目覚め。

チャネリングされたイエスの言葉とACIM。

09-10-10#1 Holy Instant and Real Relationships

2009-10-15 14:08:36 | Chapter 15
原文
http://www.nwffacim.org/default.aspx

October 10th, 2009 ©NWFFACIM


ページ位置の確認。

Sparkly Book, page 370, the second full paragraph.
Second Edition, page 323, paragraph five.
First Edition, page 300, the last paragraph.
JCIM, page 155, the fifth full paragraph.
CIMS edition, page 311, paragraph eighty-nine.


少し瞑想しましょう。


今晩は、ようこそ。  

初めて自動車が発明されたとき、それは馬車のスタイルを模した形をしていました。 

同様に、貴方の目の前で真理が開いていく時、成長が起こっているとき、変容が起こっているとき、新しいものは古くからあるものを模して現れて来てしまいます。

(この影響力のせいで、)新しいもの(状況)も余り速いスピードで変化していけません。 つまり、それ程新しく(出来うる限り新しく)あることが出来なくなるのです。 それは貴方が新しい習慣を作っているときに、古い習慣を持ち込んでしまうからです。

こもまた重要な事です。


少し前に下記の文章を読みました。

“-it is necessary to give up every use the ego has for the body, and to accept the fact that the ego has no purpose You would share with it. For the ego would limit everyone to a body for its purposes, and while You think it has a purpose, You will choose to utilize the means by which it tries to turn its purpose into accomplishment.”

〔エゴが体に与えている役目を全て放棄する必要があります。そして貴方はエゴと共有している目的はなにも持っていないと受け入れる必要があります。 何故なら、エゴはその目的の為に全ての人を体に限定してしまうからです。 そしてエゴが(重要な)目的を持っていると貴方が考えている限り、「エゴがその目的を達成する手段」を貴方が選んでしまうからです。〕

これはどういう意味でしょう? 簡単に説明します。

貴方が何もする事がなければ。 例えば数日間或いは数週間何もする事が無ければ、(例えばある種引退した人とか)貴方の気分は落ち込んでしまうでしょう。 何故なら、そこには目的が無いからです。 そこには目的意識が無いのです。
誰かが、「何かする事を探したらどうですか?」と言うかもしれません。 貴方はそうする事も出来るでしょう。

しかし本当のところ、これはただ「何かする事」が必要なのではないのです。 目的意識(意義)とはゴールを持っていると言う事です。

目的が、本当に目的とは、(ここでは聖なる目的という意味では使っていません)何でしょう?

それは例えば20年の間、世界一の主婦で居続けるとか、日本一の掃除婦として君臨する、30年間会社で一番の受付係りになり続けるとか言う事ではありませんネ。
{大概の場合、貴方の目的意識に適うものは、同じ状態を保ち続ける事(現状維持)ではありません。}

(貴方の)目的意識とは、成功のはしごを上って、30年後には、初めのときよりも優れた者になるためのものです。 貴方は目的を通して何者かに成ろうとします。 違いますか?

だから目的を持ってるなら、何かを達成する為のプロセス(手順)を行なう事に成ります。

だから貴方は、目的に合わない行動の事を、意味のある行動とは考えません。
これを理解する事が重要なのです。

貴方が目的(達成)を大切に考える家族の中で育ったなら、そして貴方も目的意識を持って生きてきたなら、そしてあるときACIM(あるいは何らかの宗教/スピリチュアリティが)貴方にとって大切に成ったとしましょう。   そして神の救済のプランと言うものがあると貴方は知ります。

その時貴方にとって、今までの目的意識をこの新しい(ACIM, 或いはスピリチュアルな)劇場の中に持ち込む事がとても自然に感じられます。 しかしそれ(貴方の今までの目的意識)は、この新しい劇場内では全く意味が無いのです。

貴方が例えば下記のような文を読むと:

“Our task is but to continue as fast as possible the necessary process of looking straight at all the interference and seeing it exactly as it is. For it is impossible to recognize as wholly without gratification what You think You want.”

〔我々の仕事は、出来るだけ速く、(聖なる瞬間を)「妨害している全てのもの」を正しくありのままに見ることです。 何故なら、全く見返り無しに(全く報酬無しに)「自分が求めていると思っているもの」を認識することは不可能だからです。〕  

おおー。すると何かするべき事が与えられた、と貴方は考えるでしょう。
しかし覚えていますか。 私はその様な解釈は示しませんでした。
その様に考えてしまうと貴方は、古い賛美歌が歌う「邁進するキリスト教の戦士」の様になってしまいます。

キリストに自分を捧げた戦士。 神の兵隊。 こうして、貴方は「自分を(神の救済から)押しとどめているもの」が見れるよう、目に付く全ての欠点を探し出し、隠れている欠点も穿り出そうとし始めます。
或いは、貴方は他者の中に間違えを探し始め、何が彼らを押し留めているか探そうとします。

なぜこの様な事をし始めるのでしょうか? それは、こう考えれば貴方は再び目的意識が持てるように成るからです。  そうして、この目的を達成しようとする行為を通して、自分の進歩を遅らしている「ネガティブなもの」を取り除こうとするのです。

あるいは、他者の進歩を押し留めている「なにか」を探して、彼らを助けようとするのです。

しかし、今夜の初めの文章を読むと:

“If You would but let the Holy Spirit tell You of the Love of God for You, and the need Your creations have to be with You forever, You would experience the attraction of the Eternal.”

〔もし貴方が、「神の貴方に対する愛」と「貴方の創造が貴方と永遠に共にある必要」について精霊に話させたなら、貴方は永遠が発する魅力を体験するでしょう。〕

この文は、 貴方が欠点を探して、それを消し続ける努力を盲目的に続ける事とどう関連しているでしょうか? {この文はそれ(欠点探し)の必要性を否定しています。}

これを理解する必要があります。 何故なら貴方はまだリアリティが何だか解っていないから。

貴方はまだ幻想がどういうものだか解っていないから。 そして貴方はまだ何が「消されるべきもの」か解っていません。

前にも言ったとおり、貴方が目覚めに向かって近づいていく毎に、貴方は自分が父から離れていったステップ(足跡、過程)をもと来た方へと戻っていきます。 貴方は、自分の為に作った幻想体験という創造を解除して行くのです。

そして今(一番最初の分離ステップから数えて)一万個目のステップを解除/解決する(逆戻りする)必要があるところに貴方が居る場合、いきなり15番目(もっと先)のステップを解除しようとしても上手くは行きません。  貴方は自分が今何処のステップに居るのか知らないのです。