目覚め。

チャネリングされたイエスの言葉とACIM。

09-10-31#1 THE TIME OF CHRIST

2009-11-17 10:43:44 | Chapter 15
原文
http://www.nwffacim.org/default.aspx

October 31th, 2009 ©NWFFACIM


ページ位置の確認。

A Course In Miracles (reference pages)
Chapter 15 – Section – THE TIME OF CHRIST
1 Sparkly Book – p.372, Par.1, Last Sen. / JCIM – p.156, Par.2 Last Sen. / CIMS – p. 313, Par. 94,
Last Sentence.
Chapter 15 – Section – THE TIME OF REBIRTH
First Edition – p. 302, Par.3 / Second Edition – p. 325, Par.4


さてどうすれば、どうなればいいのでしょう?(どうすれば、どうなれば聖なる瞬間が体験できるでしょう?)

何人の人が先週私が尋ねた質問への答えをより明確にできたでしょうか?
どうすれば、貴方は聖なる瞬間を持つ理由付け(正当性)が持てるでしょうか。 それを自分に与える事が出来るでしょうか?

何人の人がこれを試して見て、自己防衛したり(エゴから)反応してしまたりしたでしょうか?  貴方達のうち何人の人が、愛の現われになることよりも、これら従来の傾向に優先順位を与えてしまったでしょうか?

何人の人がこれを真摯に行なって、結果としてフラストレーションを感じ落胆し、「どうして良いか解らない」と言ったでしょうか?

ここで重要なのは、貴方が「どうすれば良いか自分では知っていない事」を認識する事です。

しかしそれにこだわり続けるのは止めてください。 「自分ではどうして良いかわからない。畜生!」と。

今どうして良いか解っていない事に対して感情的にこだわるのは止めなさい。
答えは貴方の中にあります。 貴方の中には回答が(能力が)既に存在しています。

(いわゆる)創造の時からそれは貴方の中に存在し続けてきました。

例えば、気が違っているように見える人が居たとしましょう。 その人が精神病棟に入れられていたとしましょう。 しかし彼が正気である能力を失った訳ではありません。

その能力(度量)を失うことは不可能です。 その能力はただ単に使われなくなっているのです。

何処かの時点で、この能力を使うという選択が拒否されたのです。
そして今の時点では、その選択をした理由ももはや忘れられているのです。 それはマインドの外に、視界の外に、記憶の外に押しやられています。
だから、その人は自分の今のマインド状態(自分の状況)が(自分にとって)普通で自然なものだと感じているのです。 これが物事の自然な在り様だと考えているのです。

(正気を失う)この選択をした理由が思い出せないので、その選択をしたという事実も忘れられています。

もし誰かクリアに成っている人が、「気が違っている」と言われている人に向き合って、「貴方にはその能力(キャパシティ)がある。貴方の中に正気が存在している。 貴方の正気で居る能力は失われていない。 貴方は不能故に苦しんでいるのではないのです。 貴方はその能力をただ単に使っていないので、苦しんでいるのです。」といったなら、

そう言われた人は「私の周りをよく見なさい。 まわりの人達を見て御覧なさい。彼らは私と全く同じです。 貴方はこれが普通ではないと言うのですか?  貴方は我々全員が既に自分で持っている能力を使っていないと誹謗するのですか?  貴方の言う事は信じられません。 気が違っているのは貴方です。」と言い返すかもしれません。

それでも誰かがこれ(正気を忘れる選択がされている事)を言わなければいけないのです。

自分が選択した事をもはや覚えていない人に、何故その選択をして正気を使う事を止めたか覚えていない人に、誰かが知らせなければいけないのです。 この様な選択がなされていたと。

なぜその必要があるのでしょうか?

彼/彼女が自分では気付いていないところから(自分では持っていないと思っている)能力に対する好奇心が発揮できる様に、誰かが言う必要があるのです。

彼らが自分では持っていないと確信している能力を、その様な能力は存在しないと人生や環境が彼らに示して見せており、精神科医が彼らに「貴方は自分の家に戻る事は不可能です。病院以外では生きていけないでしょう。それを受け入れなさい。」と診断して見せていても、その(正気の)能力が彼らの内にあると誰かが言わなければいけないのです。

貴方は不能に成ってしまった訳ではありません。
自分を聖なる瞬間に与える能力(度量)は今でも存在しています。

それを体験したいと思い続けなさい。 重要なのはそれを諦めずに(聖なる瞬間を体験したいと願い)継続し続けることなのです。

貴方は「『自分に対して与えた定義が自分の存在を決めている』と言う貴方の信念に基ずく抵抗」に対してだけ、あえて諦めずに異を唱え続けるべきなのです。

「どうすればいいでしょう? どうすればいいか私には解りません。しかし私は知りたいと願い続ける事を止めません。今現在の私に解っている事を越えて行きたいと望み続け、私が現在自分に与えている定義の外にいる「より大きな私」の体験を持ちたいと願い続けます。」


先週は下記の文書を最後に読みました。

“It IS in your power to make this season holy, for it is in your power to make the time of Christ be NOW.1”

〔この季節を聖なるものにする力が貴方の中にあります。 何故なら貴方の中に「今」を「キリストの時」にする力があるからです。〕

この文章はクリスマスについて言っているのです。  そして(昔起こった神聖なことの記憶ではなく)この季節を本当に聖なるものにする方法を示しているのです。

この季節を聖なるものにする力が貴方の中にあります。
キリストを受け入れ、キリストが自分を通して表現される事を許可する事によって。

こうして私(キリスト)を通すプロセスを体験して、貴方は自分がキリストを示し体現している事を見るのです。 そうして貴方は真の自分を思い出し、自分の本当の定義が再び現れるのを体験します。

だから我々はとても意味深い事について話しています。 我々は、諦めずに継続し続けるに値する体験に関して話しています。


“It IS in your power to make this season holy, for it is in your power to make the time of Christ be NOW.”

〔この季節を聖なるものにする力が貴方の中にあります。 何故なら貴方の中に「今」を「キリストの時」にする力があるからです。〕


聖なる瞬間が「キリストの時」なのです。

聖なる瞬間とは、真実ではないものを想像している未来が無く、真実ではない記憶を思い出している過去が無いところの事です。 そこには真理しかありません。
そこで貴方は自分の真の姿としてだけ存在しています。

だから(これ以外のことに惑わされる事無く)これは貴方の注意を払い続けるに値する事です。


続きを読みましょう。

“It is possible to do this all at once because there is but ONE shift in perception that is necessary, for you made but ONE mistake. It seems like many, but it is all the same.”

〔これを全て同時に行う事が可能です。 必要とされる「知覚のシフト」は一つだけだからです。 その理由は貴方が犯した間違いは一つだけだからです。 それは沢山の事に感じられますが、それらは全て同じものなのです。〕

私が同じ事ばかり繰り返しているのは、真理がシンプルで、貴方はそのシンプルな真理を見過ごして、真理がより複雑だと想像し、より複雑なものを真理として探そうとする傾向があるからです。

あるいは、真理がとても複雑で、故にそれを貴方が理解する事は不可能だと思い込んでしまうのです。 そうして自己批判や自己卑下に陥り感情的に成ってしまうのです。

これは全て一度に行なう事が可能です。つまり瞬間的に行う事が可能なのです。
何故なら貴方が犯した間違いは一つだけなので、だから必要な「知覚のシフト」も一つだけなのです。

貴方が犯した唯一の間違いは「父よ、私は自分一人でします。父よ、私は貴方との繋がりから離れて自分一人で行動します。」と貴方が言ったことです。

「私は自分を独立した存在と想像して、その様な視点から全てを体験したいのです。その様な信念から/その様な想像を基に、自分を体験したいのです」と言ったのが貴方の唯一の過ちなのです。

だからこれ(知覚のシフト)はシンプルな事で、とても素早く行う事ができるのです。

貴方が修正するべき事は一つだけで、それだけを覚えていれば良いのです。

この本(ACIM)はとても複雑なアイディアが沢山書かれている様に見えるかも知れません。

たった一つの事を様々な方法で記述しているので、沢山理解するべきことが有ってとても大変に思えるかも知れません。

しかしこれは複雑な事ではないのです。

ただ単に様々な言い方で「貴方が父から得た独立を放棄しなさい。」と言うことが可能なだけなのです。  父に向き直り次の様に言って父との離縁を取り消しなさい。

〔父よ、助けて下さい。 父よ、私は全てに対する定義を提供し続ける事を止めます。 貴方の定義より、もっとエキサイティングで複雑で、もっと残酷でスリル満点の私の定義を放棄します。 失礼ながら、父よ貴方の定義はあんまり平和で退屈すぎると思って{自分で試して見たくなったのです。}〕


“It is possible to do this all at once because there is but ONE shift in perception that is necessary, for you made but ONE mistake.”

〔これを全て同時に行う事が可能です。 必要とされる「知覚のシフト」は一つだけだからです。 その理由は貴方が犯した間違いは一つだけだからです。〕 


「父よ、私は帰ってきました。 父よ、貴方の全てで私を満たしてください。『貴方が私の全てに成る事』の意味が解る様にして下さい。」


“. . . you made but ONE mistake. It seems like many, but it is all the same. For though the ego takes many forms, it is ALWAYS the same idea.”

〔その理由は貴方が犯した間違いは一つだけだからです。 それは沢山の事に感じられますが、それらは全て同じものなのです。〕

今まで私が何回も言って来た通り、貴方が自分一人で物事を見ようとすると、貴方は自分が無限のマインドであるという事実を、その権利を忘れてしまいます。 そして貴方は急に、創造の中の一つの限定され孤立した形として、他の形と関わり合う体験をするようになるのです。

他の形との関わり合うのですが、それを平和(その中で永遠に創造を体験する事が貴方の持って生まれた権利なのです)の境地以外のところからする様になるのです。

こうして貴方は恐れとその相棒の罪を見つけたのです。

そして恐れと罪はお互いを刺激し合い、自分一人で行動したいという貴方のシンプルな選択は、とても複雑なものへと変容して行き、恐れを触発する複数のものを作ってきました。

この選択が、貴方がそれらから身を守るべき沢山のもの、沢山の障害、自分が有能だと感じる為に成し遂げなければならない多数の事を作ってきました。

しかしこれらの事を簡単なシンプルなものに戻す為に必要な行為はただ一つ。 それは(自分が)一人であるフリを放棄する事です。