目覚め。

チャネリングされたイエスの言葉とACIM。

09-09-05 #2 Needless Sacrifice

2009-09-12 04:58:04 | Chapter 15
原文
http://www.nwffacim.org/default.aspx

2009年9月 5日 ©NWFFACIM

ページ位置の確認。

Sparkly Book, page 366, the first full paragraph.
Second Edition (Foundation for Inner Peace), 319ページ 第9文節
First Edition, Page 296, the last paragraph.
JCIM, page 153, the seventh full paragraph.
CIMS, page 308, paragraph seventy-three.



少し瞑想しましょう。


では本を読みましょう。 この「ひどい」文から読み始めます。

“Suffering and sacrifice are the gifts with which the ego would ‘bless’ all unions. And Those Who are united at its altar accept suffering and sacrifice as the price of union. “

〔エゴは全ての結びつき(出会い)を祝福するギフトとして、苦しみと犠牲を与えます。 その(エゴの)祭壇の前で結びついた者達全員は、苦しみと犠牲を結びつきの代価として受け入れます。〕


“In Their angry alliances born of the fear of loneliness and yet dedicated to the continuance of loneliness, They seek relief from guilt by increasing it in the Other.”

〔「孤独への恐れから生まれた」「しかし孤独を継続させる事に忠実な」「怒りの連合」の中で、彼らは相手の中に罪を増やす事で、自分が罪から逃れようとします。〕

「私は貴方を有罪にします。  貴方は私の苦しみに対して責任があります。 貴方は私を苦しみから解放する責任があります。 しかし貴方は私を苦しみから救うために、何もしていません。 だから貴方は私が苦しみ続けていることに対して、責められるべきです。」

(こう言ったとき)これはどういう事を引き起こしたでしょうか。 
その時貴方はこう言ったのです。 「私は、自分の苦しみを自分では引き起こさなかった。 私は、事態を変革する選択肢をなにも持っていない。 私はいわれなく、他者の手によって(事態に影響されて、偶然の事故によって)苦しんでいる。」

しかしこれは真実ではありません。 貴方の選択は世界中を変える力があります。
しかし〔彼らは相手の中に罪を増やす事で、自分が罪から逃れようとします。〕

真理にしろ幻想にしろ、貴方が与えたものを貴方は保つことが出来ます。”What You give away, You get to keep!”   貴方が真理と共にいても、あるいは貴方が幻想と共にいても、この法は変わることがありません。  だから、相手の罪を増やしても自分の罪を減らす事にはなりません。


"They believe that this decreases it in Them. The Other seems always to be attacking and wounding Them, perhaps in little ways, perhaps ‘unconsciously,’ yet never without demand of sacrifice.”

〔彼らは、これをすれば(相手の罪を増せば)自分の中の罪が減ると考えています。 他者が何時でも攻撃して彼らを傷付けている様に見えます。 もしかしたらチョッとだけ、もしかしたら無意識の内に、しかし常に犠牲を要求します。〕 

しばしば、(ゲームに熱中するばかりに、そして、他者の中に最善のものを見ようとするスピリチュアルな意思により)攻撃されて傷付いても、それが微小なので、あるいは無意識のうちにされたものなので、貴方は「何も言わないことにしましょう。 彼は本当は私を傷つけようとしたのではないから。」と言ったりします。

「彼女は本当は私を傷付けようとしたのではないから。 これは完全に無意識の内に行われたものだから。 これは、ただ軽率に行われた事だから。 だから、彼らに抗議するまでも無い。」


しかし事実は〔常に犠牲を要求します。〕 攻撃は何時でも、貴方がそれに抗議しない限り、犠牲の要求を突きつけるものです。  この詐欺行為に貴方がNOと言わない限り。

彼らが「これは全て貴方のせいです!」といっても、それは違います。 これは貴方を騙そう、欺こうとしているのです。 貴方に「そうかもしれません。」と言わせようとしているのです。 彼らは貴方に罪悪感を懐かせ(何故なら貴方が孤児だから)、(罪悪感を懐いて懲罰される事を期待している)貴方が彼らに疑問を挟まない事を望んでいるのです(何故なら貴方が自分を有罪だと考えているなら好都合だから)。 解りますね?

こうして全てが、曖昧になってしまいます。 (この時)貴方は罰が下る事を期待しているのです。 それこそが貴方の無知なのです。 彼らが貴方を騙そうとした時、貴方は「これは私の罰に違いない。 彼らがしている事が詐欺だと気付いて、抗議するだけの明晰さが私にはない。」となってしまっています。

「何か良くない事が起こるに違いない、私が孤児だから。」と言う自分の態度(期待)にはNOと言って抗議(否定)しなければいけません。 解りますか?  ここでは曖昧にするのではなく、明晰な態度が求められているのです。


“The fury of Those joined at the ego’s altar far exceeds Your awareness of it.”

〔エゴの祭壇で結ばれた者達の怒りは、貴方の認識を超えています。〕
つまり貴方はそれを隠そうとしてしまうのです。 何故でしょう。

何故なら、貴方は他者の愚行(傷つける行為)が怒りから発生している事を認められるかも知れませんが、貴方の行動、貴方の他者に対する愚行が、彼らを操作しようとする行動が怒りから発生している事は認めたくないからです。

だから貴方はそれを(愚行の原因である怒りを)見ようとはしないのです。 もし貴方がそれを何処かで見ることが出来たなら、 貴方はあらゆる所で{自分の中にも}発見するように成るでしょう。 何故なら(貴方が孤児院を去るまで)それはあらゆる所にあるからです。 貴方が聖なる瞬間に入ろうとするまで、聖なる瞬間を実行して貴方のプライバシーを放棄するまで、貴方の孤独を放棄するまで、それはあらゆる所に見つかるのです。


“The fury of Those joined at the ego’s altar far exceeds Your awareness. For what the ego really wants You do not realize.” We will get into what that is.

〔エゴの祭壇で結ばれた者達の怒りは、貴方の認識を超えています。 何故なら、貴方はエゴが何を真に欲しているか知らないからです。〕 これについては後で述べます。

ここ数週間我々はこの主題について詳しく話してきました。 これが、貴方を「自分一人で考える権利」を尊ばなく成れるよう助けたはずです。
願わくば、これが貴方を納得させ、精霊(あるは貴方のガイド)と繋がって、そのパートナーシップを日常でより多く使い、それがより確実に成る事を、貴方が望めるように。

プライベートな思考の酷さと、それがもたらす苦しみに気付いたなら、貴方も、この(破壊的な)性癖から逃れなくてはならないと、真剣に思うように成った筈です。

すると居心地の悪さを感じるようになり、自分が破壊的な事をするという罪を犯さないよう、精霊と繋がる事により熱心に成れるはずです。 

何故なら、{貴方がその様な事が可能な世界に住んでいると考えている限り}貴方が本当に破壊的な事をして罪を作ったなら、貴方は希望が持てなくなってしまうから。 {そこでは}誰も貴方を助けてくれないだろうから。 {と、貴方は考えてしまうかもしれません。}

私は、貴方達全員一人ひとりに、真理を知りたいと望むようになって欲しいのです。

そして、貴方達一人ひとりが勤勉に精霊に(あるいは父に)訊いて、それを貴方の真理の理解の源として欲しいのです。  精霊を貴方が真理を求める所として欲しいのです。 貴方が孤立の(完全に独立した存在としての)性癖を破り/放棄できるように。

私は、先週沢山の人が「私には出来ない!」と言っているのを感じました。 悲しく怒って嘆いているのを。  貴方は精霊と繋がりたいと思っています。 私の声を聞きたいと思っています。 自分のガイドの声を聞きたいと思っています。 しかしそれらが聞けていません。


そして貴方がこれを性急にしたいと思っているなら(自分が罪を犯さないように、破壊的な事をしないように)、これが出来ていないと考えている、貴方は厳しいところに立たされることになります。 そしてプレッシャーだけしか感じられなくなってしまうでしょう。


そんな時、次の事を誰かが、貴方に言って聞かせる必要があります。 貴方はこれを、誰かから繰り返し聞く必要があります。

神の救済のプランについて話しましたね。 そして神の救済のプランは上手く行くように出来ているのです。 それはある時だけ上手く働くように出来ている訳ではありません。 これは、貴方を引っ張っていくために目の前にぶら提げられた人参、決して手の届かない人参ではないのです。

父の救済プランは、上手く働くように出来ているのです。 それは保障されているのです。 つまり、貴方が自分のガイドの声を聞く事は不可能ではないのです。 貴方が精霊の声を聞く事は不可能ではないのです。

「聖なる瞬間」が神の救済プランなのです。 聖なる瞬間とは、貴方が「貴方(父と繋がろうという貴方の熱意)と父しか存在しない」自分の中の非常に親密な場所に立つ事です。  これが上手く行く事は保障されています。


「静かな私的な場所にいる貴方」と精霊と「精霊を内に呼び込もうとする貴方の熱意」は、必ず上手くいきます。 これは上手く行くように作られているのです。

そして前にも言った通り、精霊が貴方の正気でしかないことに気付いたなら、なぜ神の救済プランが上手く行くように作られているのか解るでしょう、そしてそれが上手く行く理由もより明らかになるでしょう。

何故なら、これが上手く行った時、貴方は(エゴと戯れている間)今まで無視してきた自分(貴方がいまだ気付いていない自分の部分)ともう一度一つに成るからです。

別の言い方をすればこれは、貴方が自分一人で意思決定をする権利を放棄して、自分が「今まで無意識だった自分の他の部分と」溶け合う体験です。 精霊(貴方の正気)と共に、もう一度全体に成る体験です。

これは上手く行かないはずが無いのです。 何故なら「一つであるもの」は一つ以外のものには成れないからです。 「一つであるもの」は最終的に「一つのもの」としてハッキリと現れる以外にないからです。

しかし貴方がこの体験を未だしていないので、そして、この体験をした人と会った事があまりないので、これは特別に選ばれた小数の人だけが体験する事だと、貴方は思っているかもしれません。

(私をチャネリングしている)ポールのように、公にこの話を(精霊の話、二つのステップの話、精霊の声を聞く話)した人が沢山は居ないので、特殊な才能の無い自分には、これは出来ないと感じ、だから精霊の声が聞こえていないのだ、と考えているかもしれません。

だから、「私には出来ない!」と言う正統な理由が自分にあると考えていますか?  でも、貴方にも出来るのです。 Yes, You can!  貴方はこれが出来るように作られています。 何故なら、独立と言うアイディアを弄び始めるまでは、貴方も以前はこれをしていたのですから。

そして、独立の体験にはもう飽きあきしているでしょうから(と、そう私は望みます)、貴方ももう正気に返って良い頃です。 貴方は出来るのです。 これは特別な才能ではありません。 これは特別な能力ではないのです。 これをする為に、特別スピリチュアルな人になる必要はないのです。

貴方は僧侶や修道院士になる必要はありません。 だからリラックスして、心軽やかにして下さい。 そして、「自分には出来ない」と感じたら、このオーディオ・ファイルをもう一度聴いて(あるいはテキストを読んで)、「貴方には出来ます。」と私が言うのを聞いて、そして思い出してください。


あるいは、他の文献を読んで(聞いて)思い出してください。 貴方には出来ます。 神の救済プランは、上手く働くように作られているのです。 それは失敗する様に作られてはいません。


ここでコースの別の箇所を読みましょう。 ここを読んで貴方は{自分が出来るという事を}思い出すことが出来ます。 

レッスン49です。

“God’s Voice speaks to Me all through the day.”
〔神の声は毎日いつも私に話しかけています。〕


貴方は神の声が、一日中貴方に話しかけているとは考えていないかもしれません。 しかし次の真理が、貴方に事実を思い出させるでしょう。


“It is quite possible to listen to God’s Voice all day without interrupting Your regular activities in any way.”

〔貴方が一日中神の声を聞きながら、同時に自分の毎日の作業を行うのは十分可能な事です。 それの行動が、どの様な行為であっても。〕

貴方は尼寺へ入ったり、洞穴で生活したり、毎日教会へ行く必要はありません。

貴方は、食器を洗ったり、部屋を片付けたり、芝生を刈ったりしながら、神の声を聞くことが出来るのです。

これは十分可能なことなのです。 〔貴方が一日中神の声を聞きながら、同時に自分の毎日の作業を行うのは十分可能な事です。 それの作業が、どの様な行為であっても。〕

ここで一つの事を明確にしておきましょう。 神の声についてです。 
貴方は神の声を聞くことが出来ます。

神の声とは何でしょうか? 神の声とは真理の声です。 精霊の声が真理の声です。 そして精霊とは貴方の正気そのものなのです。

だから神の声とは、貴方の正気そのものです。 これが真実です。 神の声は、貴方の正気でしかないのです。 貴方の正しいマインド(Your Right Mind)が神の声そのものなのです。 貴方の正しいマインド(貴方の正気)が、「神との合一」があるところです。 {貴方が神と融合しているところです。}

だから、神の声は何時でも貴方と共にあるのです。 神の声が貴方の正気、貴方の正しいマインドです。 そして、たとえ貴方が自分の為に考えていたとしても、そして精霊の声を聞いていなかったとしても、それでも神の声はそこにいます。 神の声は永遠に貴方と共にあり、貴方に呼びかけています。

つまり、精霊は貴方の意識のドアをいつも叩き続けています。 それは何時も貴方の注意を引こうとしています。 だから、「精霊よ、ここの真理は何ですか?」と訊いた途端、「父よ、ここの真理はなんですか?」と訊いた途端、貴方は精霊が叩き続けてきたドアの前まで来ているのです。 その時、貴方は取っ手に手をかけてドアを開けようとしているのです。


私が、ここで何を言うとしているか解りますか?  真理を知ろうとする事は、何処に在るか解らないものを、闇の中から手探りで探す様な事ではないのです。 これは貴方が、一人だけで孤独の内に行う事ではないのです。

そうでは無く。 貴方が精霊(あるいは父)から真理を知りたいと考えた途端に、貴方はドアの取っ手に手をかけているのです。  精霊(真理の声/神の声)が叩き続けてきたドアを。 それは、貴方が取っ手を廻してドアを開ける事を、今この瞬間も期待して待っています。