目覚め。

チャネリングされたイエスの言葉とACIM。

09-09-19#1 Holy Instant and Real Relationships

2009-09-26 00:58:11 | Chapter 15
原文
http://www.nwffacim.org/default.aspx

September 19, 2009 ©NWFFACIM


ページ位置の確認。
Sparkly Book, page 368, the third full paragraph.
Second Edition, 321ページ,  第四文節
First Edition, page 299, the first full paragraph.
JCIM, page 164, the seventh full paragraph.
CIMS, paragraph 10, page 382



少し瞑想しましょう。


今晩は、ようこそ。  

我々は、”The Holy Instant and Real Relationships” 〔聖なる瞬間とリアルな関係〕と題されたセクションを読んでいます。 下記が一番最初の文章です。

“The Holy Instant does not replace the need for learning, for the Holy Spirit must not leave You as Your Teacher until the Holy Instant has extended far beyond time.”

〔聖なる瞬間は学習の必要をなくすものではありません。何故なら、聖なる瞬間が時間を越えて行くまで、精霊は貴方の教師として留まる必要があるからです。〕

これが意味する事は、『聖なる瞬間が「聖なる瞬間だけを体験する所まで」貴方を連れて行くまで。』です。 聖なる瞬間をここで少し、あそこで少し体験するのではなく、『貴方が時間そのものを超えて進んでいくまで。』です。


それが起これば、学習は終了しました。 そして貴方のマインドが統合されたのです。 その時もはや精霊と(プライベートな卑小な傲岸な自己防衛的な自己表現をする)貴方のマインドが分離して存在してはいません。

ここでの重要事項は学習です。 何故なら貴方は様々な知識を覚える事ができますが、その知識が貴方を変える(貴方を変容させる)とは限らないからです。

貴方は自分を成長させないままに、様々な知識を取得し続けることができます。 何も学ばないまま、色々な情報を受け入れ続けることも可能です。 だから(貴方に変容をもたらす為の)学習が重要なのです。

聖書には下記の言葉が記されています。

“Be Ye transformed by the renewing of Your minds”.

〔貴方のマインドを新しくして、変容を体験しなさい。〕

変容とは学習を上手く説明している言葉です。 変容(Transformation)とは形(formation)が変化したという意味です。 フォーム(形態)が変わって、それが新しいものに変化したのです。

貴方のマインドを新しくして、貴方は変容を体験するのです。

どうすれば貴方のマインドに変容が起こるのでしょうか? それは 聖なる瞬間の中で起こります。

貴方が「父よ、ここの真理は何ですか?」と訊いたときに学習が起こります。

つまり、貴方が意味を与えるのではなく、貴方が(自分の)定義を持ち出してそれを物事(現象)に当てはめるのではなく、貴方は一歩下がって、他の視点(従来とは違う見方)に従った時だけ学習が起こります。


しかし、他の視点ならどれでもいいという訳ではありません。  その時貴方は(神の声たる、真理を伝える声である)精霊に尋ねているのです。

ですから、貴方が招き入れているのは、貴方のマインドが新しくなる事によって起こる、自身の変容なのです。 それは貴方が「貴方に真理を解き明かすもの」に尋ねたとき間違えなく起こります。 最上の真理が貴方に与えられます。 物事のリアルな体験が、創造の真理が、すべての意味が、貴方に知らされます。


貴方は変容を体験しなさい。 昨日とは違う貴方に成りなさい。  聖なる瞬間の起こる直前までの貴方とは、別な貴方に成りなさい。

「貴方のマインドを新しくして、貴方自身を変容させなさい。」とは、「過激な理想(主義)を実用的現実(主義)に変容させる」事と同じ意味です。

これらの事が重要なのは、学習が起こらなければ貴方は目覚めないからです。 学習が起こらなければ、精霊はその目的を果たせません。

学習が起こらなければ、「貴方の正気でしかないもの」は貴方の全て、貴方である全てを統合する事(一つにまとめる事)が出来ません。  しかし、学習が起これば、貴方の全てが統合され、貴方が自分の一部だけを「自分の全て」と想像し続ける事が終わります。

貴方は自分を譲って、貴方全体の中の「プライベートで小さな部分」を、貴方の全てに対して開放しなければいけません。

そうなれば、貴方の正気でしかないもの(貴方の正しいマインド)が、貴方の新しいマインドになります。 これが貴方が変容した、貴方が目覚めた、貴方が正気を取り戻した、と言うことです。

我々は学習の部分を強調する必要があります。 変容を強調する必要があります。


貴方が、よりスピリチュアルな考え方を身につけるだけでなく、本当に変容できる方向へ動いていけるように。  貴方が過激な理想を持つにとどまってしまわず、その理想(アイディア)を(貴方が見聞きする)リアリティに変容していけるように。  「神が全てで、全てが神」という事が、貴方が今いるところで、貴方にとってリアルになるように。

前回は、このセクションが「聖なる瞬間とリアルな関係」と題されている事、リアルな関係とは神と貴方との間にまず築かれる事、に関して話しました。 神とのリアルな関係を体験した結果、貴方は神の視点を得て、それにより貴方は兄弟と聖なる関係がもてるのです。 これはこの順番で起こります。


本を読みましょう。

“Think but an instant on this: God gave the Sonship to you, to ensure your perfect creation.”

〔次の事についてよく考えてみなさい。 神は、貴方がパーフェクトに創造されるよう、神の子の共同体(全ての人が神の一人子してまとまった存在)を貴方に与えました。〕

少し解りにくい文ですね。 Sonship(神の子の共同体、神の一人子)とは神の子供たち全てを含むものです。


“God gave the Sonship to you, to ensure your perfect creation.”

何故、神が「神の子の共同体」(Sonship)を貴方に与えることが、貴方がパーフェクトに創造される事に繋がるのでしょうか?

理由は、もし神の全ての内の一部が、神の子の共同体の一部が、貴方の兄弟姉妹のうち一人でも、貴方に与えられなかったのなら、それが貴方から隔てられていたのなら、貴方は完全(Whole, 十全)ではありえないからです。

もしそうであれば、貴方は、「神というマインドを完璧に表現するもの」には成れませんでした。

“God gave the Sonship to you, to ensure your perfect creation. This was His Gift, for as He withheld Himself not from you, He withheld not His creation.”

〔神は、貴方がパーフェクトに創造されるよう、神の子の共同体(全ての人が神の一人子としてまとまった存在)を貴方に与えました。 これが神のギフトです。 神は自身を貴方から遠ざけませんでした(貴方から隠しませんでした)。 神は自分の創造を遠ざけませんでした。〕

なにも貴方から隠されているものはありません。


“Nothing that ever was created but is yours. Your relationships are with the universe.”

〔創造された全てのものは、一つ残らず貴方のものです。貴方は宇宙と関係を持っているのです。〕

何と言う言葉でしょう!

“Your relationships are with the universe.”

〔貴方の持っている関係は、宇宙に対して築かれているのです。〕

だから学習について話しましょう。 学習することに関して学ぶ必要があります。

貴方の関係が宇宙的な(万物との間に築かれている)ものなら、それが宇宙との間に築かれており、それ以外が(の関係が)ありえないなら、その体験は、「貴方が現在考えている関係の体験」とは著しく異なったものになります。

貴方達は、神の姿を想像する傾向があり、自分のイメージに神を押し込めようとする傾向があります。 これは、神を父と言い表したり(女神、母神と言ったり)する事も、その一因でしょう。

そうすることで、神に人間の父親のようなキャラクター(人格)を与える傾向があります。 ただし、とてもスピリチュアルな傾向を持たせ、完全無欠に整えるのですが。

しかし、これは限界を設けることになります。 この限界を貴方は放棄しなければいけません。

「貴方の目の前にあるのは、神の王国(天国)だけです。」、「貴方は、この宇宙と呼ばれているとこで『神が天国としてどのようにあるか』『神がどのように天国になっているか』知りたいと好奇心を持たなければいけません。」と私が言っている時、私は貴方を招待しているのです。 その時貴方は出来る限り、今までの観念を捨てて、より偉大な経験に対してオープンでなければいけません。 今まで体験した事の無い事を、受け入れられる意欲が貴方に必要です。

奇矯な体験、奇妙すぎる体験が起こると言っているのではありません。
貴方は「今までとは全く違う体験をしても構わない」と思う必要があります。
こうして神の存在をフィルターに(こうでなければいけない、こうであるはずという貴方の期待を)かけない様にするのです。 (フィルターを通さずに)神の臨在が直接貴方に届き、それを十全に体験できるように。

つまり簡単に言えば、貴方は完全にオープンである必要があります。