目覚め。

チャネリングされたイエスの言葉とACIM。

10-01-02 #1True Empathy

2010-01-06 20:05:20 | Chapter 16
原文
http://www.nwffacim.org/default.aspx

January 2, 2010 ©NWFFACIM

ページ位置の確認。
Sparkly Book, it’s page 379, the last paragraph.
Second Edition, it’s page 331, paragraph 6.
First Edition, it’s page 308, the third paragraph.
JCIM, it’s page 159, the third paragraph from the bottom.
CIMS, it’s page 319, paragraph 7.


少し瞑想しましょう。


今晩は。ようこそ。  

皆さんがクリスマスの日にどれだけ私と繋がっていられたか聞くのは止めておきましょう。 しかし、貴方達全員が繋がりを保つ事を忘れてしまった事は言って置きましょう。

それを忘れてしまったのは無理もない事です。

貴方は、それを忘れ続けるべきではありませんが、貴方が「つながり続ける事」を忘れてしまったのは無理からぬ事です。

貴方は思考し続ける性癖を持っています。 「頭が切れる」とか「打てば響くよう」とか言いますね。


(貴方は)状況の中で「出来るだけ知性的で正し答えを必要とされた時、即座に示せるようでいたい」と考えている訳です。


貴方は躊躇する事に慣れていません。 貴方はいつでも即座に答えを考え出したがっているのです。

しかし貴方は躊躇する必要があります。

もし、孤独でいる性癖を捨てたいなら、一人きりで存在する癖を無くしたいなら、隔離され心地悪く居ることを止めたなら、{生活のあらゆるところで}躊躇する必要があります。

居心地が悪いのは、現在の貴方のあり方が(貴方にとって)自然ではないからです。 貴方の内側に居る正気がまだ力を持っている証拠です。 それが、(貴方は)自分一人だけで物事を行ない続けるべきではないと、居心地の悪さを使って(貴方に)知らせているのです。


英語圏に存在する“Mother May I”という子供のゲームが、聖なる瞬間を設けるヒントになるかもしれません。

このゲームでは一人が他の人達に指示を出すのです。 例えば「メアリー、一つの足で立ちなさい。」とか。 するとメアリーは、“Mother May I?”(お母さんいいですか?)と訊いて, YesかNoの答えを聞いて、それがYesなら一つの足で立つのです。 

このゲームでは(参加者が)出来るだけ“Mother may I”と言わずに行動してしまうよう、指示を出す人が仕向けるのです。

さて貴方は日常で、兄弟姉妹と会っているとき、何か決断をしなければ成らないとき、あるいは床に掃除機をかけているとき(お母さんいいですか?の代わりに)「精霊はそこに居ますか?」、「精霊、いま始めていいですか?」、「Raj, 今これをするべきですか?」と訊ねて下さい。

イエスかノーで答えられる質問から始めてください。 何故なら(現時点では)イエスかノーの答えが、より複雑な答えより、聞き取り易いからです。

これを真剣にしようと試みたなら、貴方のエゴは意義を唱え始めるでしょう。

「なんだって! 全ての事を一々聞かなくてはならないの? そんなのおかしいよ。 構わず、直ぐやってしまいなさい。 掃除機のかけ方なんか知っているでしょう。 洗濯機の使い方だって、車の洗い方だって解っています。」

貴方はどうやってこれらの事をすればいいか解っているかも知れませんが、しかし貴方がこれらの事を自分一人で行なっている時、貴方は損なわれています(十全に機能していません)。

その時貴方は、自身の存在(自分のあり方)全てを体験していません。貴方が体験するべきことの全てを体験していません(それを体験するのが貴方の持って生まれた権利であるにも係わらず)。

貴方は自分一人だけで行動する事により、世界を「自分が一人で独立して行動している所」として見てしまいます。 世界を天国以外のところとして見てしまいます。

何故でしょう。 貴方のプライベートなマインドからは、そうとしか見れないからです。 「自身が独自に機能している」と考えているマインドには、そう(この世界で自分は孤立した存在である)としか見えないのです。

「お母さん、これを行なってもいいです?」と忘れず聞く事の理由は、
「これを行なってもいいですか? これを一緒にしましょうか?」と聞き続ける理由は、孤独の独立の意識体験を破り続ける事が必要だからです。

この目的は、貴方を侮辱する事ではありません。 そうではなく、貴方が特定の意識状態(マインド状態)に入れるように、これをするのです。 「誰か他の人」と一緒に物事を行なおうとする「呼びかけ」が出せる状態にマインドを保てるよう。

先週は(実際には先先週 訳)、精霊を貴方の救出者(Redeemer)と呼びました。

貴方の正気(正しいマインド)でしかないものが、(それが自分だと貴方が考えている)プライベートな卑小な「貴方」の救出者です。

何故なら、貴方が自分の正しいマインドを取り戻したとき(貴方がそれを自分の中で認識した(響かせた)時)貴方が正気に戻るからです。

〔彼に教えようとするのは止めなさい。学習者は貴方なのだから。〕
と前回読みました。

貴方は自分の立場、自分の役割を認識しなければいけません。
貴方は学習者で、彼が教師です。

これは侮辱的に聞こえるでしょう。 貴方は育ち学校を出ました。 社会に出て、何らかの成功を達成したかもしれません。

なのに今、貴方が学習者で精霊が教師なのです。
「その理由は、精霊が何か物凄く賢い教師で、貴方は全く口答えが出来ないから?」 何と侮辱的でしょう。 振り出しに戻ってしまった様です。
貴方が頑張って築いてきた独立を放棄しなければならないとは。
それでも〔貴方は学習者で、彼が教師です。〕


“Do not confuse Your role with His, for this will never bring Peace to Anyone. Offer Your empathy to Him,”

〔彼の役割と自分の役割を混同するのは止めなさい。その様な事をしても誰にも平和をもたらす事にはなりません。〕

精霊の視点を、貴方の現在の視点よりも意味があるものとして受け取りなさい。 

これについてもう少し話しましょう。 

貴方が体験したいと望む精霊の視点(パースペクティブ)は理知的なものではありません。 これは物事を説明する「言葉の羅列」としては体験されません。

精霊の視点は真理を知っています。それは真理を内包しています。 と同時に精霊の視点は魂(Soul)も内包しているのです。

精霊の視点には原理と愛が係わっているのです。

(精霊の視点の中には)偉大な意味があり、それを貴方が自分の中に呼び入れたなら、精霊の視点(それが貴方の本当の視点です)を貴方が呼び入れたなら、それはただ単に理知的な頭脳的な体験であるだけではなく、それはハートの体験なのです。 それは魂の体験です。 それは神の体験です。
それは衝撃的な体験、意味の深い体験なのです。

この視点の中に貴方が入っていくのです。 この視点を貴方が呼び込むのです。 この視点に貴方が従うのです。

もし貴方の現在の視点が、上記の事柄を備えていないなら、(聖なる瞬間を持つという)新しい事を試してみるべきなのです。


“Offer Your empathy to Him”

〔貴方の共感を彼に与え(捧げ)なさい。〕

彼から真理を知ろうとして、彼の愛を感じようとして、彼に貴方の興味を与えなさい。 宇宙を創造しているマインド以外のマインドを抱かずに。


“Offer Your empathy to Him, for it is His Perception and His Strength that You would share.”

〔貴方の共感を彼に与えなさい。何故なら貴方が分け合うのは、彼(精霊)の知覚であり彼の力なのだから。〕 

これはまだ貴方の習慣には成っていません。

これは貴方が今までして来た事とは違います。 これを一時間と続けて行なった事は無いかもしれません。 しかしこれが我々が話してきた事なのです。

これが孤児院を放棄すると言う事です。
これが貴方の源と(十分意識的に)繋がり直すと言う事です。


“Offer Your empathy to Him, for it is His Perception and His Strength that You would share.”

〔貴方の共感を彼に与えなさい。何故なら貴方が分け合うのは、彼の知覚であり彼の力なのだから。〕 

貴方(個人)の視点を{他者に}分け与えたいという欲求を放棄出来なければいけません。 何故なら貴方は、(現在の貴方の体験よりも)リアルな体験を求めており、それを得ることが貴方の権利なのだから。


“And let Him offer You His Strength and His Perception to be shared through You.”

〔そして彼が貴方に彼の力と知覚を与え、(貴方を通して)それらを他者にも分け与える事を許可しなさい。〕

貴方は聞くだけではありません。

貴方は精霊の真理を知るに値するだけでなく、貴方はそれを知り、それを分け与える役目を持っているのです。 貴方は、自分の考え(自分の理由付け)を分け与えるのではなく、精霊から聞いた真理を分け与えるべきなのです。

先週言ったように。 「それらの事に価値があるのなら、それらに自分を変えさせなさい。」

1 コメント

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改訂 ()
2010-01-14 03:14:35
“And let Him offer You His Strength and His Perception to be shared through You.”

上記の訳を直しました。

〔そして彼が貴方に彼の力と知覚を与え、(貴方を通して)それらを他者にも分け与える事を許可しなさい。〕
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