

わたしは君に。君はわたしに」
(アントニオ・サリエーリ~『アマデウス』ピーター・シェーファー作
倉橋健・甲斐萬里江訳 【テアトロ】昭和57年5月号)
「奈落」とは舞台下の地下室であり、それ以上どこへも行けない場所のことであり、そして地獄の意でもあります。
彼らが落ちたのは、まさにそこです。
以下、やはりネタバレにつき、未見の方はこの先お読みにならないで下さい。
原作『奇術師』について、私は「どこで根太が抜けるか判らない床の上を歩かされているような」と評しましたが、映画の方は、作品自体も、また主人公たちの所業も、釘一本抜けただけで崩壊してしまう壮麗な建築物を思わせました。
なぜそんな所業に到るのか。多くの人を傷つけ巻き添えにし、それどころか自らを害うようなことをしてまでなぜ?
その答えは「彼ら」しか持っていません。謎やトリックの答えもまた、物語のオチにではなく「彼ら」の中にしか存在しないのです。
彼らが「彼ら」である限り、また、あのようにして出逢う限り、間にあるものが「奇術」でなく音楽や美術であっても、同じことが繰り返されただろうという気もしますが、あの華麗なる不毛さはやはり「後には何も残さない」奇術ならではのものでしょう。
理解し合うことは求めぬまま、それでも互いの近くにあり続けようとするアンジャーとボーデン。
惹かれ合いながら争い、憎み合いながら離れられず、執着しながら相容れることもなく、逃れることも逃すこともできないこの不毛。
彼らが繋がっていられるのは、ただ自分たちが作り出す幻影(イリュージョン)の世界に於いてのみ。そんなものに意味はないと言われれば、跡形もなく消えてしまうけれど、それでも彼らが終生囚われずにいられないもの。
アンジャーに到っては、ジュリアの復讐のためという当初の目的もどこへやら、ボーデンしか見えず、ボーデンのことしか考えられないようになって行くのだから、オリヴィアに愛想を尽かされるのも当然でしょう。同じものを、彼女は「フレディ」の内にも見出していた筈です。
原作のオリヴィアが彼らの仲を評した名言があります。
「あなたとあのアルフレッド・ボーデンは、仲良くやっていけないふたりの恋人同士のようなものよ」(『奇術師』/ハヤカワ文庫FT 古沢嘉通訳)
映画でも、彼女はボーデンに「あなたとアンジャーは似た者同士」だと言っていましたね。
しかし、原作では互いに敬意を抱き合い、どこか楽しげにさえ見えた彼らの相克が、映画に於いては文字通り命を削り合う陰惨なる相を呈しています。
寝ても覚めても相手のことが頭を離れず、それゆえにこそ、寧ろその相手が消え去ることを願い、他の何を、また誰を犠牲にしても、ただその相手を屈服させることを願う。
追いかけ、尾け回し、罠を張る、その行動様式をも含めて限りなく「愛」に近似しながらも決して愛に到ることのない情念と、果てなき執着。
この不毛さ、この非生産性は、本質的に女性のものではないのでしょう。サラはそれに堪えきれず、オリヴィアも双方から離れて行きました。
この争いに於いて男たちは結局女性など眼中にありません。アルフレッド(原作だと「アルバート」でしたっけ?)だって、サラを愛していると言いつつ、半分だけの自分しか与えられない訳だし。
実は原作では、彼女たちの役割はもう少し大きく、各々の家庭生活もそれなりに維持されているのですが、映画ではその辺りバッサリ切っています。
原作の現代パートも潔くカットしているし、あくまでも話をアンジャー対ボーデンの闘争に絞る為とも言えますが、それよりもノーラン監督という人は(『バットマン ビギンズ』では特に顕著でしたが)、女性キャラクターを描くことに何の興味も持っていないのではないかという気がします。
とってもネタバレ→ただ、「彼ら」の行く末が、それぞれ奥さんの方法をなぞっているあたり、痛烈と言うか痛切です。ボーデンはともかく、わざわざその方法を選んだアンジャーの心情も凄まじいですね。
原作では、ひとつの心を共有しているかのようだった双子が女性は別の人を求めてしまうあたりにアイロニーも感じられましたが、映画の彼女たちはやはり「駒」でしかなかったと思うのです。←ここまで
しかし、この息詰まるような、と言うより息苦しいほどの妄執の物語が、その救われなさも共に、私自身は嫌いではありません。
それどころか、『レ・ミゼラブル』を愛し、『アマデウス』を愛する私にとって、相手がまさにその人であるがゆえに引きつけられもし、一方で存在自体が許せなかったりもする男たちの心理ドラマは、最も好みの雛形であると言っていいものです。
人によっては本当に後味悪い嫌な話だろうと理解できますが、已むことなく互いのものを奪い奪われ続ける彼らの関係には強く心惹かれました。
それでも、原作「ルパート・エンジャ」が述懐するように、「われわれは友人であるべきだったのに」、「ボーデンとわたしは敵同士であるよりも、良き協力者に」なれていたかも知れないのに……とも思います。
早い時期にボーデンが「秘密」を打ち明け、カッターさんも交えて彼らがチームになっていれば……そう考えると、思わず嘆息してしまうのです。
そんな訳で画像は、LAプレミアのお三方を。
映画本編を観た後でこういうのを見ると、何だか切なくなりますね。