目覚め。

チャネリングされたイエスの言葉とACIM。

09-4-12 #2 Practicing the Holy Instant

2009-04-19 01:30:58 | Chapter 15
原文
http://www.nwffacim.org/default.aspx

そして、神が貴方の兄弟として存在する意味に、神が花となって咲いている意味に、神がテーブルとして形作っている意味に対して、貴方は自身を無防備に開くのです。

〔精霊の純粋さで、それらを洗い流してもらいなさい。そして、貴方の全ての意識を差し出して、彼が捧げる純粋さを受け取りなさい。〕 次の文を付け足しましょう。その純粋さこそ貴方なのです。貴方の神性、貴方の真の真実なのです。

〔その様にして彼は(精霊は)、貴方が神のホストであり、何者かの人質では無いと理解できるようにします。〕

これを受け入れてください。自分ひとりの考えを持つ度、批判する度、価値判断をする度、貴方が既に知っている知識を元に結論を出す度、貴方はそれらの考えの人質になってしまうのです。

何故なら、貴方の役割は自分個人の考えを持つことでは無いからです。貴方の役割は神のホストとして在ることです。貴方の役割は、(真実の意識的気づき、真実の明白さとも言える)父の意思が貴方の意識と成ることを許すことです。そして、神の意思を表現し、神の意思を元に行動することです。

それが貴方の自由です。それが貴方の全体性です。それが貴方の神性です。その役割を放棄して個人的考えをいだく時、貴方はその考えの人質になってしまいます。
貴方の最上の分別を使ってなされた判断は、それらの考えは、貴方から自身の神性を隠してしまいます。それらの考えは、真実の意識から貴方を遠ざけて、貴方を限定された意識に閉じ込め、人質にとってしまいます。


貴方の個人的考えは貴方を人質にとってしまいます。何故なら、貴方は常に、自分を捕らえたものに仕える事になるからです。


復活祭の日曜日。現在、地球の一部の人達(ハワイとアメリカ西部)とってはまだ復活祭の日曜です。他の人にとっては昨日のことですね。しかし、全ての人にとって、復活とは今すぐに起こり得る事なのです。お伽噺ではなく、たった今、現実のものとして父の意思を受け入れる事が可能です。

次のセクションは、精霊と特別な関係(Holy Instant and Special Relationships)と題されています。特別な関係とは、奪い合う関係のことです。

特別な関係とは、他方を犠牲にして何かを得るための関係です。つまり、両方が奪い合っている虐待関係です。なぜなら、そこには無防備な分かち合いが無いから。


ここまで、聖なる瞬間に関して話してきました。それは、貴方が静かになって意識の中に父の意思を招き入れる事です。

貴方が求めている事とは、貴方が父の意思に満たされ、全ての事柄の真実が貴方に明らかにされる体験です。そして貴方は無知ではなくなります。

〔聖なる瞬間は、貴方に愛の意味を教える精霊の最上の教材です。なぜなら、聖なる瞬間の役割とは、判断を完全に保留することだからです。〕 判断の保留とは、プライベートな考えを放棄する事、独立存在の放棄、分断された考えを止める事と同じです。

〔聖なる瞬間の役割とは、判断を完全に保留することだからです。〕 
では、どうすれば完全に保留する事が出来るのでしょう? 全ての考えをどうしたら根絶やしに出来るのでしょう? その様な事をする必要はありません。ただ単に、「考え」を使用しなければ良いのです。

判断をやめて、父か精霊に尋ねれば良いのです。「この事の真実とは何なのでしょう? 貴方とつながって、貴方の目を通して見たいのです。貴方が私と分け合ってくれる考えだけを受け入れ、私個人のプライベートな考えをもつ権利を放棄します。家族の一員となる為に。全てのものを受け入れ、すべのものから受け入れられましょう。でも、どうすれば良いのか解らないので、貴方に尋ねましょう。そして貴方が示してくれた真実の明白さ(疑いの無さ)に従いましょう。」 この様にして、判断を全て保留するのです。


〔判断は常に過去に基づいて行われます。貴方は、過去の経験を元に判断を下します。過去が無ければ判断も在りえません。何故なら過去がなければ、貴方は何も理解できないからです。〕つまり問題は、何かを理解していると貴方が考えている事にあります。

貴方が何かを理解したと考えた瞬間、貴方はビジョンを(神の視点を)失います。貴方はもはや、無垢な目で見ていません。貴方には、「見よ私は全てを新しくする、見よ私は全てを新しくする、見よ私は全てを新しくする」(つまり変動する神の存在)が見えなくなってしまうのです。

「これって、ただのグラスじゃん、ただの水じゃん、5分前から目の前にあった。」

チョッと待って。 真実は、「見よ私は全てを新しくする、見よ私は全てを新しくする、見よ私は全てを新しくする」。

グラスも、水も、なにものも、「ただの」(確定された)ものではないのです。

父がそこに居るのです。そこで創造がなされているのです。今ここで、今ここで、今ここで、今ここで。 全ては新しくなり続けているのです。

貴方は経験していない事は解りません。だから理解しようとするのは止めなさい。私に任せなさい。
貴方が静かになり、真実を知りたいと願った時、真実が貴方に明かされます。真実が明白になります。しかし明白なものは理解し得ないものです。


理解とは、過去の領域に関する事です。新しいこと(今この瞬間に起こっている事)を理解する事は出来ません。 貴方は、起こっている事を明白に体験することが出来ます。しかし、その明白なものを記憶に残す事はできません。今起こっていることを、固定された定義に縛る事はできません。

その体験を探求し、調査し、決断を下す? いえ、無理なのです。

真理の明白さとは、言わば、生きた愛(神性な生命)の明白さです。それは流動的であり、固まったものではありません。ですから、貴方は真理を知り続けるのです。創造の神性の明白さを体験し続けるのです。それは、知識として溜め込んだり、参照したり、未来の行動の基礎にできるものではありません。 貴方は、聖なる瞬間に示された真実の明白さに基づいて行動するように成ります。

この視点に立つ事は、絶えない喜びです。しかし、真理の明白さを捉え、理解しようとすれば、喜びは消えてしまいます。 貴方は、その喜びのない所に住んでいます。そこから出てくる様に、私は貴方に呼びかけているのです。

〔過去が無ければ判断も在りえません。何故なら過去がなければ、貴方は何も理解できないからです。自分には物事の意味が解っていない事がハッキリするので、貴方は判断を止める様になります。 しかし、貴方はこれを恐れています。なぜなら、エゴがなければ全てが無秩序に飲み込まれてしまうと思っているから。〕

エゴとは想像上の存在です。それは、全てのことの意味が理解できたと考えています。エゴは、全てのことを理解する能力が(つまりエゴが)無ければ、無秩序に飲み込まれてしまうと恐れています。 しかし本当は、エゴがなければ、残るのは愛だけです。全ては一つのものになります。無限の単一性。生きて動いている愛です。愛が全てのイデア(理念)の性質であり本質です。

私は、全ての考えとは言いませんでした。全てのイデア。全ての神の思考といっても良いでしょう。

復活の結果は、一なるものへの回帰です。それは全てに関する愛の唯一性があらわになることです。それは熱望に値することです。それはものではありません。それは永遠に求めるべきものです。それは所有する事はできません。

その熱望ゆえに、貴方はその経験を妨げている行為を止めるべきなのです。貴方の頭の中のお喋りが、その経験を遮っているのです。おしゃべりを止めた時、無上の静けさが現れるでしょう。それが神の心です。それが貴方の心です。

その静けさの中で、神の心の全てが貴方に届き、貴方を変容させるでしょう。貴方は全てを新しい目で見るでしょう。そして、「私は理解した」と言おうとはせずに、貴方は存続し続けるでしょう。

貴方は「私は理解した」と言って知識を貯めこむのではなく、「その明白なことを私は知りたい。」と言うでしょう。「見よ、私は全てを新しくする」- それはホストである貴方の中で動いている神です。貴方は、その新しいものを見ようとするでしょう。そして貴方の唯一の役目は、自分の中の神の働きを実際に体験する事です。 これが素晴らしい真理です。


人間の意識(独立したエゴ)に関して複雑に考える事も可能ですが、それから自由になる簡単な方法があります。それは、人間意識を(つまりエゴを)使用しないことです。考えることから、聞くことへ意識をシフトして下さい。

そうする事を全ての人にお勧めします。

良い復活祭を過ごして下さい。来週もまた会いましょう。