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スグルの歴史発見

社会科教員をやっているスグルの歴史エッセイ。おもに中学生から高校生向きの内容ですが、大人でも楽しめると思います。

我レ今ヨリ航空戦ノ指揮ヲトル

2007年03月23日 17時44分19秒 | 中学歴史
 ミッドウェーの海戦といえば、太平洋戦争において、日本の劣勢への転換点となった戦いとして、中学の歴史教科書でも、太字で取り上げられている。残念なのは、歴史の教科書や、社会科教師の多くが、日米には国力差があり戦争自体が無謀だった、だからミッドウェーでも負けるべくして負けた、という捉え方をしていることだ。太平洋戦争の敗因そのものは、当然、日米の国力差にあったのだが、ミッドウェーの海戦の勝敗自体は、国力差に起因するものではない。ミッドウェーの海戦を前にして、両国が展開した戦力は、主力空母で比較すると、日本が4隻、アメリカが3隻と、日本の方が勝っていた。暗号が解読されていたので待ち伏せされていたのだが、戦局の展開を見ると、待ち伏せはアメリカにそれほど有利に働いたとは思えない。
 ミッドウェーでの敗因は、実は、艦隊を指揮していた南雲忠一中将の決定的な判断ミスである。南雲中将は、水雷の専門家で、航空戦の専門家ではなかった。それが、航空戦をする機動部隊(空母部隊)を指揮したいたのは、今も昔も変わらぬ日本の悪習、年功序列人事のせいだった。主力4空母のうち、「赤城」「加賀」「蒼龍」の3空母を率いていた南雲中将のもとに、敵艦隊発見の報がもたらされたとき、艦載機は陸上攻撃用の兵装に転換したばかりだった。このとき、離れた位置で「飛龍」を指揮していた山口多聞少将が南雲中将に意見を述べた。「一刻も早く航空機を出して敵艦隊を爆撃するべきだ」。実は、この山口多聞少将はこそ、航空戦の専門家だった。僕は山口少将を、当時の海軍の提督の中では、もっとも優れた人材であったと評価している。しかし、南雲中将は、「陸上攻撃用の兵装では敵艦は沈められない。鑑定攻撃用の水雷に兵装転換せよ」。山口少将は南雲中将の指揮下にあり、山口の意見は通らなかった。こうして兵装転換に貴重な時間が費やされ、兵装転換を終えたときには、アメリカの航空機部隊の先制攻撃を受け、、「赤城」「加賀」「蒼龍」はたちまち炎上した。
 この時点で山口少将の「飛龍」だけが無傷で残された。山口はここで指揮権をぶんどる。
「我レ今ヨリ航空戦ノ指揮ヲトル」
 この時点で、日本は空母を3隻失い残るは1隻。一方のアメリカは空母3隻が健在。南雲中将の判断ミスで、4対3の優勢が、1対3の劣勢になってしまった。ところが山口はここから、果敢にもカウンターアタックを開始する。「飛龍」の航空機部隊を飛ばし、米空母ヨークタウンを炎上させた。しかし1対3では劣勢は挽回できず、同時にアメリカ側の航空機の攻撃を受け、ついに飛龍も炎上。全員退艦を命じ、自らは空母を失った責任をとるとして、飛龍と運命をともにした。
 
 戦艦を攻撃するなら、相手を沈めなければ相手の戦力を奪えないから、水雷で攻撃するほうがよい。しかし、空母を攻撃するなら、まず甲板を破壊してしまえば、航空機が発信できなくなるので、とにかく相手よりも先に、甲板だけを破壊する必要があったのだ。しかし、水雷の専門家だった南雲中将はそのことに思い至らず、航空戦の専門家だった山口少将の正しい判断を退けてしまった。こんなことのために貴重な兵士の命が多く失われたのは、悔しいとしか言いようがない。
 さらに、山口多聞少将をここで失ったのは、大きな痛手だった。空母はまた作ればよいが、優秀な人材はそうはいかない。南雲中将は生きて帰ったのだから、山口も死ぬ必要はなかった。決断は潔くはあるが、その死が悔やまれる。
 
 我レ今ヨリ航空戦ノ指揮ヲトル

 もっとはやく山口に指揮権が渡っていたら・・・。山口の先制攻撃が行われていれば、当然日本も相当の被害を受けただろうが、アメリカも大きな被害を受けたはずだ。なのに「赤城」「加賀」「蒼龍」は何もせずに(兵装転換はしたが)役立たずのまま終わってしまった。馬鹿としか言いようがない。

 個々の戦闘の結果が、歴史を大きく動かすことがある。国力差の比較も大切だが、こういった生きた人間ドラマが歴史を動かすこともまた事実なので、こうした部分を、授業にもっと取り入れれば、歴史はより面白くなり、歴史好きな生徒も増えるだろう。