目覚め。

チャネリングされたイエスの言葉とACIM。

09-05-31 #2

2009-06-21 08:13:48 | Chapter 15
少し違う角度から話を進めましょう。

貴方が動物園に行ったとしましょう。二三時間過ごして、多彩な種類の生命を見ました。

その時、自分がどの様な生き物か混乱する事は無いでしょう。 自分の周りにいた人達を、他の動物と混乱することもありえません。 その時貴方は、自分の周りの人達をまとめて、我々(We)と呼ぶ事ができます。 「我々は全員で動物園を回って、創造の多彩な表現を見て来たと」言う事が出来るでしょう。 その時「我々」にはヒヒやハチや蛇は鳥は含まれていないでしょう。 「我々は動物園を歩いて回った」と言うとき、「我々」が何を指すかは貴方にとって自明です。

その状況で「我々」と言った時、人種や身体の違いなどは問題では無かったのです。肌の違いも関係ありませんでした。 「我々」は動物園を見て、創造の多彩な生命に魅惑されたのです。

貴方が神にYesと言って、聖なる瞬間に入り、兄弟姉妹がその本当の姿を貴方に示したなら、貴方は自分自身を彼らの内に認めます。 そして、貴方の兄弟姉妹も、貴方の内に自分たちの姿を見ます。 全員で動物を巡った人達の様に、その時、間違いなく我々と言う事ができます。 なぜなら、我々は同じだからです。

これが、コース(ACIM)が Sonship (神の子の共同体)と言った時に意味する事です。 Sonship は一つです。キリストは一つなのです。

神が無限に個性化?(Individuation)してはいないと言っているのではありません。 神の無限の表現(Manifestation)がなされていないと言っているのでもありません。 私が言っているのは、神の無限の表現は、それ自身を一つとして認識し、体験するという事です。 神の無限の表現は、分離されていないものとして体験されるのです。 貴方が鳥や猫や虫や、その他諸々のものから自分を分けて考えて来た様には、体験されないのです。

もう一つ言いましょう。 聖なる瞬間には、特別性(Specialness)が全く無いだけでなく、全てのものが我々なのです。 全てが我々です。

猫と虫を、一つのものをもう一つのものから区別する特別性が存在しません。
と同時に、木、葉、木の上の鳥、木の生えている大地、全てが「我々」なのです。

{考えとしては注意が必要ですが。} 全てが「私」と言う事も可能です。

全てが私なのです。 小さい分断された私が全てなのではなく、私が世界の宇宙の中心なのではなく。 宇宙の素晴らしい無限の全体性が「我々」なのです。 その中では何ものも「私でないもの」として分離して捉えられてはいないのです。 だから私を私でないものと対比して特別なものとして考える事はないのです。

“Thus does it assemble Reality to its own capricious liking, offering for Your seeking a picture whose likeness does not exist.”
“For there is nothing in Heaven or earth that it resembles. And so, however much you seek for its reality, You cannot find it because it is not real.”

〔そうしてエゴは、自分の気まぐれな好みに合わせてリアリティを組み替え、貴方に実在しないイメージを捧げます〕 実在しないイメージとは戯画のような物です。  〔天にも地にも、それに似たものは存在しません。 ですから, どれだけ探してもそれの(エゴの作ったイメージの)リアリティは見つけられません。 何故ならそれはリアルではないからです。〕

どれだけ(気まぐれに物事の価値を決めている)エゴのリアリティを探しても、それを見つけることは不可能です。 同時に、今現在の貴方にもこの事が当てはまると気付いて下さい。 貴方が聖なる瞬間が起き得る状況を作るまで、これが続きます。 その状況とは、貴方が神に注意を注ぎ、神にYesと言う事です。 Yesと言って神の知覚を受け取るのです。 神が体験する、全てのものの全ての側面のリアルな意味を貴方も体験し、その瞬間貴方は、分離された違った存在、つまり特別な存在ではなくなるのです。

そして、何かを貴方以外のものとして遠ざけ分離する事無く、その特別性を放棄します。
大抵の場合その特別性は、好ましくない特別な特性、貴方を脅かす特性、貴方が一生懸命それから自分を守る必要のある特性として現れています。

“Every One, on earth, has formed special relationships. And although this is not so in Heaven,” – You might say: where the Holy Spirit abides – “And although this is not so in Heaven, the Holy Spirit knows how to bring a touch of Heaven to them, here. In the Holy Instant, No-one is special, for Your personal needs intrude on No-one to make Them different.”

〔地上の全ての人は、特別な関係を結んでいます。しかし天国ではそうではありません (しかし、精霊のいる天国には特別な関係はありません)。 天国には特別な関係はありませんが、精霊は, 地上の特別な関係に, 天国の一瞬をもたらす事ができます。 聖なる瞬間の中では、誰も特別ではありません。なぜなら、貴方の個人的必要から、他の人を「違う」と捉える必要がないからです。〕

言葉を代えて言えば、貴方が聖なる瞬間が起こるのを許したとき、貴方は電話声を使っていないのです。 貴方はアノ人とアノ様に話し、コノ人とコノ様に話したりしないのです。 聖なる瞬間に、貴方は突然不正直でいる事を止めます。 

そして、自分のIntegrity(本質)を感じます。 貴方が本当に正直になった時、恐れが立ち去った時、防御を放棄した時(自然に瞬間的に)自分のIntegrity(本質)が感じられます。  これは重要な事です。

“Without the values from the past, You would see Them All the same”.

〔過去の価値を持ち込む事無く〕それは聖なる瞬間には持ち込めないものです。
〔過去の価値を持ち込む事無く、貴方は全ての人を同じに見ます。〕 動物園で貴方が、全ての人達を(他の動物とのコントラストによって)同じと見たように。

“Without the values from the past, You would see Them All the same, and like Yourself. Nor would You see any separation between Yourself and Them.

〔過去の価値を持ち込む事無く、貴方は全ての人を同じに見ます。そして、貴方は全ての人を自分と同じに見ます。貴方は、自分と他者の間に隔たりを見る事がありません。〕

“You see in each relationship what it will be when You perceive only the Present.”

〔聖なる瞬間に貴方は、各関係の中に、現在だけを認識したとき現れる関係だけを見ます。〕 面倒くさい、判りにくい文ですね。

〔貴方が現在だけを認識したときに、正しい関係が現れます。貴方は聖なる瞬間に、その正しい関係だけを見るのです。〕 (言い換えた文)

貴方が今の瞬間に(過去の価値を無視して)見たときだけ、真実が見えるのです、真実が体験できるのです。  その真実を貴方は体験するのです、永遠に、時間が流れないにも関らず。 {真実は時間に左右されないので、現在の瞬間に(貴方にとって)未来の関係も見えるのです。}

重要なのは、未来の存在は、貴方が変化することを意味しないと言うことです。 貴方は自分を高める事、自分をより完璧にする事、偉大な技量を得る事には関心を払わず、既に満たされた自分を元に命を生きるのです。そして貴方の全ての兄弟姉妹もそう生きるのです。 貴方は彼らの中にそれを見るのです。

そして、彼らも貴方の中にそれを見ます。 貴方が、彼らの真実を認証し、それに感謝していることが、彼らにも感じられます。 そして、貴方も認められているのを感じます。 ですから貴方の認証は、宇宙全体を丸ごと認める一つの行為なのです。 

それは、貴方が動物園を集団で歩いたときに、それが一つの行為だったようなものです。  例えば、ある特定の日にディズニーランドに行った全ての人が、それを一つの行為として楽しんだように。 それには、色々な異なる行動が含まれていたかもしれません、しかし、それは我々が楽しく一日を過ごした一行為だったとも、言えるのです。

私は貴方にフィーリングを伝えたいのです。 唯一性(Oneness、一つである事)が意味するフィーリングを。 唯一性においては、なにか排他的行為を忍ばせる相違が全く存在しないのです。

無限とは無限大の事です。それは、生命の終わりない現われの事です。 この生命は、相違や特別性としては現れず、何か特定のものが他のものより優れていたりせず、他を脅かすものも存在しません。

無限の統一性(Unity of Infinity)が調和をもたらします。 これが、自分で作って学んだ定義を放棄して、聖なる瞬間を呼び込んだ貴方を待っています。 その定義によって、貴方は違いが存在しない所に違いを見たのです、そして違いが無いところに争いを呼び込んだのです。 それは消滅させる必要があります。

“God Knows You Now. He remembers nothing, having always Known You exactly as He Knows You now.”

〔神は貴方を「今」の中で知っています。 神は何時でも、「今」の中で貴方を知り続けています。 神は過去を思い出す事はありません。〕


貴方が皆と動物園を歩いていたように、あるいはディズニーランドを皆と歩いて回った時のように、貴方はお互いをいま知り続けるのです。 貴方は彼らの事を何か思い出したりはしないのです。

こうも言えます。 貴方は今の瞬間、我々なのです。  この「我々」は、今まで貴方が知っていた「我々」とは別のものです。  ディズニーランドの外のアナハイムを歩いていたり、動物園のある町の道を{一人で、別々に}歩いている、「我々ではなく」、{動物園やディズニーランドにいる時の様に一体感を共有している「我々」なのです}。

何時でも、そこにいるのは我々で、貴方は旧知の人を知っているように、「我々」を知っているのです。

上記の説明は、コースの意味する全てを示してはいませんが、その大要を示しています。 定義を尽くして「我々」がいかに他のものと違うか示すのではなく、一人ひとりがあたかも別種の生き物であるかのごとく分けるのではなく。 {この文は混乱してます。本来なら二つに分けるべき概念を一つの文章に無理やり押し込んでいるようです。前後の文の繋がりを重視して、そのまま訳す事にしました。}

しかし、貴方達はその様に(まるで別の動物と対する様に)お互いと関わっています。 貴方は、お互いに対して防御を施しています。 貴方が兄弟に対して防御しているので、兄弟も貴方の事を恐れ、その様に対処するのです。 この様にして貴方がたは、程度の違いこそあれ皆、戦争のダンスを踊っているのです。そこには、聖なる瞬間はなく、聖なる瞬間が求められる状況を作り出しているのです。

1 コメント

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変更 (訳者)
2009-06-21 13:16:39
メル友のサラさんのアドバイスを受けて、

“God Knows You Now. He remembers nothing, having always Known You exactly as He Knows You now.”

の訳文を少し変更しました。 09年6月20日
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