もかなり混ざっているし。

車通りがやたら多いんですが、沿道に八木橋の駐車場があってのことです。
なるほど、市街地の端で駐車場を多く整備することでモータリゼーションの進んだ関東平野地域でもバッチリです✌️


"昔"な雰囲気マシマシの建物が現れたりするので侮れません、街道ウォーク。


さて、今まで重なっていた旧中山道の道筋が枝分かれしてデパートに吸い込まれてから、国道17号は中心市街地を忘れてすっかり"郊外"な風景に雰囲気を変貌させ、


イオンの周りはもう純度100%の住宅街。
八木橋のデパートからは歩いて3〜4分とかからないのですが、建物周辺の雰囲気や街並みはかなり異なっていて、市街地の端にいることを実感できるというか何というか。

ちなみにこのイオン、製糸工場の跡地に作られておりまして(なので市街地近くに広い土地)、その工場を所有していたのは片倉工業……かつて富岡製糸場−群馬県富岡市にある製糸場、現在の世界遺産を運営していた企業です。明治期の日本の産業に想いを馳せましょう。片倉工業の企業博物館もあります。


******


宿場由来の"旧市街"エリアを歩き、熊谷の中心市街地を概ね見て回りました。

かつての街道の集まる拠点は現在でも鉄道・道路が集積し、商店があった中心部にはまだ百貨店が活き活きと営業。駅前には現代的なショッピングセンターも立地し、今日でも北埼玉の拠点の一つとして立派に活力を放ち続ける、首都圏と地方圏の狭間にある"マージナル"な街でした。


細長いショッビングモール、図書室がある歓楽街 - 熊谷(2)

2020-09-13 02:25:22 | 街の紹介
前回からの続きで、熊谷の街を歩いていきます。

さて、またこの地図に登場していただきましょう。
東西に長い熊谷市街地。街中で買い物ができる商業中心的ゾーンになっているは大きく分けて2つ
①熊谷駅前(駅ビルなど都市型ショッピングセンター中心)
②八木橋デパート周辺(百貨店+昔ながらの商店街、地図中「熊谷宿」の文字あたり)
これらが市街のそれぞれ南東、北西を抑え、その間に国道沿いにはオフィス街−銀行や保険会社、企業の支店が多い−、それより線路側(南側)で市役所通りより東側の一帯には地図中にも表記のあるように歓楽街が広がっています。いわゆる"夜の街"ですね。

この"中編"では駅前を一通り見ていきます。


駅ビルから東に伸びる"買物回廊"


熊谷駅の北側には、駅から近い順に3棟の商業ビルが直列で並んでおり"買物回廊"(私が勝手に名付けた)のような形態になっています。その長さなんとおよそ450m、渋谷のスクランブル交差点からBunkamuraぐらいの距離。これら3棟を合わせて、売場面積3万平米弱の1つの商業施設と捉えることもできます。

熊谷市街にある大型商業施設は、この3棟の他には百貨店の八木橋やスーパーのイオンがありますが、いずれも1km程度離れたもうほとんど市街地と住宅街の間のような場所で、さらに駅周辺には大規模な商店街があまり発達していないこともあり、駅前の商業機能はほとんどこの駅と駅に繋がった3棟に集約されています。

熊谷駅北口ロータリー。写真正面に控える建物が駅ビル「AZ本館」。バブル前夜の87年築だからなのか、三角屋根など随所に遊び心が見える気がします。

駅から駅前通りを眺める。(この写真右側に「AZ本館」が隠れています)
回廊状の商業施設群を除けば駅前に大型商業施設はなく、市街地には大小のオフィスビル、雑居ビルやビジネスホテルがひたすら並んでいます。


図書室もある夜の街


駅前、特に駅を出て左側の一帯は歓楽街ゾーン。市役所通りより東側、「筑波中央通り」(図に記すのを失念しましたが"星川通り"の一本南側)を中心に居酒屋やスナックなどが建ち並んでおります。

「筑波中央通り」。筑波山や学園都市はないけど「筑波」、熊谷市街の特に駅周辺に広がる地名で、街で見かける機会はそれなりにあります。


看板にはもう少し商売っ気を出して欲しい。

市役所通りとの交差点よりも西に進むと、駅周辺エリアよりも落ち着いた雰囲気になるのです。

駅前に戻って、ロータリーからそのまま西に伸びる通り(筑波中央通りの南側に並行)。こちらは電柱が地中化されたり歩道が広めに取られていたりと景観整備に余念がありません。

あとこの辺り、まあほとんどが夜の店なんですが、きらびやかな雑居ビルに挟まれるように突如として図書館の分室が現れます。


図書館の本館が駅から遠い場合に駅前に分館を設けるのはよく見られますが、熊谷市立図書館の本館は南口(裏口)とはいえ駅から400mほどしか離れていません。
この立地には市民からも疑問の声が上がったようで、熊谷市のサイトにある「過去に寄せられた市長へのメール」コーナーにその質問と回答が上がってもいました。それによると


>このたび、JR熊谷駅周辺地域等の防犯活動の支援と犯罪の防止、環境浄化を図るため、熊谷駅前防犯センター「安心館」を開設いたしました。(中略)当センターには、図書館分室を併設いたしましたが、これにより、県条例に基づき風俗店の新規出店を抑制できることとなっており、法的な機能も備えた施設とするため設置したところであります。


"図書館や病院から〇〇m以内には風俗店の新規出店が不可能になる"類のこうした条例は各地で指定されていて、例えば歌舞伎町の近くにある新宿区役所に併設の図書室が設置されたのもこうした狙いがあると聞きます(こちらはあくまで噂話レベルですが)。ルールというものは運用次第なんですねえ(関心)



次回は市街地の北西側、街道沿い周辺を歩きます。
Rano  でした  🤗



宿場町から戦災復興都市へ - 熊谷(1)

2020-09-12 17:04:44 | 街の紹介
このブログでは「藤沢の街のすがた」を8回に亘って書き連ねてまいりましたが、藤沢のみならず実際の街の紹介もぼちぼちやって行こうというのが狙いの一つでありまして、今回俎上に上がるのは埼玉県熊谷市の中心市街地です。


熊谷って…

埼玉県北部を代表する拠点都市で、……という紹介をしてもいいのですが、おそらく一般には夏の厳しい暑さや「あついぞ!熊谷」なるキャッチフレーズで有名かと思います。


東京都心からは直線距離でだいたい60kmちょっとの立地(関東で同じぐらいの距離感の都市は時計回りに神奈川県では平塚市・秦野市、山梨県は上野原市、茨城県古河市・土浦市、千葉県茂原市あたり)は、長距離通勤ブームが極大を迎えたバブル期ならともかく、現在では"東京のベッドタウン"と言うよりは一歩引いた都市のような感があります(東京都心までは電車で1時間ほどか)。ただし一方で、熊谷は"新幹線が駅を構えている"という強みもあり、それを使えば東京駅まで40分前後で到達できる近さ。市も新幹線通勤を助成する制度を拵えたりして「東京の通勤圏」としての側面を押し出しております。

あと、図ではサボりましたが(😇)高速道路は市内を通っておらず、近隣の市町村のICを利用することになります。とはいっても、平野が広がり道が通しやすく、広幅員の道路もそこそこ整備されているようです。

ともかく、東京文化圏から徐々に地方都市的な雰囲気になる程度には都心から離れていて、電車社会か車社会かでいえば割と車社会なんだけど、そうは言っても電車やバスもそれなりの本数があって、郊外のショッピングモールも(主に市の周辺に)あるけど駅前の商業地が凋落している訳でもない、そんなマージナルな街であります。


帯状に東西に広がる戦災復興都市

市街地の様子を図にしてみました。
黄色くぼんやりしてる範囲はだいたい市街地っぽいエリアです。だいたいですが。
OpenStreetMapを基に作成 かなりの数の道を省略しています

江戸時代には中山道の宿場として栄えた熊谷の街。「一本の街道をベースに街が形成される」宿場町は往々にして細長く線状(大規模になれば帯状)になりがちで、複数の街道が交わった熊谷の街もなんとなく東西に長い帯状な印象。

熊谷は戦前からそれなりの規模の街で、飛行機の工場があったこともあり第二次大戦では大規模な空襲を経験、市街地のかなりの範囲で被害を受けたことから、戦後には戦災復興の区画整理が計画されました。


(以後場所の記述多めになりますが、記事冒頭の画像も参考にしてください🙇‍♂️)

これによると、国道17号(昔の中山道と概ね一致)とそれに直交する市役所通りを十字の軸とした、東西に細長い亀甲状の街が計画されたとのことで、同じく戦災を受けた神奈川県平塚市と同型の計画と明記されています。しかし、「当時の諸物価の高騰、財政の困難等多くの理由」により、主に道路幅員などで次第に計画は縮小されたとのこと。

平塚駅前の様子

熊谷駅前の様子

平塚の駅前通り

熊谷の駅前通り

足を運んでみると、駅前広場から正面に駅前通りが貫き、少し進むと東西に大通りが伸びる構図は平塚と近しいものがありつつ(写真を探せば似たようなアングルの写真がわんさか発見できます)、論文にわざわざ書かれるほどの計画縮小があった熊谷の街はどこかこじんまりとしているようにも見えます。

とはいえ、大規模な区画整理が戦後実施された事実に変わりはなく、首都圏によくある駅を中心としてコンパクトにまとまった街と比べると、大規模な都市インフラが広く広がっている印象で、県北(埼北)の雄たる風格ある都市と言うには充分でしょう。

国道17号(旧中山道)
戦災復興計画では東西の軸として想定された道です。
街道と並行する道路が拡幅されることはあっても、街道そのものがそのまま拡幅される例はあまり見たことがない気が。沿道には数々の銀行の支店や商店が並んでおり、昔からの市街地の連続性を感じます。


同じく国道17号。迫り出すオフィスの看板、街路樹、広い歩道で、立派な都市らしい景観。


昔の中山道なので宿場町由来の遺構もあります。
かつて本陣が構えられた中心エリアは、現在も百貨店や信金の本店がある街の心臓部。



市街には、戦災復興都市計画の実施と同時かそのあとぐらいに建てられたであろう年季の入った建築も点在。建築の知識があれば楽しさも一層増すのかもなあ・・

市役所通り。
こちらは南北の軸。熊谷市役所と荒川河岸にある荒川公園を結ぶ道です。新旧の市街地の間とも取れるなんとも言えない場所を突き抜けているだけあって、東西軸の国道とは対照的に、かなり落ち着いております。


星川通り
市街地にある庭園「星渓園」から流れ出る星川を中央に引き込んだ観光道路として戦災復興都市計画で整備されたのがこの「星川通り」。一段上質な都市の街路といった印象です。沿道はだいたい歓楽街。


こちらも星川通り。
街中にこうした"ゆとり"なスポットが点在していて、とても好きです。
戦災復興の区画整理範囲、これはかなり広く、現在の市街化された範囲を飛び出しているようで、写真のようにもうほとんど住宅街の様相を呈したゾーンも。


***

前編では熊谷の街の大まかな成り立ち、立ち位置、そして今の市街の骨格を、それを形作った戦災復興都市計画とともに見てまいりました。
後編は、市内を細かく歩き、熊谷市街の買い物や歓楽街などの様子をみることにします。


Ranoでした🦢