November 14th, 2009 ©NWFFACIM
“You think that everyone OUTSIDE yourself demands your sacrifice, . .”
〔貴方自身の外に居る全ての人が貴方の犠牲を要求していると、貴方は考えています。〕
何故貴方はそう考えるのでしょうか? それは貴方が他者全員にこれを要求しているからです。 だから自分でそう考えている貴方は、他者もそう考えているに違いないと疑っているのです。
“You think that everyone OUTSIDE yourself demands your sacrifice, but you do not see that ONLY you demand sacrifice, and ONLY of yourself.”
〔貴方自身の外に居る全ての人が貴方の犠牲を要求していると、貴方は考えています。 しかし貴方だけが貴方自身の犠牲を要求していることに、貴方はまだ気付いていません。〕
これが白黒ハッキリさせるべき事です。
“. . . you do not see that ONLY you demand sacrifice, and ONLY of yourself. “
〔貴方だけが貴方自身が犠牲になることを要求していると、貴方はまだ気付いていません。〕
貴方は犠牲の事を意識的に考えてはおらず、「私は犠牲をあげよう、自分を犠牲にしましょう。」と言うわけでもありません。
貴方は例えば次の様に言うのです。
「また一日が始まったなぁー。色々やらなければならない事がある。あれこれ解決しなければならない問題もあります。 さぁー起き上がって、着替えて、出勤して、出来るだけ頑張らなくては。」
とても立派に聞こえますね。
しかし、こうして貴方は自分の犠牲を要求するのです。 これを明確に理解する必要があります。
貴方が一日の予定について考えている時、そこには思考の放棄が全く考慮されていません。 パーソナルなプライベートな意思決定を放棄して、(自分だけで)変化をもたらそうとする試みを放棄して、出来るだけ静かになって「神の静かな小さい声」(つまり貴方の神聖)を聞こうとして、天国(それが貴方の一日の真実です)をあらわにする意識を提供してはいません。
{貴方は静かな神の声を聞いて、その日の中で「どうすれば世界/真実に寄り添うことが出来るか知っている意識」を提供し、一日の中に天国を現すことをしていません。}
こうして貴方は自分の犠牲を要求しているのです。
だから貴方は、自分のとても善良な建設的な立派な一日のプランを使って、「自分の直接的神聖体験」/「貴方が神の子供だという実体験」/「貴方の真実を直に体験する事」を犠牲にしています。 これが貴方の犠牲の払い方です。
出来る限り良い「独立した存在」に成ろうとする「素晴らしい意図」によって、犠牲が隠されています。 そうして貴方は父のいない(源を持たない)リアルな子供に(神の操り人形ではなく)成ろうとしています。
“You think that everyone OUTSIDE yourself demands your sacrifice, but you do not see that ONLY you demand sacrifice, and ONLY of yourself.”
〔貴方自身の外に居る全ての人が貴方の犠牲を要求していると、貴方は考えています。 しかし貴方だけが貴方の犠牲を要求していることに、貴方はまだ気付いていません。〕
自身を忙しくして、アトーンメント(贖罪)が起こりえない所、成就が起こりえない所、聖なるセルフへのアセンションが起こりえない所に自分の注意を与える事によって貴方は自分の犠牲を要求しています。
“Yet the demand of sacrifice is so savage and so fearful that you CANNOT accept it where it is.”
〔しかし犠牲の要求は野蛮でとても恐ろしいので、貴方はそれをそのまま受け入れる事は出来ません。〕
それは野蛮で恐ろしいかも知れませんが、貴方は勇気を出してそれを見つめる事が出来ます。 我々は今それを見つめているのです。 貴方はそれをより詳しく見ることが出来ます。
それをより良く見るのは、それによって貴方が誹謗される為にではなく、どれだけ不必要な事を自分がしているのか貴方が気付けるようにです。 そうして、それ(犠牲)を自然に抵抗無く投げ捨てられるように。 それを手放して、もう使わなくなるように。
“But the REAL price of not accepting this has been so great that you have given God away rather than look at it.”
〔しかしこれを受け入れない代償はとても大きいので、貴方はそれ(自分が払った代償)を見るより、神を遠ざける事を選んだのです。〕
貴方は神についてあまり考えたいとは思っていません。 それに関して思い悩みたくはないのです。 神が貴方にとって意味が無いほうがマシだと貴方は思っています。 「自分の父が誰だか知る事」が重要ではない方がよいと貴方は思っています。
貴方の父が誰だか知る事は、とても素晴らしい事で、貴方に無限のインパクトを与えます。 それ(貴方の父が誰だか知る事)は犠牲ではなく、貴方の想像を遥かに超えた成就(満たされる事)なのです。
“. . . the REAL price of not accepting this has been so great that you have given God away rather than look at it. For if God would demand total sacrifice of you, you thought it safer to project Him outward and AWAY from you, and not be host to Him. To Him you ascribed the ego’s treachery, inviting it to take His place to PROTECT you from Him.”
〔これを受け入れない(為に払わなければならない)代償はとても大きいので、貴方はそれ(自分が払った代償)を見るより神を遠ざける事を選んだのです。 何故なら、神が貴方に対して全てを犠牲にするよう求めるなら、神のホストになるよりも、神を自分の外へ遠く投射した方が安全だと貴方が考えたからです。 貴方は彼(神)にエゴの裏切りをなすり付けました。 貴方を彼(神)から守ってくれるようエゴを招き入れ、それを神の座に据えました。〕
何故でしょう? 貴方がそうしたのには理由があります。 その理由とは:
「エゴの考え方に従えば、貴方は自分の個人的努力と鍛え上げられた個人的技能によって独自に成功する事が可能で、従って無限の賞賛/敬意/評価に値するように成れる。」 そうエゴは貴方に言うのです。 これは驚くべき約束と言えます。
この約束は、これが成功したなら貴方は神なくして/神聖なくして/自分の能力と努力だけで不変不滅になる、罪/病/死/ダメージ/怪我を経験しなくなる、すなわち貴方は永遠/不変にパーフェクト(完全)に成るという事です。 なんという約束でしょう。
そしてこれを貴方は自分の手で成し遂げられる(と思ったのです)。
貴方は自分の価値と能力を自分自身に証明して見せた事になるのです。
これを貴方に証明してみせる適役が貴方以外に居るでしょうか? これの証人になるに相応しい人が貴方本人以外にいるでしょうか?
これで貴方にもハッキリと解ったでしょうか。 貴方はこのようにして犠牲を払っており、これが貴方が犠牲を払っている理由なのです。
しかし貴方が忘れているのは、貴方が犠牲にしているのが貴方の正気であり、貴方の聖なる喜びと、神の子としての貴方の持って生まれた権利だと言う事です。
“To Him you ascribed the ego’s treachery, inviting it to take His place to PROTECT you from Him. And you do not recognize that it is what YOU invited in that would destroy you, and DOES demand total sacrifice of you.”
〔貴方は彼(神)にエゴの裏切りをなすり付けました。 貴方を彼(神)から守るようエゴを招き入れ、それを神の座に据えました。 貴方は自分が招き入れたもの(エゴ)が自分を破壊し、貴方の全てを犠牲として要求するとは認識していません。〕
これを腹の底までクリアにしてください。
“No partial sacrifice will appease this savage guest, for it is an invader who but SEEMS to offer kindness, but always to make the sacrifice complete.”
〔この野蛮なゲストは部分的な犠牲では満足しません。これは親切に見えて、しかし常に徹底的な犠牲も挙げようとする侵略者なのです。〕
エゴはとても親切なので、成功という人参を貴方の目の前にぶら提げてくれますが、その人参を貴方が得る事は最後までありません。
つまり、エゴは貴方の目の前に人参〈報酬〉をぶら提げて、「それを得て自分一人で何者かに成る事」に夢中にさせ、「私はどうやってこの様な(目の前に人参に心を奪われる様な)存在に成ったのか?」と自問するチャンスを貴方から奪い続けています。
しかし、目の前に人参が置かれるように成る前、貴方は何処に居たのでしょうか?
貴方は報酬を追いかけ何かを達成する事に夢中で、平和とマインドの平静を得て立ち止まり「チョッと待って。どうやってこれら全ての事が始まったのだろうか?」と言う事が出来ていません。
しかし「それが出来るだけで無く、それをすべきだ!」と今誰かが貴方に言っているのです。 今がそれをするべき時なのです。
「貴方は神の生命の全体性を犠牲にして来たのだ!」と誰かが今貴方に言って聞かせるべきなのです。 貴方はそれを犠牲にして来ましたが。 それは必要の無い事です。 だから貴方はそれを止められるのです。
そしてこれは何か貴方に対して与えられた罰ではありません。 それは貴方に与えられた苦難ではありません。 これは貴方が行なった思量の足りない行動によって作られただけのものです。
英語に Skirt Chaser と言う表現があります。 女性のお尻を追いかけてばかりいる男の事です。 貴方は自分が「人参を追いかけてばかりいる者」であると知る必要があります。 そして、それが馬鹿げた事であると解るように成ってください。
これが馬鹿げていると気付いて、「父よ助けてください。」と言えるように、独立を放棄して他の事を試してみる事が出来るように成って下さい。
“You will not succeed in being partial hostage to the ego, for it keeps no bargains, and would leave you nothing.”
〔貴方は、エゴの部分的な人質に成る事で済ませる事は出来ません。 何故ならエゴは容赦なく奪い、貴方に何も残さないからです。〕
貴方に何も残されないのは、貴方が人参(業績/報酬)を追い求めるあまり、神について考えなくなってしまい、貴方が自分の源へ向き合わなくなってしまい、貴方の意識が貴方の正気に気付けなくなってしまうからです。
だからエゴは貴方に何も残さないのです。 貴方のリアルなものが、貴方に解らなくなってしまうのです。
“You will have to choose between TOTAL freedom and TOTAL bondage, for there are no alternatives but these.”
〔貴方は、完全な自由と完全な拘束のどちらかを選ばなければいけません。 その理由は、これ以外の選択肢が存在しなからです。〕
白黒がハッキリしていますね。 貴方は人参を追いかけているか、人参を追いかけていないか、どちらか一方です。両方同時にすることは出来ません。
“You have tried many compromises in the attempt to avoid recognizing the one decision which must be made. And yet it is the recognition of the decision, JUST AS IT IS, . .”
〔貴方はするべき決断を保留しようとして様々な妥協を試みてきました。 しかしこの決断をありのままに認識すれば、決断することはいたって容易いのです。〕
ここで言う決断とは、人参を追いかける事を止める決断、自分一人で何者かに成ろうとする事を止める決断、父と繋がり直す決断、父からの離縁を破棄する決断です。
“. . . it is the recognition of the decision, JUST AS IT IS that makes the decision so easy!”
〔しかしこの決断をありのままに(シンプルに)認識すれば、決断することはいたって簡単なのです。〕
次の事を聞きなさい。
“Salvation is simple being of God, and therefore very easy to understand. Do not try to project it from you and see it OUTSIDE yourself. In you are both the question and the answer; the demand for sacrifice and the peace of God.”
〔救済とは、神のシンプルな存在の事です。 それはとても簡単に理解出来ます。 貴方自身から神を投射して、それを貴方の外に見ようとするのは止めなさい。 貴方の中に疑問と解答の両方が存在しています。 貴方の中に犠牲の要求と神の平和の両方が存在しています。〕
こうして一歩一歩明確にしてきました。 さて次は何でしょう。
次には犠牲の終焉が来ます。 それが次のセクションの小題です。 一つの決意をする事で、全ての幻想は解消され犠牲の終焉がもたらされます。 これが我々の話している事です。
「エゴのホストか神の人質」のどちらかを選ぶ事が出来ると考えている限り、貴方は(自分の存在にそぐわない事をしている結果としての)それぞれの闘争、それぞれの苦しい体験を一つ一つ踏まえて、それぞれのところで真理を求めていかなければなりません。
それらを一つ一つ解消していくには、とても長い時間が掛かるかも知れません。
しかし貴方は一つの決断をして、それらを不必要にしてしまえるのです。 貴方は(我々が話してきた)真理(の白黒)をハッキリと認識して、それに基づいて自分のマインドを変える事が出来ます。
私はゴチャゴチャした闘争や永続する衝突には関心がありません。それらに心を奪われることもありません。 貴方も私の様に成って下さい。 それらは不必要な事なのです。
今週は「孤児(変革をもたらそうと奮闘している孤立した存在)で居る事が、いかに無益か」考えてみてください。 より沢山の事がクリアになったので、貴方は大切な一つの事が容易に出来るでしょう。
「私は初めの一人にはなりたくありません。 目立ってしまうのは嫌です。私はもう一週間待って、他の人がどうするか見てみたいです。 彼らがどんな体験をするか、まず確かめたいです。」 こう言って貴方は人参を追い続けるでしょうか?
OK.OK. それもいいでしょう。
I love you.
私は貴方を愛しています。 そして貴方が瞬間的に目覚める事を望みます。
もし貴方がそれを選択しないなら、貴方がそれを選択出来るように成るまで私は貴方の傍に立っていましょう。
私は貴方と共に立ってするべき事を貴方に示し続けます。 それが愛だから。
次回お会いできるのを楽しみにしています。
All of the activities of the Northwest Foundation for "A Course In Miracles" are provided without charge or obligation. This is possible because of thoughtfulness, love extended without conditions. Such is the nature of Gift. As a result these materials are available to you, because someone like you has already gifted you with them.
And, at Raj's instruction, these materials will never be sold.
「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行為は全て、無料で提供されています。 これは思慮深く、無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとは、その様なものだからです。 貴方と同等の方が既にこのギフトを貴方に差し出したので、これらの資料が貴方に提示されています。 Raj の指示により、これらの資料が売買される事はありません。
A Course in Miracles Study Group with Raj, November 14th 2009
The Northwest Foundation for “A Course in Miracles"
Phone: 360-638-0530 Fax: 360-881-0071
Website: http://www.nwffacim.org
E-Mail: paul@nwffacim.org
“You think that everyone OUTSIDE yourself demands your sacrifice, . .”
〔貴方自身の外に居る全ての人が貴方の犠牲を要求していると、貴方は考えています。〕
何故貴方はそう考えるのでしょうか? それは貴方が他者全員にこれを要求しているからです。 だから自分でそう考えている貴方は、他者もそう考えているに違いないと疑っているのです。
“You think that everyone OUTSIDE yourself demands your sacrifice, but you do not see that ONLY you demand sacrifice, and ONLY of yourself.”
〔貴方自身の外に居る全ての人が貴方の犠牲を要求していると、貴方は考えています。 しかし貴方だけが貴方自身の犠牲を要求していることに、貴方はまだ気付いていません。〕
これが白黒ハッキリさせるべき事です。
“. . . you do not see that ONLY you demand sacrifice, and ONLY of yourself. “
〔貴方だけが貴方自身が犠牲になることを要求していると、貴方はまだ気付いていません。〕
貴方は犠牲の事を意識的に考えてはおらず、「私は犠牲をあげよう、自分を犠牲にしましょう。」と言うわけでもありません。
貴方は例えば次の様に言うのです。
「また一日が始まったなぁー。色々やらなければならない事がある。あれこれ解決しなければならない問題もあります。 さぁー起き上がって、着替えて、出勤して、出来るだけ頑張らなくては。」
とても立派に聞こえますね。
しかし、こうして貴方は自分の犠牲を要求するのです。 これを明確に理解する必要があります。
貴方が一日の予定について考えている時、そこには思考の放棄が全く考慮されていません。 パーソナルなプライベートな意思決定を放棄して、(自分だけで)変化をもたらそうとする試みを放棄して、出来るだけ静かになって「神の静かな小さい声」(つまり貴方の神聖)を聞こうとして、天国(それが貴方の一日の真実です)をあらわにする意識を提供してはいません。
{貴方は静かな神の声を聞いて、その日の中で「どうすれば世界/真実に寄り添うことが出来るか知っている意識」を提供し、一日の中に天国を現すことをしていません。}
こうして貴方は自分の犠牲を要求しているのです。
だから貴方は、自分のとても善良な建設的な立派な一日のプランを使って、「自分の直接的神聖体験」/「貴方が神の子供だという実体験」/「貴方の真実を直に体験する事」を犠牲にしています。 これが貴方の犠牲の払い方です。
出来る限り良い「独立した存在」に成ろうとする「素晴らしい意図」によって、犠牲が隠されています。 そうして貴方は父のいない(源を持たない)リアルな子供に(神の操り人形ではなく)成ろうとしています。
“You think that everyone OUTSIDE yourself demands your sacrifice, but you do not see that ONLY you demand sacrifice, and ONLY of yourself.”
〔貴方自身の外に居る全ての人が貴方の犠牲を要求していると、貴方は考えています。 しかし貴方だけが貴方の犠牲を要求していることに、貴方はまだ気付いていません。〕
自身を忙しくして、アトーンメント(贖罪)が起こりえない所、成就が起こりえない所、聖なるセルフへのアセンションが起こりえない所に自分の注意を与える事によって貴方は自分の犠牲を要求しています。
“Yet the demand of sacrifice is so savage and so fearful that you CANNOT accept it where it is.”
〔しかし犠牲の要求は野蛮でとても恐ろしいので、貴方はそれをそのまま受け入れる事は出来ません。〕
それは野蛮で恐ろしいかも知れませんが、貴方は勇気を出してそれを見つめる事が出来ます。 我々は今それを見つめているのです。 貴方はそれをより詳しく見ることが出来ます。
それをより良く見るのは、それによって貴方が誹謗される為にではなく、どれだけ不必要な事を自分がしているのか貴方が気付けるようにです。 そうして、それ(犠牲)を自然に抵抗無く投げ捨てられるように。 それを手放して、もう使わなくなるように。
“But the REAL price of not accepting this has been so great that you have given God away rather than look at it.”
〔しかしこれを受け入れない代償はとても大きいので、貴方はそれ(自分が払った代償)を見るより、神を遠ざける事を選んだのです。〕
貴方は神についてあまり考えたいとは思っていません。 それに関して思い悩みたくはないのです。 神が貴方にとって意味が無いほうがマシだと貴方は思っています。 「自分の父が誰だか知る事」が重要ではない方がよいと貴方は思っています。
貴方の父が誰だか知る事は、とても素晴らしい事で、貴方に無限のインパクトを与えます。 それ(貴方の父が誰だか知る事)は犠牲ではなく、貴方の想像を遥かに超えた成就(満たされる事)なのです。
“. . . the REAL price of not accepting this has been so great that you have given God away rather than look at it. For if God would demand total sacrifice of you, you thought it safer to project Him outward and AWAY from you, and not be host to Him. To Him you ascribed the ego’s treachery, inviting it to take His place to PROTECT you from Him.”
〔これを受け入れない(為に払わなければならない)代償はとても大きいので、貴方はそれ(自分が払った代償)を見るより神を遠ざける事を選んだのです。 何故なら、神が貴方に対して全てを犠牲にするよう求めるなら、神のホストになるよりも、神を自分の外へ遠く投射した方が安全だと貴方が考えたからです。 貴方は彼(神)にエゴの裏切りをなすり付けました。 貴方を彼(神)から守ってくれるようエゴを招き入れ、それを神の座に据えました。〕
何故でしょう? 貴方がそうしたのには理由があります。 その理由とは:
「エゴの考え方に従えば、貴方は自分の個人的努力と鍛え上げられた個人的技能によって独自に成功する事が可能で、従って無限の賞賛/敬意/評価に値するように成れる。」 そうエゴは貴方に言うのです。 これは驚くべき約束と言えます。
この約束は、これが成功したなら貴方は神なくして/神聖なくして/自分の能力と努力だけで不変不滅になる、罪/病/死/ダメージ/怪我を経験しなくなる、すなわち貴方は永遠/不変にパーフェクト(完全)に成るという事です。 なんという約束でしょう。
そしてこれを貴方は自分の手で成し遂げられる(と思ったのです)。
貴方は自分の価値と能力を自分自身に証明して見せた事になるのです。
これを貴方に証明してみせる適役が貴方以外に居るでしょうか? これの証人になるに相応しい人が貴方本人以外にいるでしょうか?
これで貴方にもハッキリと解ったでしょうか。 貴方はこのようにして犠牲を払っており、これが貴方が犠牲を払っている理由なのです。
しかし貴方が忘れているのは、貴方が犠牲にしているのが貴方の正気であり、貴方の聖なる喜びと、神の子としての貴方の持って生まれた権利だと言う事です。
“To Him you ascribed the ego’s treachery, inviting it to take His place to PROTECT you from Him. And you do not recognize that it is what YOU invited in that would destroy you, and DOES demand total sacrifice of you.”
〔貴方は彼(神)にエゴの裏切りをなすり付けました。 貴方を彼(神)から守るようエゴを招き入れ、それを神の座に据えました。 貴方は自分が招き入れたもの(エゴ)が自分を破壊し、貴方の全てを犠牲として要求するとは認識していません。〕
これを腹の底までクリアにしてください。
“No partial sacrifice will appease this savage guest, for it is an invader who but SEEMS to offer kindness, but always to make the sacrifice complete.”
〔この野蛮なゲストは部分的な犠牲では満足しません。これは親切に見えて、しかし常に徹底的な犠牲も挙げようとする侵略者なのです。〕
エゴはとても親切なので、成功という人参を貴方の目の前にぶら提げてくれますが、その人参を貴方が得る事は最後までありません。
つまり、エゴは貴方の目の前に人参〈報酬〉をぶら提げて、「それを得て自分一人で何者かに成る事」に夢中にさせ、「私はどうやってこの様な(目の前に人参に心を奪われる様な)存在に成ったのか?」と自問するチャンスを貴方から奪い続けています。
しかし、目の前に人参が置かれるように成る前、貴方は何処に居たのでしょうか?
貴方は報酬を追いかけ何かを達成する事に夢中で、平和とマインドの平静を得て立ち止まり「チョッと待って。どうやってこれら全ての事が始まったのだろうか?」と言う事が出来ていません。
しかし「それが出来るだけで無く、それをすべきだ!」と今誰かが貴方に言っているのです。 今がそれをするべき時なのです。
「貴方は神の生命の全体性を犠牲にして来たのだ!」と誰かが今貴方に言って聞かせるべきなのです。 貴方はそれを犠牲にして来ましたが。 それは必要の無い事です。 だから貴方はそれを止められるのです。
そしてこれは何か貴方に対して与えられた罰ではありません。 それは貴方に与えられた苦難ではありません。 これは貴方が行なった思量の足りない行動によって作られただけのものです。
英語に Skirt Chaser と言う表現があります。 女性のお尻を追いかけてばかりいる男の事です。 貴方は自分が「人参を追いかけてばかりいる者」であると知る必要があります。 そして、それが馬鹿げた事であると解るように成ってください。
これが馬鹿げていると気付いて、「父よ助けてください。」と言えるように、独立を放棄して他の事を試してみる事が出来るように成って下さい。
“You will not succeed in being partial hostage to the ego, for it keeps no bargains, and would leave you nothing.”
〔貴方は、エゴの部分的な人質に成る事で済ませる事は出来ません。 何故ならエゴは容赦なく奪い、貴方に何も残さないからです。〕
貴方に何も残されないのは、貴方が人参(業績/報酬)を追い求めるあまり、神について考えなくなってしまい、貴方が自分の源へ向き合わなくなってしまい、貴方の意識が貴方の正気に気付けなくなってしまうからです。
だからエゴは貴方に何も残さないのです。 貴方のリアルなものが、貴方に解らなくなってしまうのです。
“You will have to choose between TOTAL freedom and TOTAL bondage, for there are no alternatives but these.”
〔貴方は、完全な自由と完全な拘束のどちらかを選ばなければいけません。 その理由は、これ以外の選択肢が存在しなからです。〕
白黒がハッキリしていますね。 貴方は人参を追いかけているか、人参を追いかけていないか、どちらか一方です。両方同時にすることは出来ません。
“You have tried many compromises in the attempt to avoid recognizing the one decision which must be made. And yet it is the recognition of the decision, JUST AS IT IS, . .”
〔貴方はするべき決断を保留しようとして様々な妥協を試みてきました。 しかしこの決断をありのままに認識すれば、決断することはいたって容易いのです。〕
ここで言う決断とは、人参を追いかける事を止める決断、自分一人で何者かに成ろうとする事を止める決断、父と繋がり直す決断、父からの離縁を破棄する決断です。
“. . . it is the recognition of the decision, JUST AS IT IS that makes the decision so easy!”
〔しかしこの決断をありのままに(シンプルに)認識すれば、決断することはいたって簡単なのです。〕
次の事を聞きなさい。
“Salvation is simple being of God, and therefore very easy to understand. Do not try to project it from you and see it OUTSIDE yourself. In you are both the question and the answer; the demand for sacrifice and the peace of God.”
〔救済とは、神のシンプルな存在の事です。 それはとても簡単に理解出来ます。 貴方自身から神を投射して、それを貴方の外に見ようとするのは止めなさい。 貴方の中に疑問と解答の両方が存在しています。 貴方の中に犠牲の要求と神の平和の両方が存在しています。〕
こうして一歩一歩明確にしてきました。 さて次は何でしょう。
次には犠牲の終焉が来ます。 それが次のセクションの小題です。 一つの決意をする事で、全ての幻想は解消され犠牲の終焉がもたらされます。 これが我々の話している事です。
「エゴのホストか神の人質」のどちらかを選ぶ事が出来ると考えている限り、貴方は(自分の存在にそぐわない事をしている結果としての)それぞれの闘争、それぞれの苦しい体験を一つ一つ踏まえて、それぞれのところで真理を求めていかなければなりません。
それらを一つ一つ解消していくには、とても長い時間が掛かるかも知れません。
しかし貴方は一つの決断をして、それらを不必要にしてしまえるのです。 貴方は(我々が話してきた)真理(の白黒)をハッキリと認識して、それに基づいて自分のマインドを変える事が出来ます。
私はゴチャゴチャした闘争や永続する衝突には関心がありません。それらに心を奪われることもありません。 貴方も私の様に成って下さい。 それらは不必要な事なのです。
今週は「孤児(変革をもたらそうと奮闘している孤立した存在)で居る事が、いかに無益か」考えてみてください。 より沢山の事がクリアになったので、貴方は大切な一つの事が容易に出来るでしょう。
「私は初めの一人にはなりたくありません。 目立ってしまうのは嫌です。私はもう一週間待って、他の人がどうするか見てみたいです。 彼らがどんな体験をするか、まず確かめたいです。」 こう言って貴方は人参を追い続けるでしょうか?
OK.OK. それもいいでしょう。
I love you.
私は貴方を愛しています。 そして貴方が瞬間的に目覚める事を望みます。
もし貴方がそれを選択しないなら、貴方がそれを選択出来るように成るまで私は貴方の傍に立っていましょう。
私は貴方と共に立ってするべき事を貴方に示し続けます。 それが愛だから。
次回お会いできるのを楽しみにしています。
All of the activities of the Northwest Foundation for "A Course In Miracles" are provided without charge or obligation. This is possible because of thoughtfulness, love extended without conditions. Such is the nature of Gift. As a result these materials are available to you, because someone like you has already gifted you with them.
And, at Raj's instruction, these materials will never be sold.
「Northwest Foundation for A Course In Miracles」の行為は全て、無料で提供されています。 これは思慮深く、無条件に差し伸べられた愛によって実施されています。 ギフトとは、その様なものだからです。 貴方と同等の方が既にこのギフトを貴方に差し出したので、これらの資料が貴方に提示されています。 Raj の指示により、これらの資料が売買される事はありません。
A Course in Miracles Study Group with Raj, November 14th 2009
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