目覚め。

チャネリングされたイエスの言葉とACIM。

09-05-31 #3

2009-06-21 13:19:35 | Chapter 15
原文
http://www.nwffacim.org/default.aspx


“God Knows You Now. He remembers nothing, having always Known You exactly as He Knows You now. The Holy Instant parallels His Knowing by bringing all perception out of the past, thus removing the frame of reference You have built by which to judge Your Brothers.”

〔神は貴方を「今」の中で知っています。 神は何時でも「今」の中で貴方を知り続けています。 神は過去を思い出す事はありません。 聖なる瞬間は、全ての認識から過去を取り除く事によって(貴方が兄弟を裁く基準を取り除いて)神と同等の知識を得ます。〕

貴方が二つのステップを行っていない限り、貴方は兄弟を裁いています。 貴方が、一歩後ろに下がって、貴方がに兄弟に下した定義{印象}を放棄するまで。 

貴方が兄弟にいま会ったばかりなら、出会った瞬間に湧き出てきた(彼に対する)定義を捨てなさい。

あるいは彼と昔から知り合いであったなら、今までに彼に下した全ての定義の総体を捨てなければいけません。

貴方は一歩下がって、自分の定義を捨て、無垢なマインドで、無垢な目で、神を知る事が出来るようにこう訊くのです。 「ここでの真実は何ですか? 彼の中に貴方が(神が)見えるよう手を貸して下さい。 そこに誰かがいるように見えるなら、そこには貴方が(神が)御自身として、ここに今いらっしゃるのです。 私がここで真に体験できるのは、貴方の全ての特性だけです。」

私は、それが体験したいのです。 もう私の定義を体験し続けたくはありません。 もう私の定義に対する反応を体験し続けたくはありません。 それらの定義を基に、どう行動していいか悩み続けるのは止めにしたいのです。


“Once this is gone, the Holy Spirit” – That Which is nothing more than Your Right Mind – “substitutes His frame of reference for it.” Listen. “His frame of reference is simply God.”

〔一旦これがなくなれば、〕「これ」とは過去の全ての認識、あるいは全ての認識から過去の記憶を抹消する事です。 そして貴方が兄弟を裁く基準が放棄されれば、〔一旦これがなくなったなら、精霊はそれを彼の判断基準(frame of reference)で取り替えます。 彼の判断基準はただ単に神です。〕
もし、精霊が貴方の正気でしかないなら、神が貴方の判断基準なのです。 

簡単な事ですね。 これが力なのです。これがIntegrity(本質)なのです。 これが無敵と言う事です。 これの意味する事は、貴方がどれだけ想像力を逞しくしたとしても、神(それが貴方の見ている全てです)を変える事は出来ません。 誰も神を今まで変えたものはいないのです。


“The Holy Spirit’s timelessness lies only here.” – Your timelessness lies only here. “For in the Holy Instant – free of the past – You see that Love is in You; and You have no need to look without, and snatch it guiltily from where You thought it was.”

〔精霊の永遠があるのはここだけです。〕 貴方の永遠があるのはここだけです。
〔なぜなら、聖なる瞬間に(過去から解き放たれて)貴方は愛が自分の中にあるのを見ます。 外を見て愛を探す必要はありません。 貴方は、そこにある(外にある)と思った愛を、罪の意識と共に奪い取る必要は無いのです。〕

これを聞いて安心しなさい。 貴方は、罪の意識と共に愛を奪い取る必要は無いのです。 何故なら、それが貴方のものであるだけでなく、貴方はそれで出来ているからです。 それが貴方の性質です。 それから全ての行動、全ての意識が来ています。それは純潔な調和、純粋な美です。 

しかし、それを体験しているとき、貴方は自分の事を考えてはいません。 何故なら、それが全ての人、全てのもの、全ての事の真理だと貴方は気付いているからです。

そして突然、「我々」になるのです。 急激に「我々」に気付くのです。 瞬間に、防御が要らないと気付くのです。 アッと言う間に、そこには安心があるのです。

これは、全ての人が超えていく境界線だということが、明確になったと思います。
貴方がこの境界線を越えるよう要請されているのです。 なぜなら、貴方はそれが出来るから。 そして誰かが、貴方がそれを出来ると言っているから。

苦しみを止める時が来ています。 不安が単に溶けてなくなるべき時が来ています。 自分が「誰か?」考え違えるのを止める時です。全てのものが、「どんな存在か?」考え違えるのを止める時です。

“All Your relationships are blessed in the Holy Instant”.

〔聖なる瞬間の中で、貴方の全ての関係は祝福されています。〕 

“All Your relationships are blessèd in the Holy Instant, because the blessing is not limited. In the Holy Instant”

〔聖なる瞬間の中で、貴方の全ての関係は祝福されています。なぜなら、祝福は限りないものだからです。 〕  

聖なる瞬間に、貴方の中で愛が膨れ上がって、神の愛が貴方を満たします(その様に感じられるのです)。 その愛が自身を貴方の中で照らし出すのです。 貴方の中にズーと存在し続けたものを照らし出すのです。


それを(自分のものと)感じたとき(なぜなら、貴方はそれが自分だと知っているから)、そしてプライベートな(切り離された)思考や体験は存在しないので、創造の全てが貴方の中にその認識を感じ体験します。 なぜなら、実際にはプライベートな体験などありえないからです。

そして、貴方は初めて宇宙的愛(そうとしか呼べないもの)をはじめて体験します。 貴方は、自分が宇宙の愛(父の愛)で包まれているところを想像できるでしょう。 

愛としての貴方を自分で感じたとき(自分を愛として感じたとき)それは宇宙全体で感じられます、その時宇宙が貴方から全体を愛されているのを感じます。 これがワンネス(Oneness、一つである事)のシンプルな在り様です。

「我々」我々が動物園を歩いている、あるいはディズニーランドを楽しんでいるとき、我々は一つの固まりに成っている訳ではありません。 煮崩れた餅のように区別が付かなくなってしまう訳ではありません。 一つの固まりに成ってしまうのは、静的で無限なものではありえません。 

この「我々」は、無限の全ての部分が神の使命を満たす自由を保持し、(自身と他の全ての)神の性質を認識し、それ全てが「我々」だと知るのです。

そして、安全の内に喜び、平和の内に喜び、恐れ不在の内に喜び、創造の素晴らしさに喜びます。 そこには、恐れと結び付けられているスリルはありません。 そこには新しい場所を探検する孤児の興奮はありません。 新しいものを、愛の無い目で見て、それを拒否する体験は、そこには存在しません。

“In the Holy Instant the Sonship gains as One. And united in Your blessing, It becomes One to You. The Meaning of Love is the Meaning God gave to It. Give to It any meaning apart from His, and it is impossible to understand It.”

〔聖なる瞬間の中で、神の子の共同体(Sonship)は一つの存在として何かを得ます。そして、貴方の祝福の内に統合されて、(共同体は)貴方にとって一つになります。 愛の意味とは、神がそれに(共同体に)与えた意味です。 彼の与えた意味以外のものを、それに(共同体に)与えた場合、貴方はそれを理解し得なくなってしまいます。〕

貴方が彼/彼女を見て、兄弟姉妹がそこにいると思ったとき{聖なる瞬間の内に神の共同体を見ていないなら}、貴方は自分が見たものを混乱し間違え、それを疑う傾向にあります。 そして恐れから行動してしまいます。  {貴方は自分が見た、兄弟姉妹の在り様を、誤解して、それに対して防御を始めるのです。}

“Every Brother God loves as He loves You; neither less nor more. He needs Them All equally, and so do You.”

〔神は全ての兄弟を、貴方を愛するように、愛します。それ以下でも、以上でもありません。 神は貴方と貴方の兄弟達を全て平等に必要としており、貴方もまた兄弟全てを平等に必要としています。〕

“Every Brother God Loves as He loves You;”

〔神は全ての兄弟を、貴方を愛するように、愛しています。〕 

そこに特別性は存在していません。 しかし神は貴方を真に見ています。 神は貴方をいま見ています。 そして、神は今貴方の中に自身を見ています。 分離がないとき貴方は、神が貴方を見たときの視線で自分を見ます。 

神が貴方を見て、そこに自身を見出します。それが神の本質(Integrity)で、それが貴方が(兄弟を含む全体つまり神から、自分を切り離していないとき)体験するあり方です。 そこには対立がありえません。


統一、平和、調和、愛から立ち上る存在、無限があり、しかし分離していません。
神は、創造の全てを平等に必要としています。 貴方もまた、創造の全てを平等に必要としています。 そして、創造の全ても貴方を平等に必要としています。 何故なら、それは全て一つだからです。 その一部が、自身を全体から切り離そうとしたとしても、宇宙が(貴方を含めた)その全体を平等に必要としている事に変わりは無いのです。 

貴方の全兄弟姉妹も、また(貴方を含む)その全体を平等に必要としています。 そして貴方もまた、全てを必要としているのです。

聖なる瞬間は、その体験、一つとして存在するリアルな体験を可能にします。
そこで、一つのものとしての在り様に帰る、意識的存在体験が可能です。
それが求められている全てなのです。

“In time, You have been told to offer miracles, as Christ directs. And let the Holy Spirit bring to You Those Who are seeking You.”

〔時間の中で、貴方はキリストの導きに従って奇跡を捧げるよう指示されてきました。そして精霊に、貴方を求めるものたちを、貴方の前まで連れてこさせなさい。〕

貴方は、精霊の言う事を聞き取るよう指示されていきました。 貴方は、内なるキリストに聞き耳を立て、彼の指示に従って癒しを行うように言われてきました。 精霊が、貴方が癒すべき者達を連れてくるでしょう。

“Yet in the Holy Instant, You Unite directly with God. And all Your Brothers join in Christ.”

〔しかし〕 しかし、いま貴方は、新しいレベル、新しいパラダイムに面しています。  〔しかし、聖なる瞬間の中では〕 この瞬間、貴方が神にYes と言って、その経験を実際に受け入れたとき。

〔しかし、聖なる瞬間の中では、貴方は神と直接つながっています。そして、貴方の全ての兄弟達もキリストの内につながっています。〕

貴方は、自分が孤児として存在する権利(自分の条件に従って自分で自分の救済をする事)を放棄する事により、神とつながるのです。

貴方が神とつながった時、神は貴方に、神が貴方となっている状態の、あなた自身を示します。 そして、貴方は「我々」(貴方の全兄弟姉妹と全創造)の真実を理解します。 

貴方はもはやキリストとしての自分を隠さず、キリストを構成する共同体の一部をもはや隠しません。 貴方は、自分を(罪も驕りも無く)自分自身として認識します。 父の子供として、父の子孫として、自分を認識します。

〔キリストの中でつながった者達〕 多様性を認めつつも自分たちの連帯性を見つけた人達。 動物園を歩いて、「我々」が、動物園を歩いたと言った人達。 「我々」として繋がった人達。

“Those Who are joined in Christ are in no way separate. For Christ is The Self the Sonship shares, as God shares His Self with Christ.”

〔キリストの中でつながった者達は、全く分離されていません。なぜならキリストが、神の子の共同体が分かち合う自己だからです。〕 

これは数式で例えれば、 神=キリスト=キリスト=神、です。

これは、どこか別な所にいる、スピリチアルな存在に対するスピリチュアルな言葉ではありません。

これらの言葉は、貴方の意識のヒキガネとなり、貴方が今自分のいる場所で(どの様な状況に貴方がいるにしろ、どの様な状態に面しているにしろ)貴方が神の言葉を聞き、神の姿を見るように誘っているのです。

貴方が過去に行った、状況の定義を持ち込む事無く。

貴方は「ここは静かでは無さ過ぎる。ここはプライバシーが無さ過ぎる」とは言えないのです。  尊厳がない、平和がないと言って状況を嫌う事は(過去に行った状況定義を持ち込まなければ)出来ないのです。

状況こそ、貴方が聖なる瞬間を得るための唯一の手段です。 なぜなら、聖なる瞬間は「関係」の内にあるからです。 貴方は、自分の答えのある場所{状況}を嫌っているのです。

もし、貴方の状況が好ましいものでないなら、「神よ、ここで自身を私に示して下さい。ここで何かが起こっている限り、貴方がここにいる事を私は知っています。 ここは地獄の様ですが、しかし何かが起こっています。 何かが起こっているなら、そこには貴方がいるはずです。」

「姿を見せて下さい。私は貴方が見たいのです。私は、今私が見ているものを見続けたくはありません。」

私は、状況に対する不満や怒りを捨てましょう。 私はもはや、「状況が整っていないので、貴方(神)の存在が体験できません。」とは言いません。

貴方が存在していると思われる全ての状況を尊びなさい、そうすれば、その状況内に聖なる瞬間をもたらす事ができます。 貴方は、その場に留まり、そこに注意を払うのです。

どこに注意を払うのですか? 貴方が注意を払うのは、貴方が定義した状況ではなく、父にです。  父は何時でも貴方と一緒にいます。 貴方が何を見ているにしろ、父は貴方を共にいます。 父に意識を向けて「父よ、ここの真理は何ですか?」と訊き、その答えを自分の中に受け取りなさい。

覚えて置いて下さい。 貴方が状況に憤慨している間は、貴方は答えを受け取りません。 貴方が状況をジャッジ(裁いて)していて、そこに注目する事が出来ない限り、自分を害するものとして貴方が状況を裁いている限り、貴方は答えを受け取りません。

それ(状況が自分を害していると言う貴方の定義)は嘘です。 貴方は状況をその様に定義する必要はありません。 貴方は状況を正しく定義し、「もしここで何かが起こっているとしたら(もちろん起こっています)神がここにいるに違いない。私は神自身にこれが何か訊いて、それを知り、神と共それを理解しよう。 そして、この状況に苦しみと欠乏感を結び付けて、それを私に押し付けているものを捨てよう。」

これが聖なる瞬間を呼び込むのです。これにより、聖なる瞬間が起こります。

今週も、聖なる瞬間の為の沢山の機会があるでしょう。 それらを良く活用して下さい。

来週またお会いしましょう。

1 コメント

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Q 感謝していることが彼らにも感じられ』るのはどうしてですか? (訳者)
2009-06-22 06:01:33
『感謝していることが彼らにも感じられ』るのは, 私が彼らの真実を見て、それに感謝しているからで
す。    
私が彼らの感謝を感じられていないとしたら、それは、私が彼らの真実を見ていないからです。


お互いの感謝と認識は既にあるのですが、私が兄弟から自分を隔てているとき、それが見えないのです


私が兄弟から自分を隔てているとき、私が見ている兄弟も、私の真の姿が見えていない兄弟なのです。

私が兄弟から自分を隔てていないとき、私が見ている兄弟は、私の真の姿が見えている兄弟なのです。

その逆もまた真なり。

私は兄弟を正しく見て真の彼を認め、兄弟は私を正しく見て真の私を認めるのです。
だから、私は一人では目覚められないのです。


知覚の変容は(それは認識の変容で)、それは行為によってもたらされます。

真の認識は、精霊を通して神と繋がり兄弟を正しく見ることでもたらせれます。
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