「先祖になる」という映画を観てきました。
東日本大震災で壊滅的な被害を受けた岩手県陸前高田市の気仙町に住む
佐藤直志さんを追ったドキュメンタリー映画です。
奥さんや津波で亡くなった息子さんのお嫁さんが仮設住宅で暮らす中、
佐藤さんだけは家から離れず住み続け、昨年の夏には同じ土地に
家を新築するところまでの日々が記録されていました。
木こりと農業を生業とする佐藤さんは、山の木を切り倒して
家を建てる材料を調達し、田植えをして米を収穫していました。
奥さんからは頑固だとか、意地を張ってるとか言われてたけど、
本当ならくじけてもおかしくない状況の中、決してブレることなく、
自分で出来る事を淡々とこなし、周りの復興がなかなか進まない中、
新しく家を建ててしまうという77歳とは思えないあのバイタリティーは
そう真似が出来る事ではないと思いました。
この気仙町は十数年前に亡くなった私の父の故郷で、
実家がこの佐藤さんが住んでいる場所のすぐそばでした。
父が亡くなってから気仙町にはあまり行っていなかったのですが、
震災の前の年のけんか七夕の日と震災の半年後現地に行ってきました。
映画で観た限り、半年後に行った時と風景は何ら変わっていませんでした。
2年近くたっても、復興は進んでないんですね...。
父が家を建てた時も上棟式で行った「餅蒔き」を
佐藤さんもしていましたが、拾っている人の少なさが悲しかった。
周りに住んでいる人がいれば競って拾うものなのに、競う必要がない...。
映画の中でけんか七夕の様子を見ました。
聞き慣れたお囃子が流れて来た瞬間に涙が溢れてきました。
楽しそうに笛や太鼓を演奏している皆さんの様子に
父の姿が重なりました。
青年団の方が「負けたくない」と絶叫する姿が胸に刺さりました。
父もそうでしたが、皆さん気仙町が大好きなのが伝わってきました。
なかなか復興は進んでないけど、佐藤さんや青年団の方々の様な
気仙町が大好きな人達がいる限り、時間はかかっても必ず復興すると思えた映画でした。
東日本大震災で壊滅的な被害を受けた岩手県陸前高田市の気仙町に住む
佐藤直志さんを追ったドキュメンタリー映画です。
奥さんや津波で亡くなった息子さんのお嫁さんが仮設住宅で暮らす中、
佐藤さんだけは家から離れず住み続け、昨年の夏には同じ土地に
家を新築するところまでの日々が記録されていました。
木こりと農業を生業とする佐藤さんは、山の木を切り倒して
家を建てる材料を調達し、田植えをして米を収穫していました。
奥さんからは頑固だとか、意地を張ってるとか言われてたけど、
本当ならくじけてもおかしくない状況の中、決してブレることなく、
自分で出来る事を淡々とこなし、周りの復興がなかなか進まない中、
新しく家を建ててしまうという77歳とは思えないあのバイタリティーは
そう真似が出来る事ではないと思いました。
この気仙町は十数年前に亡くなった私の父の故郷で、
実家がこの佐藤さんが住んでいる場所のすぐそばでした。
父が亡くなってから気仙町にはあまり行っていなかったのですが、
震災の前の年のけんか七夕の日と震災の半年後現地に行ってきました。
映画で観た限り、半年後に行った時と風景は何ら変わっていませんでした。
2年近くたっても、復興は進んでないんですね...。
父が家を建てた時も上棟式で行った「餅蒔き」を
佐藤さんもしていましたが、拾っている人の少なさが悲しかった。
周りに住んでいる人がいれば競って拾うものなのに、競う必要がない...。
映画の中でけんか七夕の様子を見ました。
聞き慣れたお囃子が流れて来た瞬間に涙が溢れてきました。
楽しそうに笛や太鼓を演奏している皆さんの様子に
父の姿が重なりました。
青年団の方が「負けたくない」と絶叫する姿が胸に刺さりました。
父もそうでしたが、皆さん気仙町が大好きなのが伝わってきました。
なかなか復興は進んでないけど、佐藤さんや青年団の方々の様な
気仙町が大好きな人達がいる限り、時間はかかっても必ず復興すると思えた映画でした。