目覚め。

チャネリングされたイエスの言葉とACIM。

09-02-07 #2

2009-02-07 14:44:45 | Chapter 15
先週最後に読んだ文章から読み直しましょう。

“Decide for God” – let God be the center of attention. Forget about Yourself! I know it’s hard to do, but “Decide for God through Him, for littleness – and the belief that You can be content with littleness – are the decisions You have made, about Yourself.”

「彼を(精霊を)通して神を選び取りなさい。(神を意識の中心に置きなさい。自分のことは忘れて。これは難しく聞こえるかもしれません。ですが、)彼を通して神を選び取りなさい。 なぜなら、貴方は自分が卑小さで満足できると信じる選択を自分に対して行ったからです。 」

卑小さとは貴方が、自分の為に考えている時と、自分のことを考えている時の事を言っています。 
巨大さとは、貴方が神を意識の中心(貴方のマインドの静寂の中)に置いたときの事です。 その時、神が成っているものに対して、貴方の注意と好奇心が注がれます。 これは貴方が静かになっているとき、自然に起こることです。


“The Power and the Glory that lie in You – from God – are for All Who – like You – perceive Themselves as little, and have deceived Themselves into believing that littleness can be blown up, by Them, into a sense of Magnitude that can content Them.”

〔貴方の中にある神の力と栄光は貴方の様に、自分を卑小な者と考え、卑小さを膨らませて偉大に成れると自分を騙している、全ての人の為にあります。〕

こうして貴方は、巨大さを卑小さへもたらそうと試みてきました。 しかし、それはうまく行きません。 ボトルを一杯以上に満たすことは不可能です。 1リットルのボトルに、2リットルのミルクを入れることはできません。

簡単ですね。 卑小さに巨大さをもたらすことはできません。理由は卑小さの中に巨大さを収めることはできないからです。 巨大さは、卑小さをそれ以上の容量で満たすことはできないのです。 つまり、問題を超える(凌駕する)ものを問題の中に入れることは出来ないので、「問題」を解決することは基本的に不可能なのです。 何故なら、問題そのものが{貴方のエゴが}、自分には巨大さを受け入れられないと自己定義しているからです。


“Neither give littleness . nor accept it. All honour is due the Host of God.”

〔卑小さを与えたり、受け取ったりすることは止めなさい。神のホストは全ての名誉に値します。〕 

神のホストとは貴方の事です。 自身を広げて(差し伸べて)いる神が貴方に成っているのです。 貴方は神のホストであって、だから貴方は独立した自己を作ったわけではありません。


“All honour is due the host of God. Your littleness deceives You, but Your Magnitude is of Him Who dwells in You, and in Whom You dwell.”

〔神のホストは全ての栄誉に値します。 貴方の卑小さは貴方を裏切ります。 しかし貴方の巨大さは、貴方の中に住まう存在のものです。 そして貴方は、その巨大さの中に住んでいます。〕

貴方の巨大さは、貴方自身のものではありません。 貴方の巨大さは、彼(精霊)のものです。 貴方は意識の中心ではありません。  そして貴方が意識の中心であろうとする限り、貴方は目覚められません。 アトーンメント(Atonement=贖罪)は起こりません。 悟りは、啓示は、貴方の正気に返ることは、起こりません。

これはとても簡単な事に聞こえるかも知れませんが。 これはとても深遠なる事なのです。 何故なら貴方は自分を、神ではなく卑小さによって定義し、神ではなく卑小さによって統治しているからです。

ですから、貴方が神を自分の意識の中心に置いたとき、貴方は知覚のシフトを体験します。 その時貴方の動機は、自分勝手/自己保存から愛(貴方が知る全てを抱擁しサポートする事)へとラジカルにシフトします。


“Your littleness deceives You, but Your Magnitude is of Him Who dwells in You and in Whom You dwell. Touch no-one then with littleness in the Name of Christ, Eternal Host unto His Father.”

〔貴方の卑小さは貴方を裏切ります。 しかし貴方の巨大さは、貴方の中に住まう存在のものです。 そして貴方は、その巨大さの中に住んでいます。 だから(父の永遠のホストである)キリストの名において、卑小さで誰かを触るのは止めなさい。〕

これは何を意味しているのでしょうか。 「キリストの名において、誰かを卑小さで触る」とは、どういう意味でしょう。

貴方はキリストの名を出して、自分や他人を矮小化したりしていませんよね? しかし実のところ、貴方はそうしているのです。 貴方は自分であることは止められないからです。 貴方はキリストです。貴方は神です。 貴方は神の表れなのです。 貴方がいま、自分を独立した存在と主張し続けているところで、神が自身をあらわしているのです。 自分が独立した存在だと主張することこそ、卑小さそのものの定義です。

神が自身を示したものがキリストなのです。 今貴方はキリストなのです。 自分がキリストではないふりをしているキリストが貴方です。 だから貴方は、キリストの名において他者を卑小さで触っているのです。 貴方は全ての行動を、キリストの名において行います。 何故なら貴方がそれをしているキリストだからです。

そして貴方はキリストとしての行動を(自分を十分意識して)意識的に神聖に行うか、あるいは、自分に対して無意識な(自分がどの様な存在か知らない)まま行います。

「ふーん。私が意識の中心でないだけでなく、私はキリストなんですか。 そんなこと誰も頼んでないのに。 キリストってイエスのことでしょう。 二千年前にいた他人でしょう。 彼の教えを聞いて、彼から学んで、彼の抱いた英知によって祝福される事なら解るけど。 うーん。 私は結構このコロシアム好きなんですけど。 問題に直面したときのスリルとか結構気に入っているんですけど。 問題が猛獣の様に私に襲い掛かってきたとき、うまく処理して、それを檻に戻す事とか旨くやる自信があるし。」

では、本は読まなくてもよいです。 真理を知ろうとしなくても良いでしょう。 しかし、事実貴方はキリストなのです。 そして貴方が無知の内に(あるいは完全に目覚めて)行う事は、キリストの名においてなされているいのです。 なぜならキリストがそれを行っているからです。

だから〔神のホストは全ての栄誉に値します。〕 これは、貴方と貴方の全ての兄弟姉妹のことです。


“Your littleness deceives You, but Your Magnitude is of Him Who dwells in You, and in Whom You dwell. Touch no-one, then, with littleness in the name of Christ, Eternal Host unto His Father.”

〔貴方の卑小さは貴方を裏切ります。 しかし貴方の巨大さは、貴方の中に住まう存在のものです。 そして貴方は、その巨大さの中に住んでいます。 だから(父の永遠のホストである)キリストの名において、卑小さで誰かを触るのは止めなさい。〕

自分が誰だか知らないふりをするのは止めなさい。 そして、ここで私が言っている事をあえて明晰に聞きなさい。

これを真剣に受け取りなさい。 これを真理として受け取りなさい。 そして、貴方がキリストの名において何かをしようとする時、それがキリストを体現していない行為なら、その行動(考え)を止めなさい。

貴方は兄弟の目を見て神を思いだなさなければいけません。 我々は、二つのステップを通してこれを行うことに関して話してきました。 貴方の兄弟姉妹に対して(兄弟姉妹に対する貴方の最良の定義を基に)反応するのではなく、我慢して一歩踏みとどまり「神よ、ここの真実は何ですか?」と訊くのです。

その時、貴方は次のように訊いているのです。 「神よ、ご自身をそこに示してください。私の目の前に貴方がどの様に私の姉妹あるいは兄弟として存在しているか、示してください。 貴方がいまここで、どの様に存在してるか完全に知りたいのです。 私を真理の体験で満たしてください。 私が自動的にそして滞りなく私の兄弟姉妹にそれを(英知の体験を)差し伸べられる様に。 しかしそれ以上に、私が誤認識して(知覚を間違えて使い)それを真理と見間違えないよう、無知に苦しむんで、適切でない行動をとらない様に。 」

「私は兄弟姉妹の真理を知って、正気に返りたいのです。 だから私は、兄弟姉妹を見て、しかし彼/彼女を私の意識の中心には置きません。 私は兄弟姉妹を見て、彼/彼女を現在私が認識している以上の存在として見れるよう試みます。 私がそこに神を見れるように。」 {私は、兄弟姉妹を(自分の定義を通して)見てしまうかもしれませんが、しかし私の意識の中心には兄弟姉妹の真実の姿(私が彼らに与えた定義以外のもの)を置きます。}

解りますか? 貴方は「二つのステップ」をする事により、兄弟姉妹を見ながら、自分の意識の中心に神を置くことになるのです。 何故でしょう? それは神が(貴方が兄弟姉妹と呼んでいる)存在の全てだからです。 貴方として存在する全ても神である様に。

ですから、シンプルにして最大の気付きとは「貴方が意識の中心ではない。貴方の問題も意識の中心ではない。」ということです。 意識の中心としての自身を放棄しなさい。 意識の中心としての「貴方の問題」を放棄しなさい。


自分を意識の中心に保つのではなく、自身を神に対して開きなさい。 そして神を意識の中心に置きなさい。 貴方の意識は、神から神の本質を引き出している事を知りなさい。

そして、意識の中心を占めてきた問題を真理で置き換えなさい。 真理を知りたいなら、意識の中心から貴方の問題を取り除いて、それによって出来たスペースを真理で満たしなさい。 それ以外のことをしても、それは卑小さの中に巨大さを取り入れようとする無益な試みに終わります。 そして、どれだけ努力したとしても、貴方はリアルな孤児には成れません。


“In this season, (Christmas) which celebrates the birth of Holiness into this world, Join with Me, Who decided for Holiness for You.”

〔神聖なものがこの世界に生まれたことを祝うこのシーズン(クリスマスの事です)、貴方の為に神聖である事を選択した私と繫がってください。〕

私と繋がるにはどうすれば良いのでしょう? 貴方の兄弟姉妹と繋がって、彼/彼女の為に神聖を選択すれば良いのです。

どうすればこれが出来るのでしょうか? 貴方は、兄弟姉妹に対する現在の定義を使わずに、貴方の意識の中心に(兄弟姉妹の定義ではなく)神を置くことで、神に意識を当てて、神の体験を自分の意識内に招き入れればよいのです。 そうすれば、神が兄弟姉妹の真の姿を貴方に示します。 神が、貴方の兄弟姉妹としての自分の真の姿を、神の完全な姿として貴方に示します。 どの様な不完全さも完全に癒された姿が見えるでしょう。

私が話しているのは、<貴方の兄弟姉妹がいる所>=<貴方の意識の中心>に神を招き入れる事です。 これが実際に変容をもたらします。 
これは、何か漠然とハッピーな思考を貴方の哀れな兄弟の上に振りかける事ではありません。

これはとても重要なことです。 何故なら、これは今この時点で、貴方が世界とか宇宙とか呼んでいる誤認識された(歪んで知覚された)天国から、天国の直接体験へとシフトする事だからです。


“It is Our task – together – to restore the Awareness of Magnitude to the Host Whom God appointed for Himself.”

〔我々が一緒にするべき仕事とは、神が自身の為に任命したホストに、巨大さの意識を取り戻させる事です。〕

「神が自身の為に任命したホスト」とは誰のことでしょう? これは兄弟姉妹全員の事です。 これは創造の全ての事です。

「しかし、これは余りに今までと違う考えです。これは、意識の中心に自分を据えていた時の私のゴールとはまったく違う事です。 これはとても興味深い事ですが。 私にはそれほど意味深いことには思われません。 これは余りに利他的な事に聞こえます。 これは少し非個人的に、少し冷たい感じに聞こえます。」

それは、貴方がまだこれをしていないからに過ぎません。 これを実際に行えば、兄弟姉妹との一体性による親密さを完全に体験することになります。 そこには、理屈っぽさや、ファンタジー的な曖昧さは存在しません。


“It is Our task together to restore the Awareness of Magnitude to the Host Whom God appointed for Himself. It is beyond all Your littleness to give the Gift of God.”

〔我々が一緒にするべき仕事とは、神が自身の為に任命したホストに、巨大さの意識を取り戻させる事です。 神のギフトを与えるのは、貴方の卑小さには出来ないことです。〕

これは貴方の卑小さには不可能ですが、貴方には可能です。 何故なら貴方は卑小ではないからです。 これは、キリストとしての貴方の手に余ることではありません。 これは、貴方というこの時点で完全に聖なる者の手に余ることではありません。 貴方がまだ、その意識的体験を完全に受け入れていなかったとしても。

だから、これは貴方が今この瞬間に変容の体験をする事なのです。 貴方のキリスト性が信じられ体験可能になり、(貴方が自分が誰か思い出す事により)それを信じることが、それを知ることに取って代わる事なのです。

だからこれはとてもシンプルなレッスンです。 これが巨大と卑小の違いです。 これが目覚めと、夢を見ている状態の違いです。

そしてこれが我々が今まで話してきた、読んできた全ての事の要点なのです。